ユキマサが望むこと
「へー、おもしれぇな」
ユキマサの話を聞き終わったムゲンは口の端を持ち上げてそう言った。嘲笑っているわけではなく、興味深いとか、単純に面白いといった様子だ。
「確かにそうかもしれません。母親の妄想に付き合って、母親の恋人を演じる息子なんて変ですよね」ユキマサは淡々と言った。
「そうだね、変だ。初めて聞いたよそんな面白い話。まさかこんなにオモシロイ家族がいたとはな。珍しい」
「そりゃそうですよ。こんな親子がたくさんいたらゾッとしますね」
「お前ってさ、面白いっていっても怒らないんだね。依頼人の中にはね、俺が面白いとか言うとキレるやつとか、不愉快ですって顔をしかめるやつが結構いるんだよ」
「それはそうですよ」
「でも、お前怒らねーじゃねーか」
「ムゲンに何言われても怒らないと思います。それに、あなたなら笑うだろうなって思ってましたし。正直、変に気を使われて、同情される方が嫌です。俺自身も滑稽だと感じてるんで」
ムゲンは一層笑みを深めた。
「じゃ、遠慮なく。いやー、ほんと滑稽だね。何の解決にもならねえのに、自分を殺してまでおかーさんに求められる人物を演じるなんてねえ。ほんっと、愚かで仕方ないよ。愚かで愚かで面白いねぇ」
「そうですね。こんな茶番に付き合い続ける俺は愚かですよ」
「お、よくわかってんじゃん。人間なんてすぐ死ぬんだぜ。その短くて短くて短い時間を、そんなくだらないことに費やすなんて、バカなことこの上ねーのよ。オトナなんだし、とっとと出てけばいいんじゃね」
「そうかもしれません。そうすれば俺はこの生活から抜け出せます。でも、こうなったのは俺が悪いんです。だから、俺だけが普通の生活に戻るなんてできませんよ」
「でもさ、お前悪くないよね。確かに母親を壊したのはお前だ。でも、お前が何もしなくても、もともとお前のママは壊れてたぜ。恋人君のせいでな。一番の原因は、“マサユキ”だよ。お前の言葉が無くても、いつかは限界が着て、どうせおかしくなってた。お前の言葉はそれをちょっと早めただけだと俺は思うんだ」
確かにムゲンの言うことは正しい。一番悪いのは“マサユキ”であって、ユキマサではない。“マサユキ”に比べたら、ユキマサが母親に与えた影響なんて微々たるものであることには違いない。だから、ユキマサがそこまで責任を感じる必要もないのかもしれない。“マサユキ”を演じるなんてことする必要はないのかもしれない。
「ムゲンの言うことは正しいかもしれないです。ムゲンの言うことが正しいとしても、俺は自分が悪くないとは思えません。だって、ギリギリの精神状態だったのかもしれないのに、母さんは普通に暮らせていたんですよ。俺があの時、余計なことを言わなければ、俺は、母さんと、今でも普通に親子として、一緒にいられたはずです。親子でいられたはずなのに、その生活をぶっ壊したのは俺です。根本的な原因が“マサユキ”だとしても、とどめを刺したのはこの俺です。だから、俺は俺を赦せません」
ユキマサは悲しそうに顔を歪めて、うつむいた。ムゲンはそんなユキマサに、軽い調子で話しかけた。
「そっかそっか。それはそれは大変なこった。あー、やっぱり、人間っておもしれーな。ぐるぐるぐるぐる考えて、頭ン中ぐっちゃぐちゃにして、無駄に自分を追い詰めて、苦しくなって、逃げりゃいいのに、逃げねえ。冷静に考えりゃいいのに。ほんとばかだよねぇ。でもね、無駄なことをして自分を追い詰めた人間を見るのは、おもしれー。突拍子もないこと考えるからな。だから、飽きないのよね」
唇を弓なりにしたムゲンは、下をを向いているユキマサの頭をポンポンと撫でて、そのままユキマサの頭の上に手を置きっぱなしにした。ユキマサは、頭に置かれたムゲンの手を払った。
手を払われたムゲンはケラケラと可笑しそうに笑った。
「俺さ、家族なんていねえの。そもそも、子どもだったことねえのよ。だから、お前の気持ちなんて一ミリもわかんねー。お前の気持ちがどうなろうと、母親の気持ちがどうなろうと、別に俺には関係ない。俺は、お前らの行動とか感情の動きとかに興味あるだけだ。興味があるだけで、人間を救う気はねぇ。俺は人間の欲望を叶えるだけ。その結果、そいつが幸せになろうが不幸になろうが、破滅しようが、俺はただ眺めるだけだよ」
ムゲンはカウンターに左手で頬杖をついて、右手でゆきまさの顎を掴み、顔を無理やり上げさせた。そして、ムゲンはユキマサと目を合わせると目を細め、口の端を上げて、ニッコリと妖しく笑った。
「なあ、お前の欲望教えろよ。俺が、なんでも叶えてやるぜ。自分じゃない誰かを演じてまで母親との生活に縋りつく愚かなお前の欲望が知りて―んだ」
「……急に言われても困ります。手、放してください」
「やだ」
「子供みたいに言っても無駄ですよ」
「ヤなもんはヤダ。お前の欲望教えてよ。教えてくれたら放してあげてもいーよ」
ユキマサは諦めて自分の欲望を考えようとするが、目の前の憎たらしい笑顔に気を取られてしまって、考えがまとまらない。ムゲンの顔を視界に入れないように、目をつぶって考えることにした。
「チューされたいってことかな?」
「やめろバカ」
ユキマサはムゲンの言葉を聞いた瞬間に目をぱっと開いた。いったい何を言い出すのだろうか、この男は。どこにそう思う要素があったのか。しかも、さっきよりもムゲンの顔との距離が近くなった気がする。
「は?」という表情を浮かべているユキマサを見て、ムゲンは声を上げて笑った。ユキマサの顎からは手を放して、目に涙を浮かべて大爆笑している。
「ふっ、あははっ! あー、オモシロ。いやぁ、ゴメンごめん。ちょっとからかっちゃった」
一切悪いと思っていない様子の楽しそうなムゲンを見て、ユキマサはため息をついた。
ムゲンはにやにやしながら口を開いた。
「そんなすぐに拒否するってことは、まさか、ファーストキス?」
「違います」
「え? そうなの? まさか、おか」
「なわけないです」食い気味にユキマサは否定した。想像したくもない。
「なーんだ。じゃあ、おとーさんかな」
「ないです」
「へーそっか」
「誰だっていいでしょ。俺のファーストキスの相手なんて誰だって。あなたには関係ないでしょ」
「確かに。ま、俺も別にきょーみねーし」
「じゃあなんで聞いたんですか」
「なんとなく。ところでさぁ、お前の欲望ってなあに?」
突然、欲望の話に戻ってきて、ユキマサは驚いた。ムゲンの話はコロコロと変わる。
「今度は俺に関係あることを聞いてみたけど、どーかな。答えてくれますかね?」
ユキマサは数秒考えてから口を開いた。
「母さんを元に戻したい」
「違う」ムゲンは食い気味に言った。
「違うって何ですか」
「いいから、他のこと」
「この生活を終わらせたいです」
「ほか」
「……もっと楽に生きたいです」
「具体的に言え」
「……“マサユキ”を演じるのをやめたいです」
「やめてどうする?」
「ユキマサとして生きたいです」
「ユキマサとして生きるって何?」
「えっと、母さんの息子として生きること?」
「なんで疑問形なんだよ。はい却下。もっと具体的に言ってね」
ユキマサは言葉に詰まった。『ユキマサとして生きる』って何だろう。自分の感情を抑えずに生きることと思い浮かんだが、それは違うと思った。だって、今のユキマサと同じように、昔のユキマサも母親のために、自分のやりたいことを我慢したり、感情を抑え込んだりしていた。ある意味、今も昔もユキマサの生き方は変わっていないのかもしれない。
そこまで考えて、ユキマサの頭に一つ、昔と今の違いが思い浮かんできた。
「『ユキマサとして生きる』は、母さんに息子だと認識されたうえで、母さんのために生きることです。よく考えたら、今の俺と昔の俺にあんまり違いはありませんでした。今も昔も、自分のことは二の次にして、母親のために生きています。たった一つの違いは、母さんが俺のことを、息子だと正しく認識されているかいないかだけです。ですが、それは、俺にとっては大きな違いです」
ムゲンはため息をついて、つまらなさそうにユキマサを見た。
「つまんねえな、お前。もっと自分の欲望に正直になれよ。まあ、いまのところはいっか。さて、お前は母親に一生を捧げるってことでいいんだな? 家を出たいとかねーの?」
「昔は考えたこともありませんでした。高校を卒業したら、就職して、母さんに楽させてあげたいと思いました。家を出るつもりはなくて、母さんと一緒に暮らしていくつもりでした」
「彼女欲しーとかは?」
「ありましたよ。昔は。家を出るのは結婚したらだろうなって漠然と考えたことがります。けど、今は欲しいとは思いませんね。この生活になってからは極力女性と関わらないようにしているので。それに、恋人とか、そういう、深い関係ってめんどくさそうだなって思ってます」
「友達は?」
「今はいりませんね。だって、友達出来たところで何を話していいのかもわかりませんし、母親が嫌がるので、一緒に遊びに行くこともできません。癖で必要以上に顔色を伺ってしまいそうで、疲れそうです。だから、今は友達もいりません」
「そっか。お前の中心に母は嫌がいるんだね」
「そうですよ。今も昔もそうです」
ムゲンは足を組んで、背もたれに寄りかかった。そして、肩を震わせて、急に笑い始めた。あまりにも脈略無く笑い始めたので、ユキマサの肩がビクッと跳ねた。
「あはっ。今ビビったろ? オモシロ。ねねね、君が生きやすくなる方法思いついちゃったんだけど、知りたい? それとも、知りたくない? はい、どっち?」
「そんなことより、母さんを元に戻す方法を知りたいです」
「あるっちゃあるけど、聞きて―か?」
「もちろんです」ユキマサは即答した。
「教えてやるよ。ただ、十中八九、お前は望まねーよ。母親を元に戻す方法はな、記憶を消すことだ。ただし、一部の記憶じゃなくて、すべての記憶が消える。お前の父親のことじゃなくて、お前のことも消えるよ」
「それだと、元の母さんには戻らないですよね」
「確かに。全部忘れるからな。でもな、やり方によっては、お前が望む母親になるよ。お前が、一から母親に育てればいいんだから。うまくいけば、昔のような親子に戻れるぜ。ま、でもお前は望まねーよな」
「もちろんです。母さんの中から俺のことが消えるのは嫌です」
「で、ちなみに、楽に生きる方法は知りたい? 知りたくない? あ、持ち帰って考えるってのはナシだぜ」
ユキマサは悩んだ末に「知りたいです」と小さめの声で答えた。正直、知りたくないわけがない。
それを聞いたユキマサは微笑んで、ユキマサの耳に顔を近づけて、内緒話をするかのように囁いた。それはまさに悪魔の囁きだった。
「それはね、お前のかーさんをね、天国に強制的に送り出しちゃえばいいのヨ。あっ、もしかしたら、ジゴクかもしれないネ。ただし、別途料金が発生するから、気を付けてね」
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