フツーの母親と息子だった頃の記憶

 物心がついた時には、俺は母さんと二人暮らしだった。父親はいなかったし、それが普通だった。俺と母さんは二人で、お世辞にもきれいとは言えないアパートの一室で、お金がないながらも幸せに暮らしていた。少なくとも俺にとっては幸せな生活だった。


 朝と夜の食事は必ず親子二人で取っていた。朝は、母さんが起きる時間に俺は起きて、眠い目をこすりながら一緒に食べた。夜は、母さんは遅くても8時までには帰ってきて、一緒に食事をした。会話をしながらの食事は楽しかったし、母さんの料理はおいしかった。


 小学校低学年の時から、俺は母さんの負担を減らすために、料理を始めた。最初はヘタクソで、うまく出来ていなかったはずなのに、母さんは俺が作ったものを全部、美味しいと言って食べてくれたのを覚えている。高学年になった頃には、上達して、平日の料理すべてと、母さんの弁当も担当するようになった。弁当を渡すと、「ありがとう」と母さんが笑顔で言ってくれるのが何よりも嬉しくて、朝眠くても頑張れた。


 休日や長期休暇で学校がないとき、俺は毎日図書館に行っていた。電気代節約のためだ。俺一人のために冷房や暖房を使うのはもったいない。だから、極力家にいることを避けていた。ちなみに、図書館に長時間いたにもかかわらず、頭は良くならなかった。


 俺の誕生日には、ケーキを買ってきてくれた。普段、母さんは節約と言って、お菓子を買ってくれなかったのだが、誕生日だけは毎年、一切れのショートケーキを買ってきてくれていた。プレゼントはなかったけれど、ケーキで十分嬉しかった。母さんが「お誕生日おめでとう」と言ってくれるのがうれしかった。


 プレゼントを買ってもらえない誕生日が普通だったのに、小学校五年生の時の誕生日は特別だった。俺はその時、眼鏡を掛けたキャラクターが好きで、眼鏡が欲しいと思っていた。どうしても欲しくて、ダメ元で母さんに頼んでみたら、なんと母さんは快諾してくれたのだ。俺はその時に買ってもらった伊達眼鏡を今でも大事に使っている。


 楽しい記憶だけではなく、嫌な記憶までもがよみがえってきた。


 幼稚園の頃。無邪気な子供たちが、あふれる場所での出来事。

「ユキマサはさんたさんになにもらったの?」

 そう友達に聞かれた。その子にとってはサンタクロースからクリスマスプレゼントを貰うのは普通のことだから、俺も当然貰っていると思ったのだろう。だが、俺の家にはサンタクロースとかいう爺さんが持ってくるというプレゼントとやらは届かなかったから、「もらってない」と事実を伝えた。

 それを聞いたそいつは、

「ユキマサは“わるいこ”だからもらえなかったんだね」

 と笑顔で言って、その場を去っていった。悪気無くそいつは言ったようだったが、幼い俺にはその言葉が深く刺さった。ちなみに、そいつは俺のことを“サンタさんが来なかったわるいこ”だと言いふらして、先生に怒られていたはずだ。

 俺は家に帰ってから母さんにこう質問した。

「ねえ、おれは“わるいこ”なの?」

 その時の母さんの表情は覚えていないが、何故そんな質問をしたのかと理由を聞かれた気がする。俺はその日の出来事をすべて話した。俺の話を聞いた母親はこう言った。

「家にはサンタさんは来ないの」

 それだけ言うと、母さんはどこかに行ってしまった。オレに残っている記憶はここまでだ。


 小学校低学年の頃。たぶん、二年生くらいだったはずだ。話の流れは覚えていないが、とある男子に悪意を持って言われた言葉がある。

「父親いないなんて変なの。お前、不幸ってやつだな」

 そう言った男子は二、三人の仲間たちと馬鹿笑いをしていた。その時の俺には友達と呼べる人間がいたので、そいつらが「気にしなくていいよ」って優しく言ってくれた。でも、俺はどうしても、男子に言われた言葉が気になってしまった。だって、自分が普通だと思っていたことを、変と言われてしまったから、気にせずにはいられなかった。

 もやもやしていた俺は仕事から帰ってきた母さんに

「なんで父さんいないの?」

 と聞いた。俺はただ純粋に疑問だったから聞いただけだったのに、母さんは俺の質問を聞いた途端に泣き出してしまった。初めて見た母さんの泣き顔に慌てたのを鮮明に覚えている。

 母さんを泣き止ませる方法がわからなかった俺は、どうすればいいかわからなくて謝った。ひたすらに母さんに向かって謝り続けたのを覚えている。どれだけ謝っても母さんが泣き止まないことにパニックになりかけて大泣きした気がする。

 母さんはひとしきり泣くと、大泣きする俺の方に見向きすること無く、キッチンで料理をし始めた。

 何とか泣き止んだ俺が、母さんの近くに寄っていっても、まるで俺が見えていないかのように、何の反応もなかった。その日は寝るまで母さんは俺のことを視界に入れなかった。

 翌朝、いつものように母さんに起こされた俺は泣きながら謝ったが、母さんは何にも覚えていなかった。母さんは俺が泣いている理由がわからないようで、困ったように泣き止ませようとしていた。

 この出来事によって、俺は母さんに父親について聞いてはいけないことを学んだ。


 思い返してみると、母さんにとって、俺との暮らしは幸せなものではなかったのではないか。母さんは俺に興味はなかったのだろう。


 母さんは俺の成績がどれだけ悪くても、怒らず、文句も言わなかった。俺はそれをいいことに、勉強は雑にしていた。家計のことを考えると、大学に行くことは出来ないから勉強しない、と言い訳をして過ごしていた。母さんが寛容なだけかと思っていたが、ただ単に俺の成績なんてどうでもよかったのだろう。


 それに、母さんは、俺の学校の行事に来たことがほとんどない。三者面談などの本当に必要な時だけは来てくれたが、参観日や卒業式でさえ来なかった。忙しいかったからしょうがないのかもしれないが、もしかしたら、俺に興味がなかっただけなのかもしれない。そういえば、学校で俺の幼少期の写真が必要になった時があったが、一枚もなくて困った覚えがる。結局、祖母が撮った俺の写真があるということで、祖母の家に取りに行くことになったのだ。


 薄々母さんが俺に興味ないのではないかと子どもの頃から感じていた。それでも、俺は母さんのことが好きだった。母さんが自分のことを見てくれるように家事を頑張った。嫌われないように我慢した。わがままを言わないようにした。母さんにいい子だと思われるように行動した。


 たとえどれだけ大変だとしても、俺は母さんとの日常を続けたい。それは、今も昔も変わらないことだ。たとえ、母さんが他の人に囚われていたとしても、それでもいい。ちゃんと母さんが俺のことを息子だと、ユキマサだと認識して、嫌わずに、俺を必要としてくれていればそれでいいんだ。それだけで幸せなんだ。









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