第55話 吸い寄せられる始祖
「……はぁ、っ……はぁ、あんた、昼の」
檻の中で血だらけのまま止血すらされずに放置された子供。
汚れて黒ずんではいるが月明りに反射して一瞬の間に魅せたのは燃える様な赤い髪、そして人類種には存在しない赤髪から生えた獣のような尖った耳。
間違いなく瀕死の状態でありながら、こちらを睨むようにして見上げるは黒味を帯びた金色の瞳だった。
『昼の』ということはこの子供はやはり、リアが聖都の下見に来た時に暴れていた少年のようだ。
大人二人に抑え込まれがむしゃらに暴れていた子供が一瞬、目が合っただけの自分を覚えていることに少しだけ感心してしまうリア。
「覚えていたの?」
少年は息を乱しながらその瞳をリアへと向け続けるが、その目が本当に見えているのかは定かではない。
リアは視線を受けながらも何処か自分を見ていないような感覚を覚え、その少年と奥のもう1人の状態を確かめるようと今は碧い瞳を動かした。
今の少年の状態も酷いもので、もう二日前になるのだろうか。
あの時も汚れや怪我が目立ち、やせ細って骨と皮だけの存在が辛うじて布という服を纏っただけの姿に見えていた。
しかし今は赤い髪を生やした頭部からだらだらと止まる事のない血を顔に垂らし、片腕は関節とは明らかに違う形で折れ曲がり、その特徴的な赤毛の尻尾は所々毛が抜け落ちて歪なものへと変貌してしまっている。
「……はぁ、……ぐっ、……?」
少年の奥でピクリとして動かない存在へ目を向けた瞬間、自分の領域内に無警戒で入ってくる人間の男がリアに突然声をかけてきた。
「おい、あんたっ。 そんな汚いもんに近付くのはやめと―――」
男はしゃがみ込むリアに無遠慮に歩み寄りながら、聞いてもいない不愉快なことをべらべらと喋り始めた。
リアは考えるより先にソレの口を閉じることを優先させ、手元に血剣をつくり視線すら向けずにその首を跳ね飛ばす。
その場には再び静寂が広がり、遅れて質量のあるものが何かにぶつかる衝突音を響かせるも、それ以降は少年の荒い息と呻き音だけの空間へと戻っていた。
瀕死な状態でもはや意識がはっきりしているのかすらわからない少年も、リアの気のせいでなければ確かにその目を見開き金色の瞳を地面へ倒れた首無しの死体へと向けた。
(汚い、ね。 そうしたのは人類種至上主義なんて愚かなものを掲げているこの国の人間たちでしょう? 本当に胸糞悪い国ね、もう少し壊しておくべきだったかしら)
リアは男の言葉に不愉快そうに眉を顰め、目の前の少年の状態を再確認しようとする。
すると死体から目を放した何も変わらぬ表情の少年と再び目が合った。
碧と金が確実に向き合い、またしても吸い寄せられるような感覚に陥って内心で疑問を浮かべるリア。
本来であればコレが人類種じゃない種族だったとしてもリアはここまで気に留めないし、女性や子供を殺す気は起きなくても積極的に助けようとも思わない。
その場合、恐らく目を向けるだけでスルーする可能性の方が高いだろう。
ただし目の前の子供が可愛い女の子、もしくはそそられる女性であった場合は高確率で引き寄せられて自分のモノにした可能性は否めないわけだが、それでもこの事態はリアとしても自分の意志とは別の何かを感じていた。
リアは内心で疑問に感じながらこの少年の何にそこまで引き寄せられるのか、思わず思考に耽ってしまう。
すると、そんなリアに対して少年は焦点合わない視線でうわ言のように、何かを呟き始めたのだった。
「妹を、……妹を助けて、妹を……」
(妹……? もしかしてもう一人の)
リアは呟きに釣られるようにして、もう一人の存在へと目を向けた。
そこには仰向けにして力無く横たわる黒い小さな影。
汚れがあまりにも酷く、その髪色や肌の色すらわからないレベルで全身黒ずんだ外見をしており、辛うじて特徴が見えたのはリアと同じかちょっと短いくらいの汚れによって黒くなってしまった長髪。
そして目の前の少年以上に痩せこけたもはやミイラと言っても差し支えない程、病的なまでの細い体。
呼吸はしてるがそれはあまりにも浅く、リア程の身体能力と聴覚を持って辛うじて聴こえてくる掠れた呼吸音。
「……妹を、助け……、はぁ……はぁ……、俺、の……妹を」
少年自身もはや時間の問題で既に意識がなくなっていても可笑しくない状態にも関わらず、ただひたすらに『妹を助けて』と掠れた声で何度も何度も繰り返し言葉にする。
(考えていたらこの子死ぬわね。 取りあえず気になることについては治療してから考えましょう)
リアは血剣を持つ手に力を僅かに込め、檻などなんの意味もなさないと無造作に切り刻む。
並行して無数に並び立つ鉄棒は抵抗もなく、まるでバターの様に両断されるとガランガランッと甲高い衝突音を周囲へと響き渡らせた。
四方の一面を完全に開かせたリアは中から二人の黒ずんだ子供を丁寧に抱き上げ、檻から出させると無駄のないかつ優しい動きで地面へと降ろす。
見れば見る程に酷い二人の獣人の子供の状態。
ほぼ初対面であることから、この子供たちに対する愛着や情などはリアの中では皆無である筈なのに、やはり実際に見てみるとこの国の人類種至上主義には不愉快極まりないものがあった。
リアは次元ポケットに手を突っ込み、2本の赤い液体の入ったものを取り出す。
取り出されたそれは細部まで造りこまれた上質な容器であり、中に見える赤い液体もチラチラと金箔の様なものを輝かせている。
それは種族上リアでは扱えないがPT用にと他のメンバーの保険代わりに、インベントリに入れていた最上級のHP回復ポーションであり、
回復量でいえばこの世界の存在であれば明らかに過剰な回復効果。
他にポーションがないわけではないが、ここまで衰弱し瀕死な状態だと中途半端なものでは完治するのかどうかすら怪しい為、念には念を入れどうせ使わないと適当に取り出す。
時間が惜しい為、まずは手前に力無く横たわる意識を失ってしまった少年へと飲ませる。
(飲めるかしら。 あぁ、確か
液体が少年の口に入り、内心では適当な気持ちではあるがその手元はゆっくりと丁寧に、細心の注意を払いながら介抱するリア。
やがて少年は喉を1度鳴らし、そしてまるで時間が加速するかのように高速で傷を癒していくと、折れ曲がった腕や尻尾を元の状態へと戻したのだった。
(次はこの子なんだけど……んん? 私の可愛いセンサーが僅かに反応してるわ。 この子、元は結構可愛かったのかな? ――あらっ)
妹と思われる黒ずんだ小さな影へと与えるが返ってきたのは小さな咳きと少量の吐血。
先程よりも小さくも荒くなっている息に、いよいよ死が迫って来ていると直感で感じたリア。
(はぁ、飲めないとなると……あれよね。 正直、そこまでやる必要があるのかわからないけど。 この少年を助けた以上、その少年が自分より優先する妹を見捨てるなんて選択肢、普通に考えたらないわよね。 まぁ、妹ちゃんも今はアレだけど直感だと可愛い気がするのも確かなわけで。 ……はぁ、始祖の
リアは口にポーションをあおると同時に、口内に許容することが難しい程の激痛が溢れだし、再生と破壊を異常な速度で繰り返しながらその膨大な
「んぐっ――」
(っんんんtんttんtんtんtんっっっ!?!?!)
いくら最上級ポーションと言えど、始祖を絶命に至らしめるには数十秒はかかるらしい。
しかし、逆に言えば数十秒しか持たないということ。
今すぐ口内の猛毒を吐き出したい気持ちを抑え、ジリジリと焼かれ続ける痛みを感じながらも少女へと向き直る。
黒ずみ汚れだらけの口に唇を合わせ、数えきれない程のディープキスで鍛えた舌使いで液体を押し込みながら、まるで機能してない小さな舌を絡み取り機能させる。
すると妹と思われる黒い影は何かを感じたのだろうか。
一瞬、瞼をうっすらと開き、その中から煌めく薄い金色の瞳をリアへと向けた気がした。
だが直ぐに瞼は閉じられ、やがてコクッと小さくも喉を鳴らし、少年の時と同様にその肉体の修復を高速で完了させたのだった。
(痛い痛い痛いっ!! 滅茶苦茶痛いわ!! ちょっ、何コレ? え、これ普通に死ねるわ。 私を一番早く殺すなら間違いなくこれよ! 聖属性の武器でも火属性の武器でもない。 ポーションえぐいわ!
口内が焼け爛れ、凄まじい速度で
足元の少年と少女は汚れは未だ酷いものの、傷や怪我などは完全に完治している。
問題は少女の方が怪我だけでなく、明らかに何かしらの病気を患っており、その異常状態は
リアはジリジリと焼かれ続ける口内を感じながら思案し、諸々の疑問などは一度この二人を連れていってから解消することに決めた。
いつまでもここにいては――
「なっ、なんだ! 何の音だ今のはっ!!」
――こうやって、面倒ごとが起きてしまうから。
無数の檻が置かれている檻の所有主だと思える家の中から、慌てた様子で木製の大扉から出てくる男。
それは大通りに躍り出ると慌てた様子で周囲を見渡し、やがて檻の前でしゃがみ2人の子供を介抱するリアへと向けられた。
そして面倒ごとはそれだけじゃない。
リアが競歩してきた通りとは別方向から、恐らくティーの騒ぎを聞きつけて急行してきた聖騎士が二人。
白銀の鎧を月明りに照らしながら、白いマントを靡かせこちらへと向かってくるのが見える。
(はぁ……反省ね。 ただ、今回は回復させる前に運んでいた場合、到着前に命を落としていた可能性もあるから仕方ないか)
「お前かっ、うちの檻に何かしていたの――」
檻の所有主と思える男は怒りの剣幕でリアへと迫りながら怒鳴り散らし、その途中で足元の少年と少女の存在に気づくと不思議そうに怪訝な表情を浮かべる。
無駄に煩い声にまだ距離のあった聖騎士達は騒ぎを聞きつけ、リアと男の元へと駆け出し始めるのが見えた。
リアは1ミリとて自身の障害にはなりえないと男を無視すると、向かってくる聖騎士達へ人差し指を向け同時に魔法を行使する。
【炎焦魔法】――
指から視認できる程の稲妻が発生し、それが鳴ったと思えた直後に聖騎士達が火炎に包み込まれる。
目を凝らせば実力のあるものなら微かに宙を駆け抜けた雷電が見えた筈だが、聖騎士の二人はそこまでのレベルではなかったらしい。
(まぁ、それも考慮して着弾速度の速いこれを選んだわけだけど。 剣聖ならギリギリ避けたでしょうね)
燃え盛る業火に呑み込まれただのたうち回ることしかできない聖騎士から視線を外し、リアは思い出したように血剣を振り払うと隣で騒ぎ立てる男の胴体を両断する。
右から左に聞き流していた事から直接ストレスを与えられた訳ではないが、やはり煩いのが居るのと静かな環境とでは違うなと、リアは満足そうに何度か頷くと少年と少女を片腕ずつで抱きかかえた。
(うっ、すごい臭い。 こんな臭いを漂わせてるのに、体すら洗わせてもらえず死ぬまで放置、ね。 本気で全部滅ぼそうか考えちゃうけどどうせ時間の問題か、こんな国)
だがそんなことをしているとまた面倒が増えると確信しているリアは、2つの焼死体と上半身と下半身で両断した死体に目もくれず、抱えた二人の子供をしっかりと抱えティーの元へと駆け出したのだった。
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