第2話「高名な依頼人」第3部
次の瞬間だった。女子二人が、同時に声を上げた。
「まるるん!」
「へ……?」
するとその女性は、一気にはじけるような笑顔になった。
「はじめまして! まるるんですっ!」
「本物だぁ!」
女子二人がユニゾンで声を上げた。二人とも眼をキラキラと輝かせている。
「え、えっと、ま、まるるる……?」
ぼくが言葉を探しあぐねている隙に、
「まるるんさんですね。ご高名はかねがねうかがっています。先月から、雑誌でのエッセイ連載も始められたとか。申し遅れました。こちらの不老真琴の弟、翔太郎と申します」
差し出された不老の手を、「まるるん」と呼ばれた女性は握り返した。当たり前のように女性に握手を求めることができる不老の神経は、ぼくには心底理解不能だ。
我に返ると、
「えーと、あの、ご、
つっかえながらぼくも慌てて自己紹介する。と、まるるんさんは満面の笑顔で「まるるんです、よろしくね」とぼくの手を両手でしっかり握った。やわらかくて温かい。ますますぼくの心臓の動悸が激しくなってしまう。
不老真琴さんが、口を挟んだ。。
「あんたもちゃんと名乗りなさいよ、ルナ……じゃなかったわね、まるるん」
まるるんさんはぺろりとかわいらしく舌を出した。現実にこんな仕草をする人を、ぼくははじめて見た。
「あらためまして、ソロキャンハイシンジョシ、まるるんですっ」
ソロキャンハイシンジョシって何語だろうか、と考えていたけれど、二人の女子はますます感激した様子で「わぁ」と声を漏らしていた。
まるるんさんは話を続けた。
「まこっちゃん――あ、ここにいる不老真琴ちゃんのことね――は、わたしの高校時代からの親友なの。わたしがアナウンサー目指して、テレビ局の採用試験を受けようとしたとき、いちばん反対したのが、まこっちゃんだった。『あんたにテレビの仕事なんて絶対に向いてない』ってね。ある地方局で採用されてアナウンサーとして働いてたんだけど、まこっちゃんいつも、誰よりも先に真実にたどりつくのよね。理想と現実との乖離が激しすぎた。わたしは世の中一般的に求められている、いわゆる『女子アナ』に向いてなかった。面白くもないお笑い芸人のギャグに笑って見せたり、かわいいフリをして食レポしたり、あえて何も知らないバカのフリをして『コメンテーター』とか名乗るオジサンの愚にもつかない妄言にニコニコ笑ってうなずいてたりすることが、ほんとに耐えられなくなっちゃった」
まるるんさんは歯に衣着せない人のようだ。芸能界というものへの幻想を、大量の冷水を浴びせている。
「そんなこともあって、わたしは局アナを辞めて、フリーランスになった。一昨年からネットで趣味のソロキャンプの様子を配信してみたの。あえて過去の自分を全部捨てて、別人というか、『まるるん』という別人格になってみたんだ。ラッキーなことに視聴者数が爆上がりになっちゃって、それで、今のわたしがいるというわけ」
小学生相手にそこまでぶっちゃけていいのだろうか、と思いながら、まるるんさんの話を聞いていた。女子二人はというと、ありがたいお言葉をいただくかのように、相変わらず潤んだ眼を輝かせている。
「前置きが長くなっちゃった。本題に入るわね。事件というか、奇妙な出来事に遭遇したのは、先週の土曜日。わたしがコラボしてて、仲良くさせてもらってるアウトドア・グッズのメーカーの社長さんに、お金持ちの親戚がいるの。その叔父さんが、地方で山をいくつも所有してる人なのね。小さな別荘というか山小屋も持っていて、その山小屋の近くの敷地で、キャンプさせてもらえることになった。それで土曜日はその収録に出かけたんだけど、そこで不思議なことが起きたの」
「不思議なこと?」
金銀河が身を乗り出す。
「キャンプにはいつもお一人で行っているんですか?」
口を挟んだのは不老だ。
「そう。編集してくれるスタッフはいるけど、基本的に撮影は本当にソロでやってるよ。土曜日の朝、現地で山のオーナー――社長の親戚のことね――に挨拶する予定だったの。でも――」
以下は、まるるんさんが語る「奇妙な体験」だ。
まるるんさんがキャンプ動画の撮影を許可してもらったのは、山あいに流れる沢の脇に広がる土地だった。古い木造の山小屋のような別荘が建っている。その前には、テントを三つくらい張ることができる広さの空き地があった。透き通った水の流れるきれいな川と、緑色に茂る雑木林に囲まれた魅力的な場所で、撮影にはもってこいだ。
まるるんさんはいつものように、車は使わず、あえて鉄道で現地へと向かった。ローカル線の最寄り駅で降り、キャンプ・サイトまで一〇キロほど歩いて向かう計画だった。その道中の風景や人との出会いもまた、まるるんさんの毎回の動画のテーマの一つだ。
山小屋に向かって歩き出してほどなくして、まるるんさんは、RVに乗った三人のキャンパーに車から声wかけられた。三人は、山のオーナーの知人だという。三人とも四十代。一人は白髪交じりの男性。ほかの人からは「タケシさん」と呼ばれていた。もう一人は雪だるまのようににまんまるな体型の男の人で、名前は「ユウジさん」、三人目のいちばん若い女の人がリーダー格のようで「ハラさん」と呼ばれていた。まるるんさんは、車に同乗させてもらえることになった。
ハラさんたちは、まるるんさんのキャンプ・サイトの脇の山小屋に泊まる予定だという。三人ともみな親切で礼儀正しく、まるるんさんの配信動画もちゃんと観てくれていた。しかもソロキャンプ配信にとても理解があった。まるるんさんは、いつもはたった一人でキャンプを行なっていた。まれにキャンプ・サイトで誰かと一緒になるときもあったけれど、その際には、たいがい「動画配信者」というだけで煙たがられたり、あるいは逆に不躾なほど距離を詰めて来られたりする経験ばかりだった。だから、まるるんさんは、すっかり三人に好感を持ち、山のオーナーに挨拶するときには完全に意気投合していた。
三人とも映像での顔出しはNGだった。だから、あくまでも三人は撮影せず、まるるんさん一人がキャンプしている場面だけを自撮りするということで、お互いは了承した。
そしてまるるんさんたちは、山小屋の前でオーナー――社長の叔父さんで「西さん」という――と会って挨拶をし、キャンプをスタートさせた。
「楽しいキャンプだったなぁ」
まるるんさんはソファに身を委ねて天井を見上げた。
ぼくたちは、室内に安楽椅子を輪にして並べて、まるるんさんを囲むように座って話を聞いていた。本物の「安楽椅子」に座ったのははじめてだ。安楽椅子とロッキング・チェアは違うものなんだな、とぼくははじめて知った。
「川には、とてもきれいでおいしい天然水が流れてるし、今どき珍しく焚き火の許可ももらえたの。火を起こしてお米をメスティンで炊いて、塩麹に漬けておいた鶏肉を焼いて……いや、そんな話はどうでもいいわね。とにかく、最高のロケーションだった。それに、ハラさんたちは、わたしよりもずっとアウトドアに慣れているベテランみたいだった。山小屋のキッチンで作った美味しいシチューとパエリアを差し入れてくれた。ものすごく美味しかったわ。ハラさんやタケシさんはお酒好きみたいで、即席のカクテルを作ってくれた。ついつい楽しくなってたくさん飲んじゃった。動画を撮影できなかったのがすごく残念」
まるるんさんが、恥ずかしげに頭を片手でかいた。どんな仕草も絵になる人だな、とぼくは見とれてしまった。
「無論、無事にキャンプを終えたわけではありませんよね」
不老翔太郎は安楽椅子の背もたれに体をあずけ、冷ややかに言った。
「そう……ほんとにやらかしちゃった」
「何が起きたんですか?」
金銀河が心配そうな声を漏らす。
「全然強くないのにお酒を調子にのって飲んじゃって、翌朝六時に起きる予定だったれど、見事に寝坊。テントの外からオーナーの西さんに声をかけられて、やっと眼が覚めたら九時過ぎでびっくりしちゃった。寝ぼけ眼で、しかも宿酔でアタマがガンガン。でも、テントを出たら、全部ふっとぶくらいにもっとびっくりすることがあった」
「ど、どんな?」
本郷梓が身を乗り出す。
「三人がいないの。ほんとうに跡形もなく、きれいさっぱりハラさんたちが消えていたの。まるで、もとから三人が存在してなかったみたい。『狐につままれたような』って言うけど、きっとあんな感じね。まるで、メアリー・セレスト号事件みたいだった」
「メアリー……さんって、誰ですか?」
ぼくが尋ねると、不老が短く「はっ!」と声を上げた。なんて失礼な男だろうか。
「船の名前だよ。十九世紀末、ニューヨークからイタリアに向けて、乗組員とその家族を乗せて出航したが、その後、大西洋で漂流しているのが発見された。船に大きな異常はなく、積み荷も無事だったが、船内から人の姿が忽然と消えていた」
「船が発見されたとき、食卓にはまだ温かい食事やコーヒーが手つかずで置かれていた。なのに、人間だけが忽然と消えてしまった……と言われてるわ。この事件は、今でも解決されていない。まさにそんな感じだったな」
まるるんさんが引き継いで言う。
「え……」
思わず背筋に冷たいものが走った。
第4部へつづく
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