第105話 お嬢さまの一刻(エルシアver)



 ひんやりとした空気が頬を撫でる。

 どことなく感じる座り心地の悪さに、もぞもぞと体を動かす。



 「んっ……あれ、ここは……」



 薄っすらと開かれる視界、段々と意識は覚醒していく。

 未だ重い身体に倦怠感は残るものの、エルシアは何気なく周囲を見渡した。


 そこには暫く使われていないであろう古びた家具や壊れた小道具、農具などが乱雑に立てかけられており、生活感は感じられない密室が広がっていた。



 「……物置? なぜ私は……こんな所に?」



 取りあえず、立ち上がろうと力を入れるとそれに気付く。

 両腕は縄できつく縛られ、片足には地面の留め具に繋がれた頑強な鎖。


 動き回るのは困難と判断したエルシアは、それでも何とか上体を起こす。



 確か私は……リアとお茶会をしていて、彼女に誘われるがままにデートをして……あっいや、デートじゃなくて"お出掛け"ですね。 それから色々な場所を回って気づけば夜になってた頃、レクスィオ殿下からの呼び出しでリアと別れ、私の身を案じた彼女がレーテを護衛にと。 それでその後は……――



 『なんだ! 貴様らは!?』


 『エルシア様、我々の後ろへ。 レーテ嬢はエルシア様のお傍に!』



 屋敷までの帰路につき、もう数分というところでの突然の襲撃。

 黒い影がどこからともなく現れ、あっという間に退路を絶たれてしまう。



 『どうやら、あれらの狙いはエルシア様のようです。 くれぐれもここから動かないでください』



 護衛騎士と黒い影の戦闘が始まり、黒いアイマスクを付けたレーテが落ち着いた口調で私に指示を出す。 でも。



 『そのメイド……ふん、切り落とした腕の感覚に違和感があるな。 固有能力アーツの可能性があるか。 念の為、毒付きの武具で突き立てておけ。 ――それじゃあ我々と来て貰おうか、エルシア・セルリアン』



 そう言って1人だけ覆面をせず、黒フードの下で口元を歪める男を最後に、エルシアの記憶は途切れていた。

 気を失う前、地面に倒れ伏した2人の護衛騎士と黒い影達に囲まれたレーテの姿が瞼の裏に焼き付いている。



 カルバン卿とトリュス卿。 二人は恐らく、もう助からないでしょう。 

 それはあの暗闇の世界の中、断末魔のような絶叫が聴こえてきた意味を理解すると、嫌でもわかってしまう。


 あとは彼女リアの大切な思い人……レーテ。



 せめて、彼女だけでも無事でいて欲しい。

 リアの従者である以上、その体の構造は根本的に私たちと違う。

 1人で何人もの黒い影を倒し、エルシアという荷物を抱えながら夜の世界を舞い、見惚れる程に綺麗で精練された侍女。


 けれど、そんな彼女ですらあの状況下で無事でいられたとは、とてもじゃないがエルシアは思えなかった。 だから願う。



 「お願い……、無事でいて」



 無意識に組まれた手。 それはまるで祈りを捧げるよう胸元へと置かれる。

 すると、左手の薬指に嵌められた指輪が目に入り、エルシアは思い出したように気持ちを瞬時に切り替える。


 婚約指輪に意識を集中させ、微々たる量の魔力を体中からかき集める。



 「ふっ! ……っ、うん、これで……」



 見下ろした指、そこには婚約指輪に留められた《ホワイトサファイア》がまるで呼応するかのようにキラキラと煌めき、次第にその光は元の宝石へと収まっていく。



 これはレクスィオが万が一にと施した緊急用の細工である。


 平常時には装着者の『生命活動』のみが相手に知らされ、こうして魔力を込めることで『緊急サイン』とある程度の『位置方向』を相手に送り続けることができるのだ。


 気が動転していてすぐに行動に移せなかったが、今思い出せてよかった。



 (あとは殿下がこれに気付いてくだされば。 ……大丈夫、大丈夫)



 ひたひたと迫りくる様な不安と恐怖に、今にも心臓が押し潰されそうになる。


 自分がどこにいるのか、何故連れてこられたのか、無事に帰る事はできるのだろうか。

 一度考え出すと不安は次から次へと溢れだし、エルシアはそれを振り払うように深呼吸を繰り返す。



 (……あ、これ……リアがくれた)



 片腕に付けているのは、普段付ける様なアクセサリーとは異なる簡素な作りのレザーブレスレット。


 デザインはシンプルな編み込みで、高価な宝石が付いてる訳でも名のある職人が作った物でもない。

 だというのに……それを見ているだけで不思議と胸の内に駆け回る不安は消えていき、それ所か緊張が解けていくのを感じた。



 「……リア」



 思わず、その名を口にしてしまう。

 不思議な縁から始まり、相容れないとされる種族間の壁をも超えた今は大切な私の友達。



 「リア、……リア。 ふふっ」



 こんな状況なのに、その名前を呼ぶだけで自然と微笑みが漏れてしまう。


 破天荒で気分屋、常識やルールなど知らないとばかりにマイペースを突き進むリア。


 その距離感の近さや外見から、私と同じ年代の令嬢だと勘違いしてしまいそうになる時もあるが、吸血鬼である彼女にその常識は当てはまらないだろう。



 (そんな彼女リアが……私を、欲しいって。 ――ッ!! で、でもっ私は殿下の婚約者でこれは幼い頃から決まってたことですし。 そもそも私と彼女は女性同士なわけですよ!? そうすると跡取りが生めなくて、家門に迷惑が……。 あ、あれ? なのになんで私、こんな状況でッ。 ……今は無性にリアに会いたいです)



 頬が熱くなってくるのを感じ、頭の中がリアで一杯になる。

 胸の動悸が収まらず、こんな状況で考えるべきではないとわかっているのに、溢れんばかりの想いが一向に収まる気配を見せなかった


 エルシアは必死に落ち着こうと胸に手を当て、静かに呼吸を繰り返す。

 それでも到底治まりそうになかった熱気は、現実を思い出すことで急速に冷えていくのだった。




 扉の外から不規則な足音が鳴り響き、止まる気配を感じないソレはノックもなしに古びた扉をギギィッと鳴らして開く。



 「目が覚めたんだ、エルシア姉様」


 「カセイド……殿下? ……なぜ」



 ここにいる筈のない相手。

 それだけでも驚くには十分すぎたが、それ以上に目を引く姿にエルシアは唖然とする。


 王城の地下牢へ幽閉された筈のカセイド。

 目の前の人物は間違いなく幼い頃から見て来た第二王子であり、その存在を見たと瞬間に自分をここに連れて来た張本人だと理解する。



 微笑む頬には返り血を付け、数歩歩いた床にはべったりと赤黒い靴跡を残す。

 その装いはまるで旅人のように黒ローブを纏った姿で、所々に黒い血痕の様なものを滲ませている。


 そして一番目を引いたのは、その手に持った短剣のような禍々しい得物。

 ぐねぐねと異様な形をした紫の刀身に未だ血を滴らせ、目を背けたくなる程に嫌な気配を纏った悍ましい短剣。



 そんな私の目に気付いたんだろう。



 「ああ、これ? ちょっと獣達・・で遊んでたら汚れちゃってさ、ほんと汚くてしょうがないよ。 あっ、姉様に会うなら着替えてから来るべきだったね、ごめんごめん。 でもここは一時的な場所だからさ、もう少しだけ我慢してよ」



 おどけた様にカラカラ笑うカセイド。


 (……何が、面白いのですか? それにその短剣は? その尋常じゃない血は何ですか? 獣達って……そもそもなんでここに、幽閉された筈じゃ) 



 次々と湧き出てくる疑問に、エルシアは絶句するほかなかった。

 すると、1人笑っていたカセイドは途端にその陽気さを引っ込め、感情の読めない声音で「そんなことよりさ」と呟く。



 「少し見ない間に、随分と貧相な身なりになったね? 公爵家は愛娘にドレスすら買い与えれないの? ……何それ、はっきり言ってエルシア姉様にちっとも似合ってない。 最悪だよ」



 向けられたことのない目、まるでゴミを見る様な冷ややか視線に背筋が凍る。

 その見下す顔には『呆れ』と『失望』が含まれ、何を考えてるかわからない表情で淡々と近付いてくるカセイド。



 「ち、近付かないでください!」



 言い知れない恐怖に距離を取ろうとするエルシア。

 しかし、相手は徒歩でこっちは座った状態で後ずさりだ。


 直ぐに追い付かれ、縄で縛られた腕を強引に掴み上げられた。



 「うっ……痛い、です」


 「特にこれ。 はっ、センスの欠片も感じないな」



 次の瞬間、カセイドの手によってブレスレットは強引に引き千切られ、そのまま無造作に地面へと放り捨てられる。


 エルシアは掴まれた状態にも関わらず、直ぐにそれを拾おうと手を伸ばす。

 だが、直前でその対象を見失ってしまった。


 踏みつける足は何度も何度も入念に地面へ擦り付けられ、再びそれが見えるようになった時、そこには真っ赤な地面と無残に原型を無くしたブレスレットの姿。



 「っ! 何て……、ことを……」



 膝が崩れそうになる。

 ブレスレットだった物から目が離せず、抗い様のない想いが胸元から込み上げ目頭を熱くした。



 「姉様にはもっと良い物があるよ。 近い将来、僕が送ってあげる。 もちろん、こんなゴミじゃなくて最高級の指輪をね」



 微笑むカセイドの視線は左手の薬指に向けられ、それを感じたエルシアは咄嗟に握りこぶしを作って隠した。


 普段から横暴で傲慢だったが、今の彼は言ってることもやってることも滅茶苦茶だ。

 それにその話は、既に何年も前に終わっている話である。



 「何を言って……前にも申した通り、私はレクスィオ殿下の婚約者です。 それは貴方もよくご存じの筈です」


 「もちろん。 でもそれってあくまで"婚約者"でしょ? 今後の国の情勢やレクスィオアイツ次第で、どうとでも変わる関係じゃない?」



 鼻で笑うかのように、まるで気に留めないカセイドは何を思ったのか、突然クツクツと笑い出す。

 手に持った短剣は呼応するかのように不気味に煌めき、エルシアは背筋にゾクリとした言い知れぬ恐怖を覚えた。



 (これまでもそうでしたが、今のカセイド殿下は明らかに常軌を逸している。 まるで一切の自制が効いていないような、何をしても許されてしまうと確信している様子。 私が扱える魔法は下位の【水系統魔法】、集中しても中位までが限界でしょう。 対して殿下は中位まで扱える【火系統魔法】に、あの短剣……それに私は両腕と片足の拘束。 どうしたら……)



 「姉様。 これ、何かわかるかな?」



 そう言って突然、カセイド殿下は腰に付けた布袋から明らかに袋より何倍も大きな"紅い玉"を取り出し、私に見せつけるよう差し出した。



 「それは一体」


 「流石に公爵家の令嬢でも見たことはないか。 ……これは『紅玉』さ」


 「……は?」




 ――『紅玉』。



 その存在くらい聞いたことはある、当然だ。

 王国民であれば誰しもが一度は耳にしたことがあり、エルシアは間接的にではあるがそれなりの頻度で見ている。


 問題は何故それをカセイド殿下が持っているのか。 そもそも本物?という思いが内心を過る。



 「これが本物か疑ってるんだ? クククッ……本物だよ! 今頃、石像の炎は消え、きっと国中が大騒ぎになってるだろうさ! だってそうだろう? 今あの国には、周辺国を牽制していた抑止力としての紅玉がないんだから!!」



 紅玉を手にしたまま両手を広げ、天上を仰ぎ見る様に高笑いするカセイド。

 嘘を言ってるようには見えない。 何故なら――



 (……目が離せない。 あれは……あれが、紅玉? これまで見てきた数々の宝石や調度品、装飾とは根本的に何かが違う。 まるで自分の存在を主張するみたいに、輝きを放ち続ける不思議な宝玉。 ……言葉がでない)



 見惚れるとも違う、吸い寄せられるような感覚。

 只々、不思議な感覚に茫然とし紅玉に目を奪われたエルシアを見て、カセイドはニヤリと口元を歪める。



 「あはっ♪ それだけじゃないよ? 今あの国には、『蠍の尾』を始めとした色んな薬を打ち込んだ狂人達が無差別に放たれている。 愚民どもは恐怖し、噂は瞬く間に広がるだろう。 ――さて、ここで姉様に問題」



 突然何をと思いながらも、今の私にできることはない。

 エルシアは黙って聞いてることしかできず、ニヤニヤと厭らしく笑うカセイドを見詰める。



 「そんな混乱した状況のあの国で。 僕が脱獄して、国の支えとなってきた『紅玉』が姿を隠せばどうなると思う?」


 「……っ」



 そんなことが本当に起きているのなら……――対応が追い付く筈がない。


 殿下のおっしゃる通り、噂は瞬く間に周辺国に広がる。


 すると間者が増えるのはもちろんのこと、これまで水面下で抑えられていた裏の人間は活発になり、革新派の貴族も騒ぎ立て始めることは想像に難くない。


 連鎖的に問題は発生し、増々問題の着手どころではなくなる。

 そうなれば責任追及は免れないだろう。 ……レクスィオ殿下に攻撃が集中する。


 ……婚約指輪このサインだって。



 それらを想像したエルシアは自身の顔から急速に血の気が引いていくのを感じた。

 胸が痛い、手が震える。 さっきまで感じなかった寒気が全身に広がり、とても平常心ではいられない。



 「正解だよ、姉様。 そう……王様気取りで好き勝手やってるアイツに、責任と非難は殺到するだろう。 そうなるよう僕たち・・・も動いてる」



 カセイド殿下は膝をつき、伸ばされた手は私の頬に当てられた。

 


 「あぁ、いいよぉ。 姉様のその表情……最高だぁ」


 「……何故、それを私に教えるのですか」



 思うように声が出せない中、辛うじて出せたのはそんな虚勢にもならない小さな抵抗。

 カセイド殿下は考える素振りを見せ、そして思い出したように口にする。



 「いつも毅然とした姉様も綺麗だけど。 絶望して歪んだ顔も見てみたいから、かな」



 うっとりとした表情で頬を優しく撫でる様子に、もはや言葉が出ない。

 気持ち悪い……怖い、……同じ手でもリアと全然違う。 リアはもっと――


 するとそんな私を見てか、カセイド殿下は手を放して笑った。



 「ふふ、冗談さ。 ただ姉様には自分がどれだけ愚かな男に嫁ごうとしているのか教えたかったんだ。 ……忌み子の癖に、身の程知らずにも王の素質を持つこの僕に逆らったんだ。 ああ、あの銀髪の女も居たな。 これが終われば、あいつも僕の愛人にして徹底的にその身の程を思い知らせてやる。 ちょっと見た目が良いからって、所詮は婚外子じゃないか。 ……本当に、不愉快な連中――ッ!」



 気付けば私は、縄で縛られた手で器用にもカセイド殿下を叩いていた。



 「ふざけないでください!」


 「……は、え? 姉様……僕を、叩いた?」


 「何も知らない癖に……ッ、あの方がこれまでどれだけ努力を重ねられたか! 誰一人として味方が居ないあの王宮内で! 忌み子として侮蔑と嘲笑を受け続け尚、努力され続けて来たあの御方を! 素質を持って生まれ、ふんぞり返っている貴方が貶していい相手では――ッ」



 その瞬間、脳が揺さぶられるような衝撃に見舞われる。

 視界は暗転し、ぐらりとした感覚で平衡感覚が保てない。


 顔がジンジンとして、後頭部が痛い? あれ……? 私今、倒れてるの?



 「姉様だから一回は大目に見るよ。 でも自分の立場は弁えた方がいい、うっかりこれで傷付けたくはないからね」



 まるで水の中にいるかのように聴こえてくる声は籠り、脱力した体に力が入らない。


 何かを言っているカセイド殿下は手元で短剣を弄び、私に興味を無くしたような眼差しで振り返ると、背中を見せ扉へと歩いて行く。



 自分の意識が薄れていくのを感じた。

 ダメ……ここで気を失ったら、私は……まだ……


 抗い様のない脱力感に見舞われ、ぼんやりと広がる光景は徐々に黒く塗りつぶされていく。

 真っ暗闇の中、最後に思い出したのは――



 ……リ、ア。


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