第34話 受け継がれる弱点
真っ暗な視界が広がる中、感覚に最も近い床の表面を辿って微かな冷気が肌に感じられる。
頬を撫でるようにひんやりとした空気は通り過ぎていくと、次に感じるのは所々全身を暖かくしてくれているぽかぽかしたもの。
「――……様、……ア様?」
誰かが私に呼びかけるような声が聞こえてくる。
落ち着ついた静かな声でありながら、すんなりと耳に入ってくる美声。
これはレーテの声? ……うぅ、眠いぃ。
「リア様、起きてください。 リア様」
呼ばれる毎に鮮明になってくる声は気のせいでも聞き間違いでもない、間違いなく私を呼んでいる。
起きようと瞼を開こうとするもまるで何かに固定されているかのように中々開いてくれない。
眠い……もっと寝させて……。
あぁ、胸のこれは暖かいなぁ、フルーツの様な甘い匂いもするし。
なにより柔らかくて気持ちい……ずっとこうしてたい。
「遠目にではありますが、聖王国が見えてきました。 起きてください」
「……っ」
まどろみの中に居るような感覚で胸の中の子をぎゅうぎゅうと強く押し付ける様に抱きしめていると、レーテの声から大事な情報が告げられた気がした。
「……あっ、んっ、……お姉、さま?」
頭の少し下の方からいま目覚めたばかりのような、優しく耳に響くウィスパーボイスが聴こえてくる。
強く抱きしめすぎたかもしれない、……でも気持ちいいのだから仕方ない。
それより、そろそろ起きないと頑張れ私っ。
眠さに負けるなー、起きろー。
金縛りを受けたような感覚を感じながらも必死に体に"動け"と連呼する。
どれだけの力を込めたかわからない、もしかしたら大した力はかけておらず全部自分の思い込みだったのかもしれない。
しかし、それでも意味はあったようだ。
【重力系統魔法】の最上位クラスを受けたような感覚に陥りながらも漸くの思いで瞳に映し出される光景。
視界に映るは横座りしながら見下ろしてくる黒髪赤目の美人メイドなレーテと、未だ胸元で覆いかぶさるように体を密着させている灰髪紅目のアイリスである。
二人はリアが起きたことに気づいたのか、覗き込むようにしてその視線を向けてくる。
片や太陽の様な緩んだ笑顔、片や後光が差すような微かな微笑み。
「おはようございます、リア様」
「お姉さまぁ、おはようございますですわ」
未だ思考が朧げであり、ぼやけた視界の中でも確かな幸せだけは認識できるリア。
胸の内に広がる暖かい気持ちにまるで共鳴するかのように自然と口元を穏やかに緩めた。
「ええ、おはよう。 二人とも」
アイリスの腰に手を回し支えながら上体を起こす。
本格的に目覚め始めたリアを見て、無表情にも真面目な顔で口を開くレーテ。
「リア様、聖王国が見えてきました。 いかがなさいますか?」
その言葉に、やはりさっき聴こえてた内容も気のせいではなかったと思いながら、リアは眠い目を擦りながら視点が定まらない瞳で聞き返す。
「そう。 いま、ううん、あれからどれくらい経ったかわかるかしら?」
「2時間ほどです。 付け加えるなら現在は日の時間の8時前です」
レーテはメイド服のポケットから取り出した懐中時計を手元に、チラッと視線だけ落とし淡々と答えた。
2時間……通りで眠いわけだ。
顔でも洗えば多少はマシになるだろうか。
いいや……これは一度しっかり寝ないと無理なやつだ。
レーテには「ありがとう」とだけ返し、目の前の腰に跨りきょとんとした顔で見つめてくるアイリスを改めて抱きしめる。
「アイリスは暖かいわねぇ、……はぁ、ずっとこうしてたい」
「ひゃっ、おっ、お姉さまっ!? ……わ、私も、ずっとこうしてたいですわ」
微睡の中にいる気分はそう簡単には抜けないらしい。
胸元でアイリス分を補給し、慌てふためく声をあげる彼女に心地よさを覚えながら、心の中で「よしっ」と喝を入れる。
正直、かなり不安定だけど少しくらいは動けるはずだ。
リアは十分に補給した彼女の成分に満足し、手を放すと「あっ・・・」とアイリスが口漏らすのをしっかり聴こえながら、困ったように眉を顰めティーの背中を立ち上がった。
「そろそろ、降りるわ。 突然降りると思うから、準備しといてね」
リアは振り返りながら二人の目を見て話すと、ティーの頭部へとぴょんぴょんと飛び跳ねながら移動する。
それからはティーにお願いして人気の無い、上空から見て聖王国の城壁からある程度離れた森へと降下するよう指示を出した。
聖王国の規模は商業都市よりと比較しておよそ1.5倍に見える程の規模で、幾つもの複雑な造りをした建造物が並び建っていることから、その国の歴史がひしひしと感じられる。
降下した森は聖王国全体と比べても数倍はあるだろう大森林であり、幾つも点在する開けた場所の凹凸の広い大地へと降下することにした。
身を揺るがすような大音響を森へと響かせ、大地へとその足を付けるティーの上から飛び降りるリア達。
リアはティーへと振り返り、手を伸ばせば届く距離までその頭部を降ろしている鼻先へと手を当てた。
「本当は貴方も連れていきたいのだけど、大事なんて可愛いレベルで済むとは思えないから……。 待ってて貰える?」
「ギュゥゥゥゥ」
こすりつけるようにして甘えた声を出すティー。
本気で叩いてもビクともしない頑強な鱗をリアは慈しむように何度も撫でる。
後方では振り回された尻尾によって、数十本の木が薙ぎ倒されるのが見えるがリアは気にしない。
そうしてティーには擬態をお願いして、リア達は聖王国へと大森林の中を歩き出したのだった。
距離にしてどのくらいだろうか? 比較的近い場所、それでいてすぐに来れるような場所ではない大地に降りたつもりだが、1時間で付けばいい方だろうか。
徒歩での移動を開始して、早十数分。
先頭を歩くアイリスの背中を見ながらリアは並みならぬ強敵と戦い続けていたのだった。
気だるげに、それでいてどこか色気を醸し出すそんな雰囲気で愚痴を零すかのように内心で呟く。
(今すぐ……ベッドで寝たいわ)
強敵の名は『睡魔』。
LV140超え、現在は転生前の状態であれば144という、この世界であれば規格外な力を持つリアではあったが、そんな彼女でも容易には勝てない難敵である。
現在の時刻は日の時間の8:00過ぎ。
元の人間だった頃の彼女であれば、若干眠気と戦いながらも平常通りな行動が取れていたであろう時間。
しかし、現在の彼女は吸血鬼であり、その生活リズムも大きく改変されている。
今にも倒れそうな瀕死のリアは気力と精神で何とか均衡しているものの、いつ倒れてしまっても可笑しくない状態ではあった。
そんな彼女の様子に心配げにチラチラと振り返るアイリス。
「お姉さま、お加減がよろしくないようですが、休まれますか?」
傍から見ても今の自分はやばいのだろうか、そう思えてしまうリアだったが、目的の場所は目と鼻の先。
ちょっと頑張れば、その先でぐっすりと休めると思ったリアは首を左右に振るう。
「大丈夫よ、ちょっと眠いだけだから」
「ですが……、もし本当にお辛いようでしたらレーテに仰ってください」
眉を顰め、未だ変わらず心配そうに見つめるアイリス。
そんな彼女に申し訳なくも、ありがたい気持ちで微笑みをつくり頷くと歩みを再開させる。
(頑張れ私、あと少しよ。 できる、大丈夫できる筈)
まるで
だからと言って、その睡魔がなくなるかといわれればそういう訳ではないのだが、ふらふらしそうになる体を必死に歩かせながらも視界は段々と狭まってくる。
「この森は驚く程に魔物がいませんわね。 ……お姉さま、やはり無理をなさらずレーテを使ってはいかがですか? この森であれば私一人で対処は容易ですわ」
そう言いながら心配そうに振り返るアイリス。
そんな魅力的な提案に、レーテには手間をかけさせるが心配させすぎるのも良くないと頷こうとしたリア。
しかし【戦域の掌握】効果内に3人以外の気配を感知し、限定的にも僅かに意識を覚醒させる。
目を向け、木の影から姿を表したのは数十人規模の騎士の装いをした集団。
リアの感知と同時かワンテンポ遅れながらも、行動にでたレーテはすぐさまアイリスの降ろしていたフードを被せる。
ガシャガシャと耳に響く音を鳴らしながら表れたのは全身を純白な鎧で包み込み、白いマントを靡かせ腰に帯剣してその手にはランス持った集団。
胸元に見えるはリアが何処かで見たことのあるもの、それは盾を背景に女神が祈りを捧げているような紋様のエンブレムで状況や装いから十中八九聖王国の騎士だと予想できた。
集団の大半の騎士が兜まで被った完全武装の中、先頭の素顔を晒している男はリア達に気づくと停止を指揮し、自身は一歩前へと歩み出た。
「失礼、我々は聖王国ホルデイン十字騎士団、聖騎士No28を賜ったリカロと申す。 先程、未確認の黒竜の姿がこの大森林にて観測され、その調査に参った」
そう言葉にした騎士に対して、リアはティーが見られてしまったことに驚き、探される前にここで消してしまおうかと悩む。
しかし目と鼻の先に見える聖王国から新たな増援、そして何より再発しかけてきている睡魔によって、これ以上の面倒ごとは勘弁してほしいという願いから早々に"穏便に済ませて"この場を抜けようと考えるリア。
「そうだったんですね、私たちは旅のものです。 身分は……伏せさせていただきますが、私の名はヤトウ リア。 近々行われる《聖神への祈祷》を一目見たく参りました」
普段のリアとは思えない穏やかな雰囲気と聞いたことのない口調や名前らしき言葉に、側で黙って聞いていたアイリスは僅かに動揺を見せる。
しかし、始祖であるリアが先頭に立って、話を始めたことから何か思惑があってそうしてるのかと思ったアイリスは黙って見守ることを選んだ。
リアの言葉によって僅かに警戒を緩めるような雰囲気を見せる騎士はその表情に興奮と喜びを露わにした。
「おお、それは素晴らしい! 今年の《聖神の祈祷》は例年と変って規模が違い、何と言ってもあの"大聖女様"が俗世にその尊き御姿をお見せする貴重なものなので、きっと満足いくものになられますよ!」
大聖女、という言葉に無意識に反応しピクッとその身体と表情を震わせるリアだったが、今はこの場を抜け大聖女に関しては後で確認できると優先すべきものを見誤らないよう意識を固定させる。
「そうなのですね、黒竜が出たという――」
「――いや、その前に身分を明かして頂きたい。 特にそこの、フードを被った者よ」
早々に切り上げようとするリアの言葉を強い口調で遮り、アイリスに向けて鋭い視線を向ける騎士。
その騎士の言葉によって周囲に漂う雰囲気が豹変し、騎士団の騎士達はリア達と対立するかのように横へと広がりだす。
(はぁ、眠い……もう行かせて。 頑張れ、私……ここをきり抜ければベッドが待ってる筈だわ)
本来のリアであれば、例え増援が呼ばれようと行く手を阻む者はすぐ様排除し、吸血鬼の本能ともいえる傲慢なそれで事態を集束させ数秒もすればなかったこととして認識していたことだろう。
だが、今のリアはなるべく穏便に済ませ、平和的解決で事態を集束させようと"当たり前"のように考えて眠気に耐えながら行動していた。
それはまるで―――
"何かが"違うと薄々感じていながらも、眠気による意識の混濁によってその正体がわからずにいたリア。
そう考えながらも事態は進行しており、一歩また一歩と迫ってくる騎士にリアは違和感を感じながらも歩み出る。
「どういうつもりですか?」
「申し訳ないが、身分を明かせない者を聖王国に入れることはできない。 この様な場所で出会ったのだ、理解してほしい。 ――やましいことがないのであればご協力願いたい」
言ってることは理解できるが、そんなことよりさっさと眠りたいリア。
段々と意識が朦朧としてくのを感じる、寝ようと思えば1秒で眠れると思えるほどの極限のうとうと状態。
標的となったアイリスがその目に浮かべるは敵対行動を明白にした場合、すぐにでも排除するという気持ちのみ。
「お嬢さまは家の方針で、無闇に肌を見せれないのです」
回らない頭で必死に考え思いついた設定に、段々と面倒くささと怠さが許容値を超え、自分が何を我慢して今に至っているのか朦朧としながらも頭の片隅で考えるリア。
アイリスは先程からリアの指示を待っており、レーテは黙って流れを観察していた。
そんなリアの言葉にも、頑固して変える意志を見せない騎士は頭を左右に振る。
「明かせない……というのであれば、少々強引にでも」
言葉にしながら更に歩み寄ってくる騎士。
極限の微睡状態であったリアの中の"何か"が、圧倒的に膨れあがった別のものによって圧殺され消え失せた。
「はぁ……――――
――――めんど」
何もかもがどうでもよくなったリア。
抱いている感情は、いま持ちうる全てを使ってさっさと自分の目的と果たしたいという願望のみ。
大勢の前でありながら、リアは利き手を次元ポケットに突っ込むとインベントリから1本の
紅いひし形の水晶が次元ポケットから頭を出し、その全容をこの場の全ての者の前で躊躇いなく現す。
身の丈程の刀身を持った、深紅の長剣。
逆手に持ったそれは巨大な十字架のような形をしており、杖のようにも剣のようにも見えるソレ。
切っ先に進むにつれ、深紅の刀身は纏った超高熱によって白く染めながら先端をドロドロと溶解させ、その刀身を燃え盛らせ続けている。
持った手に熱は感じられないが、周囲へは数メートル離れていても感じさせるほどの熱量をまき散らし、目の前の騎士は額に耐えず汗を滲ませはじめたのだった。
その様子は、目の前の平凡だと思っていた娘が突如として豹変し、理解が追いつかないレベルの異常な気配と見た目をした武器のような物を、次元ポケットから取り出したといった様子だろうか。
「レーヴァテイン」
その瞬間、紐づけ機能によって武器名だけで設定された【極致魔法】が発動された。
柄に嵌められた紅水晶が火照り、突如として前方にいた騎士団は激甚な炎の巨柱に飲み込まれると、天高く舞い上がったそれは膨大な熱量と暴風を惜しむことなく周囲へとまき散らしはじめる。
何重にも重ねられた焔は巨柱の中で混ざりあい、範囲指定されたかのように形を変えない柱の中で行き場のない熱を上空へと放ち続けるがそれでも収まらない紅炎は範囲から漏れ出し、暴風にも似た熱風は大森林全体へと駆け巡らせた。
止めどなく溢れ続ける炎柱の中にある筈の騎士達の影は既に見えず、【戦域の掌握】をもってしてもその存在は感知できないことから、その存在ごと消滅させられたことがわかる。
本来であれば吸血鬼では行使することが出来ない【火系統魔法】の極致【獄焔魔法】。
それは『灼溶レーヴァテイン』をリアが帰属した時から火系統魔法以外、種族魔法である血統系を除いた全ての魔法が封印された彼女に、唯一許された属性魔法。
その効果は使用者にあらゆる効果を齎すが、何よりも大きいのは装備者に火耐性の加護を与える効果であり、吸血鬼の弱点といえる《聖耐性》と《火耐性》の片方を補ってくれることだった。
ランカーであるリアは、挑まれる相手全てにその動きや癖、スタイルや弱点などをあらゆるプレイヤーから研究され尽くす。
当然、吸血鬼にとって痛い弱点である聖属性と火属性を持って挑まれることが常であり、手に入れる機会を得たリアが愛用するのも必然ではあった。
例えそれに幾つもの弱点があったとしても、ありあまる程の恩恵を得られると彼女自身が判断したからである。
そんなリアのガチ装備の1つである『灼溶レーヴァテイン』から放たれた魔法。
膨大な
発動を止めたことにより徐々に炎柱はその規模を縮小させていき、やがて天に向かって空気に溶ける様に焔はその勢いを終息させた。
後に残ったのは超高熱によって焼け爛れた大地にクレーターを残し、シンと静まりかえる大森林だけだった。
リアは振り返り、驚愕を露わにし瞳を大きく開けた二人へと覚束ない足取りで歩み寄っていく。
口を開けたまま、視線だけはリアを追っているアイリス。
リアは同じ体格であるレーテの眼前まで歩くと立ち止まり「あ、ダメ……眠い」と呟き、たったいま自身が起こしたことなど気にも留めない様子で力無く寄りかかった。
「おやすみ~」
いつものリアとは思えない、知らない理亜の無邪気な気安い態度に頭が追いつかず、只々唖然とするアイリスとレーテ。
そんなレーテにしっかりと支えられるリアだったが、その身には一切の衣類が纏われておらず生まれたままの姿でレーテへと寄りかかり、すやすやと寝息を経てているのだった。
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