第117話 新たな一面、アルカード邸の夜



 室内にはアイリスの潤んだ声が木霊する。


 するとエルシアは「え……?」と困惑の声を漏らし、この場の時間が一瞬止まったような錯覚を引き起こした。

 服を掴む手はぷるぷると震え、アイリスの背中が一回りほど小さく見える。



 「何とか、仰ってみてはいかがですの?」



 アイリスはエルシアから目を逸らさず、その赤い瞳でジッと見詰めている。

 それは一見責め立てているような口調に見えるが、その中には僅かながらに"敬意"が含まれているようにリアには感じた。



 「……それは、私がリアの……眷族になったからだと思います」


 「っ!?」



 躊躇いながらもはっきりと言葉にしたエルシアの返事に、今度はアイリスの肩がビクリと飛び跳ねた。

 室内はまるで時間が止まったようにシンと静まり返り、その雲行きの怪しさを感じったルゥは慌ててセレネを抱き締めると、さりげなくリアの後ろへと移動したのだった。



 (相変わらずの危機感知能力、獣人の本能ってやつなのかな? まぁいいわ。 それより……――どうしようコレ。 別に殺気とか嫉妬を諸に出してるわけじゃない。 どちらかといえば、……酷くショックを受けてる感じだと思う。 ぷるぷると震えるアイリスはもちろん可愛いのだけど。 流石に、このまま傍観してるわけにもいかないよね)



 後ろに隠れたルゥに視線を向け、リアは一度アイリスにこれまでの経緯を説明をしようと考えた。

 その間、意外にも怖がった様子を見せずにキョトンとした顔で二人を交互に見つめるセレネ。


 しかし、そうするにしても一足遅かったのかもしれない。

 抱き抱えたアイリスはまるで何かを我慢するかのように、その華奢な体をプルプルと震わせ始め何かを口にし出す。



 「……ですわ。 こんなの……」



 あ、これマズイ。

 リアは少し慌てて小声で何かを口ずさんだアイリスの頭に手を置き、よしよしと撫でながらその顔を覗き込んだ。



 「ア、アイリス? 良い子だから一端落ち着いて、これには訳があるの。 だから、ね?」


 「……認めませんわ。 私は、絶対に……ッ」



 震えるアイリスの体から徐々に魔力が漏れ出す。

 白い半透明の冷気が空気に漂い始め、ピキパキッという乾いた音が鳴り響くとリアの座っている手すりが徐々に凍り付く。


 高い身体能力ステータスを持つリアにとっては、この程度の氷なんの問題もない。

 だがしかし、ここにはレベルの低いルゥやセレネ、そして直接その感情が向けられているエルシアが居るのだ。



 「アイリス、お願いだから落ち着いて頂戴。 一度私の話を聞いて?」


 「……こんなのッ、こんなのって……ッ!」



 嫉妬してしまうアイリスも可愛いのだが、他の子に被害を加えるなら話は別である。



 「いい加減に……――」



 そう思った瞬間。 溢れ出していた魔力は弾けた様に、途端に霧散する。

 凍てつくような冷気は空気に融けて無くなり、手すりや地面の氷結は瞬く間に溶けて無くなってしまった。


 (ん?これって……)


 「あんまりですわぁぁぁぁぁ!!! ふぇぇぇぇん!!!!」


 「……え、ちょっ、アイリス!? ど、どうしたのよ、本当に」



 まるで幼子の様に大きく口を開き、ただ感情のままに天上に向かって泣き喚くアイリス。

 潤ませた瞳からは涙を溢れさせ、ポロポロと落ちる涙は頬に一筋の道を造っている。


 えんえんと子供の様に泣き、流石のリアも初めて見る彼女の様子に唖然とするほかなかった。



 「ズルいですわ!! お姉さまの眷族になられたということは、お姉さまの血を分けて頂いたということですわよね!?」


 「え、……ええ、そうね」


 「つまり! その御体にはこの世で最も清き神の如き麗しい血が混ぜられたということ!! ただでさえ、お姉さまの体の一部で半身を満たせるというのにッ、更には吸血まで可能ということですわよね!!? こんなの、こんなのってあんまりです。 私だって内と外、どちらからもお姉さまに満たされ満たして頂きたいと思っていますのに。 なのに……ふぇぇぇぇぇん!!!!」



 怒涛の勢い、それこそ反応すら返せないレベルで捲し立てられてしまい、ポカンとしてしまうリア。

 見ればエルシアは苦笑を浮かべており、安全とわかったルゥは私の後ろから恐る恐る出てくる始末。



 「ああ、やっぱりそういう……。 落ち着いてアイリス。 確かに貴女の言う通り、彼女は私の血に適応したわ。 でもそれしか方法がなかったのよ。 それに高位眷族化にはリスクがある。 できれば、貴女には新たな同族となったこの子を快く迎え入れて欲しいのだけど……難しいかしら?」


 「うぅ……お姉さまが、ひっぐ……そう、仰られるのなら。 ぐすっ……私は」



 しがみつき、綺麗な瞳を潤ませながらこちらを見上げてくるアイリス。

 赤い瞳はルビーの様に煌めき、頬を濡らす彼女は見惚れてしまう程に美しい。



 「……お姉ちゃん、泣かないで? セレネがよしよししてあげる」


 「手を退けなさい、セレネ。 私は別に、泣いてなんか……ぐすっ」



 つま先立ちになってその頭に手を伸ばすセレネ。

 頭に乗せられた小さな手は拙いながらに、アイリスを励まそうとしているのがわかり思わず、頬を緩めてしまうリア。



 (あぁ~尊い。 可愛いセレネが可愛いアイリスを撫でる姿。 口では嫌がってるけど、素直に撫でられとか可愛すぎないかしら!? あぁ、ずっと見ていたいわ。 ……セレネも立派になって、お母さん嬉しいわ)



 「よしよし。 大丈夫、大丈夫だよ。 お姉ちゃん」


 「うぅ……なんですの? その慰め方。 ……貴女にあやされるなんて私も落ちたものですわ」


 「え、えへへ……リアお姉ちゃんみたいでしょ? 大丈夫、大丈夫。 セレネはアイリスお姉ちゃんの味方だから」


 「ふっふん。 全然ッ似てませんわ!」



 美しい光景が目の前にあり、だらしなく緩み切った顔でそれを眺めるリア。

 すると、同じように先程まで苦笑を浮かべていたエルシアが、微笑んでる姿が目に映り込んだ。



 「ありがとうアイリス、貴女になら安心して任せられるわ。 彼女も真祖に至ったとはいえ、まだ右も左もわからない雛鳥のようなもの。 階位なんか気にせずに仲良くしてくれると、私は嬉しい」


 「私からも……お願い致します。 アイリス様」



 エルシアはアイリスを真っすぐに見つめ、綺麗な所作で頭を下げる。

 それを見て、セレネに撫でられながら体を跳ねさせるアイリス。



 「その……眷族になってしまった、貴女の夢を奪ってしまったことは申し訳ありません。 私にはどうすることも、何もできることはありません。 ですが、リアの妹君・・である貴女であれば私も安心して教えを請い信じることができます。 仲良くとはいいません。 ……ダメ、でしょうか?」


 「……っ」



 彼女らしく控えめに、それでいて相手の意思を尊重する言葉。

 リアはアイリスの涙を優しく拭きとり、黙って成り行きを見守ることにした。


 するとアイリスはセレネの手を優しく払いのけ、意を決したようにリアの膝元から立ち上がった。



 「ありがとうございます、お姉さま。 それに……セレネも」



 隣からは「あっ」とセレネの残念そうな声が聴こえたので取りあえず、その手は私の頭にセットして抱き上げることにした。


 むふふ~、そうそうそこそこ。 今度は私を癒してね、セレネ~♪



 室内にはコツコツとしたヒール音が鳴り響いた。



 「……」


 「……」



 見上げるエルシアと見下ろすアイリス。

 ただ見つめ合い、無言の時間がしばし流れる。



 「エルシア様、と仰いましたわよね。 ……真祖であられる貴女様が、私如きに畏まる必要などありませんわ。 お姉さまの眷族であるならば、尚更」


 「……アイリス様」


 「ふ、ふんっ! 教える教えないもありませんわ! お姉さまの眷族であってお姉さまが望むのなら、私はただそれに従うのみ。 それと敬称など不要です、その口調も不必要です。 貴女様は真祖で私は上位なんですから、これでは先が思いやられますわ」


 「っ、では!」


 「ご挨拶が遅れました、私の名はアイリス・グラキエス・ノーラ。 アイリスで結構です、エルシア様」



 膝を突き、畏まるようにして跪くアイリス。

 エルシアはそんなアイリスを目の前に、目をぱちくりさせては途端に慌てだす。



 「えぇ、ア、アイリス様!? なにをっ、頭を上げてください! 私にも、そういうのは結構ですから!! あ、あと私はエルシア・セルリアンと申します。 ……私も、エルシアとお呼びください」


 「ではそのように。 ああ、それとエルシア様。 一つだけいいですの?」


 「はい、なんでしょう?」



 首を傾げるエルシアにアイリスは立ち上がり、その耳に顔を近づける。

 そうしてごにょごにょと何かを耳打ちすると、途端にエルシアの顔が赤く染まり出した。



 「ええ!? リアの血の味ですかっ!? あっ……」



 素っ頓狂な声を上げ、こちらを見たエルシアと目が合う。

 そして再び耳打ちしだすエルシアとアイリスに、リアは思わず笑いそうになってしまった。



 (この室内での物音くらいならどんなに小さくても聴こえるのよね、私)


 『しっ! 声が大きいですわ、エルシア様。 それで? お姉さまの血は一体どんな味でしたの? やっぱり甘美な香りに包まれ、甘さと濃さが絶妙に調和した神血のような物ですの?』


 『まっ待ってください、アイリスちゃん。 そんなこといきなり言われても、あの時は私が私じゃなかったというか。 そんなの一々憶えてなどいません!』


 『むぅ……お姉さまの血の味を忘れるなんて、それがどれ程勿体ないことかわかってますの? はっ!? エルシア様はいつでも飲めるから憶える必要がないと、そういうこと? なんて羨ましい! ……私も早く真祖に至って、お姉さまの血をッ』


 『そんなに血の味って大事ですか? まぁ確かに、リアの血はこの世の物とは思えない程に美味しかったような気がしますけど……って何を言ってるの!? 私ったら……』


 『ご自慢は結構ですわ。 はぁ、私もお姉さまの……っ! そうですわ! 私、妙案を思い浮かびましたの。 直接の吸血は難しくてもお姉さまの血を頂いたエルシア様を、私が吸血することは可能ですわ! そうすれば間接的にお姉さまの血が私の中に! あぁ……想像しただけで私、昂ってきましたわぁ♪』


 『…………え? それ本気で仰ってるのですか? ……まぁお世話になる以上、吸血くらいは構いませんが。 ……えぇ』



 あの子達、案外仲良くやれそうね。

 気の強い妹と穏やかで優しいお姉ちゃん、といった所かしら?


 話の内容が自分の血だということに何だかむず痒さを感じるが、二人が上手くやっていけるようならリアとしてもとても嬉しい。 ていうか……アイリスちゃん?


 聞き慣れない呼び名だけど、エルシアの口から発せられると何だか私もそう呼びたくなっちゃうわ。

 アイリスちゃん……アイリスちゃん、結構可愛いかも♪ 今度さりげなく呼んでみようかしら?



 そんなことを思いながら二人を眺めてセレネを撫でていると、隣に立ったルゥがそのケモミミをぴくぴくと動かしていた。



 「……リア姉。 あのエルシアってお姉ちゃんも、アイリス姉みたいにおっかないのか?」


 「んー、それはないと思うわ? ああ、でも貴方がちょっかいや悪さをするつもりなら、アイリス以上に怖いかもしれないわね」


 「や、やらねーよ、そんなこと! 俺はただ、怖いお姉ちゃんなら何かを間違える前に、様子を見ようと思っただけで……」


 「いつの間にかそんな気まで回せるようになったのね、ルゥ。 でもその必要はないわ。 貴方が気を付けないといけないのは、着替え中の覗きと入浴中の覗き、あとは夜の覗きくらいかしら?」


 「覗きばっかじゃん! …………でも、気を付けるよ。 俺はもっともっと強くなるんだ、セレネを守れるくらい。 だから、まだ死にたくない」


 「クスッ……ええ、そうしなさい。 3回までは許してあげるわ、私はね」



 ルゥは男の子といった様子でその眼に強い意志を魅せ、覗きの話をした後にこういうのもなんだが、将来の魔王としては期待できそうだなとリアは思った。



 (そうよね。 ルゥが頑張って強くなろうとしているように、アイリスもあれから鮮血魔法のコントロールを鍛えて見違えるほどに支配戦が出来るようになった。 まだまだ改善する余地はあるけど、そろそろ真祖を見に行ってもいいかもしれないわね。 問題はその場所だけど、アイリスは知ってるのかしら?)



 すぐに行動に移さないにしても、時間がある時にアイリスからは聞いた方がいいと結論付けるリア。

 今は二人の仲を邪魔するのも悪いし、正直いってリアもかなり眠い。


 何時ぞやの寝ぼけて変なことをする前に、就寝に入ってしまおうと考えたのだった。



 その後、リアは眠りに入る前に昏睡状態にあるリリーの部屋を訪れた。

 ミシス家の地下で監禁されていたオッドアイが綺麗だった印象のエルフの少女、リリー。


 状態異常や怪我は全て完治させ、地下でも問題なく動けていた。

 しかし、この家に連れてからは眠るように動かなくなってしまい、どうやらそれは今も変わらないらしい。



 血脈眼で見ても彼女のステータスは変わらず『昏睡』『自然同化』と2つの状態異常。


 原因はわからないが気のせいでなければ、以前よりも顔色が良く見えるリリーは順調に回復しているのかもしれない。


 歳が近く同性ということもあるのだろう。

 顔すら合わせていないのに一番リリーを気にしているセレネの頭を撫で、リア達は彼女の部屋を後にする。



 それから少しして、無事に使いを済ませて来たレーテが戻ってきたのでリアはそのままセレネを抱いてベッドに入ることにした。


 本当は他の子も一緒が良かったのだが、エルシアはアイリスのお願いもあって一日だけ貸すことになったのだ。

 恐らく、夜の親睦会をするのか、コショコショ話で話していた間接的な"私の吸血"でもする予定なのだろう。


 不安要素が全くないと言えば嘘になる。

 それはアイリスがエルシアの嫌がることをする、というそういった心配ではない。

 単純に、エルシアの体力が持つのかという心配だ。


 (まぁアイリスは良い子だし、その辺の見極めはちゃんとしてくれる筈よ。 案外一緒のベッドで寝てるだけだったりして? もしそうなら早く起きて見に行きたいわね、その理想郷♪) 



 もふもふとしたケモミミが口先に当たり、その耳を甘噛みしながら小さな生命を抱きしめる。

 心地良い暖かさが全身に広がり、無意識化に張っていた意識が解きほぐれていくのを感じた。



 「えへへ、暖かい~♪ もっと、もっとセレネを抱きしめて?」


 「ええ、もちろん。 ほら、こっちに寄って? そう、ぎゅ~!」

 

 「わぁ!? ……ふふふ、幸せ~。 おやすみ! リアお姉ちゃん」


 「ええ、良い夢を見なさい。 私の可愛いセレネ……ちゅっ♪」




 そうして翌昼、私たちは全員でセルリアン公爵邸へと来ていた。


 巨大な門前には何故か大勢の民衆が集まっており、その視線はどうやら私だけに向けられているように思える。

 一定の距離を保ちつつも、こちらを見ることをやめない彼ら。

 それは老若男女問わず、誰もがその眼を輝かせ期待と羨望の眼差しをもって、こう口にしたのだった。



 ――"火の聖女"と。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る