第85話 姉妹による茶番劇




 「またうじゃうじゃと虫のように湧いてきましたの? ……ほら、出てきなさいな?」



 最奥の通路に静かに響くは、聞いてるだけで幸せな気持ちになれる可憐な声音。

 

 リアは確信を持って思わず口元を緩め、踵を返しこの場を離れようとしたレクスィオとレットはその動きをピタリと止めた。



 すると、開けた扉から僅かに漏れ出す冷気はパキパキッと甲高い音を響かせ始め、まるで抑えていたものが溢れだしたかのように唐突に通路へ広がりだす。


 それは瞬く間に、リア達の立つ通路を氷の世界へと変え出口を塞ぐようにして氷の壁を形成したのだった。



 (いつ見ても、惚れ惚れする氷魔法ね。 以前に血統魔法を強化する装飾魔法アーティファクトをあげたけど、純粋に魔力強化してくれる指輪を渡した方がよかったかな)



 一目で分かる程に分厚く頑強な壁を見て、レットは手に持っていた剣に炎を纏わせると氷の壁を勢いよく斬り付ける。


 通路に鳴り響くは剣と氷の衝突によって生まれる、甲高くも虚しさが残る斬撃音。

 レットはその結果を見て瞬時に判断すると腰から2本目の剣を取り出し、先程よりも勢いを増させた炎と新たな水の魔法を纏わせ、何十にも及ぶ斬撃を氷の壁へと叩き込んだ。



 しかし、結果として氷の壁は僅かにすり減らされはするものの、一目では分からない程に微々たる減少でそれは終わってしまう。



 「……くっ!」


 (へぇ、対極属性の双剣使いだったんだ。 一振りする毎に微妙に重みが増すのは、彼の固有能力アーツかな? けれどそれでも、アレを壊すのは無理があると思うわ。 だって込められた魔力に大人と子供以上に開きがあるもの)



 自身の斬撃の結果に歯軋りを鳴らし、僅かに息を乱しながらも改めて双剣を構えだすレット。

 しかしそんなレットの攻撃の結果を見て、レクスィオの判断は早かった。



 「レットもういい。 ……行くよ、リア」



 そう言ってレクスィオは通路を歩き出すと、レットの破壊を見詰めていたギルド構成員達の前を通り部屋へと入る。


 そんな主人の思い切りの良さにリアは内心で感心しながら、一応は彼の専属侍女であり仮にも守ると言った以上、その体制を守る為レクスィオに後に付き従うのだった。


 決して本音が別にあるなど、例えその足取りが軽く意気揚々としていたとしても、この状況に喜びを見出してなど断じていなかった。




 そうして開けた扉を潜り、リア達の眼前には氷と破壊の世界が広がっていた。



 部屋中を埋め尽くすほどの凍てつく大地は冷気を漂わせ、壁や天井など至る所から氷柱が突き出ている。


 元々部屋にあったであろう家具たちは部屋の隅に乱雑に追いやられ、その所々を凍てつかせ破損させている所を見ると、戦闘によって作られた現状だと見て取れた。



 そしてそんな部屋の中央には、全身を黒ローブに包み手には身の丈ほどの血の大鎌を持った者がこちらに背を向けた状態で、足元に倒れる男を踏みつけていた。


 深く被られたフードからは見惚れる程に美しい灰色の髪が垂らし、その後ろ姿は思わず抱きしめたくなるくらいに華奢な背中、そしてなにより毎晩堪能している甘く蕩ける香り。




 やっぱり、アイリスだ。



 「……っ!」



 リアはフードの中でにんまりと口角を緩め、振り返るアイリスに向けてゆっくりと口元に人差し指を置いた。


 するとアイリスはリアにだけ気付くレベルの微かな動揺を見せ、唇に置いた人差し指をその瞳で凝視したのがわかる。



 (伝わると良いんだけど……大丈夫かな? アイリスがどうして此処に居るのか、それは不明だ。 けれどあの構成員達がいる以上、私とアイリスの関係はバレない方が良いよね。 でも、会えて嬉しいわ♪)



 リアは自身の存在が僅かでも露見することによって第一王子、レクスィオの侍女が吸血鬼だということが広まるのはまずいと考えた。


 何故ならそれは、彼の王位継承権を揺るがすには十分すぎる内容だと、貴族社会に疎いリアですら容易に想像できるからだ。


 そうなればリアの目的である、ルゥとセレネの過ごしやすい『万人の種族が過ごせる国』が遠のいてしまう。


 ならば、ギルド構成員達を先に始末してしまえばいいと一度は考えたリアだが、この惨状を作り上げたアイリスが生かしているのだ、何かしらの使い道があって生かしていると思うのが普通である。




 そう思考を巡らせながら、リアは唇から人差し指を外し、可愛い妹であり愛しい恋人でもあるアイリスの邪魔をしないよう傍観する姿勢をとった。


 そんな環境の中、レクスィオは血生臭く冷気漂う室内を一歩前に出ると、アイリスの手に持った身の丈以上に巨大な血の大鎌に目を向ける。



 「その大鎌。 吸血鬼か?」


 「……だからなに?」



 その返答はいつもの声より刺々しさがあり、リア達の姿が見えない時の一声よりも数段落とした、どこか苛立ちを含んだ声。



 そんなアイリスの様子に内心で疑問を浮かべていると、前に立つレクスィオとレットは何かに思い至るように振り返り、その視線をリアへと向けてくる。



 (まあそうよね、私の種族を知ってればそれが普通の反応だわ。 一応はレクスィオの為でもあったけど違うわね、これは私の為。 ……私って、独占欲強いのかも?)



 リアは向けられた視線の意味に気づきながらも、その美貌に微笑みを浮かべ何も口にしなかった。


 そんなリアの反応にレクスィオは怪訝そうに眉を顰め、再びアイリスへと向き直る。



 「……吸血鬼の貴女が、何故こんな場所に? ここの人間達と繋がりがあるのか?」


 「答える必要があるの? 大体、虫如きがどうして私の……――あら」


 「っぐ、……うぅ」



 突然い聴こえるは、今にも消え入りそうな弱々しい呻き声。

 それはどうやらアイリスが片足で踏みつけている存在が声の主のようで、この氷の世界と化した大地に小さくない血だまりを作り、既に虫の息となっていた。



 「……その男は?」


 「何度言わせるつもり? そろそろ――……いえ、いいわ。 コレは、ここのギルドマスターと名乗ってた男よ」



 真剣な表情で問いかけるレクスィオを他所に、苛立ちを募らせた様子のアイリスは彼の背中越しにリアと視線を交差させる。


 するとリアは【戦域の掌握】にて領域内を瞬時に把握しその結果にニヤリと口元を緩ませ、まるで悪戯っ子の様な笑みを浮かべ、感情の昂るがままに控えめな投げキッスを送るのだった。



 アイリスは動揺を上手く隠しはしたものの、ほぼ毎晩一緒に寝てイチャイチャしているリアにはわかる。

 フード越しで見える口元は無表情を貫いているが、その肩は僅かに弾みを見せ、大鎌を持った手元の小指はぴくぴくと落ち着きなく跳ねさせている。



 「それで質問はおしまい?  なら、次は私が聞きたいのだけど?」



 動揺を隠しながら、苛立ちを徐々に潜ませていったアイリスは静かな口調で問いかけるも警戒心を最大まで高めていたレットはレクスィオの前に立ち、双剣を構えて声を荒げた。



 「断るッ! 吸血鬼の貴様に我々が教えると思うか?」



 恐怖心は時に、その人間を最悪な展開へと誘ってしまうが、どうやら今回がそのようである。

 ディズニィが言葉にした通り、枠に収まらない相手によって痛い目に合いそうだ。



 「……そっ、なら仕方ないわね」



 アイリスの声からは感情が消えた。

 部屋の氷は乾いた音を何重にも響かせながら徐々にその領域を広げだし、立ち籠る冷気は異常なまでに空間を埋め尽くし、室内の温度を急激に低下させる。



 レットは目の前の存在が身に纏う空気を豹変させたのを感じ取り、額に汗を滲ませながら双剣を構え直した。


 地面にうつ伏せになり、瀕死となっていたギルドマスターは呻き声を溢しながら地面を転がり、アイリスは無造作に手を翳すと無詠唱の氷系統魔法をレットに放出するのだった。




 眼前では身の丈以上の大鎌を軽快に振るい、炎と水を纏わせた双剣で応戦するレットをものともしない動きで、アイリスが残虐な笑みを浮かべ相手を甚振ろうとしてる様子が見て取れる。



 リアはそんな二人を見据え、レットに加勢しようと前に出ようとするレクスィオの腕を掴み引き下がらせた。



 「何をしてッ!? あの子は、君の知り合いなんじゃないのかッ? リア」


 「さぁ、どうかしら? でもそうね、私も・・あの子が不審な動きをすれば対処するかもね」



 第二王子に絡まれた際、仮にも侍女であるリアを守ろうともせずに傍観し、レクスィオに口にしていたレットの言葉をそのまま意趣返しとしてそっくりそのまま返すリア。


 正直リアにとって目の前のそれはお遊びの延長であり、本音としては可愛くてカッコいいアイリスが見たい、もっと一緒に居たいという只それだけなのだが、その内心を知らないレクスィオにとっては理解できないように見えることだろう。



 (あぁ、楽しそうなアイリス可愛い! もうっ、好き!! 大鎌を振ってる姿も素敵だわぁ。 あ、今こっち見た♪ ふふ、私もちゃんと見てるわよ! 早く夜にならないかなー、アイリスに触れたいわ)



 そこそこのスペースがありながらも、決して広くない室内。

 氷に覆われ、冷気を漂わせる空間では極太の赤い軌跡が広範囲を薙ぎ払い、炎と水を迸らせながら大気に一線を走らせる光景が見える。


 アイリスが一振りする毎に、回避が間に合わず咄嗟に交差した双剣で防ごうとするレットだったが身体能力ステータスの差は歴然であり、壁に叩きつけられ対処が追いついていない様子だった。


 決定的な一撃を貰ってない様子から、まだ大丈夫だろうと判断したリアは入口付近まで下がり、隣でその光景に目を釘付けにした連中へと目を向けた。



 「あなた方がここの、ディティリアの構成員でしょうか?」


 「……っ! だからなんだ?」



 使い道が不明な為、リアはレクスィオの侍女として対応を始めた。


 (イメージはレーテ、イメージはレーテよリア。 回りくどいやり方で好きじゃないけど、これもアイリスの為!)



 そう思い接すると連中の中から一人、最もリアに近い場所で室内を眺めていた男が怪訝そうに眉を顰め、ぶっきらぼうに反応を返してくる。


 そんな男に、リアはもどかしい気持ちを頂きながらも丁寧を心掛け、今一番気になってることを問いかけた



 「何故、あのような可愛……常軌を逸した存在を前に、逃げずに立ち尽くされていたのですか?」


 「リア、どういうつもりだ? いまはそんな事より、レットを助けなければっ」



 小声でリアの耳元に聴こえるよう制止の声をあげるレクスィオに、リアは努めて無視して隣の男の答えに意識を傾ける。


 目の前の男の回答次第では、レクスィオの求めることも同時に出来るからだ。



 「……そんなの、動いたら殺すと言われたからだ。 でなきゃあんな化け物を前に、じっとしてる訳ねぇだろ」


 「なるほど。 あの吸血鬼に襲われた理由に、心当たりはございますか?」


 「知らねぇ、俺たちがそんなこと知る訳がねぇ。 突然、襲撃しにきやがったんだ」



 どうやらアイリスの目的は、目の前の男達も知らないらしい。

 これでは始末していいのか駄目なのかわからない。


 リアは未だレット甚振り楽しんでいるアイリスに目を向け、「そうですか」と短く答える。


 するとそんなリアに対し、今度は男から思い出したかのように質問を向けられるのだった。



 「それより、あんたらは何者だ? 何故ここに居る? ――いや、あんたの顔は見覚えあるな」


 「……」



 向けられた視線の先、そこにはリアの隣で話を聞きつつ室内の戦闘を落ち着かない様子で見ていたレクスィオが居た。


 男はレクスィオに目を向けつつ状況を忘れたのか元々そういう顔なのか、その表情に厭らしさを浮かべて口を開く。



 「貴方の様な高貴なお方がこんな所に何の御用ですかい? レクスィオ第一王子殿下」



 男の発言に周囲にいた連中は騒めき出し、室内に向けていた視線をレクスィオへと集め出す。

 しかし、リアはそんなどうでもいい反応よりも、先程の発言の方が少し気になった。



 (あら、レクスィオの捕縛の件を知らない? なら捕縛の命令はギルドマスターの単独で、ギルド内の共通認識ではないのかしら? ああ、でもこれらがただの下っ端で、知らない可能性もあるのかな)



 知りたかった内容ではないが、一応は護衛であるリアは気になる情報に思考を巡らせる。

 するとレクスィオは、そんなリアを横目にチラッと視線を流し、構成員の男達へと声を潜めて話す。



 「私と、取引しないか?」


 「取引だと……?」



 突然の取引の持ちかけ、それも相手は王子ということもあり、男たちは瞬時に何かを嗅ぎ分けたのか話を聞く姿勢を取った。


 レクスィオの口にした取引。 その内容は至ってシンプルだ。

 男たちをこの危険な場所から助ける代わり、レクスィオの求める情報、つまりここに来た目的の薬物についてを話してもらうといった内容。


 男たちのレクスィオに提示された条件に、その反応を2つに分けた。

 何の話をしてるのかわからないと眉を顰める者、そして苦い顔を浮かべ話すのを躊躇う者。


 やがて苦い顔を浮かべていた男の一人が、室内から聴こえるけたたましい騒音に肩をビクッと震わせ、おどおどとその手を上げ出す。


 そんな男を横目に、最初にリアと話していた男が当然の疑問を口にした。



 「どうやって、あの化け物から俺たちを助けるつもりだ?」



 男は室内に向けて示唆するかのように視線を向けるも、どうやら予めその答えを用意していたようだ。

 レクスィオは手元を男達に見える様に突き出し、その掌に闇の魔力を渦巻かせていく。


 それはまるで黒い水の様に液体のような動きを魅せ、ドロドロと渦巻き波立てる様子は見詰めているだけで、どこまで深い闇に呑まれそうな錯覚を起こす。



 「私の【闇黒魔法】で隙をつくる。 その内に君たちは逃げろ」



 そう言っておいてレクスィオの目が一瞬、私に向いたのはどういうことだろう?


 もちろん、本人がその魔法で本当にアイリスをどうにか出来るなど思っていないというのは百も承知だが、結果としては間違ってないだけに何か釈然としないリア。



 「……あの噂は本当だったのか。 あぁ、背に腹は代えられねぇわな」



 男はレクスィオの闇魔法を見詰めると意味深な事を呟き、どこか観念した様子で一度黙り込む。



 「王子様が知りたい薬物。 ……あれは『蠍の尾スコーピオ』、界隈ではそう呼ばれている。 何処から仕入れてんのか知らんねぇが効果はあんたの知る通り、一時的な高揚と快楽、全能感を得られる代わり、一度切れるとジッとしてらんねぇ。 仕舞いには暴れ出して自制が効かなくなる、そんな頭をバカにする薬だ」


 「……蠍の尾スコーピオ


 「これは噂だが、ミシスって名前のお貴族様がばら撒いてるって話だぜ?」


 「なんだと? それはどこで聞いた!?」


 「さぁな。 これ以上詳しく聞きたいなら、あそこで生きてるかわからねぇマスターに聞いてくれ。 知ってることは話した、だからとっととさっきの素晴らしい魔法で俺らを逃がしてくれよ?」



 男は顎で指すように室内で倒れている男を見据え、見ていてフラストレーションが堪る顔でニヤニヤと笑みを浮かべだす。


 リアはそんな男とレクスィオを他所に。

 室内で瀕死な状態で膝を付くレットに対し、見下ろすように大鎌を下ろしているアイリスへと視線を向けた。



 (そこの男。 殺しちゃだめよ?)



 視線に気付いたアイリスに伝わるよう口元をパクパクと動かし、更にはお腹のあたりまで上げた手の指先で指し示した。



 「君たちは、――」


 「殿下? そろそろアレも持ちそうにありませんよ?」



 リアの言葉に、続けて口を開いていたレクスィオがピタリと動きを止める。


 そして思いを押し止める様に悔しそうな顔を浮かべると、手元に再び闇の魔力を集めてブツブツと口元で呪文詠唱を行い、その魔力を急速に膨張させていく。


 魔力が渦巻き周囲を取り込むようにして形を成すそれは、徐々にレクスィオの腕を飲み込み、詠唱を終えると同時にその拡大は勢いを止めた。


 出来上がったソレは、まるで黒い帯のようなものが何重にも巻かれた黒い魔力球。



 「……いけ」――【闇黒魔法】"怨嗟の闇槍"



 そう短く口にしたレクスィオは黒い球体を押すようにして、アイリスの作り出した氷の壁に手を翳す。

 するとソレは形を崩し、空中で幾本もの闇魔槍を造り出すと怒涛の勢いで通路を駆け抜け、氷の壁へと甲高い音を鳴り響かせ衝突したのだった。


 その時、レクスィオだけでは難しいと判断したリアが、少し手を加えたのは秘密である。



 (――【鮮血魔法】解除。 アイリスは……気づいたよね、流石に)



 一人を除いて誰一人としてリアのしたことに気づかない中、男たちは唖然とした様子でその光景を眺めていたが、我に返った様子で一人また一人と開けた通路を走り出した。


 やがて何事もなく全員の姿が見えなくなると、レクスィオは未だ魔法を維持し続ける腕を今度は室内へ翳し、平然とした様子で佇むアイリスへと向けだす。



 「はぁ……はぁ、ぐっ……、いk――」


 「そこまでよ、レクスィオ」



 リアはやっと静かになった場所で肩で息をしながら呼吸を荒げるレクスィオの腕を下ろさせ、室内のアイリスに微笑むのだった。

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