第54話 邂逅する始祖
松明の灯が点々と広がる通路の最奥。
小さくなっていくレーテの背中を見つめながら小部屋の入口へと視線を落とし、その夥しい量の血とどこまで続いている血痕に困り顔を浮かべるリア。
リア個人としては慣れているものの、目の前に広がる小部屋や通路にべったりと張り付いた真っ赤な光景が一般的にはちょっとアウトなことは理解している。
そんな部屋を眺めながら、来るのかわからない逃げ出した豚を待っていると。
やがて薄暗い通路の方のから、落ち着きのない靴音が鳴り響くのを両耳が聴きとった気がした。
鮮血に染まった赤い部屋を退出し、扉をしっかりと閉めながらも冷ややかな意地の悪い微笑みを浮かべたリアは音の鳴る方へと振り返る。
騒がしい音の主は想像通りのこのギルドのマスター、豚のギャリックだった。
「はぁはぁ、あの悪魔……いねぇみてぇだな」
乱れた息で周囲を見渡し、閉じられた部屋に耳を澄ませてレーテが居ないことを確認するギャリック。
私の可愛いメイドを悪魔呼ばわりするなんて生意気な豚だ。
少しムッとした気持ちを沸かせながらも、今すべきことを優先しようと取りあえずは後にする。
「ちゃんと持ってきたの?」
「あぁ、持ってきたさ。 助かったのは事実だが、これで俺の取り分は完全に赤字だな」
不服そうに愚痴りながら革袋を渡され、リアはどっしりとした質量を感じながら包みを開くと中の金貨を無造作に掴みあげギャリックへと差し出す。
そんなリアの不可解な行動に怪訝な表情で眉を顰め、反射的に手を伸ばし目を見開き、自身の手とリアを挙動不審に何度も見始めるギャリック。
「あげるわ、それ。 模様替えにでも使いなさい」
「は? え、そりゃ一体どういう……」
意味が分からないとぽかんとした表情のギャリック。
リアはその言葉に返答は返さず、背を向けて外へ繋がる通路を歩いていくのだった。
しばらく後方からは動く気配を感じなかったが、思い出したように慌てた様子で小部屋に駆け寄ったギャリック。
その数秒後、まるでギルド内全体に響くような絶叫が通路を渡って聴こえてきたのだった。
貰うものをたんまり搾り取り、目的でもあった印章も得れたことで満足していたリア。
最後にレーテが残した置き土産のおかげもあって、最初に与えられた精神的苦痛の分は清算したことにしてあげようと考える。
辛気臭いギルド支部を出て最初にリアを出迎えたもの、夜空に浮かぶ気持ちの良い満月に照らされながらフードを降ろして長い銀髪を晒す。
「んんっ……っ、ふぅ」
そして身体を精一杯に伸ばすと、欠伸をしながら森の中でティーを待たせている集合場所へと歩き出した。
数分もしない内に目的の場所へ辿り着き、目視する前から感知は出来ていたがそこには4人の人影があった。
黒のローブを身に纏った2人の吸血鬼、そして今回の依頼対象、後に残るはレーテによって甚振られどこか目が逝っている精神が病んでいそうな
アイリスとレーテは深夜ということもあるだろうが、人の目がなくリアと同じように気持ちの良い月明りを感じてフードを降ろしその容姿を隠す事なく曝け出している。
二人はリアの存在に気づくと満面の笑みと微笑みを浮かべ駆け寄ってくると、アイリスは寸前で止まる様子も見せず地面から足を放した。
「お姉さまっ!」
ボフッと軽い音を鳴らし、微かな衝撃を受けつつもその暖かく柔らかい身体を抱きしめるリア。
「待たせてしまったわ、ごめんなさい」
「そんなことありませんわ! お姉さまをお待ちしている時間も、私にとっては幸せですもの」
胸元に顔を埋めて頬を擦り付けながら呟くアイリス。
その言葉の節々から感じられる彼女の心の本音と、身体から伝わる溢れんばかりの愛情に思わず口元が緩んでしまう。
「私もよ。 貴方達が傍に居てくれるだけでどれだけ幸せか。 貴方もご苦労様、……
抱きしめながら競歩で歩み寄ってくるレーテに顔を向け、すっかりいつもの様子に、いや若干表情が柔らかくなった彼女に問いかけた。
「はい、最高の贈り物になると思います。 ふふ、この数日は私の記憶から生涯消えることはない思い出になると思います」
「それは本当によかった。 喜んでもらえるといいわね」
美しくきめ細やかな顔立ちで向けられる微笑みに釣られてしまったリアは、祝福の気持ちを胸に抱えながら言葉を返す。
しばらく見つめ合っていたい気持ちではあったが、時間も有限。
「それで――」
夜が明ける前に次の宿を見つけたいと考えていたリアは今まで浮かべていた慈愛と愛情の満ちた笑みを途端に消し、氷のように凍てついた表情を依頼対象へと向けた。
「貴方が、プーサン?」
「え、あ、はい。 プーサン・ヴァーミリオンと申します」
いきなり声をかけられると思っていなかったのか、慌てた様子でプーサンと名乗る金髪の男。
リアが顔を出すまではあからさまに怯えた様子で地面に目を落とし、その存在を目立たせないよう放つ空気すら最大限に薄めていたが、今はその頬を微かに赤らめ気のせいでなければ僅かにその目は喜びを含んでいた。
アイリスもレーテも吸血鬼だと一目でわかる容姿、そこに目の逝った赤目の
加えて今のリアはカラコンを付けた碧目であり、銀髪碧眼という人類種に見えなくもない容姿。
同じ人類種として安心したのだろう。
(でもいくらアイリスとレーテが吸血鬼だからって、あそこまで可愛いくて美人なんだから怯えるより欲情するのが先なんじゃないかしら? まぁ、欲情したらしたで消しちゃうかもだけど。 あ、もしかして
内心で色々思考を巡らせていたリアだったが、プーサンは気づいた様子もなく喋り続けていた。
「――……今回の無理な依頼、お受けくださりこの命を救っていただいたこと感謝しております。 どうぞ、よろしくお願いします」
演劇のように仰々しい態度で胸に手を添え、頭を下げるプーサンにリアは思わずその名前に笑いそうになる表情を鋼の表情筋にて抑え込み、その反動で更に声が素っ気なくなった。
「アルカードよ」
冷淡な自己紹介してすぐさま振り返ると、後方から「あっ」と掠れた声をプーサンが漏らした気がした。
しかし、これ以上顔を合わせていると何かの拍子に吹き出しそうになってしまう為、無駄な会話は終わらせさっさと移動することにした。
黒い巨岩に擬態しているティーの元へと歩みより、その硬い甲殻に手を付け「ティー、起きなさい」と呼びかける。
(あれ……この感じ。 前と違うような?)
すると黒い巨岩はぶるぶると震え始め、やがてそれは激震へと変わると勢いよく地面から飛び出すティー。
夥しい砂土を撒き散らし、その全貌を露わにした4本の白角を晒す黒竜。
真夜中の常闇に溶け込むような美しい漆黒の甲殻とは対照的に、真っ暗闇の中をその存在を主張するかの如く超高温の白熱を纏ったねじれた巨角。
元気な姿に笑みを浮かべ見上げているリアの背後で、ドサッと地面に何かが落ちた音が聴こえ振り返る。
「あ……、あっ、ばっ化け物……」
尻もちをついて蒼白にさせた怯えた表情を浮かべ、震わせた瞳と指をティーへと向けるプーサン。
説明するのも介抱するのも面倒だと思ったリアは恐慌状態に陥ったプーサンへ歩み寄り、その襟元を掴みあげるとティーの背中目掛けて放り投げた。
怪我の心配も考えなくはなかったが、プーサンの指先に見えた剣だこに加え、近接クラスが大体持っている重心とその立ち姿にある程度のレベルはあると判断したリア。
ティーの背中から質量のある物が落ちる音が聴こえ、続いてリアは二人に目配せすると3人とも各々に黒竜の背中へと乗り込む。
騎乗後、未だ怯えながらも咄嗟に投げられたことで変な緊張は解けたのか、先程まで見せていた怯えとは別の怯えをリアへと向けてくるプーサン。
(乗せてあげたのだから感謝してくれても良いと思うけど。 それより……やっぱり、なんとなくだけどティーの考えや気持ちがわかるわ。 それに私の考えとか思考なんかも漏れているような気がするけど、どうして?)
プーサンの鬱陶しい視線を感じながら、いつの間にか感じ取れるようになっていたティーの意志へと語り掛け、その行先を共有するとやはり愛竜はリアの思った通りにその巨腕とも言える翼を仰ぎ出し、常闇の大空へと飛び立ったのだった。
意識の混濁が酷く朦朧としてたこともあり、完全な把握まではしていなかったがそれなりに都市を壊せたと自分では思っていた。
上空から広大な都市を見た限りではレーヴァテインの業火は全体の3割程まで被害を拡大化させており、あれから数時間もの時間経過で消火は完全に終わったようだが、その神聖な都市は元々の白と焼け爛れた黒で白黒の都市と化していた。
そんな都市を見ながら完全に壊せていないことに一瞬残念に思ったが、これからのことを考えると寧ろ全て壊さなくて良かったのではと安堵した。
ティーを焼け爛れた区域から最も遠い未だ街として機能している綺麗な正門へと降りるよう指示をだし、愛竜は降下を始めたことでやはり先程までの感覚は自分の気のせいではなかったと、内心で疑問に思いながらも頬を緩める。
降下まで数秒もかからない中、リアはレーテへと振り返り最後の確認を取ることにした。
「
足元で力無く座りこみ、魂が抜けたように放心している教皇。
レーテはそんなリアが何を言いたいのかはっきりと分かった上でしかと頷き、見惚れるような微笑みを浮かべて想いを口にしたのだった。
「はい、恐らくこれが一番喜んで頂ける余興になるかと思われますので」
それをした場合、間違いなくレーテが直接教皇を殺せる未来は今度二度と訪れないが本人がいいというのであればリアとしては異論はない。
亜人と魔族、人類種以外を劣等種と蔑むこの国で。
聖神教のトップで恐らく国民の誰もが知る教皇、そんな自分たちのよるべとする存在が魔族の吸血鬼として再び戻った際、果たしてどんな結果になるのか。
(普通なら自分で殺したいと思うけど、肉体は壊したし次は精神を壊したいってところかな? 徹底的ね、レーテ)
「ティー、門前に降りなさい。 雑兵は掃除して構わないわ」
兵士が目視できる程に降下しているティーに対し、煩い程に騒ぎ立てる門番達。
地響きを鳴らしながら着地するティーの周囲には、一定の距離をとって槍や剣を構える兵士たちが群がっており、更に奥には聖騎士の装いをした騎士が姿を現す。
門を隔てる様にしてティーへ構える兵士と聖騎士、それらは武器は構えるものの一目で腰が引けているとわかる有様でとてもじゃないが何かできるとは思えなかった。
そして刹那の間、まるで雷が落ちたような衝撃と同時にまるで頑丈な物が無理やり壊された轟音が近辺へと鳴り響いた。
目の前に聳え立つ正門は中間の位置から横一直線に向けて、まるで無理やり抉り取ったような特大の斬り込みが後を付けていた。
宙には抉られた壁片や砕かれた骨組み、真っ二つに両断された兵士と聖騎士の上半身が浮き上がり、瞬く間に地面へと音を鳴らしてボタボタと落ちていく。
更に、向かって片側の壁面にはびっしりと薙ぎ払われた大量の血液が飛び散り、合わせて飛び散った数々の破片によって凹凸や切り傷をその壁に残したのだった。
ティーの背中から広がる光景は愛竜のその異形な翼で手刀を形どり、薙ぎ払うようにして翼を片面へと伸ばした状態。
リアにとっては見慣れた光景であり、数え切れないほどにあの手刀を向けられたことから不思議な光景ではない。
しかし、始めてティーの攻撃を見たアイリスやレーテ、プーサンはそうではなかったようで目を見開きながらその破壊の残痕を見つめ、その巨体からは考えられない程のスピードに唖然とした表情を浮かべていた。
リアはフードを被りながら先に飛び降り、地面へとその両足を付けると周囲の匂いを嗅ぐようにすんすんと鼻を鳴らす。
鼻腔に感じられるは今しがたティーが造り上げた惨劇の残り香、そして着地した時から微かに感じられた別の血臭。
(やっぱり、さっきから感じるこの匂い……何かしら? 血の匂いというのは確かだけど、人間の匂いとは明らかに違う。 あっちかな)
鼻腔を刺激する血臭。
リアはそれに誘われるように歩を進めていこうとするも、後方から肉の叩きつけるような音が聴こえ何気なく振り返る。
そこには教皇が無造作に地面へと落とされ、次いで放心状態から戻ってきたレーテがヒール音を鳴らしながら着地し、リアの変わった動きに首を傾げながら問いかけてきた。
「リア様、いかが致しましたか?」
レーテは感じられないのだろうかこの匂いが、もしくは感じてはいるけど嗅ぎ慣れているか、それとも興味がないといったところか。
「貴方は貴方の用事を済ませたら先に戻っていて、すぐに戻るわ」
きょとんとした表情を浮かべ、不思議そうな顔を作りつつ頷くレーテ。
リアは漂ってくる匂いを辿りながら競歩して破壊された血濡れの門を潜り抜けた。
深夜でありながら突如として鳴り響いた轟音。
それを耳にしたまだ都市に残っている住民は怯えた様子で窓や玄関から顔を出し、そんな中大通りを平然と歩くリアに視線が一瞬集中するのを感じる。
(まだこれだけの住民がいるのね。 被害がなかった地域だからか、それとも逃げる行先がないとかかな? どうでもいいわ、それよりも……この匂い)
段々と強まっていく血の匂い、これまでとは明らかに違う系統のものであり、吸血欲とは別の理由でどういう訳か気になってしまう。
鬱陶しい視線を無視しながら歩くこと少し、漸く匂いの出所へと辿り着いた。
そこには普通の民家とは違ったそれなりに広い建物があり、家の前には無数の檻が無造作に並べられている。
どうやら出血しているのはその檻の中の人物らしい。
檻へ歩み寄るリアは視界に入る全ての檻が空っぽであることに疑問を持ちながら何度か見渡すと、端っこに目立たぬように置かれている他の檻よりも圧倒的に小さな狭い檻に気づいた。
小さな檻は他の檻より低く平べったい造りになっており、人型の種族が入れば満足に座る事すらできないとわかる。
そんな檻に明らかに人型の種族とわかるものを入れた存在の下劣な思考に、思わず眉を顰めてしまったリアが見たのは二つの重なった小さな影。
檻が低いことで全体は見えなかったが【戦域の掌握】で感知するは、力無く横たわってる者とそれに覆いかぶさる様にして、血まみれな姿で匂いを撒き散らしていた者。
(子供に、惨いことを。 息はしてるけど……永くない)
自身をここまで誘いこんだ血の主はどんな存在なのか、リアはその場でしゃがみ覗き込むようにして視線を這わせ、暗闇が広がる汚れた環境の中で琥珀の様な金の瞳と視線を交差させたのだった。
目を合わせた瞬間、リアはその吸い寄せられるような目と、透き通るような色の瞳に強い既視感を覚えた。
そして、それがまだ記憶に新しい者と一致すると、どうやらそう感じたのはリアだけではなかったようだ。
自分を覗き込んでいるリアへと気づき、体を引きずるようにしてその全貌を露わにする赤毛の獣人の子供。
夥しい血を流し虫の息といっても過言ではない少年は、弱々しくもそれでも確かに口にしたのだった。
「……はぁ、……っ、はぁ……、あんた、"昼"の?」
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