第86話 王都に浸食する魔の手



 室内の戦闘、いや遊びは既に終わっていた。

 静まり返った空間には壁を壊し、息を切らすレクスィオの荒い息づかいのみが響き渡る。


 そして息を切らしながらもアイリスに向け、続けて魔法を放とうとした手をリアによって制止されてしまう。


 その言動に思わず、レクスィオは表情に疑問を浮かべすぐさま振り返った。



 「はぁ、はぁ……なにを」


 「前に話したでしょう? 妹よ」



 リアの言葉に合わせて、アイリスは深く被っていたフードを下ろしその可愛くて美しい容姿を露わにする。

 灰色に近い白い髪、吸血鬼の象徴とも言える赤い瞳、リアへ向けてくる笑みによってチラつかせる鋭い犬歯。



 「は……?」



 アイリスの姿を目の前に、レクスィオは理解が追いつかない様子で只々間の抜けた声を漏らす。

 しかし、最愛の妹を前にしたリアにとって、彼の反応などどうでもいいことだった。



 「そんなことより。 会いたかったわ、アイリス」



 リアは歩み寄りながら両手を広げ、それを見たアイリスはその瞳に期待と高揚を煌めかせ、迷わず飛びついてきた。


 抱き合う形となったリアの鼻腔にはふわりとした甘い香りが漂い、次いで柔らかな抱き心地の良い感触と暖かな体温が広まる。



 「私もですわ、お姉さま! まさかこの様な場所でお姉さまにお会いできるなんて……嬉しい♪」


 「それは私の台詞、でも会えて嬉しいわ。 最近は生活時間が合わなくて、中々起きてる貴女と愛し合えなかったから」



 服越しにも伝わるアイリスの心音に心地良さを覚え、暫くぶりということもあって周囲を忘れて抱き合う二人。


 居合わせる空間は氷の世界が広がり、冷気は可視化できる程に真っ白な煙を出しているも、二人の空間だけはまるで氷が避けるかのようにその床を溶かし全く異なる空間へと変貌していた。



 アイリスは胸元に顔を埋め、抜群のプロポーションでもあるリアのくびれた腰に両手を回し、まるでその存在を確かめるかのように全身を密着させいつものコアラ状態となっている。

 そんな堪らなく愛しい妹に、リアはなお一層頬を緩ませ、負けじと抱き締める腕に力を籠めた。


 少し離れた場所では、既に切り替えたレクスィオがレットの元に駆け寄り、必死に声をかけているのが視界の端に見えたがアイリスが加減をした以上、恐らくその命に別状はないだろう。



 「ふふっ、……暖かい。 そういえばどうして、貴女がここにいるの?」



 リアは唐突に思い浮かんだ疑問に、囁くように胸元のアイリスへと問いかける。

 するとアイリスは直ぐにはリアの疑問に答えず、何やらもじもじとした様子で口をつぐんだ。


 その様子に、疑問を持ちながらも黙って話し出すまで待つように抱き締めた体を堪能していると、やがて顔を俯かせたアイリスがぽつぽつと呟き始める。



 「その……少し前、お姉さまは私にこの都市の闇ギルドの掌握するよう頼まれたでしょう?」


 「ええ、そうね。 アビスゲートは見つかった? それとも間違えちゃった感じかしら」



 確かにリアはレクスィオに呼ばれた日、ヘスティナによってクラメンが来ることがわかり、情報網以外に価値を失った闇ギルド"アビスゲート"の掌握をお願いした。


 であれば、今もその最中ということだろう。



 「いえ、アビスゲートは既に掌握しておりますわ。 ですので今はアビスゲートが把握している闇ギルドの情報や痕跡を辿って、順番に行ってる最中なんですわ」


 「へ…………? それは、この都市の全ての闇ギルドということかしら?」


 「……はい。 も、申し訳ございません。 やはり私の聞き間違えだったのですわね。 あの時は寝起きで、その……『この都市の闇ギルドの掌握』とレーテから聞き及び、私も深く考えずについ」



 どうやら、アイリスはこの都市のアビスゲート支部のみならず、既存の全ての闇ギルドを掌握して回っていたみたいだ。


 正直リアも自分があの日、レーテにどう言伝をお願いしたのか正確に覚えていない。

 もしかしたら、そんなことを言ってしまったような気がするかもしれない。 なにせ、あの時のリアはアイリス同様に寝起きである。



 (あれ……? これ、私やっちゃった? 軽はずみな言葉で裏の世界取ろうとしちゃってる? まぁ、その点は全然いい、寧ろ情報網の構築としては素晴らしい。 ……ん? あ、ならいいんだ)



 「いいえ、私が間違えて伝えてしまった可能性は否めないわ、寧ろそっちの方が高いもの。 ごめんなさい、貴女を振り回してしまって……それで今は何か所目なのかしら?」


 「そんなことっ、……今はここで4か所目ですわ。 各支部の頭は皆、生かしております」



 何処か自分の行いに恥じた様子のアイリスだったが、リアとしてはその返答に唖然とせざるを得ない。

 どうやら私の妹は可愛いだけじゃなく、知ってはいたがそれ以上にとても優秀だったようである。


 数日で4か所の闇ギルド支部を掌握したことにリアは表情を変え、沸々とこみ上げてきた愛しさで花が咲いたようにほほえんで見せた。



 「貴女はどこまで私を夢中にさせるの? 昂ってきちゃったわ、んっ、……ちゅっ、ふふっ……甘い♪」


 「んっ、……はぁ、お姉さま。 喜んで頂けたなら、嬉しいですわ。 ……もっと、私を頂いてくださらないのですか?」



 曇らせた表情をしまい込み、今度は火照った様子で潤ませた瞳で見上げてくるアイリス。

 そんな彼女に酔ってしまいそうな程の昂りと本能、そして目の前の存在を滅茶苦茶にしたいと欲求をリアは覚え、その喉を静かに鳴らす。



 (な、なななっ、なんて顔で求めてくるのこの子!? やばい……数日振りのアイリスに心臓が爆発しそう。 まぁ、すぐに再生するんだけどこれはやばいわ! 可愛くて優秀で献身的、この子の頑張りを考えたらなんでもあげたいけど、本番は帰ってからしたいし。 今は控えめに、ちょっとだけ)



 「……魅力的すぎる誘惑ね。 そんなに私に食べて欲しいの?」


 「もちろんですわ! お休みになられているお姉さまに私が出来ることなど、その口を貪りお体を堪能させて頂く以外にありません。 ですが起きられてるお姉さまであれば、沢山のことを私にして頂けますもの♪」


 「そう、それなら私もお腹すいちゃったし少しだけ、……れろぉっ、……はむっ、ちゅぅ」


 「んっ、……あぁっ、お姉さまが私の中にっ……」



 その染み一つ無い透明な首筋に牙を立てると、何の抵抗もなくすんなりと肌を破り、その身体からは次々と甘く濃厚な血が溢れだす。


 リアはそれらを溢さないよう口元を余す事なく押し付け、舌を動かすたびに喉元を揺らした。



 「れろっ、……はむぅ、んっ……ふふっ」


 「……お姉さまぁ、もっと……もっとアイリスを頂いて、……んっ♪」



 耳元で囁かれるは懇願にも似た、アイリスの欲求の想い。

 腰に回されていた手はいつの間にか、リアの頭を抱きかかえるように手を伸ばされており、「もっともっと」という想いが痛いくらいに伝わり、その引き寄せる力に笑みを漏らす。



 時間にしてどれだけ吸血してたかはわからない。

 しかし、それは静かに怒りを含んだレクスィオの声によって、終わりを迎えてしまう。



 「……リア。 今はそんなこと・・・・・をしてる場合じゃ、ないじゃないか?」


 「んっ、……ぱっ、……そんなこと? それはどういうことかしら」



 リアは幸せの時間を遮られたこと、何より大切な行為を軽視した発言に、不快感を隠そうともせずに聞き返す。


 すると瀕死になったレットの傍で膝をつき、その容態を見ていたレクスィオは焦りと怒りを覚えた表情で振り返った。



 「っ、……君が最初から、その子を妹だと言っていればッ、レットは怪我を負う必要はなかった筈だ! だというのに君はレットを助けようともせず、あまつさえ瀕死の彼を置いてその怪我を負わせた張本人と、場も弁えずにッ――」


 「あの場で言って良かったの?、仮に逃がした男達を捕縛したとしても、どこかしら情報が漏れると思うのは私だけかしら。 『第一王子は侍女に吸血鬼を雇い、その妹に闇ギルドを潰させている』これが漏れたら誰が困る? お優しいレクスィオ殿下は直ぐには、あの男達を殺せないでしょう? 仮に逃げられた場合、兵士に漏らされた場合……貴方はどうするのかしら」


 「ぐっ、それは……だとしてもッ、こんな」



 レクスィオはリアの言葉に苦い顔を浮かべ、地面に横たわるレットを見下ろす。


 本人も分かってる筈だ。

 何せ興味もなく頭がいいわけでもないリアが気付いたくらいだ、レクスィオが考えつかない筈がない。

 理屈ではわかっていても、実際に負傷した自身の騎士を目の前にして納得は出来ないといった様子だろうか。


 (ここ数日見てて思ったけど、二人は関係が長いのかな? ディズニィは腹心といった様子だから、その息子が仲良くても別に不思議じゃないけど)



 リアはアイリスを抱き締める腕を放し、レクスィオの下へと静かに歩み寄る。

 室内にはコツコツと、いつものガチ装備ではない黒の革ブーツから鳴り響く。



 横になって意識のないレットを見れば一見、瀕死に見えるその状態も命を落としかねてしまう程ではなかった。

 何故なら傷跡は大きく、身に着けてる鎧は元の影がわからないレベルで損傷しているが、四肢は残されており致命傷となる頭部や胸元には大きな傷は見られなかったからだ。


 そんなレットを見下ろし、アイリスへと目を移す。



 「加減は加えてますわ。 お姉さまと同行してるのだから当然です」


 「……すまない、君の言う通りだな。 頭に血が上っていたようだ」



 アイリスの言葉を聞きながらもこの少しの間に冷静さを取り戻したのか、その様子から動揺と興奮は鳴りを潜めたレクスィオは、リアへと謝罪を口にしてその頭を下げ出した。


 リアはそんなレクスィオを横目に、次元ポケットから中級ポーションを取り出して手渡す。

 そうして今度は部屋の隅でボロ雑巾の様にうつ伏せになっている、ここのギルドマスターとやらの状態を見に行くことにした。



 眼前で息も絶え絶えに浅い呼吸を繰り返す男。


 どうやらこっちは手加減がなかったようである、来るのがあと少し遅ければ死んでいただろう。

 腕がへし折られ腹部には風穴、その頭部や口元から血を垂れ流してる所を見るにほっとけば直ぐにでも死へ至る、そんな状態。



 (これにはレクスィオも聞きたいことがあるだろうし、口が利けるレベルで傷は最小限に回復させればいいよね?)



 次元ポケットから一番回復量の少ない下位ポーションを取り出し、レットに飲ませ終わったレクスィオを手でひょいひょいっと招き寄せる。


 下級ポーション。

 なんでこんな物が次元ポケットインベントリに入ってるのかわからないが、PTメンバーの倉庫代わりとして持ってたとしてもこれは使わない。 よって今一番、在庫が少ないのは下位ポーションだ。



 その後、リアは男に触りたくない為、取り出した下級ポーションをレクスィオに手渡してアイリスの元へと戻る。


 そうして部屋の隅に乱雑に置かれたテーブルに腰掛け、膝にアイリスを乗せながらレーテ達の近況を聞くリアだったが、途中から向けら続ける視線に鬱陶しさを感じていた。



 (レット?……の割にはなんだか視線に含まれる感情がいつもと違うわ。 まぁ、中級ポーションアレで起きれるくらいに回復したってことは、レベルもそう高くないってことよね。 逆上して、アイリスに突っかかってきたら面倒だったけどその様子もなさそうだし、よか――……んっ、こっちもかな)



 膝元に座らせたアイリスを感じつつ、レットの視線に思考を割いていると目の前の男も意識を戻しつつあることに気付く。



 「レクスィオ、レット、そこ動かないでね。 それと喋らないように」



 リアは手首を噛み【鮮血魔法】にて、室内を分断するように巨大な血のカーテンを作り出す。

 すると、部屋が本来の広さに丁度半分になると同時に、横になって意識を失っていたギルドマスターらしき男が目を覚ました。



 「ここは、……ぐっ、……ぐぅ、俺は一体……」



 男は男性にしては髪の長い前髪を垂らし、かき分けるようにして額に手を当て呟く。

 そうして、少し離れた所でイチャイチャとしたリアとアイリスの存在に、遅れて気付いた。



 「女……? 二人……ッ! お前はっ、……ぐっ」


 「おはよう、怪我の具合はどう?」


 「なん……だと? そうか、お前がそいつをここに差し向けたのか。 ……ぐっ、何者だ」



 先程まではその言葉に、何をとんちんかんな事を言っているんだ、と思ったことだろう。

 しかし、アイリスと話して実際にそうなってしまっているのだから、リアとしてはもう何も言えない。



 リアは無言でテーブルから立ち上がり、アイリス手放して男へと歩み寄る。



 「その服……確か、王宮の侍女服……?」



 疑問を浮かべて呟く男に、リアは眼前まで歩み寄ると自然な動作でしゃがみ込む。

 そして妖艶な笑みを魅せると、その碧い瞳で男の目を覗き込むようにして首を傾げた。



 「さぁ、どう思う?」 ――【始祖ノ瞳】(魅了)



 吸血鬼の固有能力アーツによって数秒もすれば、男から向けられる目に意識が無くなり、代わりに見惚れた表情でリアを見詰めだした。


 そんな男の様子にリアは、自分でかけながらも不快感を露わにして血統魔法の魔法制御を解除する。



 すると瞬く間にドロドロと血の壁はその形を決壊させ、あっという間に部屋の広さを元に戻すと姿を現したレクスィオは何とも言えない表情をその顔に浮かべ、眉を僅かに顰めながらリアを見据えていたのだった。



 リアはそんな視線を無視してギルドマスターに命令を出し、アイリスと一緒に元の場所へと戻っていく。



 (思う所はあるんだろうけど、これが一番手っ取り早いわ。 さて……彼が尋問してる間、私は)



 「アイリス、おいで」



 そうしてテーブルに腰掛け、振り返りながら両手を広げるリアはさっきまでのスキンシップでは到底足りない触れ合いを再開させるのだった。

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