第92話 始祖なメイドは弁えない


 透き通るような白い肌が目に映り、伸ばされた小さな指先をパクリと咥える。

 濃厚な血の味が瞬く間に広がり、もっともっとと求めるよう本能的に舌先を伸ばす。


 チロチロと傷口に沿って舌を這わせれば、止めどなく酔ってしまいそうな芳醇な血液が溢れだした。



(ふふっ美味しい~♪ あれだけ甘美な香りを放っていて不味い訳がないんだけど、これやばいわね。程よい甘味の中に濃厚な香りと酷、まるで香りをそのまま飲んでいるかのような抜群の浸透性に、一飲みする毎に心地良さを憶えてしまう中毒性のある血。あはっ、癖になっちゃいそう♪ それに……)



 リアは意識を口内から聴覚へ集中させ、傷口を慈しむように舌先で撫でる。



「……んっ、はぁ……はぁ、っ」



 一撫でする毎に、嬌声の様な熱を帯びた吐息を漏らすエルシア。

 そんな声に背筋をゾクゾクとさせながら吸血を止めるつもりのないリアは、血の味とはまた別の幸福感を憶える。



「……くぅっ、……ひゃ、ダメっ……んっ!」


(そんな反応されたら、止めるのは無理! もっと聞きたい、もっと感じてもっと貴女を私に魅せて? あぁ、その声……最っ高♪ でも、あんまり舐めすぎると傷口が広がっちゃうだろうし、そろそろ休ませてあげようかな)



 指先に舌を絡めるように巻きつけ、知らず内に吐息を漏らしてしまっていたリアは名残惜しい気持ちを堪えながら開放してあげることにする。


 口元から離れる指先には透明の橋がかけられ、徐々にその線は細くなっていく。



「……はぁ、はぁ……んっ。……やはり、貴女だったんですね?」



 抱擁の中で顔を離し、見つめ合う様な形で目を合わせるリアとエルシア。

 二人の鼻先は擦れ擦れの距離を保ち、少し近付けばキスが出来てしまうほどの超ド至近距離。


 熱い吐息からは甘い香りを漂わせ、恍惚とした表情ながらに強い眼差しで見詰めてくるエルシア。



「私としては、逃した血が自ら戻ってきてくれて嬉しいけど……どういうつもり?」


「え?」



 一度逃してしまった血を再度吸血できる機会に恵まれ、その味が期待していた以上の血だったのだから気分は最高潮に達していたリア。


 だが、それとこれとは話が別であり、彼女の危機感の足りなさにリアの心配度は極限まで高まっている。

 これがもし、どこの馬の骨かも知らない吸血鬼に同じような詰め方をしてその雑種にこの尊き甘美な血が貪られると思うと、やるせない想いで辺り一帯を火の海に変えてしまいたくなる。


 だからリアはその儚くも見惚れる程の美貌に愛おしさを憶えつつ、緩みそうになる口元を必死に抑えた。



「もう少し危機感を持った方がいいんじゃない? それとも、このままお持ち帰りされるのがお望みかしら? もしそうなら、喜んでそうさせて貰うのだけど?」


「え、まっ待ってください! 私は、ただ――」


「私はただ……何? 先に誘惑してきたのは貴女でしょう?」



 お互いの口が触れるか触れないかの距離、リアは瞳を覗き見る様にして言葉を遮る。


 すると事の重大さを理解したのか、もしくは今になって自身の行動を顧みたのか。

 エルシアは言葉を止め、意気消沈しかのように徐々にその顔を落としていく。


 そうして少しの沈黙が続き、やがてぽつぽつと呟き始めた。



「私はただ……貴女様にもう1度お会いして、感謝を……お伝えしたかったのです。 あの時、私とお父様……家の者共々お救い下さり、感謝申し上げま――んっ!?」



 徐々に顔を上げ、エルシアの綺麗な瞳が向けられた瞬間。

 リアは居ても立っても居られずその口を塞ぐ。



(あ……やっちゃった♪ ふふ、驚いてる驚いてる。あぁ幸せの味だわ、ずっとこうしてたい~! ん?この反応、もしかして……ファーストキス? え、レクスィオとは婚約者同士でしょ? もしかして二人にそういった感情はないのかしら? だとしたら……ふふふ)



 唇を重ねた瞬間、体の動きを急停止させてまるで彫刻の様に目を見開いたまま固まってしまったエルシア。

 リアは素早く次元ポケットから『中級HPポーション』を取り出し、その傷口に振りかけつつもはや癖になってしまっている舌を侵入ぎりぎりで押し止め、軽いキスで終わらせる。



 そうして数秒の後、初キス(?)を堪能したリアは唇を離して未だ呆けた表情で固まるエルシアを愛おしそうに見詰めた。



「感謝はいらないわ。私は私の目的があってついでに海竜アレをやっただけ、それでも感謝したいならそうね。時折、貴女の血を頂戴?」


「……血?」


「そう、貴女が確信を持って暴いた通り、私は吸血鬼だからね。それとも貴女魔族は嫌いかしら?」



 リアは自分のことを魔族とは思ってはいない。

 だが、この世界では吸血鬼は立派な魔族という枠組みに入り、人類種であるエルシアからしたら嫌悪や侮蔑、もしくは苦手な対象かもしれない。


 もちろん彼女の人柄や人間性を見た限り、最悪な返答は返ってこないと思うが、やはり直接聞いておかないと気になってしまうものだ。 なんていったって彼女はアイリス達を除けば、特別お気に入りな子なんだから。


 そう思い返答を待っていると、小さくも確かな声で「いえ、そんなことは」と言葉にするエルシア。



「私は魔族は低俗で野蛮、醜い姿も相まって神に愛されなかった世界の害悪。そう、周囲から教えられてきました」


(え……なにそれ? 洗脳教育か何か? ああ、これもヘスティナが言ってたアウロディーネアバズレのせいなの?)



 そんな教育ばかりが施されるなら『人類至上主義』なんて馬鹿げた思想が生まれるのも理解できる。

 むしろそんな環境下に身を置いていながら、そうならなかったレクスィオの様な人間の方が珍しい、いや異端だろう。 ディズニィは使える者は使う人間だから例外ね。


 そう思っていると、エルシアは「ですが」と言葉を続ける。



「貴女様に助けられ屋敷へ戻った後、あの海竜を退けた力が吸血鬼の扱う【血統魔法】だと知りました。吸血鬼、魔族の代表格とも言える邪悪な種族。人類種とは決して相容れることのない存在、なのに……――どうしてか、あの時の貴女様の顔が、頭から離れないのです」



(……ん? 私、いま告白されてる?)



 リアは自分が嫌悪の対象として見られてないことに安堵する――なんて些細なことは頭からすっ飛び、むしろ無意識に彼女の恋心を揺さぶってしまっていたことに気分を昂らせた。 どうやら酷い勘違いをしていたらしい。



「取りあえず、お付き合いしましょうか」



 満面の笑みを浮かべながら確信を持って、エルシアの頬に手を添えるリア

 するとエルシアはきょとんとした顔で目を見開いた。



「え?」


「え?」



 返ってきた反応は「はい」でも「YES」でも「喜んで!」でもなかった。


(あれ、今のそういう話だったよね? 「貴女の顔が頭から離れない」ってそういう意味じゃないの?)



 リアが内心で疑問に思っているとエルシアは数秒停止して、瞬く間にその頬を赤く染め上げる。



「え、あっ! 私ったら何をっ、その、だからっ……魔族への見方は変わりました。なので私の血を求められるというのであれば、死なない様に頂いてくださる分には構いません」


「……あぁ、それはもちろん♪ 少しだけよ、少しだけ」


(思わず出てしまった言葉、どうみても本心よね。……これは脈ありかな?)



 取りあえずは本人からの了承を得れた。

 それに期待していた言葉以上に嬉しいものを聞けたことで胸を高鳴らせるリア。


 そしてふと思い出す。



「ああ、それとレクスィオには――」


「はい、心得ております。殿下が貴女様を御側に置かれているのには何かご理由があるのでしょう? セルリアン家の名に懸けて、他言は致しませんのでご安心ください」



 理解している、そう顔に書いてあるエルシアは真剣な面持ちでリアを見詰めてくる。

 その言葉と表情には確かな重みがあり、信じても大丈夫だろうとリアが思った矢先。 エルシアは何やら言いづらそうな顔で躊躇いつつも口を開く。



「あの、ちなみに人類種を手にかけたりは……?」


「してないわ…………いまは」



 リアは平然と嘘をついた――が、規模が規模なだけにいずれ何処からか耳に入ると思い、速やかに修正する。



「「…………」」



 何とも言えない沈黙がこの場一帯を包み込む。


 数秒の後に、既に過去の事だと記憶の中から一掃するとリアはエルシアに手を差し出した。

 その手にエルシアは不思議そうに首を傾げ、宝石のような美しい瞳を向けてくる。



「今後、二人の時は私のことは名前で呼んで欲しいわ。ホワイトは借りてる名前だけど、リアは本名だから」


「っ……はい、わかりました。私の事も是非その時はお名前で、エルシアとお呼びください」



 胸に手を置き、軽く膝を折るエルシアは花の咲いたような微笑みでリアへはにかむ。

 その姿はまるで、陽光によって色とりどりに輝いてる庭園がこの時より一層に輝き、儚い彼女と美しい風景に幻想的な一枚の絵に見えた程だった。



 エルシアの目的であるリアとの話が終わり、レクスィオの命令通り彼女の迎えが待機してる場所まで庭園を並んで歩いていく。


 隣ではエルシアが庭園を眺めつつ微笑みを浮かべ、そんな光景に心が満たされていくリア。



「一応は謝っておくわ、レクスィオ」



 隣のエルシアには聴こえない小さな呟き。


 リアの頭の中では、今後どうやってエルシアを完全に自分のモノにするかで一杯になっており婚約者という関係などもはや些細な問題でしかなかった。


 仮に、二人の間にそういった感情があって、エルシアが悲しむというのならリアは血の涙を流し苦渋の決断で諦める……――なんてことはなく、強引に奪い取って堕ちるまで愛でるだけなのだが、そこも含めて今後の計画を練る必要がある。



 当然でしょ? あの時の出会いから偶然またこうして再会できたんだもの!

 その上、エルシアは私のことが忘れられないと言って私は既に自分のモノにする心構えが出来ている。

 これは運命というものね、約束された勝利の百合なの!!



 そんな始祖の思惑を知らず、隣で幸せそうに鼻歌を歌い始めるエルシアの姿を見て、リアは決定事項となってた想いをより一層に強めるのだった。





 そうしてリアがエルシアと関係を深め、一般的には友人ともいえる仲になった日から一週間。


 あれからリアは時折エルシアからお茶のお誘いがくるようになり、体裁を考慮してその会場はレクスィオの執務室になることが殆どとなった。


 最初の頃はそれでは仕事の邪魔をしてしまうんじゃないか、とエルシアはレクスィオを心配したが、当の本人は全く問題ないとのこと。


 まぁ、レクスィオは能力はかなり高い、いわゆるハイスペック男子だから大丈夫なんだろう。 正直、駄目だと言われてもするつもりだったので、彼の返答にあまり意味はない。



 そして突然仲良くなったことでその経緯を話す過程によって、結局レクスィオにはリアがエルシアを助けた正体不明の人物だとバレた。

 別に隠していたわけではなく、リア自身まさかこの国と関係している出来事だとは思っていなかったのだが、そういうことならと以外にも理解が早くそれ以上は特に言及されなかった。 理解が早くて助かるわ。



 あとは公爵、エルシアの父親についてだろうか。

 リアの記憶では海竜を始末した後、船の甲板でミミズのようにうねうねと這いずっていた記憶しかないが、どうやらその父親が私を探しているらしい。


 レクスィオに諸々の報告が遅れたのも、革新派と断定できなかったのもあるみたいだが、公爵がリアの情報を集め回っていたというのも理由として十分にあるとか。



「それでは、私はそろそろお暇致します」



 限りなく小さな食器音を鳴らし、カップをソーサーに戻しながら正面に座るエルシアが立ち上がる。



「ええ、護衛に些か不安が残るけれど以前よりはマシになってたし、私が直接送れればいいんだけどね。今はなるべくレクスィオコレから離れられないから、気を付けなさい」



 リアは自分達から少し離れた執務机に座るレクスィオを横目に、エルシアへ向けて手を差し出しながら扉まで一緒に歩く。

 後方から「コレ……」と呟くような声が聴こえたが、恐らく気のせいだろう。



 エルシアは業務を行っているレクスィオに目を向け、邪魔をしないよう控えめに退出のカーテシーを行うと、未だ慣れない様子で照れたようにリアの手を取る。



「ふふ、吸血鬼あなたに心配されてると思うとまだ慣れませんね。とても不思議な感覚です」


「綺麗な子、ましてや貴女を心配するのは当たり前でしょう?」


「まぁっ! ふふ、リアに言われるとなんだか恥ずかしい。だって私なんかよりずっと……」



 そう言って苦笑するエルシアにリアは内心で首を傾げながら、その綺麗な手を持ち上げて息を吸うかの如く自然と指先を咥える。


 ここ数日間、毎日別れ際に行う私への感謝を利用した吸 血アプローチだ。



 始めて2,3日程は緊張や羞恥心などがその顔に見えてたけど、今はある程度慣れてきたのか、口元を抑えながら羞恥心で潤んで瞳を向けてきてくれる。


 そうして極少量の血を頂いたリアは満足してエルシアを開放すると、火照ったように顔を赤ら半放心状態となった彼女をゾーイに頼み、二人が退出するのを見送るのだった。



 先程までとは打って変わって静かになる室内。

 そこでは机上の書類に羽ペンを走らせる微かな音だけが響き渡り、リアはソファへと座るとレクスィオへ顔を向けた。



「羨ましい?」



 ニマニマと口元を歪め、反応を楽しむように問いかける。

 そんな彼女にレクスィオはチラりと目を向けると、一拍置いて盛大に溜息を吐き出した。



「はぁ……前にも言ったと思うが、私とルシーは婚約者ではあるがそこに恋愛感情などない。だからその挑発に意味はないぞ、というか君は女性だろう? スキンシップは些か行き過ぎな気がするが、夜を共にするというのでなければ問題はない」


「ふ~ん……吸血行為に関しては何も思わないの?」


「彼女が了承した上で君に血を差し出しているのなら、それは私が口出しすることじゃないだろう。 だが君から血を差し出す行為だけは、絶対にやめてくれ」


「眷族のことは知ってるのね。安心して? やらないわ。エルシアが死んじゃうのは嫌だもの」


「……そうか」



 感情の読めないレクスィオの頷きに、リアは興味を無くして最高級ソファへ寝そべると瞼を閉じる。

 すると椅子の引かれる音が聴こえ、コツコツと踵を鳴らす足音が近づいてきた。



「慣れてしまった自分が怖いが、君は侍女だろう?」


「ええ、貴方のメイドですよ? 殿下」



 おどける様に微笑みながら言葉を返すリアに、レクスィオは呆れた様子で小さく溜息を吐く。

 もはや慣れたといった様子で正面のソファに座るレクスィオ。



 そんな時、リアはふと思い出す。



「あーそうそう、明日から数日間別の護衛をつけなさい」


「メイドはどこいった……んんっ、それは構わないが、何故だ?」



 当然の疑問ではある為、リアは隠すことなく即答する。



「ミシス家を見に行こうかなって」


「っ、…………そうだな。頼めるか?」



 驚いた反応は見せたものの少し悩んだ末に頼むということは、レクスィオも元々そのつもりだったのかもしれない。



「ええ、私も早くこんな事終わらせたいの。直接始末できたら……すぐに終わるのに」



 以前にレーテから預かった薬の分析や解毒剤に関しては未だ難航しているみたいだが、先週の毒殺未遂に関しては直ぐにあの二人は口を割ったらしい。


 どんな尋問をしたか知らないけど、やっぱり革新派の貴族が絡んでいるみたいだ。


 名前の出た貴族にミシス家はなかったようだが、同時に多方面からカセイドを攻撃できるのは失脚させるのをより有利に進められるとレクスィオは言った。 だから、つい本音が漏れ出てしまったのだ。


 そんなリアの呟きにレクスィオは眉を潜め、小さく言葉にする。



「……すまない」



 責めるつもりで言ったわけではないが、その声音から伝わってくる感情にリアは髪をかき分けながら、若干居心地の悪さを感じつつ首を左右に振るう。 この依頼を受け最終的に選んだのはリア自身なんだから。


「言ってみただけ、謝らないで。明日には発つわ」



 リアはソファから立ち上がり、部屋の前に戻って来たであろうゾーイの元へと向かう。

 扉を開け、中へ招き入れると入れ替わり際にその頬に手を添えた。



「またね、ゾーイ」


「あ、ひゃいっ、お気をつけて!」



 可愛らしく瞬時に沸騰したゾーイの様子に、リアは微笑むと執務室を後にする。

 そうして部屋を退出したリアは明日の――いや、今夜の準備も含め屋敷へと戻ることにした。

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