第2話「高名な依頼人」第6部

 戸惑った様子で、まるるんさんはスマートフォンとパソコンを操作した。すぐにノートパソコンに写真を転送して、ディスプレイには、先ほどの車窓からの写真が大きく映し出された。

「画面の右、上から三分の一あたり!」

 不老ふろう翔太郎しょうたろうが早口で言う。まるるんさんがトラックパッドを操作して、その部分を拡大した。

 その場にいた全員から、同時に声が漏れた。

 サイド・ウィンドウに、反射した車内の像がうっすらと映り込んでいた。スマートフォンを構えた人影――これがまるるんさん自身の姿だ――その向こうの、ハンドルを握る横顔。

「運転しているのがハラさんですね」

 不老が言うや、まるるんさんは素早くノートパソコンを操作した。画像編集ソフトを立ち上げ、この写真を読み込む。まるるんさんは真剣な表情で写真のコントラスト、明度、彩度などを微調整し始めた。

「あっ」

 短く本郷ほんごうあずさが声を漏らす。

 濃いグリーンの森の手前、ハンドルを握り、前方を見つめる女性の横顔が浮かび上がった。尖った顎。高い鼻。ショートカットの髪。着ているのは、ボーダー柄の長袖Tシャツであることもまた、見て取れた。

「そうそう、思い出した。見える? ハラさん、小鳥の形をしたピアスをしていたの」

 まるるんさんの言うとおり、ハラさんの左の耳朶に小さなピアスが見えた。

「もう一つわかるよ! ハラさんは結婚してる。ほら、左手の薬指に指輪をしてるでしょ」

 キム銀河ウナがディスプレイを指さした。

 まるるんさんが、感嘆した声を漏らした。

「みんなすごいなぁ。まこっちゃんから聞いていたとおり、ほんとの探偵団なのね!」

 まるるんさんはぼくたちを見回した。

 まこっちゃんと呼ばれた不老真琴まことさんはというと、部屋のいちばん奥の安楽椅子に腰かけ、余裕たっぷりな様子で、ぼくたちを見守っていた。

「あなたももっと思い出せるんじゃない? 人間の脳のポテンシャルは大きいものよ」

 真琴さんの言葉を聞き、まるるんさんは「うーん」と眉間に人差し指をあてた。

「小鳥のピアス……そういえば……鳥じゃないけど、コウモリがどうとかいう話を聞いたような……」

「コウモリ?」

 不老がぴくりと眉を動かす。

「山小屋に着いて、西さんと挨拶したあとで、ハラさんたち三人が頭を寄せ合って、何か話していたのよね。タケシさんが『コウモリみたい』と言ったら、ユウジさんが『変わったコウモリだ』って答えていたのが聞こえた気がする。でも、キャンプ中、コウモリの姿は見かけなかったなぁ」

「なるほど……『コウモリ』とは興味深いじゃないか、御器所君?」

「へ? まあ、そりゃあ、確かにね」

 そう答えはしたものの、いきなり話題を振られて、何が面白いのかさっぱりわからなかった。

 不老は肩をすくめた。

「では、仮説を立ててみよう。『三人には目的があった』。さあ、どんな目的が考えられるだろうか?」

「たとえば、あの小屋から何かを盗もうとしてたとか?」

 金銀河が、小首をかしげながら言った。

 するとまるるんさんが首を振った。

「西さんも、まさにそれを心配してたわ。わたしたち二人で山小屋を調べたけれど、異常は見つからなかった」

「しかし、見落としている可能性がありますね」

 不老は冷静だった。

「確かに。もう一度、西さんに問い合わせて、あらためて小屋を調べてもらわなきゃ」

「ほかにはどんな仮説が考え得るだろうか?」

 不老は人差し指を顔の前に立てた。

 ぼくは思わず不老に向かって、口をとがらせて声をぶつけた。

「そう言う不老はどうなの? 少しでも仮説を思いついたのか?」

 不老翔太郎は、急に口角を上げた。うれしそうに右の人差し指をぼくに向かって突きつける。

「よくぞ訊いてくれた。僕は少なくとも十一の仮説を立てたよ」

「へ? 十一も?」

 あっけにとられたぼくに向かって、不老はさらに大きくて不敵な笑みを、心底うれしそうに浮かべた。底意地の悪い男だ。

「僕の仮説は、ハラさんたち三人の目的によって、大きく三つのカテゴリに分類できる。すなわち、その1、三人の目的が、まさにあの小屋にあった。その2、小屋に来る以前に、三人はすでに目的を果たしていた。その3、小屋に泊まったあとに、彼ら三人はほんとうの目的地に向かった」

「まずは三つのうち、どれが真実なのか、解き明かさないといけないね」

 金銀河が腕を組む。

 不老翔太郎は、顔の前にぴんと人差し指を立てた。

「では検討しよう。その1『山小屋こそが目的地だった』。それは、西さんの証言どおりならば、ありえなさそうだ。しかし、西さんが山小屋の秘密に気づいていない、もしくは西さんが嘘をついている、あるいは何かを隠している可能性もゼロではない」

「さすがに、そんなことは考えづらいな……」

 まるるんさんが、急に不安そうな表情になった。

 不老は続けた。

「その2『小屋に来る以前に、三人はすでに目的を果たしていた』。これはもっとも可能性が低い。なぜなら、まるるんさんをわざわざ巻き込む意味がない。そもそも、目的を果たしたなら、すぐに逃亡すべきだ。そのあと山小屋で一泊するのは、あまりにもリスクが大きすぎる」

「確かにそうね。だったら、次は?」

 金銀河がさきをうながす。あとを引き取るように本郷梓が口を開いた。

「その3ね。『小屋に泊まったあとに、ハラさんたち三人が、ほんとうの目的地に向かった』。わたし、これがいちばんありえそうに思えるな」

「わたしもそうよ!」

 まるるんさんが言うと、本郷梓と金銀河が何度もうなずいた。

「山小屋の近くに、何かが隠されている、っていう仮説はどう? ハラさんたちは、その『何か』を探しに行った」

 まるるんさんが言う。本郷梓が、ぱっと顔を輝かせた。

「すると、ハラさんたちって、トレジャー・ハンターだったってことですね! なんだかワクワクする!」

「トレジャー……宝が隠れていたとすると、それって何だろう……?」

 金銀河が眉間に皺を寄せてつぶやいた。

「宝といえば、埋蔵金?」

 ぼくが言うと、まるるんさんが微笑んだ。

「そんな話は聞いたことないわねえ」

「御器所君、真面目に考えたまえ」

 また出た。不老の「たまえ」だ。

「ぼくは真面目だよ。歴史を考えたら、どこに何が埋もれていてもおかしくないじゃないか」

「そうよね、調べてみないとわからないかも」

 まるるんさんが、ぼくにとっておきのやさしい微笑みを向けてくれた。胸の奥が、ふわっと暖かくなる。どうして不老もこういう言葉を口にすることができないんだ?

 まるるんさんはノートパソコンを素早く操作すると、ぼくたちを見回した。

「大雑把にネットで分かる範囲だけの情報ね。山小屋がある町のホームページに町の歴史が載ってる。この周辺は、ここ二百年はずっと農村だったみたい。かつては養蚕が盛んで、桑畑が広がっていた。今は米と白菜、大根などの野菜を栽培している農家が多い。その他には大きな産業もないし、観光資源にも乏しそう。江戸時代には小さな旗本の領地で、いくつか由緒ある小さなお寺や神社があるみたい。それから、神社の敷地内に、小さな古墳がある。紀元六世紀のものと推定されるんだって。だけど……埋蔵金とか財宝とかのワードは出てこないわねえ」

 そう言いながら、まるるんさんはさらにパソコンを操作する。

「それから……郷土史家っていうのかな? そんな人のサイトがあったわ。それによると、えーと、古墳は直径十五メートルの円墳。副葬品として、いくつか土器が見つかっている。この地域には、室町時代頃までは陶工がいて、陶器を作っていたらしいわね」

「古墳で発見されたってことは、お宝だね!」

 ぼくが勢い込んで言うと、まるるさんは首を傾げた。

「そんなに貴重なものとは思えないなあ。確かに歴史的な史料ではあるだろうけど」

「その土器って、どこにあるんですか?」

 しぶとくぼくは尋ねた。

「〈町民文化センター〉ってところに保存されているんだって」

「ハラさんたちの狙いは、きっとそれだよ!」

 ぼくは同意を得ようとみんなを見回す。けれど、どの顔も冷ややかだった。

 まるるんさんは続けた。

「かりにハラさんたちが古墳から見つかった土器を手に入れようとしていたとしても、〈町民文化センター〉って、駅のすぐ近くにあるの。ハラさんたちが山小屋まで足を伸ばす理由がないわ」

「うーん」

 ぼくは頭を抱えた。せっかく虹色の脳細胞の活躍を披露できたと思ったんだけれど。

 すると、不老翔太郎が口を開いた。

「地図を調べてみてください。〈国土地理院〉のサイトでは、古い地図や航空写真をウェブ上で閲覧することができるんです」

 不老翔太郎がきっぱりと言う。

「ほんとう? 知らなかったな!」

 まるるんさんの指が、ノートパソコンのキーボードの上を走る。

 すぐに、画面には一枚の航空写真が映し出された。南北に走る線路と、画面を左右にゆるやかに蛇行して流れる川が見える。その両岸は濃い緑色で覆われていた。

 まるるんさんがマウス・ポインタで画面の一角を指した。

「わかる? この建物が山小屋ね」

 川のカーブに沿うような形で、ほぼ半円形の空き地が拓けているのが見える。そのもっとも左端に、小さな四角く茶色い建物が見えた。

「じゃあ、時間をさかのぼってみるわよ」

 まるるんさんがノートパソコンを操作すると、次の航空写真が表示された。まったく同じ画角だったけれど、写真の色味がちょっと変わった。周囲の植物の茂り方も少し違うようだ。

「ほとんど今と同じね。もっとさかのぼるわよ」

 まるるんさんの指先が、トラックパッドの上を走った。

 もっとも古い航空写真は、一九四七年のものだった。当然だけど白黒写真だ。解像度もよくないから、拡大するとピントがボケボケだ。それでも、川原の空き地の形は見て取ることができた。山小屋はなかった。

「駅周辺を見せてください」

 不老が言う。まるるんさんが言われたとおりに捜査し、画面にべつの一角の航空写真が映し出された。現在の写真だ。

「駅の北にある白い四角い建物が〈町民文化センター〉ね。それから、左下――つまり南西側、ちょっと離れた場所に神社が見える?」

 まるるんさんが画面を拡大する。たしかに、神社の敷地内に丸く緑色に染まった部分がある。これが古墳なのだろう。

「古地図を出してください」

 不老が画面を凝視しながら言う。

 まるるんさんがトラックパッドを操作し、画面は地形図に切り替わった。

「これが最新の地形図。古いものにさかのぼっていくよ」

 航空写真のない時代の、昭和初期の地図、さらにそれ以前の地図が、モニタに次々に表示された。

 ずっと変わらないのは、東西に蛇行して流れる川だった。駅周辺の町の姿は移り変わるけれど、神社の場所も、ずっと変わらなかった。もっとも古い一九一〇年代の地図でも、同じ場所に神社の地図記号が記されている。

 当たり前すぎるけど、江戸時代以前の地図は、さすがに国土地理院のサイトにはなかった。

 不老翔太郎は、身を乗り出しながら言った。

「では、次は地質図です。〈産総研・地質調査総合センター〉のサイトへアクセスしてください。五万分の一縮尺の地形図が表示できるはずです」

「地質図……? よくわからないけど……」

 まるるんさんのパソコンの画面には、べつの地図が表示された。全面がカラフルに赤色や水色、オレンジ色、クリーム色などさまざまに色分けされている。古い地図をスキャンした画像のようだった。

 不老翔太郎は、両手の指先をあわせて眼を細めた。

「直近で一九八五年の地質図しか更新されていないのか……もっとも、町名や一部の道路は変わっても、地質そのものが変化するはずはない」

 不老がひとりごちた。

「何かわかった?」

 ぼくが尋ねると、不老はゆっくりとうなずいた。

「この地域は、中生代白亜紀後期の花崗岩の基盤上に、新生代第三紀中新世後期の凝灰岩質砂岩層と泥岩層が堆積しているね」

「で! 不老には何がわかったの、って訊いてるんだけど!」

 さすがにぼくもいらついてきた。

「無論、この地域を形成する地質のデータが得られたよ。それ以外に何がある?」

 不老は心底意外そうな面持ちで、飄々とした口調で答えた。

 ぼくはすっかり脱力してしまった。安楽椅子に背中を預ける。

「うーん、埋蔵金の線は難しそうだなぁ」

 悔しいけれど、ぼくは認めないわけにいかなかった。


第7部へつづく

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