殺し屋との出会いと母親の消滅

 『なんでも屋』の扉が開いた。ムゲンが呼んだ殺し屋が来たのだろう。ムゲンはニッコリと笑顔を浮かべながら、店に入ってきた男に話しかけた。彼は童顔気味の顔で身長は高くないが、近寄りがたい雰囲気をまとっている。


「おう。レオ、やっと来たか。おせーよ」


 ムゲンは突然呼びつけてのにもかかわらず、遅いなどと文句を垂れた。レオと呼ばれた男は不愉快さを隠そうともせずに眉を寄せた。当然の反応であろう。せっかく来たにもかかわらず、文句を言われたら気分は悪い。


「うるさい。いきなり呼び出しておいて、遅いとはなんだ。お前に謝罪なんて期待してないが、遅いはないだろ。せっかく来てやったのに。全く、お前はいつもそうだな」レオはため息をついた。

「ため息つくと幸せ逃げるって本に書いてあったよ」

「誰のせいだ」

「んー、俺?」ムゲンはわざとらしく首を傾げた。


 レオは大きくため息をつくと、ムゲンに何か言うことを諦めたのか、その仏頂面をユキマサの方へ向けた。じっくりと値踏みするようにユキマサの全身を眺める。ユキマサは身じろぎした。ここまであからさまに観察されると、なんか居心地悪い。


「ねえねえ、レオ、そんなに睨むなよ。第一印象悪いよ~」ムゲンは懲りずに、わざとらしく、うざったく思われてもしょうがない口調で話しかけた。

「睨んでない。誰にどう思われようどうでもいい」


 冷たくあしらわれたムゲンは、さして気にした様子もない。


 ユキマサはレオを見ていて、住む世界が違うと感じた。ぶっきらぼうな口調だが、ピンと背筋が伸びた凛とした、たたずまいからは、まるで貴族のような空気を感じる。一対一で話すのは少し緊張しそうだ。


「依頼は、ユキマサの母親を殺すこと。ユキマサっていうのは、お前が今、睨んでた、そこに座ってる目が死んでる奴」突然ムゲンが本題に戻った。さっきまでのねちっこさは、さっぱりと消え去っている。

「だから、睨んでない。いつまでにやればいい」

「今すぐ」


 レオはため息をついて、椅子に座った。ユキマサとは、椅子一つ分の距離がある。理由はわからないが、意図的に距離を置いたように見える。


「急に俺を呼び出したんだ。それ相応の報酬はもらえるんだろうな。少なければ帰る」

「もちろん。これ全部あげる」


 ムゲンは二つの通帳をレオに手渡した。ユキマサがムゲンに渡したものだ。レオは表情一つ変えず、無言で中身を確認した。一通り確認すると、カウンターに置いた。


「これだけあれば十分だ」

「だろうね。全部お前らにあげる俺、優しいでしょ。ねえ、優しいでしょ」

「しつこい。優しくはない。急に呼び出している時点で、ろくでもない客だ、お前は」レオはバッサリと切り捨てた。

「でもでも、そんだけお金貰えて嬉しいでしょ。これでまた、お前の価値証明できたね」

「うるさい。余計なこと言うな」語気が強い。


 間髪入れずに反応したレオはきつくムゲンを睨みつけた。これ以上刺激してはいけないと馬鹿でもわかるほどの圧がある。だが、突き刺さりそうなほど鋭い視線を向けられているムゲンは、ニッコリと笑みを浮かべたままレオの目を見続けている。見つめ合うこと数秒、レオは深く息を吐いて、ユキマサの方を向いた。


「死体は必要か?」


 ユキマサは、レオの質問の意図が理解できなかった。そもそも死体が必要なことってあるのだろうか。どう答えればいいのかわからずに、口ごもっていると、ムゲンが口をはさんだ。


「そんなこと聞いても、そいつはわかんねえよ。なあ、お前さ、おかーさんが、死んだあと、時間欲しいんだろ」ムゲンはユキマサの方に視線を向けた。

「はい。欲しいです。まだやらなきゃいけないことが残っているので」

「だよね。つーわけで、レオ、死体は不要だ。ない方が良い。よかったな。お前の得意分野だ。やりやすいだろ」

「わかった。報酬は後でここに取りに来る。話はこれで終わりか?」

「えー、もっと話さない?」

「断る。お前のくだらない話に付き合うつもりはない」レオは冷たく切り捨てた。「話は終わりということだな。場所はどこだ」

「場所は、そいつに案内してもらってね」


 レオは椅子から立ち上がると、「早くしろ」とユキマサに催促した。そして、ユキマサの反応を確認することなく、すたすたと扉に向かって歩き出した。ユキマサは慌てて後を追った。後ろから「バイバーイ」と呑気な声が聞こえてきたが、誰も反応しなかった。


 ユキマサのアパートに着くまでの間、ユキマサもレオも一切口を開かなかった。話す話題もないし、話す必要性も感じない。


「ここが俺の家です」


 そうレオに声をかけてから、ユキマサは家の鍵を開けた。


「そうか。待ってろ」


 レオはユキマサの返事も聞かずに、ユキマサの部屋に入っていった。そしてすぐにレオは部屋から出てきた。部屋の中に居た時間はわずか数秒。一分も経っていない。


「終わったぞ」

「えっ、もうですか?」


 ユキマサは思わず聞き返してしまった。いくらなんでも早すぎる。人ひとり殺しているはずなのに、一分もかからないのか。こんなこと初めてのことだからよくわからないが、寝ている人間相手とは言え、もっと時間がかかるものではないのか。


「ああ、終わった」

「えっと、俺は、どうすればいいんですか?」

「そんなことオレに聞くな。オレの仕事は果たした。もうここに用はない」

「中に死体とかないんですか?」

「あるわけがないだろ。さっき、死体は不要だといわれた。だから、あるわけがない。仕事はしっかりと果たした」


 ユキマサは首を傾げた。死体がないとはどういうことだろうか。燃やしたにしては焦げ臭くないし、埋めたにしてはレオが汚れていない。そもそも燃やす時間も埋める時間も場所もなかったはずだ。死体はいったいどこに行ったのだろうか。見当がつかない。魔法と言われても納得する、というか、魔法のような超常現象でなければ説明できない気がする。


「おい、視線がうるさい。言いたいことがあるならはっきりと言え。何のために口があるのか知らないのか」

「すみません。……あの、どうやって殺したんですか?」おずおずとユキマサは質問した。

「気にするな。お前には関係なことだ。考えても答えにたどり着けないのは確実だ。だから、無駄に頭を使う前に、思考をやめろ。知ったところで、お前にはできない。絶対に不可能だ」


 レオは突き放した。完全な拒絶。取り付く島もない。これ以上聞いても何も答えが返ってこないことは明白である。ムゲンの言葉や態度からは、相手に反論を許さないような圧を感じる。


 ふと、ユキマサはムゲンの言葉を思い出した。


『しっかりと自分を持ったまま、期待されているキャラを演じてるんだよ。』


 ムゲンの言葉が正しいのならば、今、目の前にいるレオは、誰かに望まれた仮面をかぶっている。本当の自分自身を押し殺しながら。辛くはないのだろうか。それとも辛いとは感じていないのだろうか。演じながら生き続けている人。ユキマサはレオに興味がわいた。


「あの、一つ、聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「なんだ。聞いてやる」

「どうして、あなたは演じ続けられるんですか?」

 レオは小さく舌打ちをした。

「どうせムゲンが何か言ったんだろ」

「はい。あなたが演じて生きている、とか言ってました」

「あいつ、やっぱり最悪だ。お前には関係ないことだ。お前が気にすることではない」

「確かにそうですね。すみません。変なこと聞いてしまって」

「謝るべきはお前ではなく、ムゲンのほうだ。お前が、オレに質問してくるのを予測して、それを教えたんだろう。あいつは一回殺すべきかもしれない。……なあ、お前も何かを演じていたんだろ。だから、ムゲンはオレのことを話した」

「あなたの言う通りです。俺は、別人を演じて生きていました。あなたとは比べ物にならないほど短い期間でしたけど。だから、聞いてみたくなったんです。たぶん、ムゲンが想像した通りの行動でしたね」

「お前はもうやめられたんだな」微かに羨ましそうな響きを感じる。

「あなたは、やめられないんですか?}

「ああ。絶対にやめることは出来ない。たとえ何があろうとも、オレは、二度とこの仮面を外すことができない。外すつもりもない。話は以上だ。今言ったことは他言無用。忘れろ。あと、これ以上オレに関わるな」


 ユキマサの返事も聞かず、レオは背を向けて、足早にその場を離れた。置いてきた報酬を取りに、『なんでも屋』に戻ったのであろう。レオが歩いていった方を見て、ユキマサは相手の事情に踏み込みすぎたことを反省した。自分と同じように、何かを演じて生きている人の言葉を聞きたかったのだ。レオの言葉を聞いて、彼は自分とは全く違うとよくわかった。自分と似ている、と一瞬でも思ってしまったことが恥ずかしすぎる。


 ずっと部屋の前で立っているわけにはいかない。ドアノブに手を掛けると、心臓がどくどくと音を立て始めた。ユキマサは一回深呼吸をしてから、自宅に入った。玄関であたりを見回す。玄関から見えるところに落ちていたはずの母親は見当たらない。リビングと寝室も一応確認してみたが、どこにも死体はない。跡形もなく消え去っている。血の匂いらしき鉄の匂いもしなければ、焦げたようなにおいもなければ、焦げたような跡もない。痕跡が一切ないので現実感がいまいちないのだが、母親は消滅した。もう、この世界には母親はいない。どこにもいない。でも、ユキマサが涙を流すことはなかった。悲しんだらいいのか、喜んだらいいのかわからない。母親の消失なんかよりも、どうやって消したのか、という方に意識が取られてしまっている。


 涙が流れるわけでも、笑顔を浮かべるわけでもなく、無表情。


 ユキマサは、とりあえず、部屋を掃除し始めた。部屋中に掃除機をかける。隅々まで、丁寧に掃除機をかける。部屋中を隅々まで見てまわり、きれいに物を整える。床に落ちている壊れた眼鏡を、床に投げ捨てられている眼鏡ケースに戻して、キッチンにあるゴミ箱に、ゴンッと投げ捨てた。『なんでも屋』に置いてきたカバンの存在を思い出したが、もう必要がないので、取りに戻ろうとは思わなかった。カバンだけでなく、この家にあるすべての物は、もう不要だ。ユキマサにとってはゴミ同然。


 ユキマサはポケットからスマホを取り出すと、どこかへ連絡を入れてから、まったくためらうことなく初期化した。そのスマホを、寝室にあるタンスの奥にしまった。


 一通り片付け終わると、ユキマサは何も持たずに、今まで母親と二人で暮らしてきた部屋を去った。もう二度と戻ることはないから、鍵も持たずに実家から離れた。もうユキマサを縛るものは何もない。






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