第127話 夢幻の真相Ⅱ



 夢心地とは異なる快い空間。

 虚ろに目を開けば、そこには何時ぞやの"闇"が広がっていたのだった。



 あら、……ここは?

 確か私、ティーを呼んでからミアリを乗せて、それで……ああ、漸くなのね♪



 試しに周囲を見渡しても《夜目》は機能せず、闇の中を見通すことは叶わなかった。

 それは固有能力アーツやスキル、魔法の使用が出来ないことから明らかである。



(まさに……グッドタイミングね。次は何時会えるのか気になってたけど、それがまさか、今日なんて。ついてるわ♪)



 足場などない筈の空間で立ち尽くすリア。

 周囲の何物も見通すことのできない闇をただジッと見渡す。


 すると頭上の闇が波紋を打ち始め、それに伴いリアの鼻腔には爽やかでどこか安心するフローラルな香りが運ばれてくる。


 リアはその匂いに思わず頬を緩ませ、もっと感じていたいという欲求が胸の内から湧き上がってくる。



 彼女が来たんだろう。



 そうして頭上を見上げれば、何もない空間から姿を現す。

 常闇の長い黒髪を揺らめかせ、ルベライトの様な赤紫色の瞳をした幻想的な少女。


 青と水色の花をその身に漂わせ、彼女はリアを見て満面の微笑みで宙を蹴った。



「やってくれたね! リア!」


「わっ、とと……ヘスティナ。貴女に会いたかったわ、とっても」



 抱き留めたリアは少女の体を強く抱きしめ、思うが儘に首元へ顔を埋める。

 仄かな香りが鼻腔に入り、全身を心の底から安堵する心地良さで満たされる。


 疲労ともストレスとも違う。いうなれば魂の休息のような、何物にも代えがたい唯一無二の安息の空間。



「わわっ!? 君、熱烈な歓迎だね。でもいいよ? 今の僕はとっても機嫌が良いから」


「そうなの? それじゃあ遠慮なく」


「え、ちょっ、何処触って……! ま、待ってっそこ違う。あ、ムニムニしないでぇぇ。……ほ、本当にどうしたの? 変だよ、君」


「いいよって言ったよね? それじゃあ問題ないでしょ? はぁぁ癒されるぅ♪」



 アイリスと大差ない、少女のような小さな体なのにリアは甘えるように抱き締め、その体にこれでもかと頬をすりすりする。胸はちっぱいけど、発展途上の膨らみがまた何物にも代え難い感触を齎してくれる。



(あぁ、浄化されるぅぅ! ヘスティナの体って柔らかい。それに抱き心地もグッドだし、何より心の底から癒されるの~♪ なんていうの? 実家のような安心感? 母の温もり? パーソナルスペース? もうそんな感じでずっとこうしてたい気分だわ〜!)



「まぁ確かに? 先に抱き着いたのは僕なんだけどさ。君ずいぶんと甘えん坊になってないかな? そんなに僕が恋しかったの?」



 覗き込むようにして、その小さくも芸術品のような顔を近付けてくるヘスティナ。

 少し顔の位置をずらし、首を伸ばせば簡単に唇が奪えてしまうそんな距離。

 目が釘付けになってしまう。



「はむっ♡」


「んっ、………………んん!?」



 あ、やっちゃった♪


 でも仕方ない、そんな可愛い顔を無防備に近付けてくるヘスティナがいけないのだ。



 リアはヘスティナの細い腰を抱き、ピンッと立った悪魔のような尻尾をすりすりと摩ることにする。


 すると腰から生やした黒羽をこれでもかとバタつかせ、小さな両手で藻掻き始めるヘスティナ。



(あぁ、可愛い♪ 固有能力アーツもスキルも魔法すら使えない私に、こんなに良いようにされちゃう神様。夢の中だからかしら? 何だかこの世のものとは思えないくらい美味しい唇ね。それに舌も小さくて、戸惑って縮こまってるのとか可愛すぎない? あー、唾液美味しい♡)



「ぱっ……き、君っ!? 何を考えてるんだ!!? 僕の初めてのキスが、こんな……」


「んっ……ふふ、ごちそうさま。ファーストキスなの? やったぁ♪」


「…………はぁぁぁ、この世界に連れて来た時の君の危険度を忘れてたよ。前回が比較的まともだったから余計にね。今の君はどっちなのかな? それともまだ夢見心地なだけ?」



 ヘスティナは仕方なさそうに苦笑を浮かべ、現れた時の若干のテンションの高さは鳴りを潜めていた。

 だからリアも少しだけ冷静になりながら、抱き締めたまま顔を少しだけ離す。



「待ちわびた再会だからね。抱き合えばそうなりもするわ? ……それより、その腕はどうしたの?」



 現れてからずっと気になっていたこと。

 本人が平然としていたことや、可愛い女の子分に当てられてタイミングを見失っていたのもある。



「ああ、これ? 大したことじゃないよ」


「そうは見えないけど……私の気のせいじゃなければ、気配も弱まってるよね?」



 あまりにも心地良い空間と抱き心地に、欲望に忠実になってしまったがやはり気のせいではない。



(確実に弱くなってる。今すぐどうこうって話じゃないだろうけど、明らかにおかしいわ。前にあった時は神らしい底知れぬ存在感と気配を感じられたけど、今は少し弱々しい。これが続くようなら……近い将来、ヘスティナは……)



「気になるって顔だね。う~ん、教えてもいいんだけどちょっと恥ずかしいな。僕の失態をそのまま晒すようなものだし、ある意味じゃ君を責める形になってしまう」


「どういうこと? 勿体ぶらずに教えて、ヘスティナ」


「君ならそう言うと思ったよ。じゃあ言うけど……僕の体は今、あのアウロディーネアバズレの元に居るんだ。拘束、封印、監禁、とにかくこうして"夢幻世界"じゃないと君と話せないくらいには、何もできない状態なんだよね。まぁだからあの女の、ああして愉快な姿も見れた訳なんだけどさ」



 ヘスティナは自身の状態など気にした様子もなく、思い出したように肩を沸々と震わせる。



「ふふっ、ダメ……今思い出しても笑っちゃう。神としての在り方や自覚なんて皆無な癖に、自分の能力と頭の弱さを人のせいにするんだよ? リアにも見せてあげたかったなぁ。あの無様で滑稽な女、ヒステリックに喚き散らかして僕にあたる様をさ」


「それじゃあ……その腕はアウロディーネが?」



 カラカラと笑うヘスティナとは反対に、リアの中ではどす黒い感情が生まれる。

 それは仮にもこの肉体の生みの親であるヘスティナに対し、一方的に攻撃を加えたことへの怒りの感情。


 しかし、そんなリアの問いかけに対してヘスティナは静かに首を振るう。



「確かに徐々に力が弱まってるのは封印のせいもあるけど、この腕は別の理由なんだよね」


「別の理由?」



 首を傾げるリアに対し、ヘスティナはニンマリと微笑んで残った片手を頭の上にポンと置いた。



「君の友達を呼ぶためだよ。言ったろう? もうすぐ会えるって」


「っ! それじゃあ皆を呼ぶ為にその腕を……」


「君の為ではあるけど、これは僕の為、更に言えば魔族の為でもあるんだ。確かに片腕分の力は使ったけど、空っぽの腕を消失させてくれたのはあのアバズレさ。だから君は気にしなくていいんだ」



 そう言って、頭の上に乗せた手で優しく摩るヘスティナ。

 心地の良い優しい声音は耳にすっと入り、段々とリアの思いつめた感情は解きほぐれていく。……でも。



「貴女を助ける手段は?」


「今はない……かな。けれど出来ることはあるよ。君には以前にお願いした"加護持ち"を引き続き減らして欲しい。それがアイツへのダメージになって、ついでに僕はスカッとできるからね」



 ニヤリと笑うヘスティナに、リアも吊られて頬を緩める。



「ふふ、わかった。それが貴女の為になるなら、私ももう少し積極的に減らすようにするわ」


「本気じゃなかったの? まぁでも、君があいつの駒を減らしてくれたおかげで、こうして動けるんだけどね」



 リアはヘスティナの言葉に苦笑を漏らし、改めて彼女を抱き締める――いや抱き着いた。

 そしてそのまま寄りかかるように体を預ければ、二人して何もない空間へと座り込む。


 自身より小さな体に上体を預け、甘えるようにしてその膝に頭を乗せるリア。



「ん〜〜なにこれ? さっきも思ったけど、君そんなキャラだっけ?」



 困惑した表情で見下ろしてくるヘスティナ。

 リアは両腕を伸ばしながら、挑戦的な目で見返す。



「……ダメ? 母親に甘えたいと思うのは普通のことでしょう。ねぇ、お母さん?」


「うーん、なるほど。でもそうなると君は一番末っ子の娘いうことになるね」


「え?」



 返ってくると思わなかった冗談、ヘスティナはその手で何度も頭を撫でてくれる。



「だって僕は魔族の神、ひいては全ての魔族種の始祖・・・・・・だもん。だから君は末っ子。他の追従を許さない、圧倒的な魂を持ち合わせた……僕の自慢の娘さ」



 溶けてなくなってしまう程の心地良さの中、リアは雷に打たれたようなショックを憶える。


 思い出すのはつい先日の、いや昨夜のニートとの出来事。


 そんなことが可能なのか?

 そう頭で訴える自分と、そうとしか思えないという自分がせめぎ合う。


 そして答えは目の前にあることを理解し、リアはおもむろに口を開いたのだった。



「ねぇヘスティナ……もしかして、私と貴女の存在を入れ替えた?」



 魔族の神であり、全ての魔族種の始祖というヘスティナ。

 元々は3柱いた筈の神が、今はアウロディーネ1柱のみ。


 しかもそれが創造神なんて呼ばれていて、そのことに何の疑問も持っていない下界――つまり現実の人間達。

 ううん、人間に限らずアイリスやレーテだって、この世界には1柱しか神は存在していないように思ってる節が見える。


 そこから思いつく答えは1つだ。



 ――神は記憶や印象の操作も行えるんじゃないだろうか?



 導き出した答えにリアはジッと見詰めていると、キョトンとした顔を浮かべていたヘスティナはニンマリと笑い、その赤紫色の瞳を輝かせた。



「うん、そうだよ。ああ、もしかしてもう真祖の誰かに会ったのかな?」


「どうして?」



 まるで無視したようなリアの態度に、気にした様子もなく朗らかに微笑みを魅せるヘスティナ。



「その方が都合が良いと思ったんだ。事前に君に伝えなかったのは申し訳なかったと思う。けれど亜人や魔族同士で争ってる余裕は、今の魔族にはないんだよ。魔王が討たれた今、力ある者に集う必要がある。オリヴィアがそうしているように」


「…………」



 リアにその気はないと分かっているだろうに、それを敢えて口にして言うということは、それがヘスティナの本音であって願いなんだろう。


 言ってることに納得はするものの、リア自身が魔族を率いて真正面から人類種と争うなど論外だ。

 リアが求めてるのは可愛い子とイチャイチャしてのんびり暮らすことであって、戦争や世界の為に戦いたいわけじゃない。



 見下ろすヘスティナと見上げるリアの視線が交差する。


 その瞳に強制や要求の色は見えず、ただジッと見下ろされるは慈しむような優しい眼差し。

 無意識に伸びた手は彼女の頬に触れ、ヘスティナはくすぐったそうに目元を細める。



(記憶を弄れるんだからそうすればいいのに。でも、ヘスティナはそうはしないんだよね? "半強制的に招いた"って言ってたけど私はそうは思わないし、蓋をされた記憶以外ハッキリと自分の意思で選んだ自覚がある。あ、もしかしてあの選択もヘスティナが改変したのかな?)



『次なる世界へと続く道が開かれました、進む覚悟はありますか』



 不可能ではない以上、それすらも彼女に導かれて決断した行動と思えなくもない。


 一番手っ取り早いのは蓋をした記憶を戻して貰うことなんだろうけど、それは何故か私の気が進まない。何故だろう、それをしてしまったらもう二度と、今の私には戻れない気がする。



 そう思い悩んでいると見下ろすヘスティナはおかしそうに笑った。



「ふふ、悩んでるって顔してる。やっぱり――記憶戻したい?」



 ドクンッと心臓が飛び跳ねる。

 リアは無意識に摩る手を止め、真っすぐに見つめてくるヘスティナに吸い込まれそうになる錯覚を憶えた。



「君がどうしてそう願ったのか何となくわかるよ。いいよ、なんでも聞いて」


「……自分でも不思議だけど、正直どっちでもいいの。前にも言った通り、今の自分に満足してるしクラメンみんなを憶えていられるならそれでいい。でも、これだけは教えて? 私があの選択をしたのは私の意思? それとも……貴女の意思?」


「…………あ、あはは……そこに、目をつけるんだ」



 ヘスティナは唐突にバツの悪い顔を浮かべ、苦笑を漏らしつつ視線を彷徨わせる。

 そして自嘲するかのような溜息を吐くと、リアの頭を撫でながら観念した。



「あの選択が"転生の同意"って事には気付いてるんだね。……――そうだよ、僕が君を誘導して、その背中を押したんだ。君のことはずっと前から、招き入れるに値する強い魂として見ていたから」


「それじゃあ私の意思は――」


「あっ、待って待って、これだけは言わせて? 確かに君の好奇心を煽るように少し誘導したのは事実だよ? でもその意思や感情をコントロールして選ばせたわけじゃないんだ。君に嘘をついていない、と言えば嘘になるけど。これは本当、信じて欲しい。僕は決して……決して、君を騙すつもりは……」



 怒涛の勢いで捲し立てるヘスティナは、次第にその勢いを落としていき、ついには顔を俯かせて声を裏返させる。


 すっかりと覇気がなくしてしまった彼女。


 その姿は少女の見た目に加えて片腕が消失してることもあり、被害者はこちらの筈なのに段々と可愛そうに見えてくる。



 取りあえずリアは、小さくなってしまった神様の頭を優しく撫でる事にした。


 ビクッと肩を振るわせるヘスティナ。


 彼女の言葉に嘘はないように思えたし、これ以上疑うなら全てを疑うしかなくなってしまう。



(まぁ、今となってはぶっちゃけどっちでもいいんだよね。というか感謝はすれど責めるつもりはないわ。だってそのおかげでアイリスやレーテ、エルシアにセレネ、それにリリーとも出会えたんだもん! クラメンみんなと離されて終わってたら怒ってたけど、呼んでくれてる訳だし文句なんてあるわけがないわ。というか……ヘスティナって神様の癖に色々と気遣いすぎじゃないかしら? まぁ、そんな所も素敵なんだけどね♪)



 すっかり気落ちして、罪悪感に苛まれた顔を浮かべるヘスティナ。


 そんな彼女の姿はもはやただの美少女にしか見えず、胸の内から燻ぶる"愛でたい"という欲求が、沸々と湧き上がるのを感じた。



「信じて……くれるのかい? 僕は、僕はこの世界の魔族と亜人達の為に、彼女の分まで……」



 彼女?と思いながらリアは微笑んで頷く。



「ええ、信じるわ。知らなかった? 私って意外とママっ子なの」


「っ……ありがとうリア、僕を信じてくれて。君に背を向けられたら、僕は……」


「もう、貴女仮にも神様でしょう? なんでそんなに可愛いの!?」


「え、何を――わぷっ!?」



 リアは堪らずに正面から抱き着き、その少女の体を余す事なく堪能する。


 ムニムニと柔らかくすべすべした肌。漂わせる香りは身に纏った花の匂いを相まって、フローラルな甘く落ち着くような香り。髪はサラサラと手触りが良く、夢幻の中なのに確かに感じられる暖かな体温。そして。



「リ、リアっ!? ま、待つんだ。僕は君の創造主で仮にも母なんだよ? だからそんな所触っちゃ、あっ、まっ待って、ひゃんっ♪ ダメ、耳ダメなの……あっ、しっ尻尾は……!?」


「大丈夫、大丈夫よお母さん。最近の子は皆やってるから♪ 可愛い子といちゃつくのに種族や親子なんて関係ないわ。ほら、ここが気持ち良いの?」


「し、尻尾を触らないで~! 何だか手慣れてるよぉ……ひゃっ!? む、胸なんて触ってどうするんだ? 君の方がよっぽど大きいじゃないか! 僕が生み出した体なのに、なんでこんな……」


「ビクビクするヘスティナ、とっても可愛い♡ それじゃあ次は……あっ、そういえば貴女に聞きたいことがあったの」


「え、なに、聞きたいこと? このタイミングで?」



 恍惚とした表情で顔を火照らせ、尻尾と羽をピクピクと痙攣させるヘスティナ。


 身に纏う黒いドレスは胸元や太もも部分をはだけさせ、綺麗な肌を露出させたまま固まってしまう。



 だって仕方ないじゃん。今聞いておかないと次は何時聞けるかわからないんだもん。



「ステータスがおかしいの。内容も変わってたし、消えちゃってから反応すらしないのよ」


「ステータス? ……ああ、それは別におかしくなんてないよ? ただ君の魂が、この世界に適応してもう僕の力システムに頼る必要はないってことだから」



 着崩れしたドレスを直しながら口にするヘスティナ。


 どうやらアレはもう必要ないらしい。

 それならそれでいいんだけど……あれ? フレンドリスト開けないんだけど、どうしたらいいの?



 そう思い振り返ると、ヘスティナは何もない暗闇を見上げていた。

 そして徐々にその目を見開いて行き、まるで信じられないものを見たかのように驚愕の表情へと変えていく。



「あの……アバズレ!!」


「ヘスティナ?」


「リア……たった今、下界に神託が下った。僕も一応は手を打ってるけど、間に合うかどうかわからない。だからよく聞いて? 君は目覚めたら魔族領へ向かうんだ」


「神託? 魔族領? それは……別に構わないけど。さっきからどうしたの?」



 ただ事じゃない様子に困惑する。

 しかし続く言葉に、直ぐにそれを理解させられることとなった。



「すべての加護持ちに、オリヴィア討伐の厳命が下されたんだ」



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