第36話 聖へ降りかかる厄災 (○○○ver)
目を閉じ、研ぎ澄まされた五感から感じられるは呼吸器官を循環し清められた肉体へと流れ込んでくるは、新鮮な空気と神聖な魔力。
周囲の空間には静寂と聖光が漂い、何処からか聴こえてくるは小鳥の囀りが礼拝へと微かに鳴り響いた。
そこに居るは一人の女性。
いや女性というには僅かながらに幼い顔をしているが、彼女はれっきとした16を優に超えている成人女性である。
彼女は白い敷物の上に膝を付き、両手を胸元へと握り祈るようにしてその瞳を閉じている。
祈りの先、そこにはこの礼拝堂で唯一の像。
聳え立つは人類種が創造神アウロディーネの彫刻があった。
ここは今では彼女の安息の地であり絶対的な領域。
何人もこの領域では彼女を汚すことが叶わず、権力としても片手で数えるほどにも満たない数しか、彼女以上は存在しないそんな場所。
嘗てというには語弊があり、遂先刻までは絹の様な金の髪を腰まで垂らしていたそれは今では燃え上がるような赤髪へと変貌していた。
「いまは何時くらいかな? はぁ……早く終えて部屋で寝たい」
祈るようなポーズのまま薄目を開け、目の前に聳え立つ彫刻をうんざりしたような顔で見上げるそれは、月のように輝く"金色の瞳"。
そんな瞳もこれまた同様に、遂先刻までは水のように透き通った碧い瞳をしていた。
彼女は早朝の朝日が昇ると同時にここ礼拝堂にて祈りを捧げ、2時間から3時間にかけての祈りによって十分な神聖力と魔力を集めていた。
これは彼女に課せられた務めであり、奇跡の力や女神の力と言われる
祈りの方法や所作などは特に決められておらず、その祈る気持ちさえあれば補充は可能ではあったが、周囲の目や期待もあることからわざわざ丁寧な所作でやってるに過ぎない。
(はぁ……面倒だわぁ。 まさかクラスが聖女から聖母へ変わるなんてねぇ、毎日こうして祈りを捧げて、たまに騎士達に付いて行って森林の魔物を滅してるくらいでなるなんて。 聖女が恵まれたクラスすぎて辛いわぁ)
あまりにも長い期間、祈りを捧げてきたことによって彼女にとってみれば10分も1時間もそう大して変わらないのだが、気づけば彼女の後方には数十人という信徒や聖職者で溢れかえっていた。
こうなると彼女も無暗に発言や言動を取ることができず、内心で愚痴を言うしかないわけではあるが、そろそろ本日分の補充が終わる。
彼女、ネイナ・ユイシスは静かな動作で立ち上がり振り返ると、誰もが見惚れてしまうほどの所作で微笑みを浮かべると、丁寧に一礼し礼拝堂の出入口へと向かうのだった。
(はぁ、一日くらいサボっても良いような気がするけど、そうすると神官達が煩いしなぁ。 務めとか祈りとか、……面倒だわぁ)
礼拝堂の出口へと歩くと左右両方の扉が一人でに開く。
部屋を出て一歩進めば、いつもの様に4人の付き人と6人の騎士が彼女の進行の妨げにならないよう、周囲へと付き従う。
いつもの光景、いつもの日常、いつもの生活。
これが私、この聖王国に崇め奉られた大聖女の1日の始まりである。
礼拝堂を出て数歩歩いた所、人気のない広い廊下で見知った顔と出会う。
「これはこれは、大聖女様。 おはようございます、朝の礼拝ですかな?」
胡散臭い笑みを浮かべた狸爺、枢機卿ネシュミールが関わりたくないのに揚々と歩み寄ってくる。
「はい、おはようございますネシュミール様。 本日も我らが主は人類種の祈りを聞き届けてくださりました。 今日は良い一日となることでしょう」
もはや常套句となっている言葉。
自分でも胡散臭いと思える言葉を平然と吐きながら、微笑みを浮かべるネイナ。
そんなネイナに満足したのか、ネシュミールは何度も頷きながら聞いてもいない主とやらについて語りだす。
「それはよかったです。 主はいつも我々の善なる行動を見ておられます、それは聖なる力を授けられた貴方……―――」
また始まった。
これに捕まると私の大事な時間は際限なく消費され、聞きたくもない事を延々と聞かされるのは拷問以外のなにものでもない。
語られる言葉の中には何度も何度も『大聖女様』という言葉が使われ、その言葉を耳にする度にネイナは反応しそうになる眉を鉄仮面を被るように固定する。
(正確には変化したクラスは『大聖女』なんて聞いたことないものじゃなく『聖母』なのだけど、まぁ私以外に違いがわかる人も居ないわけだし、まあどっちでもいいか。 髪と目の色が変っちゃったのは残念ではあるけど、以前より一層信仰が集まるようになったから良しとするわ)
そんなことを内心で考えながらも表面には一切出さず、退屈な話を右から左に流しながら絶える事のない微笑みを浮かべ頷いていると、どこからか騒がしい足音が聴こえてくる。
それが徐々に近くなっていくのを感じていると、永遠と語り続けるような勢いのネシュミールの言葉を遮りながら、廊下全体に響き渡る声だ上げられたのだった。
「大聖女様っ! ご歓談中失礼します。 緊急を要する事態です!!」
声を上げたのはどこかで見たことのある騎士。
茶髪を短く切り揃えた、真面目そうな青年。
(ああ、今日は非番の私の護衛騎士だったわ。 大聖女である私に跪かないで報告とはね)
「……何事ですか?」
時は一刻を争う、そう顔に書いてある護衛騎士に向け、公務の顔を作りながら務めて冷静に問い返す。
内心では(面倒ごとは勘弁、早くどっか言ってー)と思っているわけだが、そんなことを露程も思わない騎士は額に汗を滲ませながら声を張り上げる。
「ホルデイン大森林の南部にて、詳細不明の大災害が見られました! 至急、応援が欲しいとのこと!」
まくし立てるように簡潔に要件を述べる護衛騎士。
それは務めて冷静に報告はしていても、どこか抑え込めない焦りと緊張が見て取れる。
「……大災害?」
報告されたことに要領を得ないネイナは詳しく説明するように促し口ずさむ。
すると詳細を求められてると理解したのか、すぐさまより詳しい内容を報告しだす騎士。
「巨大な炎の柱のようなものが街から確認されました。 規模としては過去に類を見ないほどであり、かの世界戦争ですら観測されたことのないレベルのものと思われます。 ……恐らく、大森林全体の1割を占める規模かと」
「なっ!?」
「は……?」
騎士の報告を側で聞いていたネシュミールは人の好さそうな笑みを豹変させる程に驚きの声を上げ、ネイナですらその報告に思わず間の抜けた表情を浮かべてしまった。
ネシュミールは驚愕を浮かべたもののすぐに思案顔へと変え、そして数秒もしないうちに焦りを隠す様子もなく顔を上げた。
「大聖女様、私は至急対応しなければいけないことがありますので、これで失礼させていただきます」
珍しく浮かべている表情は作ったものではなく、本気の焦燥が表れているネシュミールにネイナも真剣な面持ちで頷く。
「ええ、そうしてください。 ――私たちは森へ向かいます」
背を向けて速足で廊下を去っていくネシュミール。
そんな彼にネイナは僅かに視線を送るものの、振り返るとそこには大聖女然とした毅然とした態度でその場にいる騎士達へと声を上げたのだった。
大森林へと馬車を走らせ、護衛が周囲を取り巻く中。
ネイナは礼拝堂から大森林へ向けての道中、遮蔽物によって見えなくても多くの騎士達や、その騒ぎに気づき元凶ともなっている城壁の向こう側を見上げる住民達を目にしてきた。
長く大きな建造物、そして礼拝堂、それらの横を抜け漸く馬車の中からでも見えてきた城壁の向こう側。
そこには遥か遠い場所でありながらも、でかでかとその瞳に映りこむ天を穿つような巨大な炎の柱。
報告から急ぎで行動し既に数分が経過しながらも、未だに天高くへ聳え立つようにその姿を露わにしている大災害。
「なんなの……あれ」
馬車に同乗している騎士の存在を忘れ普段被っている聖女の仮面とは別の顔、素のネイナが無意識に口ずさむ。
それは城壁を出た頃には徐々に収まりを見せてきており、大森林に到着した頃には完全に姿を消していた。
幸いなことに森への引火は発生したと思われる場所の周囲以外不自然にもなく。
その事からそれが自然災害でのものではなく、範囲指定された何者かの魔法なんだと理解するネイナ。
(正直、認めたくないけど可能性としてはそれが一番高い……。 はぁ、クライヴが居ない時になんで……)
そうして大森林へとたどり着くと既に到着していた騎士たちに出迎えられ、大災害が発生したと思われる地に向けて足を踏み入れた。
大森林に足を踏み入れ発生地に到着するもそこには大聖堂を飲み込めてしまうほどの範囲で、抉られるようにして陥没する大地がクレーターと化していた。
ネイナは
発生地のすぐ脇には簡易的なテントが容易され、ネイナは休憩を取りながらも痕跡を探すことに務めた。
それから5時間。
護衛6人を連れたネイナは燃焼した範囲内のかなり外側へと来ており、その金色の瞳を地面へと流し目を見開いていた。
「この位置、ここから魔の者の気配を感じます」
ネイナの視界には大地に薄っすらと揺らいでるような紫色の瘴気、目を凝らせば見える程度に薄まっては居るが何処かへ続いているのが映りこむ。
「警戒態勢っ!」
大聖女の痕跡を見つけた言葉に、慌てて周囲を見渡し近くの騎士が他の騎士へ促すように声を張り上げた。
「これは……1人じゃない? 2人、いや3人」
「3人であの大規模魔法を発動させたとっ!? そんなことが……ありえるのですか?」
驚愕した表情を浮かべるはネイナの護衛の聖騎士No8のクリスであった。
ネイナは引きつりそうになる顔を必死に抑え込み、瞼を閉じ否定するように頭を振るった。
「わかりません、ですがここから感じられる気配は少なくても3つのものというのは確かです」
(ありえないわよ! あの規模の魔法はやろうとするなら最低でも数十人は熟練の魔法士が必要な筈! いや、そもそも人に行使できるかすらも怪しい。 魔法と呼ぶにはあまりにも超常的奇跡レベルのものなのよ!?)
驚きを露わにする騎士はこの異常さが肌で感じ取れてはいるものの、理屈としては理解してないように見える。
世界戦争、その最前線にて魔王を討伐したPTに参加していたネイナだからこそわかる。
この大災害を魔法と呼んでいいのなら、その詠唱者たちは間違いなく一人一人が魔王レベルの危険な存在たちだということ。
そんな連中が何の目的かこの聖王国付近に来ており、一見意味のある魔法とは思えない大災害を起こした。
ネイナは震えそうになる身体を抱きしめるように腕を組み、痕跡の後をジッと見つめる。
大聖女の様子に異変を覚えた騎士は真剣な面持ちで口を開く。
「追跡できる可能性が、増援を呼んできますっ!」
そう言って背中を向け駆け出そうとした騎士。
「あら、それは遠慮願いますわ」
それは突然、何処からともなくすんなりと聞こえ、耳に残るような声がその場に響き渡るのだった。
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