第112話 終幕への一歩(〇〇〇〇ver)



 歩いても歩いても見える景色が変わらない。



 眼前に広がり続けるは、無限の砂と思える砂丘の群れ。

 頭上に浮かぶ太陽は、鬱陶しい程の熱量で大地を照らし続けている。



 視界はぼやけ、動悸は治まらず、先程から変な汗が止まらない。

 喉が渇いた、服が邪魔だ。 また砂が靴に入った。 何故、僕がこんなことをしなければ行けないのか。



 僅か十数分、砂漠の中を歩いただけで男――カセイドは満身創痍となり、それでも速足に動かし続ける足を止めようとしなかった。



 「はぁ、はぁ……何でッ、僕がこんな目にッ!」



 次から次へと噴き出す汗を拭うことすら時間が惜しい。

 今は何を置いても、あの化け物・・から距離を離すことが最優先だ。



 今では抵抗が殆どなくなった縄を引き、カセイドはもう片方に持った禍々しい短剣を強く握りしめる。


 一歩、また一歩と進むごとに、それはまるでカセイドの脳裏に焼き付いた様にふとした瞬間フラッシュバックした。


 思い出される光景。


 それはあまりにも現実離れしており、実際に目にしなければ到底信じることなど不可能だっただろう。 しかし、カセイドはこの目で見た、――見てしまったのだ。



 『火の申し子とも呼べる超常の魔法。 人智を超えた、規格外な力を』



 今でもはっきりと覚えている。



 最初は僕を馬鹿にしてるのかと思った。

 何の前触れもなく、あの男レクスィオがここヤンスーラの砂漠まで来ていると、報告に来た兵士は言ったのだ。 それを聞いた時は耳を疑った。


 あの男が国とやらにかける馬鹿な想いはある程度知っていたつもりだった。

 だというのに、混乱する国を捨ててここまでくるのか?



 本当にそうなら目的は間違いなく、僕の手中にある『紅玉』だろう。

 エルシア姉様の線も考えたが、あの男は幼馴染の女より国を取ると思った。


 半信半疑だった僕は、本来であれば適当な報告をしてきた兵士に罰を与えたかもしれないが、一度は処分を保留にしてあげることにした。 何故なら、無事に合流出来て気分がよかったからさ。



 そうして待つこと少し、……本当に来やがった。 それも僅か200人程度の兵士を引き連れて。

 笑えるだろう? これからクルセイドアへ進軍し、防衛力と士気のなくなったあの国を完全に掌握する筈が、一番厄介で面倒だった相手がノコノコと自分から来てくれたんだ。



 勝ったと思った。

 これであの国の真の君主は僕になり、時が来れば『紅玉』の力でヤンスーラの馬鹿共も呑み込むつもりでいた。 だというのに。



 天幕の外が騒がしく、勝ち戦に何を手間取っているんだとイラついていた時――それは起きた。



 砂漠を覆い尽くさんばかりに燃え上がる超常規模な炎の壁。

 離れていてもそれが異常だと一目でわかった。


 ただでさえ暑い砂漠、汗をかくことは不思議なことじゃない。 だがアレを見た瞬間、異常なまでの冷や汗が一斉に全身から噴き出したのだ。

 まるで本能が火を恐れるように、これ以上近付くことを拒否するような"警報"が絶えず体の底から鳴り響いた。



 聞けば、それを行ったのは1人の女だという。

 特徴を聞いて直ぐに分かった。 将来、僕のモノにする予定だった銀髪のメイドあの女だったんだから。



 (ただのメイドじゃなかったのか? 子爵家程度の婚外子が、何故あんなことが出来る? いや、そもそも本当にあの女なのか?)



 そう思ったのも束の間。

 ただのメイドだと思っていた女によって、ヤンスーラとエルファルテの連合軍は為す術もなく崩壊した。



 こちらには帝国の英雄が2人、ヤンスーラの英雄が1人。 合わせて3人に加え、3万の大軍勢だ。

 負ける要素どころか、この世界でこの軍勢を相手取れる存在など皆無だろう。



 しかし現実は違った。


 あのメイドが剣を振るえば砂漠の大地は捲れめくれ、兵士数十人から数百人規模でまるで災害にあったかのようにゴミの様に吹き飛ぶ。


 本来であれば城壁すら破壊するに事足りる魔法の押収が、メイドの一振りによって小間切れになり空気へと消える。 どれだけの攻撃をしようと、どれだけの魔法を放とうと、あのメイドはまるで意に介した様子も見せない。



 ――動く天災。



 最初に英雄が見せた巨大な砂塵嵐より、よっぽどあの女の存在そのものが僕の目には嵐に見える。

 体が動かない、目が離せない、離れなきゃいけない。 あの女がここまで来れば間違いなく、僕はあの雑兵たちのようにゴミの様に殺されるだろう。


 それはあの女が王宮で見せた、僕への目を思い返せば想像に難くない。

 だが奴が相手にしているのは一般兵士、まだこちらには3人の英雄が居る。 調子に乗れるのもここまでだ。



 そして3人の英雄が他の兵士よりちょっと善戦して敗北した時、気付けば僕はエルシア姉様を連れて戦場から逃げていた。



 抵抗するエルシア姉様を強引に引き摺り、足場の悪い砂の上をただひたすらに歩く。

 幸いだったのは戦場にあの化け物が居てくれたおかけで、誰も僕を止めようとしてこなかったことくらいだろう。



 「なんなんだ……? なんなんだ、あれは!? っ、おかしいだろう!!? 英雄だぞ? 英雄が3人もこっちには居たんだぞ!?? なのになんでメイドの1人すら止められない? アイツは、あの女は一体何なんだッ!?」



 思い出した瞬間、歯止めもなく次々と吹きこぼれる。

 それは戦場から抜け出した時から、絶えず頭をぐるぐると回っていた疑問。



 「信じられるかこんなこと! 僕は認めないぞ、あんな女一人によって僕の計画が壊されるなんて。 そんなこと、決してあってはならないことだ。 ……漸くだ、漸くここまで来たんだ。 なのに……ッ、クソッ!」



 口にすればしただけ、それは止めどなく溢れだす。

 カセイドは縄を持った手で頭を掻きむしり、血走った目で砂漠の地面に幻想が描くあのメイドを見つめる。


 すると、これまで黙ってついて来ていた姉様が控えめに声をあげる。



 「リアのことを、……仰っているのですか?」


 「リア? ……ああ、そうだ。 あの女、リア・ホワイトだ」



 あの化け物、そんな名前をしていたな。

 ……思えば、レクスィオがあの女を連れまわし始めてから全てが上手くいかなくなった。


 毒殺は失敗、二重に用意をしていた暗殺者も気付けば姿を消していた。

 非合法な輸入品はミシス家を仲介とし、足がつかないよう、いや付いても問題ないよう流浪の英雄"修羅"を雇った。 なのに、後で聞いた話によると何者かによって殺されていたという。


 今回だってそうだ。 なんでレクスィオアイツはここに来れた?



 「ああ……あの化け物か。 ……そうか、そうだろうなぁ! あれだけの力があれば、小さな問題の1つや2つあっという間に解決できるだろうさ!!」



 あの戦場の力を見た後だと、そうとしか思えない。

 始めからあの女の力を知っていれば、ヤンスーラの宰相と話した時にもっと別のやり方を選べた筈なんだ。


 そうしていれば、今頃僕は――



 「カセイド殿下」


 「っ、……お前」



 低い声のした方へ振り返ると、何の気配もなかった場所には死んだ筈の英雄が立っていた。

 額に星の様な傷があり、全身を黒ローブに包んだヤンスーラの英雄、ルクア。



 「その腕……ふ、ふん! 何もできず無様に負けた弱い英雄が、今更何の用だ」


 「…………。 あの女がもうじきここへ来ると、お伝えに」



 そう軽く頭を下げるルクア。

 全身真っ黒に加え、肌の色まで泥に塗れたように薄汚い。 ローブは血と砂に塗れ、切り落とされた腕の包帯からは血が滲み出ている。 いつ見ても薄気味悪い奴だ。



 「そっ、そんなこと分かっている! そもそもな話、お前ら英雄が3人がかりで負けたのが今回の敗因だろう! どうしてくれるんだ!? おかげで僕はこんな砂漠を歩くハメになって、計画してたものも全部おじゃんさ!!」


 「……」


 「はぁ、もういい……それで? 逃げる算段はちゃんと付いてるんだろうな? お前らの責任なんだ、それくらい取ってもらうぞ」



 黙りこくるルクアを見て、僕は未だ怒りが治まらなかったが仕方ない。

 いくら瀕死で弱いとしても、これが英雄であることに変わりはないのだ。 せめて、僕が安全圏に入れるまでは使ってやるさ。光栄に思うがいい。



 そう思った瞬間、僕の視界には赤い線が弧を描いて飛び散っていた。



 「…………へ? あ、あれ……? 僕の、腕が……あぁぁぁぁああ!!!」



 何だ、何が起きた? 何で僕の腕が無くなって……地面に落ちてるんだ?



 「殿下。 いや、カセイド第二王子」


 「ぐぅああぁぁぁ!! 何で、何を、……するんだ? ルクア?」


 「状況は良く見られた方がいい。 確かに今の私は死に体。 用意していた装飾装備アーティファクトは壊れ、ポーション類を含め最後の手段の『エリクシア』すら使ってしまった。 だが見ての通り、貴様を殺す程度なら造作もないんだ。 ……理解したか?」



 蹲る僕を生意気にも見下ろすルクア。

 そのフードの下から覗かせる紫の瞳は、氷の様に凍てつきその瞳孔は赤く煌めく。


 言葉の一言一言に重圧があり、聞いてるだけで耳を抑え顔を埋めたくなる。



 「陛下の命に従い、お前の様な者にも仕えて居たが。 もう、その必要もないだろう」


 「ぐぅッ……お前、……お前ぇぇ! 僕に向かって、お前如きが!」


 「ならどうする? 貴様の言う"弱い英雄"の私だ。 互いに隻腕の状態、せっかくその短剣をくれてやったんだ。 使ってみたらどうだ?」



 ルクアは嘲笑うように口元に笑みを浮かべ、腰に差した剣すら抜かずに腕を広げた。

 ……短剣。 ルクアに護身用にと渡された『毒牙の呪剣』。


 その効果は散々使ってきたからわかる。 これがあれば、ルクアだって当たればただじゃ済まない。

 でも不思議だ……勝てるどころか、触れることすらビジョンが浮かんでこない。



 「……はぁ、はぁ……ぐぅっ、……ぅぅ」


 「ふん、貴様の程度を再認識したか? 死ぬ前に知れてよかったじゃないか」



 僕は……終わるのか? こんな何もない砂漠の地で、こんな男の手によって……。

 ん……何処を見ている? 何故、エルシア姉様を見るんだ?



 「エルシア・セルリアン。 貴女を……いや、やめておこう」


 「……?」


 「私とて命は惜しい。 あの女の逆鱗に触れれば今度こそ、気まぐれという奇跡など起きないだろう」



 おどけるように肩を落とし、不敵な笑みを浮かべて数秒間エルシアを見つめるルクア。

 そうして、まるで僕の存在など興味がないかのように一目もくれず、ルクアは背を向けて徐々に景色へと溶け込んでいった。


 数秒もすれば完全に気配は消え、シンと静まるこの場にはエルシア姉様と僕だけが残った。



 「助かった……のか? 僕を殺すはずじゃ、はは……ははは、あんなこと言って結局は僕を殺せないんじゃないか!! っぐぅ、腕が……まずは止血を」



 上体を何とか起こし、現実とは思えない光景に目を向ける。

 知識としては知っていても、実際にはやったことはないし、やり方もわからない。


 少し触れれば無くなった患部には激痛が響き、見ているだけで意識が飛びそうになる。

 さっきから冷や汗が止まらず、頭痛と吐き気も感じてきた。


 だが、もたもたしてる時間はない、あの男の言う通りなら時間が経てばあの女がここへ来る。



 「まずは止血を、うっ……クソ、クソッ! こうか、こうすればいいのか!? 早く、早くしないとアイツが、そうなれば僕はっ!」



 暑さで思考が定まらず、手探りで止血を行う中、「殿下」とエルシア姉様が僕を呼ぶ声が聴こえて来た。

 気付けばエルシア姉様は傍に寄って膝を突き、僕の止血を手伝ってくれていた。 



 「……投降、してください」


 「は……? 姉様、何を言ってるんだ? ……投降?」



 世界から音が消える。

 頭がクリアになり、腕の痛みなど感じなくなる程、その言葉は響いた。



 (投降だと? ……僕が? わけがわからない。 何故僕があの女に投降など……ああ、姉様。 本気で言ってるんだ)



 くたびれた服を纏い、窶れたやつれた顔でこちらをジッと見つめるエルシア姉様。

 何日も簡易的な水浴びだけに済まされ、食べ物は公爵邸に居た時よりも明らかに程度の低い物ばかり。

 だというのに、何故……そんな目ができる?



 そう疑問に思った瞬間、カセイドの脳内に幽閉された時の記憶がふとフラッシュバックした。

 化け物リアとエルシア姉様が手を繋ぎ、仲睦まじい様子で自分の前から出ていった光景。



 「……クククッ、そうか……そういうことか。 姉様がまだ諦めない理由、化け物アイツが居るからか」


 「何を言って――」


 「おかしいと思ったんだ。 姉様は公爵令嬢として完璧で、いつも優雅で毅然としていたね。 でも、いくら立派でも所詮は温室で育てられた気弱な令嬢。 普通こんな目に合えば、心は憔悴しきって死んでいくものさ。 だというのに、エルシア姉様は無駄な抵抗ばかりして一向に諦めようとしない」



 姉様は手を止めて、まじまじと僕の目を見ていた。

 その瞳はぷるぷると震え、動揺と緊張が色濃く表れている。



 「化け物アイツも、姉様が"大切"なんでしょう?」


 「っ!」



 やっぱり。 気丈に振る舞って動揺を見せまいとしているようだけど、僕にはわかる。

 僕がどれだけ姉様を見て来たと思ってるの? でも流石だよ、姉様。


 あんな化け物すら魅了して、止まないなんて……クククッ。



 「使えない奴らは死んで、あの雑兵だらけの軍勢もすぐに壊滅する。 そうなれば姉様の待ってる化け物アイツも、すぐにここに来る。 ……だから、ね? 僕を守ってよ、姉様」



 生き残る道が見え、下手したら英雄すらも超越した"大英雄"の化け物が手に入るかもしれない可能性が見えて来た。 そう考えたカセイドに、もはや暑さや痛みなど気にならなかった。


 最悪な環境と状況の中でカセイドは微笑み、どこか狂ってしまったかのように短剣をエルシアの首元へと押し当てたのだった。


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