第4話 ソルシエ

 雨ノ森駅南口から徒歩十五分ほどの場所にある貸しギャラリー。画家やアーティストが個展などを開くようなこじんまりとしたこのギャラリーが、いわゆる怪盗のアジトだ。とはいえ、この街に滞在している間の仮の住まいである。

 一階は作品を飾ってある画廊がろう。一階の一番奥にある階段をあがった二階には、事務所スペースがある。いや、本来は事務所として使うべきこの場所を 怪盗たちは住まいとして使っていたのだ。


「はぁ……やらかしたぁ」

 病人のように真っ青な顔色の昴は ソファに倒れ込むと、もう何度目かというため息をついた。


 その様子をあきれた顔で見ているのは、彼の弟子、ポール。十二歳くらいの少年だ。その歳の割に身長は高いけれど、幼いあどけなさの残る顔立ちをしている。


「あんなに派手な演出をしてを消耗するから、怪盗の姿を留めておく時間が減るんでしょ! カフェのマスターひとりにとはいえ、正体を見られるなんて!」


「はいはい、僕が一番身に染みてますぅ。油断しましたぁ」

 どっちが子供なのかという調子で、昴はすねてみせた。


 まず第一に、雨ノ森駅あたりで追跡が終わるはずだったのに、しぶとく追ってくる奴がいたこと。第二に、無人だと思って逃げこんだ場所に人がいたこと。想定外が重なった。

 本来、その想定外も想定しておかなければいけないのだろうが、あくびが出るほど簡単な仕事内容に、完全に気を抜いていたのだ。


「まあ、一応明日、手土産を持って口止めしに行くよ。雨ノ森にいる間の活動がやりにくくなったら嫌だしね」

「賢明だと思います。そこらの喫茶店のマスターひとりに顔見られたところで、なんにも問題はないんでしょうけど」

「けどねぇ、怪盗は派手に登場して華麗に去るものだよ。それをしないなら、ただのケチなコソ泥だ」

「それで魔力切れになってちゃ世話ないですよ。そんな真っ青な顔して、動けなくなって!」

「ケチなコソ泥じゃあ、価値がない。我はここぞと名乗りをあげてこそ、怪盗である価値があるんだ。多少 無理してでもね」

「なんども言ってますけど、僕は怪盗の何たるかには興味ないんです。怪盗の弟子じゃなくて魔法使いソルシエの弟子なんです!」

「わかってるって。じゃ、弟子なら弟子らしく、師匠に説教してないでいつものアレ、用意してくれる?」

「師匠が寄り道している間に、もう取り掛かってますよ」


 ポールはソファにくるりと背を向けると、事務所の給湯きゅうとうスペースの前に立った。ここは、シンクや一口ひとくちコンロなどがあり、ちょっとしたキッチンのようになっている。


 ポールはコンロの鍋の中でグツグツと煮立にたっている液体を、フラスコの中に入れた。

 それから、砂糖や塩といった調味料が並ぶ棚から、びんをひとつ取り出す。その瓶の中には色とりどりの宝石がぎっしりまっていた。まるで子供が集めたビー玉やビーズを瓶の中に詰め込んでいるような気軽さで、だ。

 ポールはその中から一つ二つを、ころりと手のひらに乗せた。

 そして、先ほどのフラスコに宝石をぽとんと落として、蒸留器のような器具にセットする。この後の手順はとても複雑なので、本とにらめっこしながら進めた。

 しばらくして 器具の一端からポタポタしたたり落ちたモノを、空のマグカップに受ける。


「どうぞ、お願いします」

「うん、ありがとう」


 昴はポールからマグカップを受け取ると、ワインのテイスティングのように中の液体をクルクルと回し、匂いやとろみを確認する。

 最後にその液体をぐいと飲み干すと、昴の蒼白だった顔色は血の気を帯びた。


「まあまあの出来だね」


「ありがとうございます!」

 緊張して採点を待っていたポールは、ほっと表情をゆるめた。


「でも、いつも僕がやってるからって、マグに入れるのは まだダメ。色が確認できないでしょ?」

「はい! わかりました!」


 昴はソファから立ち上がると、カップをシンクに置いた。


「どんなに価値や美学や何やらと ゴテゴテ装飾そうしょくを付け足してみたって、結局 僕のやっていることは、今日生きるためのパンを盗む 裏路地のネコなんだよなぁ」

 彼は苦笑気味につぶやく。


「ネコはパンを食べないと思います」

「はぁ……うちのネコちゃんはいつになったら僕になついてくれるんだろうね?」

「……僕をいつまでも拾った野良猫あつかいしないでください。

 それより、今夜の獲物はどうなったんです? 最新のニュースではルビーの首飾りは盗まれなかったって言ってましたけど」


「ん? みんな勘違いしてるけど、僕は はじめっからルビーの首飾りを盗むつもりはなかったよ?」

「あ、そうだったんですか?」

「宝石の価値ってものがわかってないんだよね。あんな首飾りを後生大事にしちゃってさ」


 昴はそう言いながら、事務所の片隅かたすみに置いてある箱に手をかける。宝箱としか言いようのない形状をした、豪勢ごうせいで重厚な箱だ。

 彼は、手のひらに取り出した紅い石の耳飾りを満足げに眺めてから その箱に入れた。


「師匠の評価軸と、普通の評価軸は違うんですから。金額になおせば、間違いなくあの首飾りのほうが高い値がつきますよ」

「その見解は否定しないけどね。でも 私が欲しているのは、宝石や美術品の中に眠る“力”だから。

 わかりやすく目に見えないものに 金額という価値がつくことは少ないよね」

「まず、大抵の人には需要もありませんから」

「おお〜。難しい言葉を知ってるね」


 昴にからかわれて、ポールはムッと口をとがらせる。


「ところでさ、僕にはすごくあこがれるシチュエーションがあるんだよ」

「話……飛びましたね。

 なんですか? どうせくだらないことでしょうけど」

「素顔の怪盗がさ、それを追う探偵とか警察と仲がいいやつ! たとえば、お互いある喫茶店の常連で、ちょこちょこと話をするうちに友情が……」

「はあ……」

「はあ……って! つめたいなぁ。憧れを語るくらいいいじゃないか」

「まあ、語るだけでしたらね」

「ふふふ……それがねぇ。その憧れは現実のものにできそうなんだ」

「……嫌な予感しかしないんですが」

「しつこく追いかけてきたあの女の子。“時間旅行”でちょくちょく見るんだよ。今思えば、老若男女問わずいつも違う人とお茶をしていたのは、そういうことだ」

「そういうこと、とは」

「あの子の正体は探偵で、依頼人の話でも聞いてたんだよ、きっと!」


 自分の嫌な予感は的中しそうだと、ポールは顔をひきつらせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る