第119話 夜空で微睡む始祖




 「それではお姉様は、あの国を拠点として暫く身を置かれるんですの?」



 肌寒い空気が触れたと思えば、続け様に太陽と遜色のない熱気が頬を撫でた。

 アイリスは目の前の燃える夜景よりも、興味のある表情で前のめりになって顔を覗かせてくる。



 「ううん、そのつもりはないわ。 というより特に拠点とかは考えてないの。 強いて言えば、ドワーフ達に屋敷を頼んでるあの大陸こそ私の拠点予定かな?」


 「ああ、あの。 確かに北大陸であれば、早々に虫が寄ってくることもありませんし、お姉様が住まわれる世界を造るには適していますわね」



 納得したように頷くも、どこか不服そうにアイリスは頬を膨らませる。

 すると、いつもの黒いドレス姿で四つん這いになって詰め寄ってきた。 鼻先が触れそう。



 「で、でしょう? アイリス? 何だか近いわ。 どうしたの?」


 「それでも納得できませんわ。 お姉様が聖女として、虫共の為にその美貌と慈愛を無駄遣いされるなんて……」



 ずいずいと迫ってくるアイリスに、押し倒されるようにして顔を綻ばせるリア。



 「それなら大丈夫。 私はその座に付きはするけど、別に聖女として神殿に仕える気は更々ないから。 信者とやらも別に導かないし、民の為に何かするつもりもない。 だって神殿あれは、私達の休憩場所に過ぎないもの♪」


 「……なるほど。 ですが、それだとレクスィオ様の性格上、あまり納得されないのではないでしょうか」


 「ちょっとレーテ? それじゃあ、まるでお姉様が人間如きの了承を得ないといけないみたいじゃない?」


 「ふふっ……大丈夫よ、レーテ。 レクスィオには既にその条件も含めて色々と呑ませてるから。 取りあえず自主的に何かを起こす事は拒否したの。 ――君臨すれども統治せず、ってね?」



 リアは仰向けになったまま、傍で横座りするレーテへと手を伸ばす。

 指先が頬に触れればレーテは擽ったそうに目を細め、全てを受け入れる姿勢で体を脱力させた。


 すべすべの肌を頬から顎先、唇にかけて優しくなぞっていき。 突き当たるは、存在感のある吸血鬼の牙。

 触れ方を間違えれば怪我をしてしまうそんな犬歯を、リアは愛おしそうに人差し指で優しく撫でる。



 「んっ……、リア、……様?」



 彼女の唾液が指先を濡らし、半開きになった口で困惑しながらも頬を恍惚とし始めたレーテ。

 リアはそれを見て牙と下腹を熱くするも、クスッと笑って手を放す。



 「ええ、わかってるわ。 もしも指先が傷ついて、私の血が貴女に入ってしまえば大変だもの。 ごめんなさい、貴女が愛おしくてつい」


 「あっ……。 い、いえ、お気になさらないでください」



 残念そうに表情を曇らせたのも一瞬、レーテはすぐさまいつも通りの佇まいに戻る。

 リアはそんな些細なことでも幸せを感じて幸福感で胸を一杯にしていると、今度は物理的な圧迫感が胸元を襲ったのだった。



 「お・ね・え・さ・ま?  もしかして私のことを忘れてますの? 酷いですわ、レーテばかり」


 「そんなことないわ。 だって貴女も私で楽しんでたでしょう?」


 「うっ……、そ、それはそれッ! これはこれですわ! 1人で楽しめても、虚しいモノがありますの!」



 覆いかぶさってプンプンと起こる様子に、リアは苦笑を浮かべて自身の少し湿った胸元を見る。

 もっとイチャイチャしたいのは山々ではあるが、そろそろ終わっただろうか?


 気になったリアはアイリスを優しく押し返し、むくりと起き上がって眼下の光景を見下ろした。



 「景色だけ見れば、とても素敵な夜景なのよね」



 眼下には文字通り、視界一杯に埋め尽くす業火の海が広がっていた。

 立ち並ぶ建造物は粉々に壊され、燃料となるものなどない筈なのに燃え盛り続けるマグマの大地。



 豆粒のような人類種が無数に転がり、建造物という建造物はまるで巨大な刃物に両断された様に綺麗な断面を広範囲に残していた。


 中でも一際目立つ宮殿のような王城は、そのど真ん中にぽっかりとした大穴を開け崩壊寸前と化している。



 「ギュルルルルゥゥ!!!」


 「良い子ね、ティー。 そう、目に見える物全てを壊して良いの、でもあの宮殿を壊すのは最後よ。 締めくくるのはやっぱり、国の象徴であるお城じゃないとね」



 離れながらに意思疎通し、眼下の光景を目の前にまるで独り言のように呟くリア。



 低空飛行でヤンスーラ王国の上空を飛び、偶に降りては周囲を破壊して溜め込んでいた退屈を発散させるティー。


 やってることは子供がアリを潰すのと一緒、いやティーであれば大の大人がアリをプチプチと潰しているのと何ら変わらないのだろう。 つまり退屈な作業だ。



 それでも何もさせずにジッとさせてるよりかは、遥かにティーの精神衛生上ストレスはかからないとリアは考えた。



 「一番厄介な英雄が居ないとはいえ、ここまで一方的になるとは。 ……哀れですわ」


 「はい、ここまで抵抗が無意味になってしまうと、もはや国など機能しませんね。 ……こんな光景見たことがありません」



 王国の空域に入ったのがついさっきのこと。

 それが聖女の話をしている内に、ここまで一国が破壊されるとは二人も思いもしなかったのだろう。


 それもその筈、リアとティーの戯れを見ていたアイリスですらここまで驚いているのは、この子が攻撃手段を変えてるに他ならないからだ。



 私と遊んだ時は標的が単体ということもあり、1回1回の攻撃に意味を持って戦いの盤上を進めていた。

 しかし、今回はそれに引き換え目的は適当な破壊。 何も考えなくて良い以上、広範囲攻撃をただばら撒くだけでいい。


 広範囲攻撃は裏ボスだったティーの専売特許、1VS1より簡単なのは当然ね。



 そんなティーはリアの言いつけ通り、乗ってる私達が快適に過ごせるようになるべく体を動かさずに蹂躙し続けていた。


 気付けば宮殿がガラガラと音を経てて崩れ落ち、その残骸の山を踏み鳴らしながら夜の大空に向かって咆哮をあげるティー。



 私達は一様に耳を塞ぎ、思わずその元気な咆哮に苦笑を洩らす。



 「これで……少しは発散できればと思ったけど、まだ足りなそうね。 んっ……はふっ」


 「……リア様? もしお疲れなのであれば、私の膝枕をお使いください」


 「むっ、お姉様! お休みになるのでしたらレーテではなく、私の膝でお休みになってくださいまし!!」


 「ふふ、ありがとう二人とも。 それじゃあお言葉に甘えようかしら」



 そう口にするとリアの終わりの意思が伝わったらしい。


 一際大きな浮遊感共に足場が大きく揺れた。

 景色は段々と遠ざかり、真っ暗で広大な砂漠にはぽつんと燃え盛る砂漠の王国が残さる。



 象徴だった宮殿は崩れ落ち、蜘蛛の子散らす様に逃げ惑う民衆はもはや誰の影も見えない。

 リアはまたしても大きな欠神を洩らし、耐えきれず甘えるようにレーテへと体を預けた。



 (やっぱり、恋人の膝枕は最高ね。 この撫で撫でも気持ち良いし、それに良い匂い。 ……何だか、このまま寝れちゃいそうね)



 「あら、お姉さま?」


 (あぁ……瞼が重い。 きっとレーテの膝枕は魔性の呪いが込められてるわ、そうに違いない。 もっと二人と夜を見ていたかったけど、眠い時には寝るって……ヒイロが)


 「どうやら、お眠りになられてしまったようです。 幸い、ティー様もリア様よりご指示を頂いてる様子。 このままそっとされてはいかがでしょう?」


 「貴女に提案されなくても端からそのつもりよ。 ――あぁ、お姉様♪ なんて麗しく無邪気な寝顔なんですの。 抱き着いてしまっては起こしてしまうかしら? むぅ……仕方ない、この寝顔を満喫することで我慢しますわ♪」



 こうして数百年に続いた砂漠の王国は、僅か十数分の内に正体不明の黒竜によって、大陸の地図からその姿を消したのだった。




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 熱い……でも、暖かい。 それに何だがとっても甘い匂いがする。

 うぅ……眠い、でも変に意識があるというか、まだ夢の中にいるみたい。


 このぷにぷにとした感触、このふわふわは……フリル?

 甘い香りがずっと濃くて……素敵♪



 「……お姉さま、そこはっ!? もうっ、お姉さま? どうされたんですの?」


 「ん~、気持ち良い♪ すんすん、……はぁ、幸せ~♪」


 「え、ちょっ、お姉さまどこを触って……!? やぁっ……んっ」


 「えへへ〜、ダメなの? こんなに良い匂いをさせてる貴女が悪いのにぃ? ざんねん、私は離れないわ♪ ぎゅうぅぅ~!」


 「ひゃぁぁっ!!? レ、レーテ? お姉さまが……お姉さまがまるで、子供のように……! 一体どういうことッ、ですのぉぉ!?」



 頭上から聴こえてくる可愛らしい声。

 その様子は何やら焦ってるようで、珍しく彼女がレーテに助けを求めている。


 でもなんで? なんでアイリスはレーテに頼るの? こんなに近くに私だって居るのに……むぅ。


 まぁ確かに?

 レーテは頼りになって綺麗で、それにお姉さんのような何だか寄り掛かりたくなる母性のような何かを持ってるよ? でもこんなに近くに私が居てレーテを頼るのはどうかと思うの。



 「ねぇ、アイリス? 私がここに居るのにどうしてレーテを頼るの? ……お姉ちゃん、貴女をそんな子に育てた覚えないわ」


 「え、あっ、くすぐったいですわ、お姉さま。 あぅ、お腹ぐりぐりしないでぇ。 もう……本当にどうされたんですの?」


 「ふふっ♪ そうそう、そうやってアイリスは私を撫でてればいいの。 いい? 辞めちゃダメだからね」



 夢心地の気分。 視界はぼやけ周囲は白く染まり、感覚もどこかはっきりとしない。

 でも、今の私にとってそれは些細な問題だった。 だってこんなに幸せなんだもの。


 それにしても……何だかここは熱い。

 そこら辺に粉塵が舞ってるし、何だか騒音とか怒声が聴こえる気がするんだよね。 まぁなんでもいっか。



 「以前に一度、このようなリア様を拝見したことがございます」


 「……レーテ? ああ、聖王国の森で虫に絡まれた時のことを言ってるの?」


 「はい、あの時のリア様も普段と大きく変わった様子を見せられていました。 恐らく、まだ半分……夢の中なのではないでしょうか?」


 「寝ぼけて、いらっしゃると? ……一理ありますわね。 普段のお姉さまであれば、ありえない言動ですし。 それに何より…………この可愛らしいお姿! まぁ!可愛いですわ!愛おしいですわ!! なんなんですの、このぽわぽわしたお姉さまは!?」


 「ちょっとアイリス煩いよ~? あ、もしかして私に塞いで欲しいの? ふふ、それならそうと言ってくれればいいのに♪ はい、ん~っちゅ♡」



 何やら騒がしいアイリスの口を塞ぎ、今度はレーテへと転がってその胸に抱き着くことにする。



 「レーテ~♪」


 「っ、…………ふぅ。 はい、なんでしょう」


 「……好きよ。 えへへ、とってもいい匂いがするわ。 柔軟剤の匂い? それに心臓の音も、とくんとくんって♪」



 レーテの包容力がヤバいのよー!

 それにその表情! なに、あまり変わっていない筈なのに、明確にニコっとしてるのがわかるの! やばい、ギャップがやばいよレーテ! ……好き、もう大大大大好きだよ!!



 「…………」


 「どうしたの? せっかくの美人さんが台無しよ? ああ、でもレーテはいつでも綺麗だから関係ないか。 ほらぎゅっとして? ぎゅっと、ね?レーテ」


 「あ、はい……こう、でしょうか」


 「うん、そう! こうして抱き合ってると気持ち良いね。 貴女もそう思わない?」


 「はい、そうですね。 ……私も、撫でた方がよろしいでしょうか?」


 「もちろん♪ 好きな人から撫でられるのを嫌がる人はいないわ」



 そうして優しく置かれる手。

 最初こそぎこちなかった掌は徐々に愛情が籠り初め、彼女の気持ちがむず痒い程に入り込んでくる。


 撫でるのもいいけど撫でられるのも、やっぱりいいよね~♪



 「……アイリス様。 私、どうにかなってしまいそうです」


 「ええ、わかるわレーテ。 でも、こんなレアなお姉さま二度と見れないかもしれないもの。 だからしっかりとその目に焼き付けて、悔いのないよう堪能するんですわ」


 「二人で何の話をしてるの? レーテ? 撫でる手が疎かになってるわ。 ほら、もっと〜、もっと私を撫でて?」


 「はい、ではそのように。 ……精一杯、愛を籠めさせていただきますね」



 あぁ、これこれ、うへへ~。

 体を脱力させ、抱きしめられながら頭を撫で撫でされる。 これこそが最上の幸せ!


 あら、アイリスは私の髪が好きなの? 触るのは別にいいけど、嗅ぐのはダーメ♪

 長い髪を掬い愛おしそうに撫でるアイリスを見て、リアは髪を引きながら思わずはにかむ。


 そうして微睡みの中をリアがふわふわしていると、唐突にそれは訪れたのだった。



 「はぁ、……はぁ、……何故、こんな所に人が……?」


 「……?」



 誰、この騎士。 なんでこんな所に居るの?

 紺色の鎧、隻腕、それに……血だらけ。

 さっきから聞こえる騒音と関係があるのかな? う~ん。



 「いや……貴様らかッ、貴様らがこの怪物を差し向けたのか!! ……クッ!」


 「なんですの、貴方? せっかく可愛らしいお姉さまと愛し合えるチャンスなのに」



 アイリスは立ち上がり、前に出るとその周囲に冷気を漂わせ始めた。



 「我が栄光なる帝国にッ、貴様らのような汚らわしい存在がよくも! うぉぉぉぉぉおお!!」


 「……はぁ、ごちゃごちゃ煩いわ」



 迫りくる騎士は剣を構えた状態で瞬く間に、その全身を氷で包み込まれた。

 半透明の結晶の中、驚愕の表情を浮かべた騎士と目が合う。


 そして次の瞬間、その首元には無慈悲にも強い衝撃が加えられ、騎士は粉々に打ち砕かれるのだった。


 ガラスの割れる音が次々と鳴り響き、血の一滴も垂らさずに氷結が舞い散る。


 「この程度の虫がどうやって、ティー様の上に登ってこれたんですの? ああ、そういうこと」



 粉々に砕けた結晶の山を冷たい瞳で見下ろすアイリス。


 その姿はまるで、舞い散る氷粒も合間って灰色の髪を靡かせ佇むアイリスは、幻想的で美しい一枚の絵となってリアに見えた。


 私はレーテに抱擁されつつ、アイリスへと手を伸ばす。



 「アイリス、こっちにおいで」


 「はいですわ、お姉さま♪」



 振り返ったアイリスは満面の笑みを浮かべ、喜々として駆け寄ってきたのだった。

 リアはそんな妹を優しく抱き留め、前と後ろから挟まれながらまたしても欠神を漏らす。



 「この光景を見る限り、帝国の崩壊も免れません。 後の事は私供に任せ、お休みになられては如何でしょうか?」


 「う~ん、そうしようかな。 何だかずっとフワフワするし……目も、重く……」


 「おやすみなさいませ、可愛いお姉さま。 後のことは私達にお任せください♪」



 前後から耳元で囁かれ、心地の良いウィスパーボイスと共にリアはまた夢の中へと帰っていった。



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