第2話「高名な依頼人」第8部(解決編)
「このコンパス、おかしい。不良品だよ!」
ぼくは声を上げた。
すかさず金銀河も口を開く。
「ほんとね、上がNなら右が東、左が西のはずなのに、このコンパス、右にW、左にE、東西が逆になってる!」
すると不老真琴さんが、笑顔でうなずいた。
「そう、これが違和感の正体だったのよ。それによく見て。方位磁針の針の下に、もう一つ黒い振り子みたいなパーツもあるでしょう?」
「そっかぁ……わたし、気づいてたんだね。でも、なんでハラさんたちは、不良品のコンパスなんか持っていたの?」
まるるんさんは、両眼を丸くしてディスプレイを見つめている。
すると不老翔太郎が静かに口を開いた。
「いいえ、これは不良品ではありませんよ。もともとこういう仕様なんです。これはただの方位磁針ではありません。『クリノメーター』です」
「クリノメーターって……何?」
まるるんさんが、ぼくたち全員の疑問を代わりに訊いてくれた。
不老がぼくたちを見回す。
「クリノメーターは、地質調査に使用する器具ですよ。地表を形成する堆積岩による地層は、水平に分布していることは稀です。多くの場合、長年の地殻変動によって傾いている。地層が水平面と交差する直線を『走向』と呼びます。走向を計測するためには、ハンマーなどを用いて層理面を露出させ、クリノメーターの長辺を層理面に当て、水準器が水平を示すように調節します。長辺の方向が走向です。つまり、方位磁針のN極が示す目盛りを読めば、走向が北を基準にして東西に何度ずれているのか、わかります。そのため、東西が逆に作られているんですよ」
「えーっと……よくわからない」
今度はぼくが、みんなの疑問を代表して質問してみた。
不老は「しかたない」といった様子で、大げさに息を漏らした。
「御器所君、きみのスマートな携帯電話にもコンパス機能はあるね」
「うん、もちろん」
ぼくはスマートとフォンを取り出した。
「その携帯電話を真北に向ければ、当然ながらN極はスマートフォンの長辺と同じ向きを示す。じゃあ、ちょっと東、つまり右へ向けてくれたまえ」
また「くれたまえ」かよ、と思いながら、ぼくはスマートフォンを言われたとおりに少し東――右の方へ向けた。
「方位磁針のN極は左右のどっちを向いてる?」
「そりゃあ、スマホを右にずらしたんだから、 N極は左に……あっ、そういうこと?」
不老がにやりと笑みを見せた。
「『そういうこと』だよ。ようやくきみの虹色の脳細胞でも理解できたようだね。クリノメーターとは、実にアナログな道具さ。ちなみに、コンパスの磁針の下に取り付けられている黒い針は、地層の傾斜を測るための振り子だ。クリノメーターの側面を地層にあてると、黒い針は常に自由に動き、重力に引かれて下を向く。地層の傾斜の角度を測ることができる」
不老が早口でまくしたてた。
するとまるるんさんが、一言ずつ確かめるように言う。
「つまり……ハラさんたちって、かなり専門的な地質調査をしていたってことよね。じゃあ、ハラさんたちが『お宝』を探していたと仮定するなら、その『お宝』って何?」
「まるるんさんご自身が、手がかりを教えてくれました。この町の歴史です」
「歴史?」
またしてもぼくたちはいっせいに声を漏らしてしまった。
不老は、にやりと勝ち誇ったような笑みを見せた。
「この地域には、かつて陶工がいて陶器を作っていたんですよね。陶器を作るためには材料が必要です。つまり、粘土です。それが『ガエロメ粘土』」
「ガ、ガエロメ……粘土?」
まるるんさんが眼を白黒させている。ぼくたちも同様だ。
「蛙の目と書いて『蛙目粘土』。粘土の材料となるのはこの地域を構成している花崗岩質の岩石です。花崗岩についてはご存知ですよね?」
不老はそう言ったが、少なくともぼくは全然「ご存知」ではなかった。けれど、黙ることにする。不老は続けた。
「花崗岩は、無色鉱物を多く含むマグマが、地底深くでゆっくりと冷え固まることによって形成される深成岩の一つなのは、当然ご存知でしょう。墓石などに使用される『御影石』は、花崗岩の一種です。先ほど、まるるんさんが見せてくれた画像を思い出してください。川原には白色の花崗岩質の岩石が露出していました。地質図にも中生代白亜紀の花崗岩が基盤になっていることが記されていました」
「うわぁ、そんなことまでわかっちゃったんだ……!」
まるるんさんが、感嘆の声を上げた。ぼくは、悔しいから声を飲み込んだけど。
不老翔太郎はこともなげに続ける。
「それだけではありませんよ。先ほどのまるるんさんの動画で、クリノメーターの脇に映っていた緑色の手帳は、おそらく地質調査などでよく使用される『測量野帳』と呼ばれるノートです。まだあります。ハラさんたちのバックパックは見た目よりも重そうだったんですよね。ほぼ間違いなく、バックパックの中には岩石用ハンマーが入っていたはずです」
「そうだったんだ……」
「ハラさんたちの会話中にも、手がかりは隠れていました。ハラさんたちは果物の話をしていたのではなかったんですよ」
まるるんさんは眼を大きく見開いた。
「果物……ザクロのこと?」
そこで不老は大きく微笑んだ。
「果物のザクロではありませんでした。『ザクロ石』だったんです」
金銀河がはっとして声を漏らす。
「ザクロ石って、ガーネットのことでしょ。赤い宝石で、一月の誕生石ね!」
「そのとおりだよ、銀河さん。『ザクロ石』の名のとおり、ザクロの実のように赤色を呈する鉱物が多い。丸く磨き上げられたものは、ルビーも含め『カーバンクル』と総称されている。あの川原が花崗岩質岩石で形成されているなら、そこからガーネットが産出する可能性は充分あるよ」
「じゃあ、ハラさんたちはガーネットを探してたの?」
本郷梓が、おずおずと訊く。
「ガーネット自体は、さして貴重な鉱物ではなく、ありふれている。ハラさんたちがわざわざまるるんさんを巻き込んで、小細工を弄してまで採取するほどの稀少性はないんだ。ハラさんたちの目的はただのガーネットではなかった」
「特別なガーネットがあるの?」
まるるんさんが訊く。
不老はゆっくりともったいぶってうなずいた。こういうところは、どうしてもぼくは好きになれない。
「そうなんです。ガーネットと呼称される鉱物は、決して一種類だけではないのです。いずれもケイ酸塩鉱物でSiO4と結合した組成です。もっとも一般的にザクロ石やガーネットと呼ばれる鉱物は、『アルマンディン』で、鉄を多く含んでいる赤い鉱物です。よりオレンジ色に近いものは『スペッサルティン』。こちらはマンガンを含んでいます。さらに、より緑色に近い『アンドラダイト』はカルシウムと鉄を含んでいます。一言で『ガーネット』と言っても、化学組成によって色や性質がさまざまに異なります」
すると本郷梓が口を開いた。
「ハラさんたちが探していたのって、もしかして赤くないガーネット?」
不老翔太郎はにやりと笑ってうなずいた。
「具体的な証拠はないけれど、僕は間違いないと確信しているよ。この川原やその周辺で、希少価値の高いガーネットが見つかる可能性もゼロではない。たとえば……」
そこで不老翔太郎は言葉を切り、ニヤリと訳知り顔で微笑んだ。
「そう、もしかしたら『青いガーネット』が見つかるかもしれないね」
ぼくは思わず声を上げる。
「あ……」
確かにそのタイトルは知っている。もちろん、サー・アーサー・コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズの冒険」の一エピソードだ。
「あの宝石が、ここで見つかるっていうこと?」
「花崗岩質の岩石中に産するのは、おもに赤色のアルマンディンだ。しかし、万が一、赤くないガーネット、それも、もしかしたら青いガーネットが見つかったのなら、それは間違いなく『お宝』と言えるだろうね」
「ハラさんたちは盗掘者だったってことね」
金銀河が言うと、不老はうなずいた。
「この地域の山の多くを、西さんが所有している。私有地だから、採掘や調査には当然許可が必要だ。しかし、もしも稀少なガーネットを手に入れて一儲けしようと企んでいたならば、秘密裏に採取する必要がある。そこで、まるるんさんを利用したんです」
「わたし……利用されたの?」
「まるるんさん、あの山でキャンプをすることを、事前に誰かに話しましたか?」
「いいえ、話してはいないけど……SNSではちらっと書いたかな?」
「キャンプの日程もですか?」
「そうね……書いたかも」
まるるんさんの声のトーンが沈んだ。
「ハラさんたちは、まるるんさんがあの山でキャンプをすることを知った。駅前で出会ったのは偶然ではなく、ハラさんたちの計画だったのです」
「でも……ハラさんたちは具体的に何をしたの?」
「コウモリですよ」
「えっ?」
「ハラさんたちは、自らコウモリになったんです」
すると、本郷梓が短く「あっ」と声を漏らした。
「コウモリって、イソップ物語のコウモリ? 自分を動物だと言ったり鳥だと言ったりして、ずるく立ち回った話のこと?」
「そうだよ、梓さん。ハラさんたちは、まるるんさんには西さんと知り合いであるように見せ、いっぽうで西さんに対しては、自分たちがまるるんさんの同行者であるかのように見せた。そのことをタケシさんは自虐的に『コウモリみたい』と話していたんですよ」
「そうだったんだ……」
「計画通り、怪しまれることなく山小屋に入ったハラさんたちの次の目的は、まるるんさんを酔い潰すことでした。もしかして、一服盛ったのかもしれません。まるるんさんが眠っているあいだに山小屋を撤収し証拠を隠滅して、その夜のうちに川原で盗掘をし、立ち去ったのです」
まるるんさんは、脱力したかのように安楽椅子に体を沈み込ませた。
「そっか……わたし、ほんとに無防備すぎたなぁ」
「近いうちに、鉱物マニアの集まるサイトやオークション・サイトなどに、稀少なガーネットの出品があるでしょう。それは違法に盗掘されたものです。罪を犯した人には、しかるべき罰が与えられなければならない」
「悔しいな。絶対にハラさんたちを捕まえないと!」
「僕たちはすでに、ハラさんたちにつながる多くの手がかりを手に入れていますよ。ハラさんの顔写真もあります。それに、御器所君が指摘したとおり、シャイニング・メタリック・パールレッドのGランダーVクラスを購入した人物であることもわかっています」
すぐにまるるんさんは椅子から弾けるように立ち上がった。
「そうね。こうしちゃいられない! 西さんに今の話を教えなきゃ!」
そう言うと、まるるんさんはスマートフォンを引っ摑んで、慌てて部屋から出て行こうとした。扉の前で立ち止まると、ぼくたちを見回し、満面の笑顔を見せた。
「ありがとう、探偵団のみんな! わたしの恩人よ!」
そしてひらりと扉の向こうへ身を翻した。
「あ、おぼっちゃん、ずいぶんと遅かったですね」
運転席のキヨさんが、口の端のよだれを拳で拭いながらぼくの顔を見下ろした。
「うん、事件を一つ解決したからね。あ、これキヨさんにおみやげ」
ぼくは真琴さんからキヨさんのためにケーキを一つもらっていた。
「うわあ、おぼっちゃん、ありがとうございます」
ぼくと金銀河、本郷梓がSUVに乗り込むと、いきなり不老翔太郎がサイド・ドアを外から閉じた。
「へ? 一緒に帰らないの?」
「帰るもなにも、僕は今、ここ〈紗禄奇庵〉で暮らしているんだ」
「学校には来るんだよね?」
「そう……こちらの『調査』が落ち着けばね」
「ねえ、『調査』って何? どうしてわたしたちに言えないの?」
金銀河がウィンドウから頭を乗り出した。
「言えないんじゃない。君たちに関係がないことなんだ」
不老は腹立たしいくらいに冷静な口調だった。
「関係ないって言い方はひどいだろう!」
ぼくは不老をにらみつけた。
「冷たいんだね、不老君は」
金銀河はつぶやくように言った。そしてウィンドウから身を引いて、バックシートにもたれかかった。その顔つきは、固くこわばっているように見えた。
「車、出しますよ?」
運転席のキヨさんが、のんきな顔でぼくたちを振り返る。
「あのね……」
小さく声を漏らしたのは、本郷梓だった。
「さっきまるるんさんが、わたしも一緒に『探偵団』と呼んでくれて、とてもうれしかった。学校も違うけど、わたしも仲間なんだなって、思えた」
「もちろんだよ、梓」
金銀河が車内に体を戻し、本郷梓の肩に手を置いた。
本郷梓は続けた。
「不老君がわたしたちを巻き込まないように、気を使ってくれているのはわかるよ。けど、頼ってくれてもいいんじゃないかなって、わたしは思う。だって、仲間だから――探偵団なんだから」
しばし、沈黙が落ちた。
「わたしたち六年生だし、一緒に謎を解ける時間は残り少ないんだよ」
本郷梓はそう言いながら、隣の金銀河に視線を向けた。
「いや、そんな大げさな……」
ぼくが口を挟むと、本郷梓が怪訝そうに首を傾げた。
「銀河ちゃん、もしかして、話してないの?」
「な、何を?」
ぼくは少々あせりつつ、いやな予感を覚えた。
本郷梓は、悲しそうな表情を金銀河に向けた。
「銀河ちゃん、来年の四月からはカナダで暮らすんでしょ? そんな大事なこと、どうしてみんなに話してないの?」
「へ、へえっ?」
ぼくは裏返った声を上げてしまった。不老翔太郎もまた、声こそ出さなかったけれど、右の眉を高く上げていた。
当の金銀河は、シートに体を預けて、じっとフロント・ウィンドウの向こうのどこか遠くに視線を向けていた。
「銀河さん、どうしてそれを教えてくれなかった?」
不老は、静かな声で尋ねた。
金銀河は、やっぱり前方に視線を向けたまま、一度大きく「ふうっ」と息を吐いた。
「不老君はさっき言ったよね。その言葉を全部そのまま返すよ。不老君には『関係ない』」
あまりに冷たくかたくなな言葉が、真夏の氷柱のようにぼくの胸にグサリと突き刺さった。言葉を失ってしまう。
金銀河は、変わらず静かに、寒気すらするほど静かな口調で続けた。
「不老君は、不老君の事件を追えばいいよ。わたしと梓と御器所君は、わたしたち『探偵団』の事件を、わたしたちの力で解決するから。〈東秀ゼミ〉に関わる事件も、不老君の助けは要らない。三人だけで力を合わせて解決してみせる」
不老翔太郎は眉間に皺を寄せて、ぼくたちの乗った車を見つめている。
「銀河さん、君は――」
「これから不老君とは、お互いに『探偵』のライヴァル同士だね」
そう言うと、金銀河はぼくと本郷梓を交互に見やった。
「帰ろっか」
ことさらに明るい声で金銀河がぼくたちに言った。
「銀河ちゃん……いいの? よくないでしょ?」
本郷梓は、悲しそうな顔で、金銀河の肩を両手で摑んでいた。
キヨさんがアクセルを踏み込んだ。SUVが一気に加速する。ぼくたちの上体がぐっとシートに沈み込む。
リア・ウィンドウの向こうで、不老翔太郎の立ち姿が遠ざかっていった。
これから、ぼくたちと不老翔太郎との関係はどうなるんだろう?
ただ不安だけが、ぼくの胸を締め付ける。
そしてまさにその数日後、ぼくたちは不老抜きで、新しい事件に立ち向かわなければいけなくなるのだった。
「高名な依頼人」完
不老翔太郎の混戦 美尾籠ロウ @meiteido
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