第58話 始祖、目覚める母性




 月明りに照らされ、まるで満月そのものの様な綺麗な金色の瞳。


 その視線はただ真っすぐにリアへと向けられており、呆然としているのかはたまた意識がはっきりしていないのか、少女セレネの感情は残念ながら読みとれない。



 (今の……見られた? いや、大丈夫な筈っ! 見られていても私のポーカーフェイスは完璧。 それにこんな子供ならきっと、意味なんて分からないよね)



 欲望駄々洩れの思考に表情が引っ張られてなかったか、内心少しだけ冷や汗をかくリア。


 しかし、そんな心配はしてる暇もない程に、事態は徐々に別のものへと変化していく。



 「……っ! ふぇ、あっ、うぇぇ」


 「ぇ……あっ」



 リアを見つめていた瞳は時間が経つにつれ、その目には怯えと混乱が浮き上がる。


 弱々しくも口から漏れ出す声音は段々とその混乱を強めていき、遂には周囲にいるアイリス達や少し離れたプーサンにも届いてしまうほどの声量で泣き出してしまったセレネ。



 これには流石のリアも微かに困惑を露わにしたがそうも言ってられなかった。


 止めどなく涙を流し張りのある可愛らしい声を周囲へと響かせていたが、次第に声が止まり不規則な荒い呼吸を繰り返し出す。

 それはやがて呼吸法に違和感のある深い呼吸へと変わり、手足全体の動きをピタリと止める。



 「っ!」



 目を見開きながら呼吸しづらそうにするも、本人すら何が起きたのか理解できず、不思議そうな表情を浮かべて苦しみだす。

 一目見て分かる程にパニック状態へ陥っており、更には過呼吸にまで引き起こしてしまうセレネ。



 リアは手元で発作を起こしてしまったセレネの目元に空いた手を被せ、咄嗟に加減に加減を重ねた微弱な【祖なる覇気】を発動させた。



 「落ち着いて、セレネ」



 対象をセレネ一人に絞り、極小の覇気を放ち荒っぽくもあるがショック療法のような要領で行使する。


 すると、使用と同時にその小さな身体はビクッと震え、過呼吸とは別の呼吸へと変化するのだった。



 「深呼吸しましょうか。 吸って吐いて、吸って吐いて」



 事態の把握が出来ていないであろうセレネはリアの言われるがままに、浅く小さい呼吸を繰り返していき、やがて正常な状態へと戻っていく。


 その様子に内心で胸を撫でおろしたリアはセレネに対して口元を緩め、子供をあやすようにその目元に置いた手を放した。



 「……よく出来ました。 偉いわ」



 きょとんっとしたセレネの小さな頭を撫でながらその獣耳をさりげなく触り、前世ゲームとは微かに違ったその不思議な感覚に胸を躍らせる。



 (これがリアル獣耳! 柔らかい~、それに小さくて可愛いわ! あっ、あまり触るのはよくないのかな? んー自分でもよくわかっていなそうだし、今のうちにやっちゃおうか)


 「……?」


 「大丈夫、私は貴方の味方。 大丈夫……――」



 抱きかかえながら頭を撫でゆっくりと静かに、耳元で何度も同じ言葉を語り聞かせるように呟きながら、その口を首元へと近付けていくリア。


 目下には最上級ポーションでも完全には回復できず、病的なまでじゃないにしてもやせ細った首元。


 万が一にも再び、泣かれてしまうのはリアとしても避けたいこと。


 肉体能力ステータスにものを言わせ、高俊敏性AGI、高巧緻性DEXを駆使して、その首元に牙を埋め最速で《解毒吸収》を行使する。



 牙を刺した瞬間、身体を震わせたのを感じるもそれが身体的反射の動きだと思うことにしたリア。


 スキル使用中は幸いにして抵抗や泣くことはなく、ただされることを大人しく見ていてくれるセレネ。


 数十秒にかけて行われるそれは、小さな体から不純物と思われるものを吸いだしていく感覚が確かに感じられた。



 「んっ、んっ……ふぅ」



 首元から口を放し、その小さく真っ平らな胸元を確認すると不気味な模様は完全にその姿を消しており、念には念をいれて《血脈眼》も合わせて状態を確認する。



 (ふぅ、これで取りあえずは大丈夫かな。 それにしても……うん、やっぱり可愛い。 私の直感も捨てたものじゃないわ。 これで一人、世界から可愛い子が消えずに済んだわけだし)



 まるで一仕事終えたような感覚を味わっていると、未だきょとんとした顔でリアを見つめてくるセレネと目が合った。


 (あら可愛い。 ――あれ? この子)


 その目はさっきまでと明らかに違い、彼女がリアという存在を明確に認識していることがはっきりと感じられる。


 初めてセレネときちんと目があったことに無意識に表情を緩め、その可愛らしく愛でたくなるような少女へと微笑みを向けた。


 今までの視線が合っても感情や考えが読めなかったのはもしかしたら、病によって何らかの視覚障害のような症状があったのかもしれない。


 それならこれが初めての顔合わせということになるのだから、まずは挨拶かしら。



 「おはよう」


 「……、っぐす、ひっく、……おは、よぅ」



 再び泣き出してしまうもはっきりとセレネに返された言葉。

 ただの一言、それでもリアの中で彼女に対する想いを変化させるには十分すぎるものがあった。


 沸々と胸の最奥から湧き上がるそれは彼女への想いなのか、急激に形を変えていくのが感じられる。


 言葉で表すなら動物に向けるような感覚の『可愛い』というものから、更に先の一個体としての『愛おしい』という感情だろうか。



 (あぁ、泣かないでぇぇ、でも可愛いわ!! なんだろう、この可愛い存在は! アイリスとは違って性的な要素は微塵もないのだけど、なんだか無性に愛でたくなるというか全力で甘やかしたくなるというか。 この子、私が貰ってもいいのかしら? ううん、貰うわ。あっ、でも本人の意志は大事よね)



 内心で胸の内から溢れんばかりに可愛いという想いと愛でたいという欲求が生まれ、これを母性というのなら、初めての母性を内なる部分で荒れ狂わせることとなったリア。


 沈まないよう支えるといった意味合いが強い抱き方から、今度は母親が子供を抱き抱える様に持ち直し、その背中をあやす様にぽんぽんと優しく叩く。



 (知れば知る程にもう少し壊すべきだったか悩むわね、あの国。 いや、恐らくこの子をこうしたのはあそこだけじゃなく、多くの人類種なのだろう。 それならやっぱり、向けるべき相手は別にいるのよね。 おっと、それよりも)


 咽び泣くようにして周囲へと声を響かせていたセレネはリアの奮闘のあやしの効果もあってか、すすり泣きレベルまで落ち着いてきていた。



 「私はリア・アルカード。 貴方の名前を教えて欲しいな」


 「……セ、セレネ」


 セレネはその瞳に混乱を見せ躊躇いながらも、空気に消えてしまいそうな声量で確かに口にしたのだった。


 「良い名前ね、セレネ。 さっ、いつまでもここに居ては冷えるわ」


 「……っ」



 言葉を交わせただけで満足してしまうリア。

 まだ恐怖や混乱といったものは残っているだろうに、それでも言葉を返してくれたことに堪らなく愛おしい感情が湧き上がる。



 川のほとりへ上がり、まずは自分の装備よりセレネの服をどうにかしなければと思考する。

 辛うじて布というだけの服としての機能が皆無なアレは、既に自分が破り捨ててることからここにはない。


 (まあ、あったとしても秒で破り捨てるだけで、2度と着せるつもりはない訳だけど)


 考えながら次元ポケットに手を突っ込み、あれでもないこれでもないと漁り続け、彼女の雰囲気にも装備効果的にもマッチした物を取り出す。



 取り出した装備は『冥利の緑衣』一式。


 見た目は白と緑のAラインワンピースでシンプルな造りをしているも、ギャザー飾りとボウタイがアクセントになっている可愛らしい服装。


 靴は底の高くないスタンダードな物で、麦色のストラップが幾度もクロスしており、華やかさと歩き易さを重視した紐サンダルである。


 何度か自分で着たことがあるが、誰にでも合う見栄えのする作りで装備LV1という気軽さも相まって、それなりにユーザーからも人気があった装備だ。


 装備効果はリアなりに弄っており、個人的に気に入っている一着でもあった。



《破壊不可、幸運値UP、不可侵領域、自然回復促進、インベントリ枠+5、戦闘行動不可、着脱制限》


 (改めて見ても良い装備ね、これならこの子の今後は護られる筈。 ただ、一度着てしまうと《着脱制限》の効果で丸一日は外せないけど大丈夫よね。 私のガチ装備と一緒で汚れはつかないと思うけどどうかな)


 取り出した服装を早速着せようとするリア、するとセレネの視線は『冥利の緑衣』に釘付けなことに気づく。


 可愛いと思って貰えることに越したことはないけど、これは気になってる目と思っていいのかな?



 ぼーっと装備を見つめるセレネを素早く着替えさせ、終えた後もその視線は胸元や手元へと向かってることに、思わず吹き出しそうになり口元を緩める。


 それからはいつもの様に血のカーテンをつくりガチ装備へとその見た目を戻すと、ローブを羽織ってる間に隣にアイリスがやってくるのだった。



 「ふふ、私の見る目も捨てたものじゃないわ。 貴女もそう思わない?」


 横目に、既に水浴びを終え着替えも済ませているアイリスへと目を向け、妙な達成感と可愛い子の共有したさに得意げな心境で問いかける。


 目の前で淡い緑色のワンピースを着せられ、装備をまじまじと見つめているピンク髪の獣人の少女へと目を向けるアイリス。



 「悔しいですが……ええ、確かに可愛らしいと思いますわ」



 リアの言葉だからそう返しただけなのか、本当にそう思っているのかはわからない。


 彼女が人類種を嫌悪しているも亜人種をどう思っているかは不明であり、それでも彼女がセレネをぞんざいに扱うことはしないだろうと確信しているリア。


 何故なら彼女は自分が連れてきた子であり、アイリスはリアの所有物には手を出すことはしないからである。


 (まぁ私が欲しいだけで、まだ私のモノじゃないんだけどね!)



 そんな風に思っていると頃合いを見たのかプーサンがルゥを引き連れ、少し離れた所から歩いて来るのが見えた。


 げっそりとした様子のプーサンの隣には、変わらずボロ布を身に纏ったルゥが大分マシになった本来の姿を見せていた。


 ルゥはリアの横のセレネへと目を向けると、琥珀の目を見開き驚愕した様子で立ち止まる。


 そして次の瞬間、一目で分かる程に歓喜と高揚をその小さな体から溢れさせ、足をもつれさせながらも無我夢中に駆け出した。

 やがてセレネの元へ辿り着くと、そのまま突撃する勢いで強く抱き締めるのだった。



 「セレネッ! セレネ、セレネ! よかった、……よかっだぁぁ!!」


 感極まった様子で妹を抱き締め、繰り返し何度も何度も『よかった』『ごめんな』と口にするルゥ。


 「……お兄、ちゃん? ……っ、ひっく、ふぇぇ」



 そんな兄に対してセレネもたたらを踏みながら呆然としていたが、やがて決壊したようにまたしてもその可愛らしい顔を歪めて号泣しだしてしまった。


 リアは空気を読んで黙ってその光景を見つめていたが、心の中で1分を数え終えると無慈悲にもルゥをセレネから引き剥がし、川へと無造作に放り投げる。


 「わっ!?」という慌てた声が聴こえ、数秒後には水が盛大に飛び散る音を鳴らしながらルゥが水面から顔を出し、不満顔で何やら喚き散らし始める。



 「ぶっ、……な、なにすんだよっ!」


 何やら怒っているようだが怒りたいのはリアである。


 せっかく綺麗にした可愛いセレネを目の前で汚され続けて、看過できるほどリアは大人ではない。



 「貴方、そんな汚い恰好でまたセレネを汚すつもり? ――あっ、その違うのっ! これはその、虐めじゃないわ。 お兄ちゃんとは戯れただけで、決して虐めだわけじゃないの。 本当よ? だからそんな顔しないで」



 1分だけ許容し、そのまま引き剥がしたリア。


 ルゥを放り投げた瞬間、セレネの身体が僅かに跳ねたのを感じとる。


 リアは慌ててその身体を優しく抱きしめ、安心させるように弁解を言葉にしながら慰めるのだった。



 そうしてリアの必死の弁解もあってか、セレネの恐怖感はある程度拭えたようで、その表情から不安の色が消えると胸を撫でおろす。


 ほっとしながら緩んだ表情でセレネの頭を撫でていると、後方からルゥが川辺に上がりながら、何やらぼやくのが聴こえてきた。



 「これしかねぇんだよ……どうしろっ、ぶっ」



 セレネの服をピックしながら、一応はルゥの服も頭の片隅で選んでおいたリア。


 女物しかない装備一覧で比較的中性的な物で尚且つ、それなりの効果が付いているものは残念ながらこれしか見当たらなかった。


 ルゥに――もちろん、加減は加えて――投げた装備

『見習い装束』一式。 LFOでの初期装備の1つである。


 獣の皮で作られたベストに灰色のYシャツ、パンツは茶色のチノパンでシンプルな形をしている。


 これといって特徴もないシンプルすぎる作りではあるが、リア自身低LV帯の時に使っていた優秀な装備でもあるのだ。



 (思い入れ深い装備だから倉庫には入れず残しておいたけど、LV40までしか使えない訳だし。 取りあえずは上げずに貸しね)


 LV1から装備可能、強化できる部分は全てMAX強化済み。


 《戦闘経験値2.5倍、ステータス強化(中)、致命傷回避(1/1)、破壊不可》


 投げられた物を手にして、それが服だと気づいたルゥは着替えようとするも、着慣れていないのか手こずり始める。


 仕方なくリアはセレネから離れルゥの手伝いをしようとすると、それより早くにプーさんが駆け寄り着替えの手伝いを始めだしたのだった。



 仮にもここには女性が4人居るのに平然と着替えるのは幼さ故か、もしくはあまり意識していないのか。


 どちらなのだろうと何気なく考えるもリア自身、プーサンが近くに居ながら裸になっていたことを、棚上げして考えているとを気づいていなかった。



 そんなルゥに対しての態度に何気なく気になったリア、今後のことも踏まえて後ろ姿のプーサンを見詰めながら口を開く。



 「貴方の国は亜人に対しての差別とかはないのかしら?」



 思わず口から出るは、そんな言葉。


 間違いなく聞こえていたであろうプーサンの手はピタリと止まり、その空間には不穏な静寂が広がったのだった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る