第91話 メイド様とお嬢様の攻防
場は静まり返り、誰もが目を見開き呆気に取られた様子で停止している。
そんな中、リアは高い身体能力のおかげで侍女を拘束するのは苦ではないが持ちにくいことに代わりはない為、異常に甘ったるい臭いを放つティーポットをテーブルへと置いた。
コトンッと乾いた音が空間に鳴り響き、我に戻ったレクスィオはその目を震わせた。
「リア? 突然何を……」
「申し訳ございません、毒の臭いがしましたので」
「毒だと!?」
「はい、このポットをお調べになればすぐにわかるかと」
『だから何時までも呆けてないで動きなさい』という意味も込めて、レクスィオを見詰めるリア。
すると彼もすぐに状況を呑み込んだのか、後方へ控えている数人の護衛騎士と侍女を呼び寄せ始めた。
まぁ、時間にして5秒に満たない出来事でレクスィオは十分に早く持ち直したともいえる訳だが。
流石、暗殺回数20回、いやこれで21回の大ベテランである。
(誰の仕業かしら? 直前まで第二王子と革新派の話をしていたからそっちに思考が寄っちゃうけど、レクスィオを狙ったもの? それともエルシア? もし彼女を狙ったものなら……いや、今はまずこっちね)
毒殺を企てた侍女は護衛騎士に引き渡し、一応は
――っとその前に、逃げた
怯えた姿もとっても素敵! その透き通る肌の下に流れる血は、一体どんな味がするのかしら?
「エルシア様、お怪我はございませんか?」
「リア様……はい、私はなんとも。毒を……盛られそうになったのですよね」
あぁ、その表情……本当に反則だわ。
綺麗な瞳をうるうるさせて、恐怖を感じてる筈なのに表に出さまいと必死に耐えるその表情っ。
私ってサディスティックな一面でもあったのかな? ううん、この子限定な気がする。
「そんな顔を見せられたら、答えづらいです。ですがもう大丈夫ですよ、私が守りますから」
少し臭い台詞かと思ったけど、正直な気持ちなのだから仕方ない。
そう思って口にすると、エルシアはポカンとした表情でリアを見上げる。
「……貴女は、いえ、大丈夫です。もう落ち着きましたから。それに、
エルシアは何かをグッと堪えると、強がっているというのはわかる表情で挑戦的な目を向けてくる。
何か含みのある言葉にリアは内心で首を傾げたが、それ以上に守ることを遠回りに拒絶されたことで多少のショックを受けていた。
だが、そうも言ってられない状態で思い出したようにリアはその場を立ち上がると、一言「ざんねん」と呟き、侍女と護衛騎士に指示を出すレクスィオの元へと向かう。
「殿下、少し席を外してもよろしいですか」
「? ……ああ、許可する」
「ありがとうございます」
レクスィオは最初こそ何を言っているといった様子で首を傾げるものの、何かを察したように重々しい顔で頷く。
そんな察しの良いレクスィオに満足はするも、やはり体制を守る為の順序は面倒だと内心で愚痴りながらリアは王宮へと歩きだす。
(さて、鼠は何処に逃げたのかしら? アレが第二王子の直轄とかで、このままカセイドの元に行ってくれるとかないかなぁ……まぁ、希望的観測よね)
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王宮の通路を素早く競歩し、あの場を1秒でも早く出来る限り離れようとする侍従の男。
屋内は特段暑いわけでも日光が強いわけでもないのに、男の額には汗が滲みその服装は僅かに乱れている。
通り過ぎる侍女や侍従、貴族までもが不思議そうに視線を送り、中には不快感を露わにして眉を潜める者も見えた。
落ち着かなればいけない、そんな事はわかっている男だったが現状そうも言ってられなかった。
通路を進み何度目かの角を曲がる、そして周囲を見渡し誰もいないことを確認すると男は躊躇うことなくその中へと入っていく。
ここは普段使われていない旧倉庫として残されている部屋で、使用するのはあの御方にお仕えしている者達が主だった。
乱れた息遣いをものともせず、扉の鍵を掛けると部屋の奥へ焦燥した面持ちでドカドカと歩きだす。
「はぁ……はぁ、なんだ?何が起きた?」
男は無意識に顔を覆うように手を置き、先程眼前で起きた光景を思い出す。
見慣れない侍女。
陽光に反射してキラキラと輝く銀髪が特徴的な碧い眼をした女。
あの優れた容姿では姫と言われた方が納得するが、少なくても野蛮なこととは無縁に生きてきた貴族のお嬢様と見て間違いない。
だから計画に影響はなく、むしろ新人が専属などやりやすいと男は思った。
だが、成功を確信しても手を抜くつもりはなかった。
事前に潜り込んでいたあの女にはギリギリまで薬を持たせずにいた。
何処かしらの呼ばれたタイミングで薬を渡し、第一王子、ついでに公爵令嬢をやれれば保守派の筆頭である公爵にも打撃を与えられ、第一王子派は大きな亀裂をつくる筈だったのだ。
――だというのに。
気付いた時には潜入していた女が宙を浮き、まるで時間が飛んだように次の瞬間にはあの侍女によって無力化されていた。
「なんなんだあれは……残像すら見えなかった。だが間違いなく、あの女が紅茶を何らかの手段で弾きやがった。 まさか……英雄か? 第一王子が英雄の女を侍女にしたとでも言うのか? あり得ないだろう!そんなこと!!」
男は地団太を踏みながら頭を掻きむしり、想定外の事態に頭をフル回転させる。
「どうするどうする、どうする!? ……いや、先ずあの女のことをあの方に――」
「あの方って、誰のこと?」
「!?」
自分一人しか居ない筈の部屋。 鍵はかけ、追跡には細心の注意を払った。
男は恐る恐る声のした方へ振り返ると、そこには悩みの種であるいる筈のないあの侍女が、まるで面白いモノを見るかのように口元を歪めて突っ立っている。
「な、なんで……
「……」
動揺によって思わず漏れ出てしまった言葉。
それと同時に、何かあった時でもすぐに対処できるよう、袖に潜ませた毒付き短剣の先端を空気に触れさせる。
すると目の前の女は黙り込み、何かを憐れむように眉を潜めると今度は不快気に蔑む視線を向けてきた。
その表情から何を考えているのかは不明だったが、バレてしまった以上は俺の手で殺るしかない。
額に汗が滲み、踏み込む為の足に力が入る。
そして一回の瞬きをした瞬間、…………メイドが消えた。
「っ、ぐはっ!!?」
突然に訪れた衝撃は抗いようのない力で足が宙を浮き、視界が揺れる中一瞬にして意識が刈り取られる。
辛うじて見えたのは銀色が宙を舞い、室内の壁の破片が飛び散った光景。
右、左、っとバウンドするように2度の衝撃が体を揺らし、重力に従うがままに地面へ倒れていく男。
(何が、起こって……? 俺は、蹴られた……のか? やっぱりこのメイドは、英……雄)
「……わかってはいたけど。こんなのに見下されるなんて大変ね、王子サマ」
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それからリアは気絶した男を連れてレクスィオの元へと戻ってきた。
その際は王宮内は通らず、人目に付かない王城の屋根を通って移動してきた。
男嫌いのリアは男の襟元を掴み、揺れる度に変な方向に曲がった腰と腕がくねくね動き回ってなお一層に気持ち悪かったがそこは我慢した。
そうして毒を盛ろうとした侍女と男は拘束され、背後関係の尋問をこの後すぐに行うということでレクスィオが護衛騎士を引き連れ、王宮内へ戻っていった。
本来であればリアもそれに同行する筈だったが、突然のエルシアの進言によって不要となった。
リアとしては渡りに船であり、エルシアと関係を深めたいと思っていたことから大歓迎である。
しかし、仮にも暗殺されかけた直後で自分が離れてしまって大丈夫かと米粒ほどの心配をしたリアだったが、レクスィオの周囲を固める複数の護衛騎士を見て「まぁ、大丈夫か」と自身の欲望に従うことにした。
去り際に振り返り、レクスィオは1つだけリアに命令を言い残す。
『私は先に行く。リア、彼女との話が終わったら見送りをしてから戻ってきてくれ、頼んだぞ』
そこまで言われてしまったら仕方ない!
私が安全に安心して帰路に付けるよう、見送りをしようじゃないか!
そう意気込んで離れていくレクスィオを見ていたが、リアの思い違いで正体を暴露すれば目も当てられない。 取りあえずは、第一王子の専属侍女として付き合うことに決めたのだった。
その場にはリアとエルシアの二人だけが残され、シンと静まり返った空間で陽光が周囲を照らす。
すると突然、『庭園を見てもいいですか?』とエルシアは言葉すると二人は
(はぁ……やっぱり綺麗な髪ね、触ってみたい~! 身長は私と同じくらい? 前に抱き寄せた時はほとんど目線が同じだったし、恐らく年齢も十代後半よね? アイリス達とは年齢も身長もかけ離れてるけど、エルシアは色々と近いものがある。う~ん!正体がばれても良いから吸血とかキスしたいわぁ! そういえばこれ、何処に向かってるのかしら?)
目の前を歩くエルシアに視線を向け、溢れんばかりに妄想を膨らませるリアはふと周囲を見渡す。
それなりに歩いたこともあり、王宮からは離れ周りには人の気配は感じられない。
『庭園を見たい』と言ってはいたが彼女の目は庭や花には向いておらず、ただ真っすぐに黙って小道を歩き進んでいく。
(これはやっぱり……そういうこと? いやいや、でもまだわからないわ。もしかしたらメイドとしての私に興味があるだけかもしれないし、彼女の意味深な態度は私が見せてる願望や欲求の顕れかもしれないもの。だから、とりあえず様子見ね)
そう内心で決めると突然、前を歩いていたエルシアがピタリとその足を止める。
漂わせた雰囲気から何か話があるのは明白であり、それを何処か楽しみに胸を高鳴らせ期待している自分を自覚したリア。
背中を向けたままエルシアは大きく肩を揺らし、深呼吸をするとゆっくりと振り返る。
「単刀直入にお聞きします。貴女は、あの時の吸血鬼ですよね?」
(あ、やっぱりバレてるー。さてどうしよ、白を切る?それともカミングアウトして襲っちゃおうかしら? いや、カミングアウトはまだ時期尚早かな。まずは彼女の目的を知らないと明かすに明かせないもの)
確信を持った様子で、緊張しつつも真剣な表情を向けてくるエリシア。
そんな彼女の美しい顔に見惚れながらも、リアは貴族令嬢でありメイドである自分を演技することに決めた。
「何を仰っているのですか? 私はご紹介させていただいた通り、由緒正しきホワイト家の娘です」
自分でも何を言ってるかわからない。
由緒正しきって何?と内心思いつつも演技するリアに、エルシアは苦虫を噛み潰したような表情で首を振るった。
「……ホワイト家にご令嬢はいません」
「それは私が最近になって、子爵様に見つけて頂いた婚外子だからです。ですからエルシア様が知らないのも――」
「いいえ、貴女はホワイト家の婚外子などではありません。ましてや……人類種でもありません」
言葉を強引に遮り、その表情や警戒する雰囲気から少なからずの恐怖を憶えている筈のエルシアは気丈な振る舞いで断言する。
そんな彼女の姿を美しいと感じ内心で感嘆を漏らすリアは、どうしてそこまでして正体を暴こうとするのか疑問に思う。
(綺麗で可愛いくて物腰も柔らかい上に度胸もある、エルシアは素敵な女性だけどこの恐れを知らない危うさは危険ね。ううん、彼女の反応からしてそれは覚悟しているのかな? 危険だと、無謀だとわかっていながらも私の正体を暴きたいってこと? 何が貴女にそうさせるのかしら? 私が悪意ある吸血鬼だったらどうするつもりなの?)
宝石の様な綺麗な瞳を真っすぐに向けていたエルシアは、思考しながら話すように段々とその視線を地面へと落とし、力んだ両の手は徐々に力を抜いていく。
「なぜ昼間の時間帯から活動できて瞳の色が碧いのかはわかりません。ですが、貴女は間違いなくあの時の方です」
「……何を言って。私は――っ」
目的が分からない以上、明かすに明かせずとぼけようとするリア。
しかし、目の前の光景に思わず開いた口を止めてしまう。
眼前には、一本のケーキナイフを手に持ったエルシアの姿。
取り出して構える前に奪うことも十分に可能だったにも関わらず、彼女の思いもよらない行動に反応が遅れてしまった。 いや、見逃してしまったというべきか。
(それで私を殺すつもり? そんな玩具で殺れないことくらい、海竜の時に見ていたエルシアならわかると思うんだけど。……何をするつもり?)
リアは只々そのケーキナイフに目を向け、ぼんやりと雲を眺める心境で成り行きを見守ることにする。
当然だ、自分にとっては凶器にも脅威にもなり得ない。 警戒しろっていう方が無理がある。
するとエルシアはあろうことか、そのケーキナイフを自身の指先に押し当てる。
「え? ちょっ、何やって」
カタカタッと音を鳴らすようにケーキナイフを持った手は震え、その表情からも恐怖を抱いているのは明確だ。
だというのに、押し当てた切っ先は離すどころか、段々と喰い込ませていくエルシア。
「うっ、ぐぅぅ……っ、はぁ……はぁ」
刃先部分が白い肌に食い込んでいき、ツーっと赤い液体が溢れだす。
すると血の匂いが瞬く間に周囲へ充満し、そのままリアの鼻腔へ届くと先程まで何ともなかった食欲は、沸々と本能に語りかけ牙を疼かせ始める。
無意識に喉を鳴らし、それでもリアは目の前のお気に入りの娘から目が離せなかった。
「はぁ……ぐっ、……これで、どうですか?」
「……っ、そんなもの、早く止血を」
(めっちゃ良い匂い! うぅ、舐めたい吸いたい噛みつきたいー!! この匂い、アイリスとは違った甘くも澄んださっぱりとした匂い! どんな味がするのかしら? どういう効果を齎すのかしら? あぁ……でも我慢、我慢よリア。 まだバレるわけには)
本能と理性が荒れ狂い、自分が何故我慢しているのか何を躊躇っているのかわからなくなってきたリアは、その目を血を滴らせ差し出すように向けてくるエルシアの指先へ固定する。
すると「うぅ、……えい!」と声が聴こえた時には、暖かく柔らかい感触と共に血の匂いとは別の甘い香りがリアの体を包み込んでいた。
「っ!?」
本来なら簡単に避けられた抱擁。
しかし、動揺と混乱、思考が目まぐるしく移り変わり何より本心では避けたくないと思ってしまった。 欲望に忠実になれば、その先はどうなるか目に見えている。
少し息苦しくなる抱擁に加え、両手を首の後ろに回したエルシアはあろうことか出血させた指先をリアの頬のすぐ傍へと漂わせた。
(本当に公爵令嬢? なんでそんなに暴きたいの? ていうかレクスィオがちゃんと話していれば、こんな面倒なことには)
「吸血、しないのですか? まだ……白を切るおつもりですか?」
耳元で囁かれる吐息混じりなウィスパーボイスは瞬く間に脳まで響き渡り、くらくらしてしまいそうになる血液と薄めの香水の匂いはリアの理性をこでれもかと削ぎ落しにかかる。
そこへ更に、追撃とばかりにぎゅうぎゅうと押し付け合う胸元は形を変え、下着の中まで影響を及ぼし始めた。
「私はどうしても……もう一度あの時のお方に、お会いしなければ行けないんです。 だからお認めください、リア様っ」
「っ…………はぁぁぁ。貴女、本当に貴族のお嬢様?」
その瞬間、リアの侍女モードは完全にオフとなり素のリアが表に顔を出した。
気分はもう、どうにでもなれといった心境である。
待ち望んでいたものであったが、突然変化するリアに対してエルシアはきょとんとした顔を浮かべる。
「……え?」
「誘惑してきたのは貴女よ? せっかくあの時……見逃してあげたのに」
リアは自ら飛び込んできてくれた獲物を逃がさないよう、ゆっくりとした手つきでエルシアの体を這わせ抱き締めると妖艶な笑みを浮かべる。
獲物を捕まえたのなら、あとはじっくりとそれを味わうだけ。
頬の直ぐ側で未だ血を垂らし、まるで果実のように赤い液体を実らせたそれをリアはパクッと口に含ませるのだった。
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