第103話 メイド様は終わりません



 「ふふっ♪」



 さざめきが聴こえる中、可笑しそうに口元に手を置き微笑むエルシア。



 「どうしたの? エルシア」


 「ええ……まさかあの時に出会った貴女と、こんな風に関係を築けると思いませんでしたから」



 そう言葉にしたエルシアは、それをまるで噛みしめる様にくつくつと笑い、テーブルのカップを口に含む。

 すると、そんな話に反応を示したのは隣に座るレーテ。


 アイマスクで目元は見えないが恐らくカップの中へ、視線を向けているのだろう。



 「あの時……」


 「そういえばレーテには話してなかったね。 エルシアと始めて出会ったのは私たちが聖王国へ向かう途中、海竜に襲われてた船の上なの」


 「そうだったのですね。 ……ああ、ですからリア様はあの時」



 レーテは微かに口元を緩め、何かを思い出したかのように頷く。


 多分、船の出来事を終えてから何も得られず徒労で終わってしまったリアを、慰めてくれたことを思い出してるんじゃないだろうか。



 「そう、結局手に入らなかったのよね」



 少し恥ずかしい思い出に苦笑が漏れる。

 しかし、あの気まぐれがあったから今こうしてエルシアと出会い、友人としての関係を築けていることに幸せを感じるリア。



 「お話を聞く限り、もしかしてレーテやリアの妹君もあの時近くにいらしたのですか?」


 「ええ、そうよ。 あの時は……――」




 群衆の目からエルシアを隠すように始まった屋根上での散歩。

 結局リアは欲望に勝てず、少し延長することになった散歩だったが、これが以外にも面白かったのだ。


 リアとしても、一カ月近く滞在していた王都内をはっきり見たのは今回が初めてで、スピードを緩めたことによってエルシア自身が楽しめる余裕も持てた。


 結果的に『屋根上散歩』は大成功といえるだろう。



 そうして散歩を楽しんだ後は少し休みたいというエルシアの提案で、ちょうど近くにあった彼女の知る喫茶店へと来たわけである。



 ここは庶民向けの喫茶店でありながら、一部の貴族も利用しているという知る人ぞ知る絶好の穴場らしい。

 その理由は入店して直ぐにわかった。



 個室がないのは残念だったが、その代わり座席の種類が豊富で、お店のナチュラルな雰囲気も気に入った。



 周囲を見渡せば木目調の内装や家具、所々に配置された植物やフラワーは長閑な自然が感じられ、とても落ち着ける環境が整っている。


 そして今、リア達が座っている席はテーブルとソファが1セットで置かれており、背後には仕切り眼前のガラス越しには王都の街並みが見渡せるという素晴らしいテーブル席だ。

 やはり公爵令嬢、庶民に扮してても常連ということもあって顔パスで高待遇。 いいなぁ〜。



 そんな寛げる空間、1つのソファを3人で座るとなると当然密着した状態となってしまう。

 さり気なく真ん中を手に入れたリアは、もはや空気を吸うかの如く、レーテの手を握りながらエルシアに体を預けることにした。



 (ここが天国! 探せば理想郷なんて何処にでもあるのよ! あぁ、至福の時ここに来たり……すべすべの肌、暖かな体温に小さな鼓動、それになにより……二人の絶世の美女! 溶ける、溶けちゃう~♪ うへへ)



 理性が溶けかけ、うっとりとした状態で体を預けるリア。

 もちろん、表面上は目を閉じて口元を緩めるだけに留めているが、内心は崩壊寸前――いや、崩壊していた。



 そんな数多くの理想郷の1つを満喫していると、仕切り越しに隣の声が聴こえてくる。



 「なぁ、そういえばあの噂聞いたか?」


 「噂? どの噂よ?」



 話していると思われるのは、若い男女の声。



 「そりゃお前、第二王子の噂だろ。 今王都じゃその話で持ち切りじゃねぇか」


 「あーそれなら、もちろん知ってるわ。 だって職場で皆その話をしてるんだもん。 嫌でも耳に入ってくるわよ」


 「ああ、第二王子は……カセイド殿下はヤンスーラと手を組んで、国を乗っ取ろうとしたらしい。 詳しくは知らねえけど、第一王子殿下が居て本当に良かった」


 「ちょ、あんた……言葉には気をつけなさい? でもそれには同意するわ。 レクスィオ殿下は本当に素晴らしい御方よ。 これは私の友人から聞いた話なんだけど……――」



 話は段々と遠ざかっていき、その男女がテーブルから離れたのを感知する。

 聞き耳は良くないらしいが、入ってきたものは仕方ない。


 目を開き、隣で静かに紅茶を口に含むエルシアをチラリと見る。


 私が聴こえたんだ、そっちに近いエルシアが聞こえないわけがない。


 非常に癪だが、仮にも婚約者であるレクスィオが民に親しまれ敬われているというのに、エルシアに反応はない。

 それどころか、まるで何かを考える様にその綺麗な目は外の景色へと向けれており、無言の時間が続いた。



 そうして暫くして、エルシアはこちらをチラリと見る。



 「リア、前から聞きたかったのですけど」


 「ん? 何かしら」



 何の質問だろうと、至近距離で真っすぐに顔を向けるとエルシアは途端に頬を染め、その目を慌ただしく泳がせ始めた。


 あっちへ行ってこっちへ行って、また視線を合わせる。

 口元をもごもごし始める様子に、少し前の儚げなエルシアの面影は微塵も見当たらない。



 「……リアは、その……えっと」


 「うん? なに?」



 まるで聞きずらいことを聞くかのような態度に、リアは思わずずいっと体を押し付ける。 超ド至近距離である。


 うわぁ……エルシアまつ毛長っ、唇もぷりぷりしてて食べたらさぞ美味しいんだろうなぁ。 食べちゃう? うん! 食べちゃおうか♪



 「……な、……ですか?」



 何かを言ってる気がするが、リアは気にせずその唇を凝視して顔を近づけていく。

 レーテの手を一時的に離し、エルシアへと迫るリア。



 「リアは女性が、……恋愛対象なのでしょうか?」



 文字通り、目と鼻の先にあるエルシアの唇。

 あと数センチというところで、エルシアの声が耳に木霊したリア。



 「? ええ、そうよ。 あれ、話してなったかしら?」


 「……やはり、そうですよね。 確かに今まで隠す様子もなく、スキンシップも些か過剰だとは思ってましたが」


 「ふふ、それは貴女を私のモノにしたいからね。 いつも言ってるでしょう? 貴女が欲しいって」


 「っ! そうっ……ですけど、まさか本当に伴侶としての意味だとは……。 でも、そうですよね。 リアは(吸血鬼)なんですよね」



 少し倒れ気味に身を引くエルシアと、まるで押し倒すようにぐいぐい迫るリア。

 二人の顔が至近距離で見つめ合い、エルシアはどこか納得したように頷く。



 「私って可愛い子と綺麗な子が好きなの♪ ああ、でも勘違いして欲しくはないのは、誰でもいいってわけじゃないわ。 私が気に入った相手、容姿はもちろん……性格や趣味嗜好、何より食指が動いた相手かしら」


 「それは……っ、彼女、レーテはどうなんですか?」



 視線を向けた先、そこには顔をこちらへ向け微かに首を傾げるレーテ。

 何故そんなことを聞いて来るのかわからないが、答えなど決まっている。



 「もちろん、愛してるわ。 心の底から♪」


 「私も、愛しております……リア様」



 リアのウィンクに対し、胸に手を当て自然で綺麗なお辞儀を魅せるレーテ。

 心なしか弾んだ声と柔らかな表情に、リアも心底嬉しくなる。



 「……では、リアは私を愛人・・として欲しいということですか?」


 (ん……? 愛人?どうして? ああ、恋人がいるからってことかしら。 エルシアを愛人にとか、身の程知らずにも程があるでしょ。 っというより!! 私は愛人なんていう軽薄な付き合いはしないわ!! 恋人にしたら誠心誠意、心から愛して一生を添い遂げる覚悟をお付き合いするもの)



 上目遣いに見詰めてくるエルシア。

 その揺れ動く瞳には、ありありとリアの真意を見極める様な観察の目が含まれてることに気づく。


 リアはエルシアの手をそっと引き、押し倒す形から同じ目線での対話を試みる。



 「違うわ、エルシア。 確かに私は括りとして『愛人』に近しい関係の相手はいる。 けれどそれは皆一生を添い遂げる覚悟を持って、本心から愛してる恋人達なの。 だからお願いエルシア、私を信じて?」


 「…………」



 両手を優しく包み込み、切なる想いでエルシアを見つめるリア。


 繋がれた手から伝わる暖かな体温や、微かな動きがやけに永く感じる。


 エルシアは数秒の間、リアと見つめ合う形で互いに向き合っていると、「わかりました」と言葉にした。



 「貴女を信じます。 少し、粗略な所はありますけど女性に対してはいつも親身に接してるのを見てきましたし、それに」



 言葉を不自然に切ったエルシアは、またもや視線を逸らし始め手元をもじもじとさせると頬をポッと赤く染める。



 「それに私も……リアのこと、とっても好きなんですよ?」


 「エルシアっ」



 真っ白な美女が上目遣いで、照れながら告白する様子にリアの理性が跳びかける。

 表情筋をこれ以上にない程酷使し、微笑む程度に努めて内心ガッツポーズする。


 しかし「……ですが」とエルシアが口にした途端、その表情がみるみると曇っていくことで先の展開を瞬時に察してしまったリア。



 「私はレクスィオ殿下の婚約者です。 そこに私の意志がないとしても、これは家同士のひいては王家と公爵家の古くからの取り決めなんです。 ですから……ごめんなさい。 これからも良き友人として、難しいでしょうか?」



 予想通りの展開に、いや予想通りだとしてもリアは直ぐに返事が返せなかった。

 何故なら――



 「…………ええ、わかったわ。 貴女を困らせたくはないもの」



 微笑みながらエルシアの言葉に頷くリア。



 ――沈痛な表情を浮かべるエルシアに、うっとりと見惚れていたからだ。


 (ただでさえ、儚げな雰囲気の美人がそんな表情しちゃうとかヤバイわ!! めっちゃ可愛い~! その顔だけで吸血3人はイけるわね。 えっとなんだっけ? 家同士の取り決め?婚約者? 知らない知らない、私は私が欲しいと思った相手は必ず手に入れるもの♪ 取りあえずは今回の依頼とユーエスジェの借りで"エルシア"を報酬として貰うけど、ダメそうなら強行して奪うわ。 世の中、綺麗ごとだけじゃやっていけないの)



 そんなことを考えて微笑むリアに、エルシアは思ってたよりすんなりとした返事に驚きつつ頷いた。



 そうしてエルシアはまるで未練を切るかのように、少々不自然に話を打ち切るとお店を出ることを提案したのだった。



 外へ出ればすっかり光景は変貌し、赤く燃えるような夕日が王都を照らしていた。

 喫茶店の前の通りは商店街が広がっており、入る時と同様に人で賑わっている。


 少し表情が暗いエルシアを見てリアはその手を引く。 もちろん、反対の手にはレーテの手だ。



 「ほら、暗い顔をしないの。 別に貴女が悪いわけじゃないんだし、今は命一杯楽しみましょ? せっかくのデートだもの」


 「っ、え、ええ……そうですね。 せっかくの"デート"ですものね」



 顔を上げたエルシアはその片隅に陰りを残しながらも微笑み、白い髪を宙へ靡かせた。


 (あぁ、もう堪らないっ! 愁いを帯びたエルシアも……とっても素敵♪ だってその表情をさせてるのは他の誰でもない、私でしょう? 大好きな私と一緒に居られない。 この先の自分の未来、不安と不満で本当に正しい選択を出来たか悩んでるから苦しんでるんでしょう? 可愛い可愛い可愛い!! あ~どうしよ、牙とお腹の辺りが疼いてきたわね。 我慢、我慢よリア♪)



 それからエルシアとレーテを左右に、3人で商店街を回ることにしたリア。


 3人とも絶世の美女であることから、視線を集めるのは仕方ないと割り切り、出店の串焼きやアクセサリーショップ、胡散臭い魔法石店や装飾装備アーティファクトのお店などを回っていく。


 すると気付けば、夕暮れ時だった周囲はすっかり夜の世界へと変わっており、心なしかレーテの活気が溢れてきてるように思えた。



 「そろそろ、良い時間帯かしら?」


 「あれ? もう……こんなに暗くなってたのですね、やけに見えづらい訳です」


 「リア様、どうなさいますか?」


 「そうね〜」



 喫茶店を出たのが遅い時間だったこともあり、商店街の散策は1時間ほどで夜を迎えてしまった。

 少しのんびりし過ぎたのかもしれない。


 今更後悔しても後の祭りではあるが、この後の流れをどうしようか周囲を見渡しながら考えるリア。

 すると、それは夜の視界を昼間以上に映す、吸血鬼の瞳に映り込んだ。



 「うぅ……、ぐぐっ……あ、あぁぁ」



 喧騒する商店街の中、まるでそれだけ切り取られたようにその男の唸り声が聴こえてくる。

 男は比較的近い路地裏からふらふらと出てくると、項垂れたまま覚束ない足取りで近くの人間――つまりエルシアへと近付いてきた。


 男の頭部には獣の耳が生えており、その汚れた服装は貧困層の獣人だとわかる。



 (獣人、挙動不審、貧困層。 ……最近どこかで聞いた特徴ね。 まさか、こんな所で出くわすなんて、ついてないわ)



 獣人は一歩また一歩とエルシアへと近付き、その手を無造作に伸ばし始めた。



 「リア? 何を見て……――っ!?」


 「うぅ……あぁっ、うがぁぁぁぁ!!」


 「ひゃっ」



 エルシアと一定の距離まで近付いてきた獣人は、まるで獣のように唸り声をあげ飛び掛かってきた。


 リアは瞬時にエルシアの前に体を割り込ませると、そのまま撃ち落とすかの如く、鋭い回し蹴りを放つ。

 男は空中で時計回りに一回転し、鈍い音と共に地面へとその身を打ち付けた。


 加減に加減を重ねた『撫でる』に等しい回し蹴り。

 恐らく死んではいない筈だが、骨の数十本くらいはイッてしまってるだろう。



 「……っ、あ、あれ……?」


 「ごめんなさい、少し考え事をしてて反応が遅れてしまったわ。 大丈夫?エルシア」


 「あ、……はい、ありがとうございます、リア」



 一瞬の出来事、時間にして1秒にも満たない時間で起きた一件だが、それは周囲の人間が1人気付いたことで波紋のように広がっていく。


 するとそんな中、人混みを押しのけて明らかにリアを目的として近付いてくる人間達を感知した。


 そして現れたのは、全身に鎧を纏い、如何にも騎士らしい風貌をした男――というより、王宮の騎士だった。



 「リア・ホワイト様とお見受けします」


 「ええ、そうだけど……貴方は?」


 「私はレクスィオ第一王子殿下の近衛騎士、クレシャナ・ムヒルと申します。 こちらを」



 男は倒れた獣人をチラリと見るが、それ以上の反応を見せずリアへと向き直る。

 差し出されたのは1枚の手紙。


 どうやら、ここで読めということだろう。


 送り主がレクスィオということで、どことなく面倒ごとを感じながら手紙の封を切るリア。



 そんなに長く内容を読み、盛大に溜息を吐いたリアはエルシアへと振り返る。



 「呼び出しみたい。 本当に、本当に残念なんだけど……また今度、続きのお誘いしてもいいかしら?」


 「……火急の用件なのでしょう? 私の事は気になさらず、どうか行ってきてください」



 直前であんなことがあったにも関わらず、毅然と振る舞い微笑んで頷いてくれるエルシア。


 彼女の両隣には、このクレシャナという騎士と一緒に合流した二人の護衛騎士が戻って来ている。

 二人は何やらリアへ物言いたげな視線を向けて来てるが、ちょっとよくわからない。


 リアは地面に倒れ伏す獣人を見て、一応は念には念を入れておく。



 「レーテ、エルシアを頼めるかしら?」


 「はい、お任せください」


 「ふふ、ありがとう」



 直立するレーテに歩み寄り、その身を優しく抱き締めるリア。

 慈しむように腕を回し、耳元に口を近づける。



 「貴女になら安心して任せられるわ。 お願いね、ちゅっ」


 「はい、この身に代えましても、無事に送り届けます」


 「ふふ、それはダメ。 といっても念には念を入れてるだけよ。 エルシアも大事だけど、貴女も大事なんだからね?」



 静かに頷くレーテに満足したリアは、彼女から離れて後ろ髪を引かれる思いで王宮へと向かうことにする。

 その時、再び振り返った騎士を見れば何故か気まずそうに目を逸らされたが、どうでもいいのでスルーする。





 そうして騎士の乗ってきたと思われる馬に乗って、王宮へと辿り着いたリア。

 本来なら、男の騎士と体を密着させて二人乗りなど論外なのだが、何やら急いでる様子をひしひしと肌で感じ、リアの能力はまだ明かせない事で仕方なく同伴することにした。 


 厩舎に寄るという騎士を置いて、若干不機嫌なリアはレクスィオの執務室をノックせずに開け放つ。



 「ちょっとレクスィオ、いきなり呼ぶなんてどういうことかしら? 敵が居なくなったことで増長でもした?」



 せっかくのデートを中断され、触りたくもない男との相乗りでそこそこに不機嫌なリア。

 そんな見るからに怒りを露わにした吸血鬼のメイドに、レクスィオは眉根を寄せて真剣な顔を向ける。



 「リア、単刀直入に話す」


 「?」



 いつもと違うレクスィオに、思わず口をつぐむリア。

 そして、その理由が明かされるのだった。



 ――カセイドが脱獄した。


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