第104話 波乱の幕開け、始祖の怒り



 明かされた理由、思ってもみなかったその内容にリアは一瞬硬直した。

 室内にはシーンとした静寂が広がり、向けられた黒い瞳と視線が交差する。


 脱獄? 逃げた? 誰が? カセイドが? うっそ~。



 様々なことが脳裏を駆ける中、リアはまず最初に思った疑問を口にした。



 「看守や見張りは何をしていたの?」


 「……皆、殺されてたよ。 いま王城内はその件で大騒ぎさ」



 深刻な表情で頭を左右に振るうレクスィオ。

 向けてくる視線やその声音からして、決して嘘や冗談ではない。



 カセイドの実力は知らないが、少し見ただけでもそのLVの低さは察しがつく。


 幽閉された時に見せた『火系統魔法』はお粗末の極みであり、階位は『中位』であるもののその熟練度は最下級レベル

 加えて身体能力ステータスや剣術に置いても、レクスィオには大きく劣っているように見えた。


 そんなカセイドが、魔封じの装飾装備アーティファクトで拘束された状態で脱獄となると、十中八九協力者がいたんだろう。



 「他の貴族たちはどうなったの? そっちも仲良く脱獄?」


 「いや、幸いなことに投獄した革新派の貴族達に変化はなかった」


 「そう、何でカセイドあんなの欲しがるのかしら? お世話でもする気? 気の毒な相手ね」



 リアは訳が分からない協力者の行動に本心から呆れ、近くのソファへと腰掛ける。

 すると、レクスィオは「いや……」とはっきりと否定の呟きを言葉にした。



 「そうじゃない。 カセイドの脱獄に手を貸したのは目的の一つだと思うが、本当の狙いは『紅玉』だったんだろう」


 「紅玉?」



 聞いたことのない単語にリアは思わず聞き返すと、レクスィオは想定していたように頷いて『紅玉』について話し始めた。


 ――『紅玉』。

 

 そてはクルセイドア王国を大国たらしめる、今尚歴史書に語り継がれている国宝の中の国宝。

 代々クルセイドア王家の直系血族しか扱えない代物であり、国を護る要でもある"対国魔導装備アーティファクト"だという。


 その効果や使用用途は多岐に渡るらしいがまず第一に、国の防衛に欠かせないものになっているらしい。


 王都全体を囲えるほどの炎の障壁や、丸々山一つ消し飛ばしたという疑似【最上位魔法】の様な攻撃魔法。


 過去には、国全体を呑み込む勢いだった大洪水を防いだという記録まで、残ってるみたいだ。

 そんな、超重要な国宝は僅か直径20cmも満たない、ボーリング玉と同じくらいの紅い球体という実体らしい。



 (前世ゲームの"国家クエスト"で出てきた、限定道具お助けアイテムみたいな感じ? 確かに効果は絶大だったけど、破壊や盗難でクエスト失敗して面倒だったのよね~。 ……ていうか普通、そんな重要な物ほいほい盗めるところに置くかな? 警備体制どうなってるのかしら?)



 前世ゲームでのことをぼんやりと思い出し、その国宝への危機的意識に絶えずクエスチョンマークを思い浮かべるリア。

 前世ゲームですら盛大なやらかしだけど、この場合現実なんだから尚更である。



 「国宝……ううん、聞いた感じそれより大事そうな代物だけど、盗まれるってどういうこと?」


 「私にもわからない。 本来『紅玉』は父上がお認めになられない限り、その保管場所や扱い方などは例え王族ですら秘匿されてることなんだ」


 「ん、それおかしくない? どうして無くなったとわかるの? 貴方は知らないんでしょ?」



 レクスィオの言葉に増々クエスチョンマークが浮かぶ。

 考えるのが段々面倒になり、ソファで寝っ転がるように姿勢を変えるリア。


 すると以外にも答えは簡単なもので返ってきた。



 「確かに私は『紅玉』の保管場所については知らない。 だが、その存在自体であれば城に勤めている者なら誰でもわかるんだ。 エントランスへ入る大門の前に、初代国王様の石像があるだろう? その手に持たれている松明の炎こそが『紅玉』の存在を証明をしているんだ」


 (え、あったかな? ん~そういえばあったような、なかったような? 正直あんまり興味ないし、憶えてないのよね)



 けれど、リアより確実にこの国や王城内について知っているレクスィオがそう言うのならそうなんだろう。 あれ、でも。



 「だが、カセイドが知る筈ないんだ。 父上を除いて唯一その場所を知る、王妃様が教えない限り。  ッ、まさか……教えたのか?」


 「教えても不思議じゃないんじゃない? それでも、健常な王様が認めそうな性格はしていないように見えたけど」



 何気ないリアの言葉にレクスィオは考え込むように黙り込む。

 そんな彼にゾーイは、執務室の外から引き継いだ書類の束を邪魔にならないよう差し出した。



 数秒の沈黙の後、書類に軽く目を通したレクスィオが「……また」と呟く。


 はっきりと聴き取れたその呟きが何を指し示した言葉なのか、リアは知りもしなければ興味もない為、高級ソファの感触を満喫しながら目を瞑ることにする。 すると。



 「リア、今日街に出ていた際、何か変わったことはなかった?」


 「……突然なに? 変わったこと? そうねー」



 唐突な質問に、微睡かけていたリアは瞼を瞑りつつも口元を動かす。

 陽光の下でのデート。 それなりに耐性があったとしてもやはり疲れるものは疲れる。

 リアは若干、睡魔を感じながらも意識の数パーセント程度を思考に割くことにした。



 「あっ、丁度ここに来る前、多分『蠍の尾スコルピオ』を服用してる獣人と会ったわ」


 「ッ……やはりか。 その場所はどの地区の辺りとか、わかるだろうか?」



 頭が少しクリアになってきたリアは気だるげに上体を起こし、視界に揺れる自身の銀色の髪をぼんやりと見つめながら考える。

 場所は覚えているが名前がわからない。 エルシアとデートした喫茶店は何て名前だったかしら?



 「場所……場所は大通りね。 ああ、貴方が使いを寄越した商店街よ」


 「商店街……わかった、後で騎士クレシャナに確認しよう。 それとすまない、リア」



 どこか言いづらそうな声音に、見れば常闇のような黒髪をこちらへ向けて惜しみなく頭を下げているレクスィオ。

 その態度と雰囲気、これまでの会話の内容からある程度察したリアはソファを静かに立ち上がる。



 「…………はぁ、いいわ。 でも明日からにして頂戴? 今日は疲れたから帰るわ」


 「感謝する」



 そうしてレクスィオとの話は終わり、リアは疲れは感じるけど眠くないという微妙な状態で屋敷へと帰ってきたのだった。


 職場から自宅までの通勤距離が僅か徒歩10分。

 【万能変化】を使えば1分弱というのはやっぱり素晴らしいものがある。 何故なら。




 「あぁ♪ お姉さまぁ、もっとお吸いになられないのですか?」


 「ふふ、じゃあもう少しだけ……はむっ」


 「んっ、えへへ……美味しいですか?  私 わたくしはお姉さまを癒せていますの?」



 耳元で囁くように蕩ける猫なで声を、吐息と漏らす最愛の妹。

 自身の首に噛みついたリアをまるで慈しむように両手で包み込み、恍惚とした表情を浮かべるアイリスは目をとろんとさせてその瞳に不安を滲ませている。



 「ちゅっ、……んっ、はぁ……最高よ。 アイリス」


 「まぁっ! よかったですわ♪ さぁ、遠慮なく私の血をお吸いになってください。 お姉さまぁ♪」



 至近距離で見つめ合うリアとアイリス。

 そのキラキラと煌めく瞳には不安の色はなく。 あるのは"もっともっと"という『健気』な感情に巧妙に隠された、貪欲な想いのみ。


 首に回された細い両腕からは、彼女の溢れんばかりの想いが自分にのみ向けられているとわかり、不思議と胸を高鳴らせ笑みを深めるリア。



 「それじゃあ、もう少しだけ頂こうかしら? ちゅっ♪」


 「んむっ……ふぁっ、んっ、……お姉さま、唇ではな――んんっ!?」


 「ちゅっ、はむっ……んっ、れろぉっ……ちゅ、……ぱっ。 だって欲しくなっちゃったんだもの♪ 自分の血の味はどうかしら?」



 唇から透明の糸を垂らし、舌でぺろりと掬いあげながら妖艶に見つめるリア。

 視線の先には淫靡な雰囲気を纏ったアイリスが黒ドレスを乱し、所々に白い肌を露出させて懇願するように見上げてくる。



 「あぅ……悪くはありませんが、やはり……お姉さまから頂ける唾液に勝る程のモノでは、ありませんわ」


 「あら? ふふ、嬉しいことを言ってくれるけど、ちょっと変態みたいよ? ほら、こっちを見て」



 吐息がかかる程の至近距離、太ももを交互に絡ませて密着する体のもちもちと柔らかな感触。

 紅と赤の瞳が交差し、徐々にその距離を近づけていく唇はやがてその間隔をゼロした。


 室内にはぴちゃぴちゃとした水音が漏れ響き、気分を昂らせる嬌声が耳元で絶えず響き渡る。




 リアが屋敷に戻った際、レーテの姿はまだなかった。

 どうやらレクスィオと話していた時間はそう長くはなかったようだ。


 ルゥとセレネは何故かアイリスのベッドでぐっすり就寝しており、その部屋の主人の姿は見えなった。


 仕方なくそこから近いエルフっ子のりりィの部屋へと訪れると、残念ながらまだその意識は回復していなかった。

 けれど一週間近く眠り続けているが、その体に影響を及ぼさないということは彼女の状態異常『自然同化』はマイナスの要素ではないのかもしれないと考えたリア。



 そうして残すところ自室だけになり、部屋に徐々に近づいて行くとなぜか部屋から嬌声の様な声が聴こえて来たのだ。


 それからはお察しの通り、私のベッドでエンジョイしていたアイリスに触発され、こうしてイチャイチャして現在に至る訳である。



 暗闇の中、はっきりとその頬を染め上げ潤んだ瞳で見詰めてくるアイリス。

 ベッドのシーツは乱れ、互いの服装ははだけてアイリスの大事な部分が見え隠れしている。

 もちろん、私のも色々と見えちゃっているんだろう。 さっきから視線が凄いの。


 (今日は長い夜になりそうね。 あれだけ疲れてたのに、こんなに元気になるんだもの。 きっと"アイリス"という名のバフにかかってるに違いないわ! 効果は『高揚』『ステータス上昇』『欲望の開放』かしら? それじゃあ本番を……ん? あら、どうやら帰って来たみたいね)



 アイリスのドレスに手を掛けた所で、リアはその反応を感知して動きを止める。

 リアの手がピタリと止まったことで、恍惚とした表情のアイリスはその顔に『?』を浮かべた。


 やがて室内の扉には聞き慣れたノックがされ、入室の許可を出すとゆっくりとその扉が開かれる。


 (ふふっ♪ レーテも帰ってきたことだし、今日は3人で楽しむのもアリよね! さぁ、早く入っておいで? レー……テ? ……は?)



 扉から入ってきたレーテを目にして、リアは思わず動きを止めてしまう。

 レーテの素顔は変わらず綺麗なままだが最近見慣れて来たアイマスクは外されており、身に着けているメイド服は所々が解れ、痛々しく破れ散っていた。


 腕や脇腹にかけては明らかに裂傷の跡が見られ、露出した肌は綺麗なままだがその周囲にはべったりと赤い血液が付着している。



 室内は二人のイチャイチャした匂いで籠り、加えてアイリスの出血によって血の匂いで満たされていた。 だから直ぐに気付けなかった。


 この微かな匂い、……レーテの血の匂いだわ。



 「お帰りなさい、レーテ」


 「ただいま戻りました。リア様」



 声音は至って普通。 表情もいつも通り無表情ではあるが、変わらず美しい顔をしている。

 しかし、そんなレーテは扉の前から歩み続けるとやがて、リア達のいるベッド前で跪いたのだった。


 その行動にリアは不思議に思っていると、アイリスは凍てつく様な眼差しでレーテを見下ろし始めた。


 (アイリス、もしかして怒ってる? 目が怖いよ? さっきまでの蕩けた猫のような貴女は一体どこへ?)



 「何があったの?」


 「襲撃を受けました。 ……申し訳ございません、リア様」



 まるで断罪の時を待つかのように微動だにせず、達観してどこか沈んだ顔色のレーテ。

 レーテのLVは40中盤。 この世界の基準で考えれば『英雄』を除いた一部の強者以外、太刀打ちすることができない程の実力者。 なら、何についての謝罪なのか。


 それはリア自身、彼女に任せた内容を考えると必然的に答えは出てくる。



 「そう……エルシアは?」


 「……」



 いつもの彼女であれば直ぐにでも返事を返してくる。

 だが、その視線はただ真っすぐに向けられ、沈黙を続ける口を一向に開こうとしなかった。



 「お姉さまが聞いてるのよ? 答えなさい、レーテ」



 アイリスの有無を言わさない鋭い言葉に、レーテは一拍間を置いてから話し始めた。



 「エルシア様は、拉致……されました。 襲撃者は10人ほど。 皆、黒い装束を纏う中、褐色の肌が何人か見えた様に思えます。 用いられた毒は主に『神経毒』と『出血毒』、エルシア様の護衛騎士もその毒により絶命致しました。 ……申し訳ございません、リア様。 この愚かで無能な私をどうか、貴女様の手で罰してくださいませ」


 (いや、いやいやいや! レーテは愚かでも無能でもないから! 貴女の存在にどれだけ癒されて助けられてると思ってるの!? 結構わからせてきたつもりなんだけどなぁ。 でもそれだけ、エルシアを私の大事な存在だと認識してくれてるってことよね。 ――褐色の肌……修羅の英雄を思い出すわね。 カセイドが脱獄してから起きたことにしてはタイミングが良過ぎるし、ほぼ同一犯……ううん、同一グループと思った方がいいのかしら? まぁ、その前に)



 背筋を伸ばして抵抗の意思を一切見せず、真っすぐとその赤い瞳を向けてくるレーテ。

 リアは無言でベッドから這い出ると、ぺたぺたと素足でレーテの下へと歩み寄る。


 そして膝をつき、同じ高さの視線になって見つめ合うと自然と微笑みが生まれてしまう。

 だからリアは、その傷ついてしまった体を抱き締めることにした。



 「それは嫌。 だってご褒美になっちゃうでしょう? そんなことより貴女が無事でよかったわ」


 「っ……リア、様。 私はっ……私は貴女様に救って頂いたというのに、まだ何一つとしてお役に立てておりません。 始祖という天上の存在にお仕えできただけでも、この上ない幸運だというのに。 ですから――」


 「うるさい」



 再生リジェネで外傷はなくても、染み付いた血の匂いから牙とお腹が疼いてくる。

 そんな中、体を激しく揺さぶるように動いて嬉しいことを言ってくれるレーテにリアはすかさず、その口に『血の試験管』を押し込んだ。



 「むぐっ。 ……んっ、んっ」


 みるみると試験管の中身を減らしていき、あっという間にその黒く濁った血を飲み干したレーテ。


 「どう? 美味しい? これは『不理竜の流黒血』っていうの。 あまり数はないんだけど今回は特別、頑張った貴女のご褒美よ♪」



 レーテはその瞳をとろんと潤ませ、口元を可愛らしく半開きにするとその表情を蕩けさせた様に放心してしまった。 どうやら刺激が強すぎたみたいだけど、その表情を見る限り満足していただけたようである。


 流石、愛竜ティーの最も濃い心臓の血ね。



 リアは渾身の愛を込めて、再びレーテを抱き締める。


 (ぎゅぅぅぅ! もう十分すぎる程に恩返ししてもらってるし、私が貴女を罰せられるわけないでしょ。 ……さて、私の大事な彼女を傷付けた挙句、絶賛口説き中の未来の恋人まで奪ったゴミはどう始末しよう)



 暖かな体温と小さな鼓動を感じ、抱き締めるレーテの頭をよしよしする。

 そして十分にレーテ分を補充したリアは立ち上がり、アイリスへと振り返った。



 「アイリス、今すぐ闇ギルドを集めてくれる?」


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