第4話 ソルシエ
雨ノ森駅南口から徒歩十五分ほどの場所にある貸しギャラリー。画家やアーティストが個展などを開くようなこじんまりとしたこのギャラリーが、いわゆる怪盗のアジトだ。とはいえ、この街に滞在している間の仮の住まいである。
一階は作品を飾ってある
「はぁ……やらかしたぁ」
病人のように真っ青な顔色の昴は ソファに倒れ込むと、もう何度目かというため息をついた。
その様子を
「あんなに派手な演出をして
「はいはい、僕が一番身に染みてますぅ。油断しましたぁ」
どっちが子供なのかという調子で、昴はすねてみせた。
まず第一に、雨ノ森駅あたりで追跡が終わるはずだったのに、しぶとく追ってくる奴がいたこと。第二に、無人だと思って逃げこんだ場所に人がいたこと。想定外が重なった。
本来、その想定外も想定しておかなければいけないのだろうが、あくびが出るほど簡単な仕事内容に、完全に気を抜いていたのだ。
「まあ、一応明日、手土産を持って口止めしに行くよ。雨ノ森にいる間の活動がやりにくくなったら嫌だしね」
「賢明だと思います。そこらの喫茶店のマスターひとりに顔見られたところで、なんにも問題はないんでしょうけど」
「けどねぇ、怪盗は派手に登場して華麗に去るものだよ。それをしないなら、ただのケチなコソ泥だ」
「それで魔力切れになってちゃ世話ないですよ。そんな真っ青な顔して、動けなくなって!」
「ケチなコソ泥じゃあ、価値がない。我はここぞと名乗りをあげてこそ、怪盗である価値があるんだ。多少 無理してでもね」
「なんども言ってますけど、僕は怪盗の何たるかには興味ないんです。怪盗の弟子じゃなくて
「わかってるって。じゃ、弟子なら弟子らしく、師匠に説教してないでいつものアレ、用意してくれる?」
「師匠が寄り道している間に、もう取り掛かってますよ」
ポールはソファにくるりと背を向けると、事務所の
ポールはコンロの鍋の中でグツグツと
それから、砂糖や塩といった調味料が並ぶ棚から、
ポールはその中から一つ二つを、ころりと手のひらに乗せた。
そして、先ほどのフラスコに宝石をぽとんと落として、蒸留器のような器具にセットする。この後の手順はとても複雑なので、本と
しばらくして 器具の一端からポタポタしたたり落ちたモノを、空のマグカップに受ける。
「どうぞ、お願いします」
「うん、ありがとう」
昴はポールからマグカップを受け取ると、ワインのテイスティングのように中の液体をクルクルと回し、匂いやとろみを確認する。
最後にその液体をぐいと飲み干すと、昴の蒼白だった顔色は血の気を帯びた。
「まあまあの出来だね」
「ありがとうございます!」
緊張して採点を待っていたポールは、ほっと表情を
「でも、いつも僕がやってるからって、マグに入れるのは まだダメ。色が確認できないでしょ?」
「はい! わかりました!」
昴はソファから立ち上がると、カップをシンクに置いた。
「どんなに価値や美学や何やらと ゴテゴテ
彼は苦笑気味につぶやく。
「ネコはパンを食べないと思います」
「はぁ……うちのネコちゃんはいつになったら僕に
「……僕をいつまでも拾った野良猫
それより、今夜の獲物はどうなったんです? 最新のニュースではルビーの首飾りは盗まれなかったって言ってましたけど」
「ん? みんな勘違いしてるけど、僕は はじめっからルビーの首飾りを盗むつもりはなかったよ?」
「あ、そうだったんですか?」
「宝石の価値ってものがわかってないんだよね。あんな首飾りを後生大事にしちゃってさ」
昴はそう言いながら、事務所の
彼は、手のひらに取り出した紅い石の耳飾りを満足げに眺めてから その箱に入れた。
「師匠の評価軸と、普通の評価軸は違うんですから。金額になおせば、間違いなくあの首飾りのほうが高い値がつきますよ」
「その見解は否定しないけどね。でも 私が欲しているのは、宝石や美術品の中に眠る“力”だから。
わかりやすく目に見えないものに 金額という価値がつくことは少ないよね」
「まず、大抵の人には需要もありませんから」
「おお〜。難しい言葉を知ってるね」
昴にからかわれて、ポールはムッと口をとがらせる。
「ところでさ、僕にはすごく
「話……飛びましたね。
なんですか? どうせくだらないことでしょうけど」
「素顔の怪盗がさ、それを追う探偵とか警察と仲がいいやつ! たとえば、お互いある喫茶店の常連で、ちょこちょこと話をするうちに友情が……」
「はあ……」
「はあ……って! つめたいなぁ。憧れを語るくらいいいじゃないか」
「まあ、語るだけでしたらね」
「ふふふ……それがねぇ。その憧れは現実のものにできそうなんだ」
「……嫌な予感しかしないんですが」
「しつこく追いかけてきたあの女の子。“時間旅行”でちょくちょく見るんだよ。今思えば、老若男女問わずいつも違う人とお茶をしていたのは、そういうことだ」
「そういうこと、とは」
「あの子の正体は探偵で、依頼人の話でも聞いてたんだよ、きっと!」
自分の嫌な予感は的中しそうだと、ポールは顔をひきつらせた。
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