悪魔のささやき

 ユキマサの反応が無くて、ムゲンは首を傾げた。


「意味がわかんなかったのかな? 簡単に言うと、おかーさん、コロしちゃえばッて話よ。ね、いい案じゃない?」


 ユキマサは戸惑っていた。ムゲンの提案の内容にではない。ムゲンの提案をすぐに拒否できない自分に困惑した。すぐに拒否するべきなのにできない自分が嫌だった。母親を殺してしまいたいと心のどこかで思っていたということなのだろうか。


「ねーねー、なんか反応してよ。固まってるだけじゃつまんない」ムゲンは不満げに言った。

「……すぐに拒否できない俺って薄情ですね」

「ふーん、お前はそう考えるのね。別に薄情じゃなくね? ま、お前がそう思いたいならいいぜ。マザコンちゃん」


 ムゲンはからかうように、くつくつと笑った。


「マザコンではないです」

「そっかそっか。そんなこたぁどーでもいいわ。いいか、お前は、母親の存在がうっとうしくて、解放されたいって望んでるんだ。だけど、母親を見捨てることは出来ない。そんなことしたら、お前の中に残る罪悪感が増大しちゃうよね。だから、君はおかーさんを殺すことができない」

「確かにそうですね。そもそも、母親を殺すなんてそんな非道なことできません」

「別にさ、今のところは、本当にコロシちゃうわけじゃねーからさ、あいつコロシてーなとか、死んでくんねーかな、とか思うのは別にいいのよ。頭の中で考えるだけなら自由よ。殺意を感じるのは悪い事じゃないよ。行動に移さなければ悪い事じゃないよ。妄想の世界は自由だぜ。頭の中でコロスってのも自由」

「そうですかね」

「そうですよ。だって、考えるだけなら誰にも迷惑かけてねーじゃん」


 確かにそうだ。頭の中で思うのは自由だ。頭の中で何をしたって、現実には反映されない。周囲の人間には頭の中は見られない。ユキマサはムゲンの言葉に納得した。


「でも、ムゲンの提案は現実ですよね。実際に殺すってことですよね」

「もちろん。だから、俺の提案は、正真正銘の悪い事。立派な悪だね。どう? 俺の案は採用?」

「いえ、不採用です」ユキマサは迷わずに言った。

「なんで?」

「だって、まだ、母さんが昔みたいに戻ってくれる可能性はゼロではないですよね。なら、生きててもらわなければ困ります。俺は、母さんが元に戻るって信じてますんで」

「信じようとしてるの間違いじゃないの?」ムゲンはニヤついて言った。

「うるさいです」


 ユキマサは不機嫌そうに顔をしかめた。煽るように聞いてきたムゲンにすこしムカついた。本心を的確に言い当ててくる人間ほど厄介なものはないのだと実感した。


「怒っちゃったか~」と言って、ユキマサはケラケラと笑った。「まあまあ、そんな顔しないの。せっかくきれいな顔が台無しだよ」

「自分の顔嫌いなので別にいいです」ユキマサはぶっきらぼうに言った。

「“マサユキ”に似てるから?」

「九割はそれです」

「一割は?」

「俺、昔から、冷たい印象を持たれるんですよ。目が鋭いからなのか、とにかく、俺の顔立ちは人に冷たい印象を持たれることが多くて。しかも、なぜか頭がいいと勘違いされるんですよ。勝手に期待されて、勝手に失望されるのって、いい気分じゃないですよ」


 ユキマサは過去を思い出して、嫌な気分になった。「お前もっと頭いいと思ってたわ」とか「冷たいやつに見えたんだよ」とか言われたり、人とのかかわりを最小限していた高校では、寝不足も相まって、謎に恐れられていた。もっと優しい印象を与える顔に生まれたかった。


「他人なんて気にしなきゃいいのに。人間ってめんどくせーな。俺にゃ人間世界での生活は無理だわ。ほんと、人間って大変だねぇ。邪魔なものとか、いらないモノとか全部排除しちゃえばいいのに、そうはいかねえんだな」

「そう簡単にはいきませんよ。本当に、ムゲンの提案に乗れたら楽なんですけど、希望が捨てられないんです。全部全部放棄してしまえれば楽でしょうけどね」

「そーだな。ま、俺に依頼するには代金、というか、対価が必要だぜ」

「そういえば、事前に対価は教えてはくれないって言ってましたよね。なんでですか?」

「お、興味津々だねぇ。だってさ、事前に対価を要求したところで、貰うときになったら、やっぱいらねってなるかもしんねーでしょ。俺が、その時に欲しいものをちゃんと手に入れるためさ」

「何を要求されるかもわからないのに依頼する人間なんているんですか?」

「いるよ。たっくさんね。俺の店に来る人間は全員、依頼してきたよ。何を要求されるかわかんねぇのに、俺に依頼する。こんな得体も知れない、不気味な人間にな。己の欲望を叶えるためにはどんな犠牲も厭わねぇんだよ。まっ、そんなバカげた人間だけが、この店に入れるんだぜ。この店に入れるお前も、自分の欲望のためなら、どんな代償も厭わねーバカってことさ。違うか?」

「どうでしょうね。そうかもしれません」

「ぜってーそうだ。どうしても叶えたい欲望がなきゃ、あんな怪しい張り紙の店になんて入ってこねぇよ」

「怪しい張り紙っていう自覚はあるんですね」

「まあな。なあ、お前さ、いつまで、その、希望ってやつ持ち続けるんだよ。とっとと捨ててしまえばいい。楽になるかもしれないぞ。人生なんてクソみじけーんだから、自由に生きようぜ。あ、でも、もしかしたら、死にたくなるかもしれないね。希望を捨てた途端、お前の心がぐしゃってなるかもしれないね。おれにはかんけーねーから、どっちでもいいけど。ねえ、お前はいつまで待てる?」


 興味津々と言った様子で、ムゲンはユキマサを見つめた。何を言うべきか考えても何も思いつかなかった。だからユキマサは正直に今思っていることを伝えた。取り繕ってもどうせ見破られてしまうだろう。


「わかりません。何もわからないんですよ。俺がいつまでもつのか。母がいつまでもつのか。俺がいつまで希望を持ち続けられるのか。今は、落ち着ける場所が一応あります。でも、その場所は今にも消えてしまいそうなほど不安定なんです。俺ももう限界が近いのかもしれませんね」


 ユキマサは渇いた笑いを漏らした。自分の気持ちを口に出すことで、自分が思っていることが自覚できた。いや、自覚してしまった。必死に目を背けてきた自分の感情を強く強く意識してしまった。


「ムゲンのせいで、自分が限界に近いことを理解してしまいました」

「はっ、そりゃあ良かったな。壊れちまったら俺んとこ来いよ。見て笑ってやるから」

「悪趣味ですね」

「いまさらじゃねぇか。俺はこういうやべー奴なんだぜ。何回も狂ってるとか言われたことあるからな。でも、俺はな、俺のことを狂ってるって言ってきた“あいつら”のが狂ってると思うんだ」

「ムゲンが言うその“あいつら”って、ムゲンよりもヤバいやつなんですか?」

「うん、それはもうヤバいね。俺なんかよりもよっぽどヤバい。なんつーか、お前は母親に執着してるじゃん? あいつらにも、お前の執着が可愛く見えるほどに、執着してるモンがあってさ。お前みたいに、俺の言葉ごときでぶれねー。それどころか、たとえ何があっても、ぶれない。ぜってにな。人間って、命は一つだろ? そのキチョーな命が失われるとしても、執着し続けるの。すげー狂ってるだろ? またいつか会えるかもな」


 ユキマサは会いたいような会いたくないような複雑な気持ちになった。目の前の男よりも狂っているとはいったいどれほどヤバいやつなのか気になる。でも、そんな人間とまともに会話できるのだろうかという不安もある。


 類は友を呼ぶと言うが、実際にそうなのだろうか。もしそうなら、『なんでも屋』を訪れたユキマサも呼ばれた人間、つまり、狂っている人間ということだろうか。否定はできないなと思った。


  ユキマサのお腹が鳴った。


「あははっ。ハラ減ったのか。ちょっと待ってろ」


 そう言うと、ムゲンはカウンターの奥の襖をあけて、そこに入っていった。ムゲンはちゃんと閉めて行かなかったので、隙間から部屋の中が見える。ひどい有様だった。足の踏み場なんて絶対にない。なんか、服とかガラクタが積み重なっている。カウンターの中もそうだが、部屋が汚すぎる。


 少しすると、ムゲンが紙パックのお茶とおにぎりを持ってきた。


「ほい、これ。食べな」

「ありがとうございます。ムゲンは食べないんですか?」

「俺はいいや。食べる必要ないし」


 ユキマサが食べ終わるまで、ムゲンはじっとユキマサの方を見ていた。少々食べづらく感じたので、ユキマサは急いで食べた。でも、ちゃんと味がした。


「ごちそうさまでした。ありがとうございます」

「別に俺が買ってきたんじゃないからね。いくらでも食べていいよ」

「いえ、もう大丈夫です」


 食べるところをじっと見られるのは居心地が悪い。


「あの、なんで、俺が食べるのじっと見てるんですか?」

「んーとね。文句言われなかったから」

「文句、ですか?」

「そう。見るなって言われてないから見てただけ。暇だし」

「本でも読んでればいいんじゃないですか? 俺が来たとき読んでたじゃないですか」

「ああ、あれね。どの本だっけ? この床さ、本が散乱してるんだよね。さっき、下にポイってしちゃったからどれかわかんない」

「覚えてないんですか?」

「うん。適当にここから拾って読んでるだけだから。だから、同じの何回も読んでるんだよね」

「飽きないんですか」

「どうだろう。時間潰すために読んでるだけだから、内容はどーでもいいんだよね」

「そうですか。あの、ごみはどうすればいいですか?」


 ムゲンはちょっと待ってて、と言うと、また奥の部屋に行った。そして、袋を持って出てきた。


「この中に入れて」


 ユキマサは差し出された袋に紙パックとおにぎりの袋を入れた。ちゃんとゴミ袋はあるんだな、とユキマサは感心した。こんなに散らかっているが、ごみは床に捨てずに袋にまとめているようだ。ゴミ袋が何袋あるかわからないが。


「もう帰る?」


 そう言われてユキマサは時計を確認する。時刻は午後二時。早めに帰るに越したことはない。


「そうですね。そろそろ帰ります。また来ますね」

「バイバイ、またね」


 手を振るムゲンに背を向けて、ユキマサは何でも屋を後にした。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る