第96話 吸血鬼と貴族邸の夜
死体の山には蛆が湧き、その周りには蠅が飛び回る。
埋もれた古いものに目を向ければ、薄い皮膚から骨を露出させており、それだけでもある程度の時間の経過が予想できる。
積まれた数や腐食、風化した状態から湿気の強い地下室を考慮しても1か月くらいだろうか。
つまり、檻の中に閉じ込められた者達は1カ月もの期間、それらを隣に生きてきたということ。
リアは自然と漏れそうになった溜息を内心で留める。
(……最悪だわ。 本当にうんざりするほど最悪。 あのまま悪臭に気付かず、証拠を出させて強制的に連れていっていれば。 こんな劣悪な環境に来ることも、不快な思いを抱くこともなかった。 あーー気分が悪い、最低で最悪、不愉快極まりない。 でも、なにより……こんな雑種が蔓延っている世界なんだから本当に救いがないわね)
同情する目で積み重なった死体の山を見つめ、隣の檻の中へと視線を移す。
リアは自分が愛している女性と気に入った存在以外、正直いってどうでもいい。
多少、優先度として超えられない壁の後に、女と子供がいるだけで根本的な価値観は変わらない。
だからといって何も感じないわけではない、不快なものは不快だ。
胸の内で沸々と湧き上がるものはこの惨状への憤りなのか、はたまた単純に不快なものを見せられて機嫌が悪いだけなのかわからない。
だが、この瞬間にリアの中で芽生えつつあるモノがあった。 それは。
『これら全ての原因となった根本的な理由、"人類種至上主義"の破壊』
未だ具体的な目処は立ってないが、それらを壊す為に動いてもいいんじゃないかと頭の片隅で考えるリア。
そんな無言のまま死体の山と檻を見つめるリアに何を思ったのか、黙り込んでいたケイトが突然に慌てふためき出す。
「ち、違うっ! わ、私は確かにこれらを買いはしたが、ここまでやったのはコイツだ!私ではない!!」
声を裏返しながら引き攣った顔で指を差すケイトに、隣の女はギョッとする。
「なっ何を言ってるの!? あ、貴方だって楽しんでたじゃない! 自分だけ逃げようなんて、そうはいかないわ! それにこの私がこんな薄汚い連中相手に、好んで会いに来るわけないでしょう!?」
「っ! お前こそ何を言っている!? 私が何時こいつらで遊んだというのだ? 証拠はあるのか? あの山に、私がやった証拠などないではないか!」
「証拠っ? それなら――「それに比べて! お前は一昨日だったか? 『人類種に生まれなかった貴方たちが悪い、私なら人類種以外に生まれたら自害するわ』とまで言って遊んでいたではないか」
「っ! 貴方だってッ――」
激昂した女が顔を醜く歪め口を開いた瞬間、悪臭漂う地下室へ轟音が鳴り響いた。
恐る恐る振り返る二人。
そこには虫を見るような凍てつく瞳で、二人を見るアイリスが壁に手をめり込ませ、パラパラとその残骸を地面へと落としていた。
「うるさい」
「「……」」
そんなアイリスとふと目が合い、途端に華やかな笑顔を魅せる彼女にリアもフード内で頬を緩める。
(気勢を削がれたわ。 どっちにしろこれらに未来はないんだし、できるだけ苦しめればそれでいい)
呆れを通り越して失笑するリア。
止めていた歩みを再会し、その後ろを青褪めた顔の二人が付いてくる。
数々の檻を通り過ぎ、視線だけが多く感じる広い地下室を歩いていくリア。
(女と子供ばかり……ああ、男はあそこで殺してたのね)
やがて行きつく地下室の最奥。
見事に拷問器具ばかりが置かれており、磔の椅子やベッドには血痕が残され、鉄の棒がさされた暖炉の横にはそれらしい道具が幾つも並んでいる。
そんな拷問空間とも呼べる場所の少し離れた所に、
リアは思わず足を止めてしまい、一周回って込み上げてきた笑いを含ませて振り返る。
「へぇ……貴方達、同族にも手をかけてるのね? 私達"魔族"よりよっぽど野蛮じゃない」
笑いを隠そうともせず、皮肉を込めて口にするリアに二人は目を逸らし地面へと俯く。
すると次第に女は肩を震わせ始め、我慢できないと言った様子で顔をあげる。
「っ! この私が魔族と一緒ですって!? 貴方、顔も見せられないような醜い魔族なんでしょうけど、一緒にしないで欲しいわ! 黙って聞いていれば、よくも魔族なんかと一緒にしてくれたわね!」
状況が見えていないのだろう。
女はリアへ詰め寄るとその醜悪な顔を怒りに染め、何も言わずに居ることをいいことに、好き放題言葉を並べ立て始める。
(さて、どうしようか。 心臓の音からして肉体は生きてる、でも中身がそうとも限らないわけで……一思いに全員殺してあげるべき? ああ、でもこの人間達は亜人達よりは扱いはマシみたいだけど、それでも十分に証拠になるか。 一応レクスィオの元に、ケイトと一緒に持って行くべきよね。 ――ていうかコレ煩い)
考えることが然程得意ではないリアが、必死に価値観を元にした上で考えているというのに、目の前ではヒステリックを起こした雑種が絶えず喚き散らしている。
「アイリス」
「はい、お姉さま♪」
リアが何かを考えて無反応だったとわかっていながらも、アイリスとしては心境穏やかではなかったのだろう。
それは喜々とした彼女の返事に、一体どれだけ我慢していたのかが垣間見え、リアは少し申し訳なく思う。
次の瞬間――
「あ、ああっぎゃぁぁぁああ!? ぁぁっ! 痛い痛い痛い!! 私の、腕がっぁぁぁぁああ!!」
アイリスは女の背後を取ると無造作にその腕を引き千切り、ゴミを見る様な眼差しで地面へ片腕を投げ捨てる。
屋内には許容しがたい絶叫が響き渡り、所々を汚水塗れにしてしわくちゃに顔を歪めた女が地面へと蹲る。
「うぐっ、ナンデ……? な、何が……うぅぅ」
嗚咽を漏らし、意識が遠のいているのか片言に呟き始める女。
そんな女の隣では、蒼白させた表情で蹲る女を見つめ続けるケイトが、何も言えずに只々立ち尽くしていた。
(「黙らせて」って意味だったんだけど……よっぽど溜まってたのね。 私もこの不快感をどう清算するか悩んでたから助かるわ。 あぁ、その冷たい表情も綺麗でとっても素敵♪)
思わず耳を抑えたくなったが既に遅い以上、クールなアイリスを見て癒されることにした。
そんなリアですら顔を顰めたくなる程の絶叫、檻の中ではどれ一つとして動きは見られず、只々空虚な視線が向けられるのだった。
やがて、嗚咽混じりにぼそぼそと呟く女の声だけが聴こえる空間へ、別の声が混じり出す。
「……あ、あのっ」
「っ?」
それは今にも、空気に溶けてなくなってしまいそうな幼くも掠れた声。
声のした方へ振り向くと、そこには誰一人として動きを見せなかった中、唯一鉄格子を掴みその目に生気を宿す少女が居た。
エルフの少女だ。
先程までは他の亜人達と同様、虚ろな視線を動かすだけだった少女が今ははっきりとその意思が現れている。
「あの、魔族……貴方は、魔族なんですか!?」
縋るようにその両手で鉄格子を掴み、必死な血相で見上げてくる少女。
元々は綺麗だったかもしれない金髪は艶が無くなり、毛先は所々が絡まり黒ずんでいるが、その瞳は先程までの濁った眼とは違う。
その目には意思が宿り、綺麗な黄緑色と色を失った灰色の瞳が真っすぐに向けられる。
(セレネに近い……ううん、少し年上くらい? いやそんなことより、どうして急に反応を見せたのかしら?)
リアは刹那の間に少女を観察し、内心で疑問を浮かべながらも口を開こうとした。
「あっ……ご、ごめんなさい。 ……助けて。 ここから助けてくれませんか! っお願いします、お願いします……!」
突然、怯えた様に口籠った少女だったが、それでも反射的に見せた反応より感情が勝ってしまったんだろう。
一度逸らした目を再びリアに合わせ、その目に涙を溢しながらも何度も何度も続けて懇願しだす少女。
そんなやせ細った今にも折れてしまいそうな少女にリアは膝を折り、その頬に手を添える。
「魔族と言っても、私は吸血鬼よ? 怖くないの?」
「……吸、血鬼っ。 あぁっ、怖くありません……怖いはずが、ありませんっ!」
「吸血鬼」という言葉に明らかな反応を見せ、その瞳により一層の涙を浮かべる少女。
そんな彼女に思う所がありながらも、リアは「そう」と短く返した。
(喜んでる? まるで長年待ちわびた相手と出会えたような、そんな感じの反応ね。 ……この子の状態はかなり酷いけど、周りと比べたら随分と拷問の痕が少ない。エルフだからかしら? なんにしろ、まだ精神が生きてるというなら他の亜人も確かめてみましょうか)
その後、リアは少しの間熟考すると再び立ち上がり、これからの事を考えて憂鬱な気持ちになり溜息を吐く。
するとリアが離れていくと察したのか。 慌てた様子で両手を伸ばした少女に、気持ちを切り替えてフードの中で微笑んで魅せる。
「少しだけ待ちなさい。 大丈夫、助けてあげるわ」
伸ばされた両手に手を添え、安心させるように摩ると優しい手つきでそっと離すリア。
(貴重なエルフ、それに磨けば光ると私の直感が言っているわ! はぁ……正直、いやかなり憂鬱だけど、それ1つ許容するだけで色々とすっきりするのは確かなのよね。 はぁ、こんな愚かな私をどうか許して欲しい)
決して軽視してるわけではない。
むしろリアの中では最高位に位置しているものと言えるが、考えた手段の中では最良であり、本人や今の状況、これからのことを考えると納得できないのは恐らく自分だけなのだろう。
リアは胸が締め付けられる思いでアイリスへと歩み寄り、――その横でケイトが女を介抱する姿を冷めた目で見ながら――抱き着いた。
「お、お姉さまっ? どうされましたの?」
「ごめんなさい、アイリス。 無力な私に少しだけ、貴女の力を貸してくれないかしら?」
消え入りそうな声で耳元で呟き、抱き締めた小さな体がビクッと震えたのを感じつつリアは言葉を続けた。
「ど、どうされましたの? お姉さまが無力だなんて、ありえませんわ。 一体どうされて――」
「貴女の血を、少しだけ分けて欲しいの。 1滴でいいわ……お願い」
「………へ?」
気の抜けたような可愛らしい声が耳に入るも、リアはそのまま言葉を続ける。
時間にして十数秒、文章にすれば2文で終わる言葉。
そうして事の全容を話し終えた時、アイリスは蕩けるような微笑みを浮かべリアを見つめていたのだった。
「そんなことっ――いえ……それ程大事に思って頂けてるということですわね。 もう、お姉さまったら♪」
アイリスの反応からして、予想通り自分だけが気にしてるとわかりながらも、やはり気が進まないリア。
しかしそんなリアを置いて、アイリスは怯えたケイトの元へと歩き出す。
「なっ……何をする? 何をするつもりだ!? 離せっ!」
「別にいいでしょう? あれ程、醜く擦り付け合ってた仲じゃない」
アイリスはケイトを無理やり引き剥がし、気を失っている夫人の首を片手で持ち上げるとその口元に一滴の血を垂らす。
すると夫人は唐突に藻掻き始めるが、途端にピタリと止まりやがてうんともすんともいわずに全身を脱力させる。
失ったはずの片腕は再生を始め、脱力させた身体は徐々に動きを活発化させていくと、再び開いた瞼には赤い瞳が浮き上がった。
――【中位眷族化】
上位吸血鬼であるアイリスの種族スキル。
成功確率はリアの【高位眷族化】より遥かに高い、50%だったと記憶してるがどうやら成功したみたいである。
そうして唖然としたケイトを置いて、アイリスは自身の眷族となった夫人に命令を下した。
本来であれば眷族といえ命令は絶対ではない。 多少の強制力があるだけで、意思力で抗うことは可能だ。
しかし、眷族となったばかりの一般人に等しい夫人では、アイリスの命令に背くことは不可能だろう。
アイリスが命令したことは1つのみ。
《解毒吸収》を使い、この地下にいる全種族の状態異常を全て消すこと。
リアがセレネに行ったことを、夫人がここにいる自身が見下していた種族の全員にするということだ。
夫人の苦々しくも歯を食いしばる様子から、抵抗の意思はあるようだが体が勝手に動いてしまうのだろう。
「犯した責任は自分で取るべきでしょう?」
アイリスは自身の眷属となった夫人に尚、害虫を見るような蔑んだ目で残虐に笑う。
悪臭の漂う地下室では、長期間に渡って身体を蝕まれてきた奴隷達の治療行為が、その元凶によって行われた。
十数人の奴隷たちが行われる中、まるでケイトは信じられないものを見るかのように両目を見開き、唖然としている。
「あ……あぁ、テイラ……こんなことが」
(あぁ、アイリスの貴重な血がっ、こんなことに……私のバカ。 あの女を全て終わった後に殺るにしても、まるで私の罪の形が二足歩行で動いてるような気分だわ。 いいや……そうさせたのは私なんだから、その血を無駄にはさせないわ!)
アイリスの貴重で尊い血を一滴、雑種に飲ます事をお願いしてしまった自分に腹が立ち、何ともやるせない気持ちを抱くリア。
だがだからこそ、せめてその機会を無駄にしないよう動きだすことに決める。
「ねぇ、選ばせてあげる」
「……な、なにをだ?」
夫人の件で、最大限にリアを警戒する様子を見せるケイトにリアは笑う。
「今ここで死んだ方がマシと思える苦痛を味わうか、王都で自ら自白して生温い監獄生活を送るか。 私はどっちでもいいわ」
血剣を瞬時に手元に作り、見上げてくるケイトの太ももへ突き立てる。
「ぐぅっ!」
「あの子達――世界に弾き出された種族同士のよしみで、私が勝手にお節介をかけてるに過ぎないもの」
そう口にしながら突き立てた血剣をぐりぐりと動かすリア。
しかし、その本音の大半はアイリスの血を使わせたことであり、お願いしたのは自分であっても大元のケイトが悪いと、怒りの矛先をさり気なく変えて甚振っているだけだった。
「うぐっ!? ……っ、自白する! 自白するから、っやめてくれぇ!」
「"する?" それじゃあまるで、私が強制してるみたいじゃない?」
ここで終えてしまったら、その後はクルセイドア王国に身柄が渡り以降リアは手が出せない。
ならばもっと報いを受けさせようと、更にその手に力を込めるリア。
「あがっ、ぐぁ!! しますっ、させていただきますぅ!!」
「そう? 残念。 そこまで自白したいなら王城の傍まで一緒に行ってあげるわ。 ああ、それとこれまでの商人との取引記録も全て渡しなさい」
突き立てた血剣を引き抜き、内心で割と本気で残念に感じていたリアは次いでと称して、本来の目的を忘れない。 アイリスの犠牲になった血の一滴の為にも。
だが当然のようにケイトは、そんなリアのさり気ない内容に疑問を持ったようである。
「……は? な、何故そのようなものを……」
「あら、当然じゃない。 私は私の生活を脅かした雑種を、苦しめる為にここまで来たのよ? もっと苦しんで欲しいのよ♪」
「…………」
絶句した様子で表情を凍らせるケイト。
ここで下手に思考を回され、万が一にも面倒なことに気付かれた場合を考え、リアは思考力を強制的に奪う為に追撃かける。
「この意味、わかるわよね。 それとも……やめる?」 ――【祖なる覇気】
効果の対象を眼下のケイトにのみ搾り、有無を言わさず『やめる?』を強調して発するリア。
ケイトは瞬く間に額から汗を吹き出し、全身をガタガタと震わせ始めると焦点が合ってない両目でぐらぐらと上体を揺らし始め、抗えない圧力に押し潰されたように項垂れる。
そうして空気の流れから口を開きはしているようだが、声が出ないといった様子で焦る気配が漂い始め、辛うじて小さく頷いたのだった。
(本当はもっと甚振りたいけど、やり過ぎると死んじゃうしね。 あとはアイリスの血を飲んだあの雑種と、奴隷達の今後。 それとエルフのあの子、かな)
フード越しに向ける視線の先。
そこには檻から解放された少女が治療を終え、先程よりも綺麗になった白い肌を見せて、その両手をまじまじと見つめていた。
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