第125話 姉妹吸血鬼の変化



『アイリス何処に居る? アイリス! ああ、そこか。勝手に動くなと確かに言った筈だが?』


『……申し訳ございません、ニヤルト様。ですが』


『誰が貴様に発言を許した? 貴様はただ余にその血を差し出していればよい、それ以外は何もするな、ジッとしていろ。わかったか?』


『で、ですが! あまりにも、吸血の頻度が多すぎますわ。いつもいつも、私が気を失うまで……』


『アイリス、余に二度言わせるつもりか?』


『っ! かしこまり……ました。申し訳ございません、ニヤルト様』



 アイリスは閉じていた眼を静かに開く。

 どのくらい感傷に浸っていただろう。


 気付けば頬杖を付いていた肘は水に濡れ、月明りに照らされた庭は暗く覆われている。

 腰掛ける為に適当に作った氷椅子は溶けかけ、魔力操作は近年まれにみる程に酷いものへとなっていた。



 (私としたことが、終わったことをいつまでも。いいえ、私の手で終わらせるんでしたわね。アイツとの過去も、因縁も。その機会はお姉さまが与えてくださる、だから)



 ここ数十年、見ることすらなかった忌々しい記憶。

 アイツからの追手を返り討ちにし、脳裏にあの男をチラつかせた時ですら、ここまで鮮明に思い出すことはなかった。



 ではなぜ百年以上も前の記憶が今になってこうも鮮明に思い出させるのか。


 原因はわかりきっている。


 それは敬愛するお姉さまと話したからだろう。

 事細かに、鮮明に、余す事なく、私とアイツとの関係を。



「でも、少し喋り過ぎたかしら? お姉さまが相手だと、どうも口が軽くなって仕方ないですわ。……本当に困った御方」



 頬杖を付きながら夜風に髪が揺れる。

 見下ろしていた掌に月明りが差し込み、その瞬間何処からともなく情けない声が聴こえてきたのだった。



「ア、アイリスちゃん……! もっもう無理です限界です。そろそろ助けても、私は良いと思いますよ?」


「いいえ、まだですわ。まだ耐えてくださいまし! エルシア様はお姉さまの眷族なんですから、これくらい出来なくては困りますわ」


「で、でもこれ今にも制御が外れそうで、手も震えてきて……! 本当に……限界なんです! ……助けてぇ」



 限界ギリギリと言った様子で空を仰ぐエルシア様。

 制御する腕はプルプル震え、その顔は今にもはちきれんばかりに強張っている。



 彼女の周囲には中庭を呑み込むほどの大水が渦巻き、水飛沫をあげながらその海とも呼べる空間に渦潮を作り上げていた。


 宙を泳ぐ水は月明りに反射し、キラキラと美しい輝きを放ってザァザァと音を経てて波打つ。

 その規模は間違いなく、上位魔法【大水魔法】の行使。



 (正直、真祖として見ればエルシア様は脆弱すぎますわ。けれど、お姉さまの眷族になる前まで下位魔法しか扱えなかったことを考えれば、目を疑うような進歩……いいえ、進化ですわね。正直、羨ましいという気持ちはありますが、それ以上に尊敬の念が絶えませんわ。流石はお姉さまです♡)



「もう、本当に……これ以上は!!」


「はぁ、エルシア様ったら……仕方ありませんわね!」



 氷の椅子から立ち上がり、漂わせた冷気を無造作に薙ぎ払う。


 するとそれらは瞬く間に大地を凍てつかせ、空気を凍らせながら大海へと衝突した。


 パキパキパキッ!と乾いた音が何重にも鳴り響けば、今度は視界一杯に水蒸気の霧がこれでもかと溢れ出す。



 ひんやりとした空気が足を撫で、口からは白い吐息が漏れだす。

 そして徐々に視界に映し出されるのは、運動を完全に停止させ中庭の大半を埋め尽くす巨大な氷海だった。



 渦巻く大水は完全にその動きを止め、不安定な形ながらに中庭に居座るソレは、見る人が見ればまるで一種の芸術品の様にも見えたことだろう。


 まぁアイリスから見れば、いつもの見慣れた氷クズである。



「わぁ、見て見て! これ全部氷だよ!」


「セ、セレネ、危ないよ? あ、ダメ! 氷は火傷するんだから」


「でも綺麗だよ、ほらリリーも見て。ね? 綺麗でしょ♪」


「危ないって、もうっ……め! 氷は本当に痛いんだよ? だから離れて」



 小さいのが二人、目の前を駆け回る。

 それは不本意ながらアイリスの一番弟子であるセレネと、今朝目を覚ましたばかりのエルフの子供。



 (確か、リリーだったかしら? どうしてお姉さまは他にもうじゃうじゃ居たのに、あの子だけを連れてきたの? "可愛い"という理由はわからなくもないけど、お姉さまだけに見える何かがあるのかしら?)



 考えてもわからなかったアイリスは、未だ氷海の回りをウロチョロしている二人へ近寄ることにした。

 そして、屈んで指先でツンツンと氷を触っているエルフの腕を無造作に掴みあげる。



「わっ!?」



 あまりにも軽い体は簡単に宙へと浮かび、アイリスが少し腕を持ち上げればその視線は対等な位置へと運ばれた。


 ぶらぶらと揺れるリリーは最初こそ苦痛に顔を歪めたものの、アイリスの視線に気づくと真っすぐにその左右非対称なオッドアイで見つめてくる。



「あ、赤い目……きれい」


「……」



 普通なら痛いなり苦しいなり言って泣き喚くものだが、このエルフはオリヴィア様に限らず、何故か吸血鬼わたしたちを種として好いている。


 コレが奇特なエルフだと思えること以外、特に変わった部分は見いだせなかった。


 強いていうなら片方の目、橙色の方が何かしらの固有能力アーツを生まれながらに持っているということくらいだろう。


 そう思っていると、不意にドレスの裾が引かれた。



「そんな持ち方したら痛いよ? アイリスお姉ちゃん」


「…………」



 ぶら下げたリリーからの好意や尊敬の眼差しに加え、セレネの心配の混じった抗議の眼。

 アイリスは無意識に視線を逸らしそうになり、思わず顔に手を当ててしまう。 



「はぁぁぁ、……調子が狂うわ」



 リリーを地面へゆっくりと下ろし、掴んだ小さな腕を放す。

 すると手放したにも関わらず未だこちらを見上げてくるリリーに、アイリスは首を傾げた。


 その瞬間、敬愛するお姉さまの言葉がふと脳内にフラッシュバックする。



 『リリーのことお願いね。あの子まだ起きたばかりだし、今夜は貴女に側に居てあげて欲しいわ。頼めるかしら、アイリス』



 憂いに満ちたお姉さまの表情に、どうしてそこまで?と思ってしまったアイリス。

 けれど、お姉さまが頼ってくれたのだからそれに応えるのが、妹としての私の役目だろう。


 アイリスはその頭にぎこちなく手を乗せ、いつも敬愛するお姉さまにやって貰うよう優しく撫でる。



「私はエルシア様とやることがあるの、子供はもう寝なさい。いいわね? セレネ、それと……リリー」


「えー、セレネもお姉ちゃん達ともっと一緒に居たい。まだ眠くないの、お願いアイリスお姉ちゃん!」


「え、えへへ……はい、わかりました。セレネ、私まだお部屋とかわからないから教えて欲しいな?」


「あっ……そうだよね、セレネに任せて! でもお兄ちゃんはもう寝てるだろうし……そうだ! リアお姉ちゃんの部屋いこ~!」


「はっ!? ちょっとセレネ? お姉さまの部屋を使うのは私よ!? 貴女たちは……って、もう!」



 気付けば二人は目の前から姿を消し、振り返ればそこには手を繋ぎながら宮殿の方へと走っていく小さい二人。


 追い付く事は容易い、けど私にはまだやることがある。

 仕方ない、今は諦めよう。どのみち後で奪い返せばいいだけの話だ。



「……私も丸くなったものですわ。 少し前なら、目障りだと殺していた筈なのに」



 今頃、お姉さまは無事に辿り着けたでしょうか?


 私にとっては過去の話。

 思う所がないと言えば嘘になりますが、話した時のお姉さまを顔を思い出すと少し不安ですわ。


 決してご無理はされませんよう、そして――



「アイリスちゃん……助けてください! この氷硬すぎて、全然壊せないんです!!」


「真祖であるエルシア様なら簡単に……ああ、そうでしたわね。いま行きますわ」



 声を上げたアイリスは氷海の中心へと歩いて行き、ふと振り返って満月を見上げる。



「どうかうっかり殺してしまわれないよう、願っておりますわ」




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 開けた視界の中、最初に映り込んだのは驚愕に目を見開いたニートの姿。

 その濁った瞳が私の目と合った瞬間、わかりやすい程に肩を跳ねさせ、急速にその顔を青褪めさせていく。


 森の中であった男達は倒れ込むようにして膝をつき、元々部屋にいた吸血鬼たちは蹲るようにしてソファで震え縮こまっていた。


 この部屋でなんの影響もないのは【祖なる覇気】の発動者であるリア、そして対象外に指定された泣きじゃくる少女吸血鬼くらいだろう。



「……あ、ありえない。だが、この気配は……っ」



 ニヤルトは崩れ落ちるようにソファから身を投げ出し、床に膝を付いたままリアを凝視する。


 室内にはリアのヒール音が一定間隔でコツコツと鳴り響く。



 (あら? 覇気の使用感、こんなんだったかしら? 久しぶりに加減なしで使ったけど、なんか使いやすくなってない? ……この感覚、間違いないわ)



 リアは眼前で片膝をつきガタガタと肩を震わせて跪くニヤルトを無視してステータスを開いた。

 久しぶりの前世ゲームの画面だ。


 LVやHP、固有能力から称号まで余す事なく全てを暗記しているリアからすれば、変化のないステータスなど見る必要すらなかった。



「あ、貴女様のお目覚めを、心より……お待ちしておりました。始祖様」


「……は?」


「っ! もっ申し訳ございません。……どうか、どうかお怒りをお納めください」



 少し外野が煩いが、いまはそんなことどうでもいい。

 リアは無意識に足を止め、思わず表示されたステータスをまじまじと凝視してしまう。



 半透明に浮かぶステータスボード。

 それはリアの5年間の努力の結晶であり、上から下までずらりと並ぶ文字列はどれを取っても感慨深いもの。


 しかし、そこにリアの知るステータスボードはなかった。


 半分以上が文字化けを起こし、白と灰色に点滅した文字列はまるで壊れてしまったかのように半分以上が今も消えかかっている。


 ゆらゆらと揺れる度に粒子となって空気に消え、表示されるそれらは激しく点滅を繰り返す。


 そして一番上の欄、リアの根本を造る"LV"という数字。

 そこには144と145という数字が、不規則に何度も繰り返し表示されていたのだった。


 しかしリアが見た途端、ステータスボードはまるで役目を終えたかのようにふわっと空気に消えてなくなってしまった。 再度表示しようとしても、うんともすんともいわない。



 立ち尽くすリアは周囲の存在など忘れ、腕を組みながら口元に手を置き思考する。



 (どういうこと? なんでステータスがバグり始めてるの? それにあの数字……ううん、LVだけじゃない。 私の気のせいじゃなければ、間違いなく幾つもの固有能力とスキルが変わってた。一瞬だったから全部はわからなかったけど、これって……)



 リアは跪くニートの横を通り過ぎ、ベッドへと腰掛ける。


 誰一人として口を開かず、物音一つ立たせない無音の部屋。

 その静まり返った空間では誰かの荒い息が繰り返され、掠れるような嗚咽と床ですり減らした砂利の音が妙に室内で響き渡る。


 まだ考えるべきことはたくさんある。

 けれどそれ以上に、リアの好奇心を煽るものがそこにあったのだから仕方ない。



「ふーん? こうかしら」――【原初の覇気】



 その瞬間、室内には超ド級の重圧が無慈悲にも叩きつけられることとなった。


 まるで水圧に潰されたかのようにソファやベッドは軋み始め、テーブルはその足に幾つも亀裂を走らせる。


 甲高い音が何重にも折り重なって鳴り響き、壁に沿って置かれた食器棚は天上に垂らされたステンドグラス同様にその全てを粉々に砕けさせ、室内にガラス破片を舞い散らせた。



「……かはっ、……お止め、ください。 始祖、様……余は、余は……」



 足元を見ればルネッサンスの白シャツを破き、下品にも胸元を開いて苦しがるちょび髭ニートが私を見上げていた。 周囲は息をすることすらままならなそうだ。



「……っ! ……ぁぁ」


「はっ……はっ、……ぁ」


「……ゅ、ぁ……っ」



 ズンと圧し掛かり続ける重圧に、真祖であるニートですら藻掻き地面を這いずっている。

 リアは周囲を一瞥し、軽い調子で使った覇気を解除した。


 すると至るところから聴こえていた音はピタリと止み、代わりに荒々しい呼吸音が幾つも聞こえてくる。



 (あー、これヤバいわ。体感だけど【祖なる覇気】のLV30以上の開きっていう制限を大きく解除した感じかな? 加えて付与する弱体効果デバフ、少なくても3つくらい凶悪なの入ってるわね。感覚的に"圧縮"と"重圧"……あと何かしら? というか【祖なる覇気】ってエンドアーツだった筈よね? どうして強化先があるの? いや、考えるのはあとね。少なくともマイナスではないんだし、まずは目的を果たしましょうか)



 リアは組んでいた足を解いてベッドから立ち上がる。


 そして情けなく地面へと倒れ伏したニヤルトに手を伸ばす。



「あ……が、がっ、……何故、眷族である余に、このようなことを……?」


「何故? それは貴方が一番よくわかってるじゃない」


「そ、それは……余が、どうかしてたのです。何故、貴女様の気配を読み間違えたのか」



 持ち上げた腕に力が入る。

 


「あ、がっ! ぐぅっ……! お許しを……! どうか、どう……かッ」


「それじゃあまるで、最初から私の気配を知ってたような口ぶりじゃない? 虚言まで吐くの?」


「がはっ……! よ、余が……虚言など、貴女様に言う筈が――っ!」



 その瞬間、リアは言葉を最後まで聞かずにニヤルトを窓へ向かって投げ飛ばした。

 割れた窓には通らず、すぐ横の壁に向かって轟音を響かせて打ち出される。


 木々をその身でへし折り、地面を何度も転がりながらその身を汚すニヤルト。

 どれだけ屋敷から離れた所に飛んだのか。 やがて勢いは収まり、身に着けている白シャツを泥と砂に塗れさせながらふらふらと立ち上がるニヤルト。



「……はぁ、はぁ……本当なのです。虚言など、余が貴女様に付く筈がございません」


「まだ言うの? それじゃあ私の気配を事前に知ってたとでも言うつもり?」


「……もちろんにございます、我が主よ。ですが、あの時だけは余がどうかしてたのです。余は決して、決して貴女様を忘却するなどありえませぬ。祖なる血に誓って、どうかお慈悲をくださいませ、始祖様、いいえ――リア様・・・


「っ……!?」


 その言葉にリアの心臓と呼吸が同時に止まったかのような衝撃を受ける。


 この男は、いま私のことを何と呼んだ? リア………ですって?

 私は一度としてこの男に名乗っていないし、この男も私を知らない様子だった筈。

 

 事実だけ見れば、初対面の男が自分の名前を知っていただけのこと。

 しかし、リアの中では言い知れぬ違和感が蠢き続け、無視していい内容には思えなかった。


 動揺は胸の内で済んだものの、このまま聞かなかったことには到底できそうにない。



 ――どうやら、攻略法の前に色々と聞く事があるみたいね。



 リアは一瞬の間に、無数の血剣をずらりと頭上に創り出す。

 そして眼前で跪き許しを請うニートへ向かって、冷ややかな視線で見下ろすのだった。



「慈悲を与えるかどうか、それは貴方次第よ」



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