すべてを捨てよう
ユキマサは『なんでも屋』を訪れた。ムゲンは、カウンターに足をのせて本を読んでいた。ユキマサに気づくと、本をポイっと床に捨てて、カウンターから足を下ろした。ムゲンの口角は上がっている。
「いらっしゃい。お、目が死んでいますねぇ。ほら、そこに突っ立てないで座って。早く座れよ。おもしれーことになってそうじゃねぇか」
ユキマサは無表情のまま、ムゲンの正面に座った。鞄をカウンターの上に乗せ、ポケットからは睡眠薬の入った容器を取り出して、ムゲンの目に置いた。
「あの、この睡眠薬ってどのくらい効果続きますか?」
「これ、トワにあげたやつじゃん。トワに会ったんだ」
「はい。トワに貸してもらいました。まさか、こんなに早く使うことになるとは思いませんでしたけど。あの、これってどのくらい眠らせることができるんですか?」
「えっと、たしか、三時間くらいだった気がする」
それを聞いてユキマサはほっとした。今すぐに母親が目覚めてしまうことはない。もし目覚めてしまったら、きっとユキマサを探しに行くだろう。それは困る。
「お母さんでも眠らせたんだろ。それで、おかーさんコロシてって頼みに来たってこと?」
「そうです。お願いします。あと、これ返しておいてください」
「サラッというね。いいね、お前。その睡眠薬、そこ置いといて。あいつ帰ってきたら返しとくわ」
そう言うとムゲンは、ズボンのポケットからスマホを取り出して、どこかに電話をかけ始めた。
「……もしもーし。緊急の依頼。……まあまあ、そー言わずに、受けてくれよ。そうだな、一時間以内にここに来い。……まじ? そっか。じゃあ、レオは? ……全然大丈夫。……よろしく~」
ムゲンは電話を切ると、本のように投げ捨てることはせずに、ズボンのポケットに戻した。そして、ユキマサのほうに顔を向けると、にやにやしながら問いかけた。興味津々といった様子だ。
「で、何があった。全部話せよ」
「ざっくりと説明しますね。まず、母さんが、本物の正雪が結婚相手と外を歩いているのを目撃しました。それで、家に帰ってきて、放心状態になりました。で、俺に、正雪と俺を殺して自分も死ぬって母さんが言いました。だから、殺される前に、母さんをとりあえず眠らせました」
「あら、母親完全にぶっ壊れた?」
「そうみたいです。もう何を言っても無駄だってことがわかりました」
「ふーん。ところで、お前はなんて言われたの。殺すって言われただけじゃ、お前はそんなンにならねぇ気がするな」
「母さんは、偽物だとわかってても、本物だって思い込もうとしてました。息子なんてどうでもいいって言ってました。俺は、正雪の代用品だそうです。正雪が戻ってくる見込みがないと母さんが思ってしまったので、俺は母さんにとって要らないものになりました。どれだけ待っても、どれだけ努力しても、母さんが俺を見てくれることはありません。俺はそれを理解しました。今までの俺の行動はすべて無駄でした」
ユキマサは無表情で、淡々と、事実を述べた。感情をどこかに置いてきてしまったかのようだ。何の感情も読み取れない。そんなユキマサを見て、ムゲンは一層笑みを深め、心にもない提案をした。
「ねえ、記憶消すのはどう?」
「結構です。なんかもう疲れました。それに、もう母さんの顔は見たくありません。なんか無理です」
「どうして?」
「一緒にいたくないです。同じ空間に居られないです」
「あははっ、やっぱお前、おもしれぇな」
ムゲンは愉快そうに笑い声をあげた。無表情なユキマサとは、天と地の差があるほど、はじけるような笑み。楽しそうにしているムゲンにかまうことなく、ユキマサは表情を変えず、淡々と話しを進めた。
「対価ってどうすればいいですか? 一応、母と俺の通帳は持ってきました。このまま渡せばいいですか? キャッシュカードは挟まってます。暗証番号は必要ですか?」
「んー、いらないんじゃない? あいつらには暗証番号なんてあってないようなもんだろうから」
「そうですか。わかりました。今、渡しますね」
ユキマサはカバンから二つの通帳を取り出し、ムゲンに手渡した。ムゲンはそれらを受け取ると、中身を確認した。「へー」と興味深そうに声を発した。
「こんなにあんのに、なんで、誕プレとか買ってもらえなかったの? 十分お金あるじゃん。楽勝で大学いけるぜ」
「そうなんですね。所詮、俺は正雪の代用品でしかありません。だから、俺に誕生日プレゼントなんて買いませんよ。俺にお金かけるなんて、そんな無駄なことするくらいなら、帰ってくるかもわからない正雪のために貯金しますよ。母さんなら。正雪はお金がある人間のところに行くらしいですから、貯金がんばってたんでしょうね」
「うわ、引くほど正雪のこと好きだったんだね。つーか、正雪がお金目当てなのわかってて待ってるんだね」
「そうみたいですよ。お金が無くても尽くしてあげた俺なんかよりも、ろくでもない正雪の方が大事らしいです」
「へー。ねぇ、代用品くん」
「なんですか」
「自分で殺そうとは思わなかったの? 衝動でさ、エイって、やっちゃえばよかったのに。そっちのが手っ取り早いでしょ。後処理だけ俺らに任せればいいだけだよ。そのほうが、金かかんねぇよ」
ユキマサは確かにそうだと納得した。確かに自分で殺せばよかったのかもしれない。ムゲンの言う通り『手っ取り早い』。でも、そういう、殺したいっていう衝動はなかった。ムゲンに依頼しようとは思ったが、自分が母親になにかしようとは考えなかった。
「そういう衝動が起きなかったんですよね。あのとき。今もそうです。ムゲンに依頼しようとは思いますが、自分の手でやろうとはまったくおもいません。たぶん」躊躇うように視線をさまよわせて、一拍おいてから、続けた。「たぶん、……母さんのことがまだ好きなんでしょうね」
ユキマサは自嘲気味に、微かな笑みを浮かべた。この日『なんでも屋』を訪れてから、初めて無表情を崩した。母親に散々ひどいことを言われたのに、いまだに母親のことが好き、っていう気持ちがなくならない自分が馬鹿すぎて嫌気がさす。どれだけ好意を向けても、どれだけ尽くしても、何の感情も帰ってこないのがわかっているのに、好きって気持ちが完全になくならない。嫌いになり切れない。これでは母親と全く同じではないか。親子で似なくていいところが似てしまった。
突然の笑い声がユキマサの陰鬱な気分を吹き飛ばした。
「あはっ、やっぱり、お前は、さいっこうだね! いいね。ぐっちゃぐちゃになってる人間っていいわ。ねー、そんなにさ、おかーさんのことが大好きなら、おかーさんをおかしくした元凶の、おとーさんを殺そうと思わなかったの?」
「はい。思いませんでした」
「どうして?」
「何の解決にもなりませんので。無駄なことはしたくないんです。あと、どうせ、近いうちにあの人は死にますよ」ユキマサはきっぱりと断言した。
「なんで?」不思議そうにムゲンは問うた。
「あの人は、近いうちに殺されます。俺じゃない人間に」
「ふぅん。なるほどね。ぜって―面白れぇことやってるでしょ。後で絶対に聞かせてね」
「わかりました。約束しますよ」
「あ、そうそう、依頼料だけどね、さっきの二つの通帳で十分足りると思うぜ。まあ、俺には一銭も入らねぇけどな」
「そうなんですか?」
「ああ、相談料取れねーと、俺の儲けはゼロよ。あいつらへの依頼料たけ―んだわ。俺、殺しとかできないから、あいつらに頼むしかなくて。しかも、今日は、急に呼び出しただろ? だから、多めにあげとかねぇとな」
「あの、俺に払えるものならば、何でも払いますよ。俺に払えるものならば、ですけど」
「なんでもいいの?」ムゲンが目を輝かせて、ユキマサの方にグッと身を乗り出した。
「はい。俺に用意できるものなら、なんでも」
ユキマサはムゲンに感謝している。母親の相談に乗ってくれたこと、母親との関係を終わらせてくれること。ムゲンのおかげで、最悪な日常を終わらせることができる。だから、出来るだけ、彼が望むものを依頼料として支払いたいのだ。
「じゃあ、考えとく。なあ、次いつここ来る?」
ユキマサはしばし考え込む。自分がこれからすることにかかる時間を計算してみる。下準備はしてあるから、そこまで時間はからないはずだが、人の心の問題なので、こればかりはわからない。
「いつになるかは正直わかりません。そんなに時間はかけたくはないですが、そうですね、半年はかからないと思います。というか、かけたくないです。半年以内に来るって思っておいてください。逃げませんのでご安心を」
「りょーかい。待ってるよ。逃げるとは思ってねぇよ。まあ、早く来いよ」
「努力はしますよ」
「ま、がんばってねぇ。でさぁ、お前は、いつ正雪に出会ったの?」
ムゲンはいったいどこまで調べたのだろうか。ユキマサの普段の行動を調べれば、正雪に会ってことなんてすぐに想像がつくだろう。
「二年前くらいだったと思います。家出した時に、初めて会いました。それを母さんに言ってなかったんですけど、何で言わなかったのって、今日キレられました」
「うわー、修羅場ってやつ?」
「そうですね」
「ごしゅーしょーさまー。で、正雪ってどんなやつ? やっぱクズっぽい?」
「ちゃんと話したのは一回で、あとは数回、軽く話しただけなので、よくわかりません。たぶん、クズではあると思いますが、どんな人かっていう質問には、女好きで金好きなクズってくらいしかわかりません」
「じゃあ、お前のボーイフレンドはどんなの?」
「そんな人存在しません」
「えー、いるでしょ。ほら、あのさ、お前がよく行くマンションに住んでる、正雪の結婚相手のおとーと君」
「ああ、あの人は別にそんなんじゃないです。ただの傷のなめ合いをご所望の男です。知り合いっていうか、都合がいい相手です」
「どんな風に都合がいいのかな?」
「ムゲンがいったいどんな想像をしているのはわかりませんが、ちょっとした避難所です」
「へー。いつから会ってんの」
「マサユキに会った時に彼に会いました。だから、二年くらいですかね。その日からちょくちょく会ってます」
「あー、週に二回くらいあってるよね」
ユキマサは、正雪の義弟に会っている頻度を知られていることに、さほど驚かず、わざわざ質問してくることに疑問を持っていた。なぜ調べて知っているであろうことを聞いてくるのだろうか。別にいいのだが、単純に疑問に思った。ユキマサの口から聞きたいのだろうか。いや、単純にユキマサの反応を楽しみたいだけだったのかもしれない。
「仲いいね~」
「別に仲良くはないと思いますよ。ただ都合がいいからお互いに利用しているだけ。少なくとも、俺はそう思ってます」
「お前も利用されてんのね。気になる。詳しく話せ」
「はい。俺がいることで、彼は正雪を殺さないでいられるようです。彼は姉が大好きなようで、クズに取られたことを今でも納得できてないようです。姉に迷惑かけたくないから、俺をそばにおいて殺意を抑えているようです。俺は、彼の家は母親から離れられるのでよく行ってました」
「そうそう。さっきから気になっていたことがあるんだけど。その、正雪の結婚相手、死んでんじゃん。半年前に。飛行機の事故で。それなのにさ、おまえのおかーさんは、正雪の結婚相手に会ったっていうし、なんで?」
「きっと、正雪が結婚相手って嘘ついたんだと思いますよ。そう言えは母さんが諦めるとでも思ったんでしょうね。母さんのこと邪魔だって思ってたから」
「ふーん。ならさ、もうお姉さんに迷惑かからないじゃん。お前はその“彼”にとって用済みじゃね?」
「そうですね。でも、なぜか、今でも追い出されないんですよ」
「なんで?」
「俺もそう思って、聞きました。なんで用済みなのに、そばに置くのか。そうしたら、同じ答えが返ってきました。殺さない理由だからだそうです。どうやら、俺の居場所になっていることが、正雪への殺意を抑えるために必要らしいです」
「もう誰にもめーわくかけねーのに?」
「はい。たぶん、彼は怖いんだと思いますよ。一線を越えてしまうことが。失敗するかもしれませんし、成功しても、罪悪感が残るでしょうし、まあ、いろいろと怖いんだと思いますよ。ムゲンにはわからないかもしれませんが」
「ああ、わかんね」即答。
「俺は、そういう感情を知らないわけじゃない。知らないわけじゃねぇが、ただ知ってるだけなの。そう言う感情、体験したこと無いし。俺はそう言う抵抗があるわけじゃなくて、汚れるし、臭いし、反抗されると痛いし、服ダメになるし、後始末大変だから、殺しはやらないの。おれ、クソ弱くて、喧嘩できねーの」
ユキマサは少し驚いた。この『なんでも屋』という怪しい店をやっているから、てっきり喧嘩には慣れていると思い込んでいた。仕事内容を聞く限り、危険が多そうな仕事だ。喧嘩できなければやっていけないのではないかと素人ながらにユキマサは思った。
「喧嘩できねー代わりに、逃げ足だけははえーの、俺。運動神経悪くないのに、なぜかケンカ弱いんだ。センスってのがないらしいよ。なんか、もっとケンカすれば強くなるって言われたけど、痛いの嫌だし、そこまでしてケンカしたくねぇし。ケンカは強いやつらに任せときゃいいのよ」
「そういうものなんですね」
「お前は、ケンカしたことある? 口喧嘩じゃなくて、殴り合いのやつね」
「ないです。したいとも思いません」
「そっか。イイ子ダネ。おかーさんさえいなければ、こんな世界に足を突っ込まずにてきとーに生きて、テキトーに死ねたのにな。いわゆるフツーの生活っていうやつが遅れたのにな。ご愁傷サマだね、ほんとーに。こんな裏の世界に来ちゃって。お前、おもしれー人生送ってんな」
ユキマサは何も答えなかった。ニヤニヤ面白がっているムゲンの言う通りだ。あんな変な母親じゃなければもっと普通の人生を送れた。ムゲンは面白いというが、当事者は大変だ。でも、もう普通の人生なんて想像ができない。
「そろそろくると思うよ」
「誰がですか?」
「さっき俺が電話したやつ。今からくるやつはね、この世界に生まれる前から、ずーっと、闇の世界にいたんだよ。あいつはね、裏社会でしか生きてけないらしいよ」
「生まれる前から?」ユキマサは首を傾げた。
「そ。生まれる前から。あいつおもしれーよ。一緒にいたいやつのためなら、自分をぶっ殺せるんだぜ。どんだけ苦しくても、辛くても、そいつに捨てられることが一番の苦痛なんだってさ。俺にはよくわからねーけど」
「俺にもよくわからない、と思います」
「だろーね。あいつはね、いつ自分が捨てられるかわからないと怯えて、相手に望まれる言動をして、望まれる生き方をしてる。自分をなくしちまえばいいのに、しっかりと自分を持ったまま、期待されているキャラを演じてるんだよ。過去も、今も、たぶん未来も。きっと、永遠にな。まあ、そういうぶっとんだバカだ」
「なんかすごいですね」
「だろ? おもしれーよな。俺、そいつにあんまり好かれてねぇけど」
「でしょうね」
興味本位で他人にあれこれと質問して、答えを聞いて大爆笑するムゲン。ユキマサは別に好きでも嫌いでもないが、人に嫌われない方が珍しいのではないかという性格だとは思う。
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