第93話 不意に訪れる調停者の日


 早めの帰宅後、少し兄妹の面倒を見たら深夜まで寝るつもりだった。

 何故ならリアは自分が睡魔に弱い事を自覚しており、眠いのを我慢しても碌なことにならないと身をもって知っているからだ。



 だというのに――



「いま……僕を叩いたのか? っ、正気か貴様?」



 男はまるで信じられないと言った様子でその目を見開き、覗かせた黄色い瞳を震わせながらまじまじと見つめる。


 白い髪に黄色い瞳、無駄に豪華な装飾を施した鬱陶しい服装。

 アイリスやエルシアと同じ系統の髪色だというのにここまで興味が湧かないのは、眼前の人間が男であり、何より不愉快な存在でしかないからだろう。



(いきなり現れたかと思えば、自分の部屋に来いですって? 挙句の果てに手を掴もうとしてきたのだから、折らなかっただけマシだと思って欲しいわ)



 リアは不愉快な表情を隠そうともせず、目の前の男――第二王子のカセイドに虫を見るような目を送る。

 だが、カセイドはそんなリアの態度など目に入らず、自分を拒絶したことへの怒りに熱中しているようだ。



「……ただの侍女の分際で、この僕が声をかけてやったというのに! ちょっと見た目が良くてレクスィオアイツの専属になったからと調子に乗っているのか!? ならわからせてやる! 自分の身の程がどれ程のものか!」



 壁際に追いやり、リアを少し高い視線から見下ろしながらその気持ちの悪い目を向け続けてくるカセイド。

 一度叩き落とされたというのに学習もせず、またもやリアの腕を、いや今度は胸倉を掴もうとその手を無造作に伸ばしにかかった。



(はぁ、もう1回手足を折るべきかしら? それとも偶然を装って首を刎ねる? ……本当に面倒ね。こうなったら完治させるのが難しくなるよう、死ぬ一歩手前の瀕死まで追い込むべきかしら)



 自身へ伸ばされた手を視界に収め、リアは目の前の雑種をどうすれば暫く再起不能になるか、また自分の鬱憤が少しでも晴れるかを思考する。


 スローモーションの中で手は徐々に迫り始め、1秒もしない内に身内にしか触らせたことのない胸元にこの男の手が届くことだろう。 だがそれは断じてあってならないことだ。


 意味合いの話ではない。 物理的接触を自身が認めてもいない男にさせることが、リアには耐えられない。



 ――ここで殺す?



 予想以上のあまりの不快感に、リアは想定していた許容値を触れられてもいないのに簡単に突破してしまう。

 それは意識して気配を遮断している状態から、僅かながらに極小の殺気を漏らし始めるほどに。


 殺すことは簡単にできる。虫を潰すのと同じ、いや的が大きいだけ虫よりも簡単だろう。

 だが、ここまで不快な思いを抱かせただ殺すのでは足りない、まずはその腕を二度と使えないよう完膚なきまで徹底的に壊そう。ええ、それ以降のことはコレを壊してから考えればいいわ。



 リアが体に力を入れようとした、その瞬間――



「っ!?」



 ――伸ばされたカセイドの手は空中で制止する。



(あら? どうやら戻ってきたようね? 正直助かったわ、思わず手が出るとこだったもの)


 自分が思っていた以上に拒否反応が出たことで、リアは内心胸を撫でおろしながら認識を修正する。

 触れるのはいいが、触れられるのは無理と。



「お話し中申し訳ございません。 カセイド殿下」



 【戦域の掌握】で感知していた存在。


 それは岩のように微動だにせず、一定の声音で話す低くも落ち着いた男の声。

 横目にソレを見れば山のような巨漢がその身にフルアーマーを纏い、厳格な表情で見下ろしながら白いマントを靡かせている。



「っ、……ガリウムか。誰の手を掴んでいる?」


「それ以上はお止めください」


「ふん、止める? いくらお前が王国唯一の英雄だとしても、こんなことをして無事で済むと思うのか?」


「……」



 ガリウムはその言葉に微動だにせず、振り払おうと腕に力を入れたカセイドを静かに見下ろし続ける。

 そんな男の行動に顔を顰めたカセイドは、既にリアへの関心をガリウムへと変えていた。



「離せ、命令だ」



 黙りこくり、只々カセイドをジッと見下ろすガリウムはその言葉を持って漸く、静かに掴んでいる腕をパッと開放した。


 カセイドはたたらを踏みながら捕まれていた部分を覆い隠し、憎々し気な表情を浮かべるとその目をリアとガリウムへ向け出す。



「貴様ら……僕を馬鹿にしているのか!? 後悔することになるぞ」



 吐き捨てる様に言い放ち、憎々し気にその表情を歪めると踵を返し通路を去っていくカセイド。


 周囲の使用人達はその場から逃げるように立ち去り、後に残ったのは王国の英雄と呼ばれていたガリウムとリアだけとなった。



 静かな通路。

 本来であれば誰かしらが通る場所は、二人の無言も相まってシンと静まり返っていた。



(この男が王国の英雄。 なんだかんだ始めて見るわね)


「助けていただきありがとうございます、ガリウム様」



 瞬時に侍女モードに切り替え、不快感から溢れさせていた殺気を引っ込める。

 そんなリアに対して見下ろすガリウムは表情一つ変えず、ゆっくりと口を開いた。



「貴女を助けたつもりはない」



 表情やトーンすら変えずに口にするガリウム。

 リアはそんな男の言葉の真意から、意味を理解し内心でにんまりと笑みを浮かべた。


(カセイドアレは自分が助けられたとすら思ってないだろうけど。 ああ、せっかく英雄と出会ったのだから、"調停者"としての役割は果たそうかな)



「そうですか、お優しいのですね」


「……」



 『何が言いたい?』そうありありと顔に描いてあるのを見てリアは微笑を浮かべる。

 本来であれば口にすることすら憚れそうな内容、しかしここには自分と目の前の男以外誰も居ない。



「もし、その対象が獣人やエルフ、ドワーフなどの亜人種でも変わらないのでしょうか?」


「種族に差などない。あるのは……その在り方の違いだけだ」



 少しの間を開けて発した声音は、一定のトーンでありながらも彼の本心だとわかる。


(あら意外な回答ね、これは白? ヘスティナのいう『加護持ち』ではないのかな? それとも殺す対象かしら?)


 リアは判断に迷いながら微笑みを浮かべ「そうですか」と返事を返す。

 その間、ガリウムはリアへ向ける視線を一切離さず、まるで観察するように只々ジッと見つめていた。



「それでは私はこれで失礼いたします」



 本来のリアであれば男にあれ程ジッと見られれば不快感を抱くものだが、向けられている感情を正しく理解している為、そうは思わない。


 視線に含まれた感情、それはすなわち"疑心"と"警戒"。




 カセイドへの殺気はリアが思ってた以上に出ていたのかもしれない。

 もしくは想像以上に、彼の感知能力が敏感なのかそういった感知系固有能力アーツを持ってるか。

 まぁ、過ぎたことは仕方ない。



(それよりあの男、何のクラスかしら? あの鎧にあの体格、間合いの取り方や姿勢から戦士系、タンク系統の派生クラスだと思うけど……暫くは様子見ね)


 リアは聖王国以来の新たな英雄に、微かに胸を躍らせながら通路を歩いて行く。


 そんな彼女のずっと後方、言葉を交えてから一歩としてその場から動かない英雄。

 彼はただジッとリアの背中を見続け、そんな視線に考え事をしていたリアは気づかなかった。





 時刻は恐らく朝の2~3時。 時計がないから体感で、ぶっちゃけ適当だ。

 英雄との出会いから屋敷へ戻り、行動しやすい深夜まで休んでから移動を開始したリア。


 久しぶりの夜、日光の下で行動できる始祖でもやはり吸血鬼は夜の種族だと、この時改めて実感した。



「まさか7つも山を超えるとは思わなかったわ。ティーには感謝しないとね」



 久しぶりにガチ装備を身に纏ったリアは苦笑を浮かべてその場で伸びをする。


 ここは辺りには何もない、今は使われていないであろうそれなりに大きな教会の屋根。

 気持ちの良い夜風が頬を撫で、唯一の光は天上に姿を魅せる満月の光のみ。



「はい、流石はお姉さまが従属させているティー様です! それに私としては……お姉さまと少しでもデートが出来て嬉しい限りですわ♪」


「ふふ、私もよ。 アイリス」



 甘えるように肩に頭を乗せてくるアイリスにリアも自然と微笑み零れる。

 隣に座る、というよりは完全にもたれ掛かり一切の隙間がなくなってしまう程に密着し、腕を抱きながら足を摺り寄せるアイリス。


 そんな彼女から感じられる暖かい体温と鼻腔を刺激する甘い香りに、リアは理性を揺さぶられながらこの時間を楽しむ。



 本来ならこんな面倒なことにアイリスを付き合わせるつもりはなかった。

 しかし、本人の強い希望と目的を確実に達成する為に、同行を許すことにしたのだ。――嘘である。

 単純に可愛いアイリスのお願いにYES以外に答えはなく、それなりに距離のある場所へリアは一人で行きたくなかっただけだった。



 既に、王都内に存在する全ての闇ギルドを掌握したというのだから尚更である。

 私より全然優秀だよね、アイリス。



 そんなこんなで、一緒にここまでミシス子爵の領地へ足を踏み入れていたのだった。


 目と鼻の先、【万能変化】を使えば1分もかからない距離にミシス子爵の屋敷が見える。

 急ぐ必要はなく、仕事前に英気を養いイチャイチャしながらリアは考えに耽る。



 今回の目的は3つ。

 蠍の尾スコーピオについての噂の真偽確認。

 他の貴族とカセイドとのやりとり、その動向について。

 そして、別の貴族が指示したものではあるが、毒殺時に使われた毒薬の存在を知ってるかどうか。



 こうも毒毒毒っと、毒物が目に入ってくると流石に思わざるを得ないというものだ。


 『貴族たち、革新派には様々な毒物を提供する支援者がいる』、と。


(まぁ、私は毒物が多いなぁと指摘しただけで、そう予想したのはレクスィオなんだけどね~)



 っということで。

 色々と縛りがある中でこれらをやらなければいけない訳だが、リアは正直悩んでいた。



『ミシス子爵についてだが、なるべく生かしたまま連れてくることはできないだろうか? 噂の真相がどうであれ、かの者が違法に手を染めてるのは事実。もしかしたらその事を皮切りに、革新派へダメージを与えられるかもしれないんだ……頼む』



 出発前に一応顔を見せた際、レクスィオから言われたことにため息を漏らす。



「生かしたまま連れてくる、ねぇ。……随分と無茶ぶりを言ってくれるわ」


「あの虫……お姉さまにそんな戯言を申したんですの? 一度、私がお灸を据えてやりますわ!」



 ぷんぷんと可愛らしく怒るアイリスにリアは「ふふ、そうね」と微笑みながら、無意識にその額を彼女の肩へとあてる。



「おっお姉さま!? どうされましたの? もしお疲れであれば私がっ――」



 慌てふためいた様子のアイリス。

 そんな彼女に愛しさを覚えていると、唐突にその言葉が途切れ雰囲気が変わるのを感じ取った。



「お姉さま、あれは……」



 何かを指し示す言葉にリアは顔を上げる。



「こんな真夜中に馬車の行列。何かしら、あれ」



 教会の屋根から少し離れた所、もう数分もすれば目の前を通るその一行はただの運送にしては異常に仰々しく見えた。

 6台の馬車とそれを護送する人間が数十人、これが昼間などだったらわかるが今は真夜中である。

 明らかに異様な光景だ。



「んっ、この微かな臭い……お姉さま」


「ええ、どうやら良いタイミングだったみたい」



 馬車が近付くにつれて、夜風に運ばれた微かな匂い――最近嗅いだことのある匂い――が鼻腔に届く。


 それは花の蜜のように甘く、深く吸い込むと酔ってしまいそうな感覚に陥る独特な香り。

 厳重に密封しているようだが、吸血鬼の嗅覚は極小の匂いですら感知する。



 リアは【銀焔の誓衣】の上からフードを被り、屋根の上から物音一つたてずに飛び降りた。

 そして続いたアイリスは自然とリアの腕を組み直し、取りあえずは二人は馬車へ向かって歩き出すことにした。


 気分はまるでお散歩感覚である。



 眼前の馬車列はリア達の存在に気づいたように前列から停車していき、徐々に護送していた人間達が集まり出す。


 パッと見、脅威になり得そうな人間は見えなかったが、騒めきが異常な早さで落ち着くにつれまるでモーセの様に人集まりが割れていく。



「つまらねぇ依頼だとは思ってたが……いつから、ミシス領は吸血鬼の散歩道になったんだ?」



 出てきたのは1人の男。

 健康的な焼けた肌に民族衣装のような服を纏い、黒ずんだ金髪は緑色のターバンが巻かれている。


 何より特徴的なのは、その背中と腰に差された9本の刀だろう。



「お姉さま、あれは……」



 そう呟きながら男から目を離さないアイリスは、その目に警戒を露わにしいつでも動けるように腕を解き始めている。


 リアとしては変わらずずっと組んでいたかったが状況が状況だけに仕方ないのかもしれない。

 纏う雰囲気やその気迫から、聖王国の剣聖に近いものを感じる。


 あれは――英雄だろう。



「そうみたいね、『剣豪』かしら? それとも『修羅』?」



 天気を話すような口ぶりでリアが呟いた途端、男はその場から消えると一瞬の内に懐へと踏み込んでいた。

 見上げる様に居合を構え、その手は既に腰の刀へと伸びている。



「正解。 修羅さ、おねえさん」



 聴こえた時には視界には6線の斬撃が浮かび上がり、リアは瞬時に全ての回避は不可能だと悟る。

 時間の流れが変わり、スローでありながら弾丸より速い斬撃にリアは最小限の動きで躱し、避け切れないものは片手を犠牲に弾き返す。



「お姉さまっ」


「っ!」



 そんなリアの行動に男は目を見開き、次の一手に入ろうとする。

 だが――数テンポ遅い。


 リアはアイリスを抱きかかえたまま既に再生し終えた手で、その心臓目掛けて容赦のない抜き手を繰り出した。

 地面が僅かに陥没し、周囲一帯の風が空間ごと引き摺られたように荒れ狂う。



「くぅッ!?」



 放たれた抜き手は男が間一髪で上体を逸らしたことで躱され、服を抉りながら宙を切った。


 空中には服の切れ端と僅かな血液が飛び散り、のけ反った姿勢のまま男は数秒前まで浮かべていた余裕を完全に消し去り、絶句したように目を見開く。


 そして攻撃を躱された始祖はまるで玩具おもちゃを見つけたように、楽し気に口元を歪めた。



「流石、英雄……そうこなくっちゃ♪」


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