第56話 始祖が拾った兄妹



 狭い檻から獣人の兄妹を持ち去り、大通りを駆け抜けるリア。


 檻のあった通りからティーの元へと駆け、正門付近で見た光景。


 それは吸血鬼化した教皇が自身の心の拠り所とも呼べる聖都市に戻ってきたことにより、どうやら心ここにあらずな状態から意識を取り戻した姿だった。


 しかし、そんな教皇から距離を取って様子を窺う住民達の目はまるで、亜人や魔族に対して向けるようなソレで聖神教の元トップを見ていたように思える。



 (少し待たせちゃったかな。 あの人間達の様子だと教皇アレの未来は暗そうね)



 駆けながら横目に見えたそんな光景にリアはティーの背中へとぴょんぴょんと軽快な動きで飛び跳ね、背中の黒い甲殻に腰を下ろしていたアイリスに出迎えられたのだった。


 そんなリアに大して満面の笑みを浮かべて喜びを露わにしたアイリスは足を止め、抱えられている2つの存在に気づく。



 「それはなんですの?」



 アイリスは怪訝な表情を浮かべて、リアが両腕に抱えている獣人の兄妹へと目を細めた。



 「んっ」



 言葉を話せないリアはアイリスの疑問に対し、ぺろっと今尚再生し続けている焼け爛れた舌を見せることで、現状は話せないことを意志表示する。


 やっちゃった、的な軽い気持ちで舌を出したリアだったがアイリスの表情の変化は凄まじかった。


 その切れ長の目には蔑みと疑問を含ませ兄妹を見下すように見ながらリアへと問いかけていたアイリス。


 そんなアイリスが瞳を2倍にも3倍にも大きくしていき口をポカンと開けると、やがて取り乱したようにあたふたし始めたのだった。



 「お、お姉さまっ!? どうされたのですか!!? 何故そのような、はっ! もしやそいつらのせいでッ」



 半パニック状態になりながら両手を宙に何度も彷徨わせ、その可愛い顔を苦しそうに歪めるアイリスに未だヒリヒリ痛む口内を感じながら思わず口元を緩めてしまうリア。


 (あぁ、心配そうなアイリスも可愛いわぁ! この顔が見れたなら負傷した甲斐もあったわね)


 しかし、負傷の原因が手元の兄妹にあると思い至ったアイリスはその瞳を鋭い物へと豹変させ、殺気だった様子で意識のない二人を睨み始めた。


 間接的にはそうなのかもしれないが殺されてしまっては困ると思ったリアは、否定するように首を振う。



 「ではどうして、そのような……」



 説明の前に、領域内に入っていなくても注目を浴びている自覚はあったリアは全員がティーの背中に乗ってることを確認すると、レーテに指先でプーサンを支えるよう指示をだすと愛竜へ出発の合図を送った。


 時間にして1秒もしない内に背中にはそれなりの振動と衝撃を響かせ、その巨体を大空へと上昇させていくティー。



 揺れが無くなり完全に水平になるまで兄妹を抱えていたリアは傾度が安定したことを感じ取ると、両腕に抱えていた二人を比較的凹凸の少ない甲殻へと寝かせる。



 「お姉さま? 何があったのですか」


 「リア様、負傷されたのであれば私の血をお飲みになられてください」



 アイリスとレーテはリアが兄妹を置いた瞬間、憂わしげな表情を浮かべて怒涛の勢いで詰め寄ってきた。


 二人の様子に苦笑を浮かべるリアは、説明のできない口を恨めしく思い。


 とりあえずはその可愛らしい頭に両手を置いてぽんぽんと落ち着かせるように優しく撫でることにした。



 (ぐぬぬ、話せないこの口が憎い! でも、そんなに心配して貰えるならそれはそれで暫くこのままでも良いような、悪いような。 究極の選択ね)


 アイリスとレーテの頭を優しく撫でるとそのまま抱きかかえるいうにして、二人の頭を引き寄せ頬を触れ合わせるリア。


 ぽかぽかとしたものを体の芯から感じ、加えて二人の甘くて蕩けるような良い匂いに口元を緩ませるリアだったが"臭い"という単語に慌てて二人から距離を取る。



 ……危ない危ない。


 私はしょうがないけど二人にまでその臭いを付けるわけにはいかないわ、自分ではわからなくてももしかしたら臭いがついてるかもしれないし。



 突然、突き放すようにして自分達から距離を取るリアに対して、二人は落ち着きを取り戻した様子だったが再びその顔に心配と疑問を感情を浮かべだす。


 (私だって二人ともっと抱き合いたいよ! でも、臭いとか思われたら、暫く立ち直れないし。 幸い白い服だから一目でわかるわけで、今は黒染みどころか汚れ一つ見えないわけだけど。 それでもやっぱり怖いの! 砂塵や血汚れが付かない時点でこの装備は大丈夫なんだろうけど・・・・うん、無理)



 取りあえず、装備でも何でもない一番汚れていそうなローブを脱ぎ捨てて、二人には何でもないように首を振りながら微笑みを浮かべておく。


 一度脱いで捨てたローブと同じ物を次元ポケットから取り出して纏い始めたリアに、アイリスは首を傾げ、レーテは獣人の兄妹へと視線を向け納得したかのように頷く。



 「リア様、その程度のことで私は何も感じません。 それとご安心頂けるかわかりませんがリア様はいつも通り、その……とても良い香りが致しました」



 全体的に表情を緩め、顔を赤らめながら照れた様子で話すレーテ。

 そんな彼女に我慢出来なくなったリアはレーテの言葉を信じて抱き着き、ぎゅうぎゅうと体全体を惜しみなく押し付け更に匂いや体温、身体の感触をもっと感じてもらえるよう擦り付ける。


 (もうもうっ! 本当に出来たメイドね! 少し恥ずかしいけど、大丈夫だというなら良かったわ。 はぁ、落ち着くぅ……柔らかい上に気持ちいとか反則ね)


 抱き合うリアとレーテ、その光景を少しだけ離れた位置で見ていたアイリスは訳が分からないという表情を浮かべながらも、慌てた様子で駆け寄ってくる。



 瞼を閉じてレーテを堪能していたリアは薄っすらと瞳を開け、遠目に兄妹の様子を見ているプーサンが映り込んだ。


 (あの様子だと獣人に対して拒否感はないようね。 あぁ、異教徒になったのも亜人の奴隷を擁護したからとかだったっけ。 それならほんの少しだけ二人は任せようかな)



 一応は領域内でもある為、プーサンが何かしようものなら瞬時に対応できるとリアは駆け寄ってきたアイリスを半身で抱き留めながら考えていた。



 右からも左からも感じられる確かな弾力。


 大きさは違えど左右から押し付けられる凹凸は容赦なくリアの胸元をむにゅむにゅと押し潰し、その更に奥から伝わってくるトクントクンッという一定のリズムで刻む二つ心臓を感じさせた。


 そんな音に眠ってしまいそうな心地よさを感じて瞼を閉じていると、領域内に横たわる兄妹から微かな挙動を感知する。



 プーサンはリア達がイチャイチャしてる間、気になる様子でチラチラと視線だけ振り向かせていたがそれ以外は黙って兄妹の様子を見つめていた。


 リアが感知してから数秒後、赤毛の少年はその瞼を開かせると慌てた様子で上体を起こした。



 「はっ! ……あれ、ここは」



 周囲には空だけが広がる景色を見渡し、唖然とした様子で呟く少年。



 「目覚めたかい? ここは、……ぁぁ――上空だ」


 「……は?」



 目覚めたばかりの獣人に対し、プーサンは片膝着いた状態で同じ目線で説明をはじめる。


 しかし、如何せん竜の背中ということもあり、彼自身未だに理解が追いついていないのかもしれない。


 プーサンの歯切れの悪い言葉に訳が分からないといった感じで、唖然とした様子で眉を顰める少年。



 「その、落ち着いて聞いて欲しい。 ここはとある竜の背中で、今僕たちは上空にいるんだ」



 まるで自分に言い聞かせるようにして、――言葉の節々にクエスチョンマークを感じなくはないが――語り聞かせるプーサン。


 しかし、そんな彼の言葉に獣人の少年は益々意味が分からないと口を歪めた後、静かに容赦ない言葉を言い放った。



 「お前は何を言っているんだ?」


 「……」



 少年の悪気はないにしろ、容赦のない正気を疑うような言葉に黙り込むプーサン。

 そんなやり取りを離れた所で見ていたリアは彼に対しての評価を少しだけ上方修正することにした。


 挨拶した時の態度は面倒そうに感じたが、今のやり取りから獣人への差別は見えず、明らかに身分的にも劣っている相手に対しても紳士的に接するプーサン。


 説明は間違ってはいないが残念ながら理解はされなかったらしい彼に対して、一歩前に出て助け船を出すことにする。



 「それの言ってることは事実よ」



 「それ……」と小さく呟く声が風に運ばれてきたが平然とスルーするリア。


 突然の第三者の声に反応して振り返った少年はフードを降ろしたリアへと目を向け、目を見開き「アンタは……」と半開きにした口で呟いた。



 どうやら自分のことは覚えているらしい。

 意識が朦朧とし瀕死な状態もあったことから、もしかしたら覚えていないんじゃないかと思ったが、どうやらそうでもないみたいだ。


 だが、少年は何気なく咄嗟に出た言葉を口にしただけのようだが、その言葉の代償は高くつくことになる。


 リア個人としては一々目くじら立てる程のものではない上、あからさまに蔑む態度や侮る態度がない限りはスルーしてもいいと思っている。


 しかしそれはリアの考えであって可愛い妹とメイドが同じ考えとは限らない、今回のことでいうなら違ったらしい。


 "アンタ"と少年が口にした途端、一切の手加減がない2つの殺気がほぼ同時に叩きつけられることとなった。



 少年の実力がどれだけのものかわからないが、二人より上もしくは同じくらいという線はまず間違いなくない。


 何故なら、どれだけ弱っていてもあの程度の檻なら二人は容易に壊せる、加えてクラスにもよるがLV25もあれば無手でも単独で壊す事は恐らく可能だっただろう。



 ではそんな少年が二人の合わせた殺気を耐えることは可能なのだろうか。


 答えは否。


 まず間違いなく行動は完全に阻害され【祖なる覇気】とは比べられないが、幾つもの弱体効果デバフが少年を襲い恐慌状態に陥るとリアは予想していた。


 殺気を向けられた少年は目に見えるレベルでその赤毛を逆立てさせ獣耳をピンッと立たせると、殺気の出どころであるアイリスとレーテに対して最大限の警戒を露わにして抵抗の意志を見せる。


 まるで条件反射のように座った状態から飛び跳ね、ティーの背中に足を付けると歯を食いしばった状態で耐える様な姿勢で獣の唸り声を上げだす少年。



 「っ、……うぅっ!」



 (あれ……動ける? それどころか、明らかに戦う姿勢よね? んん?)



 リアの予想に反し、少年は食いしばる様にその犬歯を露わにして威嚇するが、その様子から勝つことは出来ない相手だと本能的にも理性的にもわかっている筈。


 それでも抵抗の姿勢は辞めず、その瞳に明らかに怯えを見せながらも弱体効果デバフのかかった体で勇猛な構えを解こうとはしなかった。


 目が覚めたばかりで完治した身体にもまだ意識や感覚が慣れていない筈、そんな中で自分より明らかに強者だとわかる存在から殺気をああも受けながら抵抗の姿勢を見せるのは、そういった環境に居たのもあるだろうが恐らく妹の為なのだろう。



 「アイリス、レーテ。 いいわ」



 リア自身、別にいいと思っている上、この少年の精神力の強さに称賛を送る気持ちで二人に殺気を向けるのをやめるように促す。



 「ですがっ」


 「……かしこまりました」



 少し前までの二人だったらここまで過敏に反応しなかった気もするが、聖王国の一件で関係が更に深まったからかもしれない。


 なんていったって二人とも体も心もその全てを私にくれるといったわけで、好感度もかなり上昇していると見ていいのかもしれない、つまりそういうことなのだろう。


 (えへへ、二人の愛が痛い程に伝わってきて幸せです。 もっともっと愛し合ったら嫉妬とか束縛とかされちゃうのかな? アイリスとレーテなら私、いいかもしれないっ)


 愛されてるということを自覚して、内心ではデレデレしていたリア。

 しかし表面上では口元をにやつかせるだけに留めていた。



 少年に向けられた殺気はピタリと止み、その後方ではプーサンが固唾を飲んで成り行きを見つめている。



 リアは【戦域の掌握】にて妹である少女がその意識を取り戻しつつあることに気づき、少女が横になっている所へと歩み出した。


 (少年は大丈夫そう。 でも、その妹の方は現在進行形で病に侵されている。 数に限りがあるポーションを使ったのだし、成り行きとはいえ無駄にはしたくないわ)



 二人の殺気によって疲弊している少年は足をふらつかせ、それでも倒れることなく荒い呼吸を繰り返しながら落ち着きを取り戻そうと踏ん張り続ける。


 リアはそんな少年の横を通り過ぎ、そのタイミングでちょうど目を覚ました少女はその薄い金の瞳を宙へと彷徨わせ始めた。



 「身体は大丈夫そうね。 上体起こせそう?」



 上の空で虚ろな表情を浮かべて周囲を見渡す少女に、リアは少しだけ距離を取って声をかけた。


 声は聴こえたようでその淡い金色の瞳をリアへと向け視線を交差させるが、それ以上の反応はみせなかった。



 どうしたものかとリアは思案顔を浮かべて立ち尽くす。


 無理やりに診てしまった方が早いという結論は出ているが、どうも今までのように振舞えない自分にやきもきするリア。


 (うーん、どうしようか、考えてみればこの世界で目覚めて一カ月。 行動は大体深夜だったし女性や子供を殺す依頼は避けていたから、こっちで子供と言える歳の子と話すのはこれが初めてね)



 良い案が浮かばず、思わずそんなことを考えてしまっていたリア。


 それでも視線だけは反応のない少女へと向けていると、突如として息を荒げながらも赤毛の少年が少女とリアの間へと割り込み。

 

 まるで護るようにして、両手を広げた。



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