第90話 待望していたメイド様
庭園までの通路。
コツコツと音を鳴らし歩くレクスィオとそんな彼に付き従うメイドのリア。
瞬間的に、脳裏には誰かの姿が過った気がしたリアだったが、まるで雲を掴んだかのように霧散し次の瞬間には消えていってしまった。
(もやもやするなぁ……はぁ、でもまぁもうすぐ会えるみたいだし。何処かで会っているというなら、自然と思い出すでしょ)
何かきっかけがあれば直ぐに思い出しそうなことから、納得はしていないが致し方ない。
そう思ったリアはいつ見ても、綺麗な彫刻や調度品が飾られている赤絨毯の上を歩きながら向かい側から知らない男が歩いてくるのが視界に入った。
どうやら、向こうもこちらに気付いたようだ。
……今、あからさまにレクスィオを見て眉を顰めたわね。
ソレは一目で分かる程でっぶりとした体形をしており、裾からはみ出した顎肉はどれだけ立派な装いをしていても衣類に着られているといった印象は否めなかった。
男はわざとらしく『今気づいた』といった様子で足を止め、その目に蔑みと嘲笑を含ませながら道の端へとノロノロと寄っていく。 そうして不格好な姿勢で頭を軽く下げた。
そんな貴族の感情に、当然気づいているであろうレクスィオは顔色一つ変えずに目の前を通り過ぎる。
【戦域の掌握】では案の定、レクスィオが通り過ぎた瞬間には頭を上げ、そのねっとりした視線が
「……不愉快な豚」
思わず漏れ出てしまった言葉にレクスィオは苦笑した様子で肩を震わせる。
「言葉遣い……。もう慣れたさ」
「そう。これから会う婚約者とやらは大丈夫だといいけど」
ここ数日間、見てきた貴族達の反応を思い出し、少しの同情を滲ませて呟くリア。
もちろん、出会った貴族全員がそんな態度を取る訳でもなかった。
だが、カセイドを支持するいわゆる『革新派』の貴族達は皆分かりやすいほど、態度や目つき話し方からレクスィオを見下しているのが、ありありと伝わってくる程だった。
見ているリアが不愉快に思い、人目のない所で処理するか真剣に迷ったくらいだ。
そんなある種のリアの心配も、レクスィオが微かに笑ったことで杞憂に終わる。
「ああ、大丈夫さ。あるとすれば昔から勘が鋭いところがあったくらいで、彼女は立派な淑女だよ。それに彼女の父君、セルリアン公爵とも永い付き合いだ」
「ふーん……勘が鋭い、ね」
「大丈夫だとは思うが、君もくれぐれも言動には気を付けてくれ」
リアはレクスィオの忠告を聞きつつ、その顔は通路にずらりと並べられている窓ガラスの外へと向ける。
(勘が鋭いって言っても
内心では心を躍らせ、レクスィオから太鼓判を押されるほどの高位貴族で本物の淑女と言われる彼女に、想いを高鳴らせるリアだった。
眼前には、色とりどりの花が咲き乱れ、以外にも綺麗に整備された地面が広々と続く庭園。
そこから少し離れた所、庭全体を見渡せる位置に建てられた8つの柱に囲まれた白い建築物の中には、目的の相手と思わしき女性の後ろ姿が見えた。
レクスィオは迷いのない足取りで歩き始め、やがて近付くにつれてその姿がハッキリと見えてくる。
透き通った水のような白い髪に、髪色に合わせたであろう限りなく白い水色のドレス。
そして、レクスィオの足音に振り返った彼女の横顔から見えた瞳は、まるで水晶のようば綺麗な水色。
(…………え? この子って確か……聖王国に行く前の海で
思いがけない再会で表面上は無表情を貫いているリアも内心では大いに荒れ狂っていた。
その理由は色々あるが、最もな理由を挙げるとするなら、公的に手が出せるレクスィオに対しての嫉妬と憎悪が主な割合だろうか。
そんなリアの内心を知る由もないレクスィオは、自身の婚約者の対面に座ると微笑みを浮かべる。
「待たせてすまない、ルシー」
光の反射でそう見えるだけなのかもしれないが、レクスィオの表情と話し方は王子様のソレであり、その言葉遣いや雰囲気から長い付き合いだというのはわかる。
だが、そんなレクスィオの言葉にルシーと呼ばれた令嬢は返事を返させずにいた。
「…………」
「ルシー? どうしたんだ? ぼーっとして」
「……っ! い、いえっ! んんっ、第一王子殿下に、拝謁致します」
レクスィオの呼びかけに慌てた様子で挨拶を交わす令嬢。
しかし平然を装いつつも視線や意識は明らかにリアへ向けられており、その態度から1つの希望的観測が生まれてくる。
(あれ?これ……憶えてる? いや、でもどっちかわからない。自分で言うのもあれだけど、私を見てこういった反応を魅せる相手も相当数居た訳だし、もう少し様子を見てみようかな)
努めて表には出さず、内心でクエスチョンマークを浮かべるリア。
すると、そんな婚約者に何を勘違いしたのかレクスィオはリアを見て、何かに気づいたように頷いた。
「ああ、彼女は私の専属侍女だ。リア、今後なにかと会う機会も増えるだろうし、
そう口にしたレクスィオの言葉に、令嬢は釣られるように自然な動きでリアへ顔を向ける。
向けられた水晶の様な綺麗な瞳、そこには動揺と困惑、そして微かに羞恥の感情が覗き見えた気がする
確信が持てなかったリアは平静を装いながら、取りあえずは侍女としての挨拶を選んだ。
「ホワイト子爵家が長女、リア・ホワイトでございます。 以後、お見知りおきください」
本心で言えば憶えて貰いたい。
故に渾身の作法で挨拶をするリアだったが、逆に顔を憶えられてしまうと『碧い瞳』だけでは襲いに行った時、同一人物だと気付かれてしまう可能性がある。
憶えてるのか見惚れているのか、どちらか分からない反応で動くに動けずやきもきするリア。
そんなリアのカーテシーを呆けた表情で見詰める令嬢は、思い出したかのように立ち上がり明らかに動揺してカーテシーを行う。
「セルリアン公爵家の長女っ、エルシア・セルリアンと申します。こ、こちらこそっ……」
「ルシー、先程からどうしたんだ? いつもの君らしくないが。……ああ、もしかして君もリアの容姿に見惚れていたのか?」
「「……え?」」
リアとエルシアの声が重なり、その反応で心配そうな表情を浮かべていたレクスィオは納得したように頷いた。
「やはりそういうことか、いつも毅然としている君がこうも調子を崩しているのは珍しいからな」
「……え、あっはい……見惚れおりました。とても、美しい方だったので」
そう口にして顔を落とすエルシア。
リアはその瞬間、歓喜と落胆の両方の感情が沸き起こり、未だどっちつかずだが容姿を褒められたことで内心ガッツポーズする。
しかし、続けて呟かれた小さな言葉にその感情をピタリと静まった。
――『人間じゃないみたい』
それからは二人の会話が始まり、リアはその意味を考えながらエルシアを観察する。
会話中の彼女は最初ほどの動揺はないにしろ、やはりリアが気になるようでチラチラと盗み見るような視線を何度も感じられた。
水晶のような瞳は反射した陽光でキラキラと輝き、空気に融けてしまいそうな白い髪は揺れる度に水の流れを連想させる。 聴こえてくる声は高くも落ち着いて心地の良い声音。
巧妙に隠している視線を感じつつ、リアは内心でうっとりした表情でその様子を脳裏に焼き付ける。
(ん~やっぱり憶えてる? でもそれなら何で聞かないのかな? 正体がバレた私が暴れる可能性を危惧してるとか? う~ん……あ、今こっち見た。 話してるのはレクスィオなのに、私が気になるんだ? ふふ、可愛いなぁ♪)
レーテを見習って能面を貫きつつ、内心では疑問と歓喜が交互に重なり情緒が不安定になっているリア。
そんな彼女が落ち着いて来た時、これまでの世間話をしていたレクスィオが雰囲気を変える。
「――……そういえば、ユーエスジェ公爵は息災か? あの事件から1カ月ほど経つが」
深刻な表情で口にしたレクスィオにリアは『あの事件?』と内心で疑問を持つ。
「殿下の心遣い痛み入ります、お父様は元気ですよ。…………実は、怪我自体は3日で完治していたのです。後遺症や念の為に経過観察を行っていたみたいですが、本当の理由はそれではありません」
「そうなのか? 公爵には普段から多大な業務を任せてしまってるからこう言ってはなんだが、丁度良かった。それで興味本位で聞くんだが、公爵は何をしていたんだ?」
そう訊ねたレクスィオにエルシアは開きかけた口を閉じる。
そして、またしても確認するような視線でリアをチラリと盗み見た。
(これは気付いてる、と見て間違いなさそうね。公爵、エルシアの父親が何かしらで怪我を負ったというのは、恐らく
聖王国に行く前の、船での出来事を思い返しているとエルシアの視線がリアからレクスィオへと移る。
「あの事件の詳細を殿下はご存じですか?」
「……? ああ、確かアッシェア大陸から帰還中、不幸にもネームド持ちの海竜と遭遇。損害が6割に達したところで正体不明の存在が海竜を討伐。その後、何もせずに立ち去ったという話だろう?」
「はい、その存在については未だわからないままです。ですが後から調査した結果、あの事件は偶然ではないという可能性が出てきたのです」
『わからない』という部分が、妙に強調された気がしたリア。
そして気のせいでなければ、エルシアの視線はレクスィオに向けられているはいるものの、その意識はほぼ確実にリアへ向けている様に思える。
「それは、……どういうことだ?」
「地元の漁師や情報屋を通してわかったことがあります。それは、遭遇したネームドの海竜は本来2つ隣の別海域を縄張りとしてる、巷でも有名な海竜だとわかりました。特徴も一致しております」
確信を持った面持ちで真剣にレクスィオを見詰めるエルシア。
そんな彼女の言葉にレクスィオは黙り込み、紅茶の入ったカップを手に持ち一口飲む。
「その話が本当なら何故、海域の違う海竜が公爵の船に……まさかっ」
「……はい。 安全な海路や海域だった筈にも関わらず、あのようなことが起きたのはお父様も想定外だったようで、不可解に思い念のため船を調べ直させました」
エルシアはそこで言葉を切り、考えをまとめるように視線を落とすと再びレクスィオへ、その真っすぐな瞳を向けた。
「護衛船の貯蔵庫では、匂いにて魔物を引き寄せる、薬物に近い物資が相当量積まれていたのが確認できました」
匂いで魔物を引き寄せる……? 加えて、2つ隣の別海域から移動して来る程の高い効能。
それらの情報でリアの記憶に、1つの出来事が思い浮かんだ。
(確か、擬態していたティーがイストルムの正門前に居座った時があったよね。あの時、ティーは"わからない"、"甘い匂い"がすると【思念伝達】で伝えてきた。 これ、無関係かな?)
レクスィオはエルシアの言葉に口を半開きにしたままピタリと止まり、徐々にその手を震えさせる。
「……カセイドの、『革新派』の仕業か?」
「まだ、わかりません。ですがアッシェア大陸に足を踏み入れた際、確かにそのようなものはありませんでした。可能性は高いかと思われます」
「そうか」
思いつめた表情で俯くレクスィオは一言、そう答えると再び黙り込んでしまう。
そんな彼に、エルシアは申し訳なさそうに顔を顰めて頭を下げるのだった。
「確定的な証拠が見つからなかった為、本日まで報告が遅れてしまいました。 申し訳ございません殿下」
頭を下げる姿すら、美しく儚い雰囲気を纏う彼女は絵になり、リアは思わず見惚れてしまう。
そんなエルシアの行動に、レクスィオは「いや」と口にして否定するように頭を振るった。
「君は何も悪くない。だがその情報が確かなら到底無視することはできない」
口元にティーカップを運びながら、言葉にするレクスィオはその動きをピタリと止める。
どうやら中身がなくなってしまったようだ。
誰が考えたのか知らないが、お代わりを指示するのも専属侍女であるリアの役目らしい。
(あ、全然見てなかったわ。まぁ私護衛だし、レクスィオもこのくらいで目くじら立てる男じゃないでよね? 綺麗なエルシアと面白そうな話を前にティーカップなんて見てらんないもん)
リアは後方に控える使用人たちへ振り返り、見慣れない侍女に決められた合図を送る。
すると、その侍女は配膳台を押し進めながら建築物の前まで来ると、その場で紅茶を入れ始めるのだった。
トポトポトポッとお湯を入れる音が後方から聴こえ、やがてティーポットを持った侍女がリアの横を通り過ぎる。
(んっ、この匂い……ああ)
話が中断した二人の元へ歩み寄り、そのティーポットで自然にカップの中を満たそうと傾けた瞬間。
リアはティーポットを持った腕ごと蹴り上げた。
「なっ!?」
「っ!!」
中身からは触れれば火傷は免れない紅茶が大量に宙へ撒き散らされる。
リアは空中の水滴が1粒1粒数えられる程ゆっくりになった時間の中で、瞬時に次元ポケットから市販の直剣を取り出すと、瞬く間に全ての水分を打ち払う。
時間にして1秒に満たない刹那の間。
この場の人間には雨が降っていたと、一瞬勘違いしてしまうくらいの錯覚。
直剣を鞘に収め、次元ポケットに収納しながら空いた手でティーポットをキャッチするのだった。
(まさか目の前で毒殺されそうになるとはね~、どうりで見慣れない侍女だったわけだ。気になる侍女は全員覚えてる筈なのに、新人だとうっかりしてたなぁ)
リアはちょっぴり期待していた暗殺とは違う、お粗末な暗殺に内心溜息を吐いて地面に転がっている侍女を拾い上げる。
そうして未だ固まっているレクスィオに振り返ると首を傾げた。
――これ、どうする?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます