第116話 始祖の帰還。吸血鬼たちの夜
約1日ぶりの王都。
世界はすっかりと夜に染まり、吸血鬼としては幾分か過ごしやすくなった時間帯。
軽々と飛び越えた城壁の上からは夜の王都が見え、そこには無数の光が乱立していた。
早朝に出発してから今まで、実に半日以上も日の下で活動していたリアは少しだけ疲労を憶えた。
けれど、これは幸せの疲れ。
それは隣を歩き、数日振りの王都を見渡すエルシアを見れば自然と疲れなど吹き飛ぶというもの。
こうして無事な彼女が側に居て、私の血を分け与えた眷族になって隣に居てくれる。
気持ちは両想い、恋人になり形だけでも結婚指輪だって渡せた。 エルシアがこの先の未来もずっと私の傍に居てくれると思えば、これは間違いなく意味のある疲労だろう。
しかし、やっぱり気になることはあった。
「エルシア? さっきからどうしたの? 何だか、力が入ってるような」
「えっと……、わかりますか?」
「ええ、とっても。 もしかして緊張してる?」
顔を俯かせ、肩ひじに力が入った状態で思い悩むように縮こまるエルシア。
それでも公爵令嬢然とした佇まいで背筋は真っすぐに伸ばしてはいるが、やはりフードから覗かせる顔には不安が滲み出ていた。
少し視線を彷徨わせ、恐る恐るといった様子で顔を上げたエルシアは静かに頷く。
「緊張……そうですね、しているかもしれません。 道行く人々に、私が吸血鬼と知られた時の心配はもちろんあります。 ですがそれ以上に、私のコレをどう……お父様に説明すればいいか」
ああ、なるほど。
王都に入ってから妙にそわそわしてると思ってたけど、帰って来たことで現実味を帯びてきた感じかな。
確かに、これまで人間としての目線で魔族を見ていたエルシアは、その存在へ向けられる敵意や見られ方を嫌という程知っている筈。
それに加えて彼女は公爵令嬢。
民衆の上に立ち、貴族社会でも王族を除いて頂点に位置する家門の人間だ。
そんな家のお嬢さまが魔族となってしまっては、どうしたらいいかわからなくなってしまうのも仕方のないことに思える。
根が真面目なエルシアのことだ。 きっとリアが思ってる以上に、色々と一杯一杯なのかもしれない。
寛げる住居は目と鼻の先。
休まるベッドやソファで彼女に触れながらその悩みを聞いてあげたいが、エルシアの表情を見る限りそうもいかないと察せられる。
「"普通に話す"で、いいんじゃない?」
「え……? お父様にですか?」
「ええ、そう。 ユーエスジェだって私に会ってる訳だし、娘が魔族になったからって何か思うような人間には見えなかったわ」
「……確かに、お父様はリアに一生分の恩があると仰っていました。 ですから私が吸血鬼になっていたとしても、変わらず今まで通りに接してくれるでしょう」
リアはユーエスジェと数える程しか話していないがそれでも、エルシアの言葉には同意見だった。
種族が多少変わったくらいで、愛娘を蔑ろにする男ではない。
「ですが、私は公爵家の娘です。 こうなってしまっては、家の為にできることなど殆どありません。 いいえ、それ所か皆無といえるでしょう。 お父様にも多大なるご迷惑を……」
段々と声を小さくしていき、やがて立ち止まって地面を見詰めるエルシア。
そんな真面目過ぎる彼女に、リアは思わず苦笑が漏れる。
「貴族の義務なんかはよくわからないけど。 私はそうは思わないな~」
「……何故、そう思うのですか? リアだってわからないって」
「だってユーエスジェ、貴女のこと大好きじゃない。 始めて船であった時、自分が死にそうだっていうのに命がけで貴女を護ろうとしてたし。 多分、生きてるだけでよかったと思うタイプよ、アレ」
「それは……」
エルシアは不自然に言葉を切り、何かを思い出したように考え込む素振りを見せる。
「貴女はどう思う? レーテ」
玄関へと振り返れば、そこには音もなく佇むレーテ。
彼女は突然のリアの問いかけにも表情を変えず、深々と一礼すると淡々と答え始める。
「僭越ながら申し上げますと、私もリア様と同意見にございます。 件の一件、遠目ながらにリア様を前にして、エルシア様をお守りするユーエスジェ公爵を拝見致しました。 一度、お話されるのがよろしいかと」
「みたいよ? それとただいま、レーテ♪」
「はい、おかえりなさいませ。 心よりお待ちしておりました、リア様」
能面な表情を少しだけ緩め、アイマスクを付けたまま視線を向けてくるレーテ。
彼女の顔を見ただけで、心休まる場所へ帰ってきたのだと実感できる。
すると、続けざまに聴こえるは玄関の扉の先から鳴り響くバタバタとした足音。
扉は勢いよく開かれ、暗闇の中を赤色と桃色が反射した。
「リア姉!」
「リアお姉ちゃん!!」
レーテの脇を物凄い勢いで走り抜け、その勢いを殺さずに無遠慮に飛び込んでくる二人の兄妹。
「おっとと……ふふ、ただいま。 ルゥ、セレネ」
「「おかえり」なさい!」
いつもなら、恥ずかしがって抱き着くなどありえないルゥが珍しく甘えてくる事に、内心少しだけニヤニヤして抱き留めるリア。
セレネは変わらずふわふわしててとっても可愛らしい。思わず食べたくなってしまう程だ。
「あれ? リア姉、この女の人誰だ?」
「彼女はエルシア。 何回か話したでしょ? まぁ、あの時とは違って、今は私の恋人で眷族になったんだけどね♪」
「お姉ちゃんの……眷族? それって、吸血鬼になったってこと?」
「ええ、そうよ。 このお姉ちゃんは吸血鬼になって、私のモノになったってこと♪ 賢いわ、セレネ」
「……えへへっ♪」
セレネを抱き上げつつ、ついでにルゥも抱き上げることにしたリア。
ルゥの頬が照れた様に若干赤くなっていたが、子供らしく可愛いことをした対価である。 素直に妹と受けて貰おう。
そうして二人と戯れていると、少しの間固まっていたエルシアが再起動する。
復帰したエルシアは直ぐに満面の微笑みを浮かべ、二人と視線を合わせるように屈みだした。
「可愛い子供たちですね。 特にこのお耳と尻尾……ふふ♪ ――こんばんは、私の名はエルシア・セルリアン。 リアの言う通り、吸血鬼になったばかりなんです」
「可愛いって。 リア姉もよく触ってくるけど、そんなに気になるかコレ?」
「リアお姉ちゃんの……モノ。 それじゃあ、良い人なの?」
特に警戒した様子を見せないルゥとは対照的に。
『リアのモノ』というこの子なりの線引きに通過したことで、言葉を交わすくらいには警戒を緩めたセレネ。
「ふふっ、とっても気になります。 私が良い人かどうかですが、貴女にはどう見えますか?」
「う~ん、良い人……なのかな? 精霊さん達も、いつもより静かだし……うん、たぶん良い人」
「精霊……? そうなのですね。 あの、よろしければお二人のお耳を、触ってみてもいいでしょうか?」
手探りに距離を詰めつつ、抑えきれない欲求に興味津々でケモ耳を見つめるエルシア。
気持ちはわかる、とってもわかる!
リアも見かけてしまうと取りあえずモフモフしてすりすりして、まるで精神安定剤のように触ってしまうのだ。
「俺は、別にいいけど……あ、あんまり痛くするなよ? や、優しくだからな?」
「私もいいよ~。 でも、これお姉ちゃんも気に入ってるから半分こ、だよ?」
「ええ、もちろんですっ! 優しく失礼しますね」
そう言って悩みなど忘れた様に二人の頭に手を伸ばし、まるでガラス細工を触る手ぶりでそっと撫で始めるエルシア。
そんな幸せそうな彼女とくすぐったそうな兄妹を見て、頃合いを見てレーテへと視線を移す。
すると、彼女は私が何を求めているのか理解した様子で頷き、そしてコテンと首を傾げた。
「エルシア様のご帰還について私から、セルリアン公爵様へお伝えして来ましょうか?」
「ええ、お願いできるかしら。 あーでも今日は疲れたから、明日以降で顔を出すと言って欲しいわ」
「畏まりました。 夕食、入浴、寝室については既に準備が整っております。 アイリス様は現在闇ギルドにいらっしゃるかと思いますが、直に戻られるかと。 ――では、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」
レーテは見惚れる程に綺麗な一礼を魅せると、その体を徐々に闇へと融かしていき、瞬きをする間もなく気配を完全に消し去っていく。
(いつ見ても綺麗な所作ね、惚れ惚れしちゃう。 ていうか……夕食に入浴の準備!? 寝室はわからなくもないけど。 私いつ帰ってくるかなんて一言も言ってないよ? あの子の情報網、どうなってるのかしら)
優秀過ぎるメイドに内心で結局の感嘆の声を漏らし、漸く休めると思うと自然と頬を緩めてしまう。
「リア、レーテをお父様のところに?」
抱えている二人の子供の頭に手を置き、優しく撫でながら少し困り顔を浮かべるエルシア。
「ええ、貴女が帰って来たことを伝えに行って貰ったけど。 余計なお世話だったかしら?」
「……いいえ。 きっと私一人で悩んだとしても、結果的には話に行くしかなかったと思います。 それにこの子達を見てると、なんだか悩みも吹っ飛んじゃうというか……ふふ、なんでしょうねこれ」
「それはよかった。 ユーエスジェには明日以降に顔を出すとレーテに伝えさせたから、今日はウチでゆっくり休んで行って。 どうせ貴女の家にもなるんだから♪」
揶揄うようにいたずらっ子の笑みを浮かべたリアは、胸に抱き抱えた二人をそっと地面へ下ろす。
「え、それってどういう……っ、まさか」
「ええ、そのまさか。 というか公爵邸で今後も過ごすつもりだったの? 貴女は私のモノになったんだから一緒に住むのは当然よ。 もちろん、ユーエスジェにもちゃんと頷かせるから安心して?」
リアの中では既に決定事項となっている言葉に、口をぽかんと開けたエルシアはその動きを停止させる。
そして思い出したように小さく溜息を吐くと、微笑を浮かべるのだった。
「ああ……そうでした、貴女は吸血鬼でしたね。 リアはリアだと思ってたから、つい忘れてしまってました」
「ふふ、忘れてたの? 私は吸血鬼……そしてそんな吸血鬼の眷族が貴女よ、エルシア。 既に私のモノなんだから、今更ユーエスジェに断りなんて要らないんだけど。 一応は貴女の父親だものね」
エルシアは引き攣った表情を浮かべると、「アハハ」と乾いた笑みを溢す。
忘れてたって……意外と抜けてるのね。
まぁ確かに? 吸血する時以外は基本的に大人しくしてたし。 エルシアもここ数日間は色々ありすぎて、眷族になったことが実感湧かないのはわかるけど。 でもそこまで私って溶け込んでたのかしら?
最近の自分を振り返り思考に耽っていると、小さな力でチョンチョンと手を引かれる。
「お家、入らないの?」
「……入りましょうか。 ごめんなさい、待たせちゃったよね」
「ううん、全然! レーテお姉ちゃんね、料理中すっごい楽しそうだったんだ~!」
「へぇ、そうなの~♪ ほらっ、エルシアも行きましょ」
「はい、お邪魔しますね」
そうして住まいへと入っていき、ダイニングルームへと向かう。
そこにはレーテのいった通り、夕食という名の
大食いとまではいかないリアに合わせ、控えめに調節された料理の数々。
それらは前菜から肉料理、スープまで用意されており、どういうことかそこまで冷めてもいない。
本当にどこから私が帰るのを聞きつけたのかしら? やっぱり王都に張り巡らせた眷族網?
それにしても……いつ見ても美味しそう。 その辺の食堂よりもずっと食欲がそそるわ!
リア目線、一流のコックや王宮の料理人にも負けないレベルの料理をエルシアと共にし、既に済ませたであろうルゥとセレネも一緒になって夕食を終えた。
その後はレーテの用意していた順番通りに私とエルシア、それにセレネを入れて入浴を済ませた。
夕食の時はルゥばかりがエルシアと話し、セレネはまだ完全には警戒を解いていない様子状態だった。
しかし、お風呂に入ればそんな警戒すぐに解けてしまったらしい。 今ではエルシアに引っ付き、その膝の上で抱っこまでされる始末。
長い一日を終え、休息の時をリビングで過ごしていたリア達。
真っ暗な空間にはメラメラと燃える暖炉の炎と蝋燭の光が室内を照らし、その周りを囲うようにしてソファやチェアが置かれている。
すると部屋の3つの窓の内、不自然に半開きになった窓の外から微かな羽ばたき音が聴こえてきた。
――どうやら、もう一人の想い人が帰って来たみたいだ。
狭い窓の隙間を縫うようにして、部屋へと侵入してきた一匹の蝙蝠。
それは瞬きの間に、一人の少女へと姿を変える。
「おかえり、アイリ――」
「お姉っさまぁぁぁぁ!!」
「――え、わっ……きゃ! ……もう♪」
変化を解くと一目散に駆け寄り、ブレーキなど壊れたかの如く猪突猛進でツッコんでくる可愛い妹。
ひんやりとした感覚が体中に染み渡り、柔らかい感触と甘い香りが顔を覆い尽くす。
座っていたソファはギシィッと音を鳴らし、暖炉の炎とは比べ物にならない暖かさが全身を包み込んだ。
「ただいま戻りましたわ! 私、とってもとってもお姉さまにお会いしたかったですの! あぁ~お姉さまの匂い、お姉さまの感触! はぁ……好きぃ♡」
「もっもう、甘えん坊さんね。 でも、私も会いたかったわアイリス。 急に無茶なお願いをしてしまってごめんなさい。
「そんなことありませんわ。 私、お姉さまがやれと言われれば何でも喜んでお受け致しますもの。 もちろん、
「やっぱり貴女に頼んで正解ね。 ありがとう……私のアイリス。 ちゅっ♡」
ソファに体を預ける私に、馬乗りになって首に手を回してくるアイリス。
そんな彼女におかえりのキスをすれば、はにかむ様な笑みを魅せ、抱き締める腕に力が入ったのを感じた。
「まぁっ♪ お姉さま、私もっと欲しいですわ。 もっと、もっとぉ……」
「もう可愛いんだから♡ でもその前に、彼女を紹介してもいいかしら?」
「……?」
リアの初めての眷族となった、新しい同族。
真祖であって恋人にもなったエルシアを、1人目の恋人であるアイリスへと紹介する。
「……あら? この娘、確か……」
(ああ、そういえば以前に一度だけ、変化した状態だったけど会ってたわね。 ふふ、気付いたかしら? そう彼女は私達の新たな同族よ! アイリスには是非、吸血鬼として色々教えてあげて欲しいなぁ)
同族として今後築かれる二人の関係に、内心で想像してニマニマしてしまうリア。
しかし、直前まで私に見せていた小動物を彷彿とさせるアイリスの可愛さは途端に肉食のそれへと変貌したのだった。
「お会いするのは2度目、ですね。 私は――」
「どういうこと、ですの? 何故、貴女からお姉さまの……いや、この気配……真祖? どういう……、だとすればこれは。 ……っ、まさか」
両目を見開き、何かを考え込むようにして俯いてしまうアイリス。
長年、上位吸血鬼として君臨していたアイリスは当然真祖を知っている。 ならば見ただけで気付いても、特段おかしくはないだろう。 でも。
(……ん? あれ、思ってた反応と違うわ。 人間嫌いなアイリスでも、同族となったエルシアなら大丈夫だと思ってたけど。 この反応もしかしてショック受けてる? けれどアイリスに競争心なんてなかった筈。 あるとすれば、それは……"私への吸血欲"? それ以外に理由なんて)
内心で首を傾げながら、私の胸に顔を埋めてブツブツと何かを呟いて思考するアイリスを見て、その理由に思考を巡らせる。 するとどうやら、彼女の中では考えが纏まったらしい。
アイリスは馬乗り状態から動こうとせず、まるでしがみつくようにして私の服を掴む手に力を籠める。
そして数秒の溜めを作り、意を決したようにエルシアへと振り返った。
「……何故、貴女
それはこれまでに聞いたことのない、潤いが滲むようなアイリスの声だった。
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