第4話 ネクサス型オートマトン

第4話 ネクサス型オートマトン

回路接続シェイク・ハンド。」

回路接続シェイク・ハンド。』

 イヤフォンを通じてサヤカの声が聞こえる。

 これまではAIの音声だったのでその応答は新鮮さがある。

 タマキは腰のホルスターから小型電磁加速砲ハンドレールガン Hデンジャーを引き抜き、雑居ビルの壁に背を預ける。

 深夜の暗く狭い路地裏。およそ10代の少女が一人でいるには似つかわしくない場所だがタマキは呼吸を整えながら合図を待っている。

「どお? 初任務だけど電界没入フルダイブはきつくない?」

 予定時間にはまだ余裕が有ることを確認したタマキは小声で中空に話しかける。

『わたしは大丈夫。ダイブは慣れてるから心配無用よ。』

 タマキの視界の端に拡張現実ARによるウィンドウが開きサヤカのアバターが表情される。

 通常アバターは何かのマスコットであることが多いがサヤカは高精度のテクスチャで作られた現実での自分の姿を使用している。

 タマキは無駄に手間がかかっているなぁと思う反面、仕事であっても友達の普段どおりの姿を見て会話出来ることに安心感を覚えていた。

『あと5分50秒後に滝主任が正面から突入するから。』

「了解。わたしはタイミング合わせて裏口から侵入して挟撃ね。」

『そうよ。でも挟撃だからって本当に犯人を二人で挟み込まないで。』

「お互いの射線に入り込む様なことはしないよ。理想は曲がり角に追い込むことだけどね。」

 二人のあいだで状況と作戦の確認を行う。

 ときより冗談の様なものを交えて進める会話は、これまでのAIとの作戦確認に比べてリラックスできる。

 なおAI自体を止めている訳では無いが、AIが口を挟まない方が効率が良いという判断からに発言をひかえている。

 このAIは市村が改修しているモノであるが、この様に細かいところで柔軟な判断をする優秀なプログラムである。

『でも単独で突入して挟撃って、大昔の刑事ドラマみたい。』

 サヤカが呆れつつも微笑みながら話しかける。

「滝さんは刑事ドラマというか、スパイアクション映画が好きなんだよ。」

『あっ、あー……。』

 タマキの回答に微笑んだまま固まるサヤカ。

『ア、アクション映画の様な行動して大丈夫なんだから、主任もタマキも大したものだと思うよ?』

 必死にフォローの言葉を述べるサヤカだが心情を表してか頬に一筋の汗が流れる。なかなかに芸の細かいアバターである。

「うん。すごいんだよ滝さんは。」

 サヤカのフォローを真に受けたのか真顔でタマキは答える。

「滝さんはわたしや課長に捜査のイロハを教えてくれただけでなく、戦い方も教えてくれた。」

 話し方に違和感。

 タマキはすでに突入に備えており、雑談中にも関わらず感情の起伏が少なくなっている。

 話し方もサヤカに話しかけるのではなくひとり言を呟いている様だ。

『分かったわ。さて、そろそろ始めましょう。』

 釣られるようにサヤカも淡々と話す。

 もっともサヤカのそれは緊張から来ているものである。

 ならタマキはいかなる感情なのか? サヤカの脳裏にはそんな疑問がよぎった。

 タマキが左腕を少し持ち上げと、小さな音を立てて特殊弾ケースがスライド。そしてケースから1つの弾丸がせり出す。

 特殊弾丸の通常は音声認識で動作する様に設立されているが、サヤカが入った事でバックアップ側でも制御可能となっていた。

「ありがとう。」

 短く告げ、弾丸をHデンジャーに装填。

『対物用散弾。テスト用の試作品だから扱いに気をつけて。』

 念のための注意に「了解」とだけ答え、狙いを定める。

 目標はこのビルの裏口の鍵。

 セキュリティのためにかなり大掛かりな物理鍵が設置されており、ピッキングなどでは短時間での解錠は不可能だった。

 そのため、緊急対応として鍵を破壊し内部へ突入することになったのだ。

『セキュリティシステムは掌握済みだから。』

 その声が合図となりタマキは引金を引く。

 銃内の誘導装置バレルが通電。

 装填されていた弾丸は瞬時に浮き上がり、コリオリの力による反発で撃ち出される。

 誘導装置を通過中に弾丸の薄いカバーが剥がれ、内包してた無数の特殊スチール製ベアリングが姿をあらわす。

 カバーの呪縛を解かれたベアリングは個々に一定の距離を保ちつつ銃口へ殺到する。

 銃口を飛び出たベアリングは電磁の誘導を離れたことで、放射状に広がりつつ目標へ殺到する。

 金属同士がぶつかり合う金切音が響きわたる。

 次の瞬間、ドアの鍵はバラバラに粉砕されその機能を遂行できなくなっていた。

 ドア鍵の破壊を確認したタマキは素早くドアを蹴り開ける。

 その勢いのままにビル内に侵入し、手に持った愛銃を構える。

 周囲に敵の気配はない。

 念の為、目視で周囲の様子を見る。

 短い廊下であり、5mほど先で右に曲がる様になっていた。

 そして突き当たりの壁には無数の穴が空いている。

 先ほどの散弾のうち貫通したものが作り上げたものだろう。

『……出力調整が甘かったみたい。』

 サヤカのすまなそうな声が耳元で囁きかける。

「人的被害が出てないから大丈夫。次からは気をつけて。」

 抑揚のない声で答える。

 しかし、大音量で鍵の破壊を行った後である。

 この様な大穴が空いていれば、侵入経路を知らしめているようなものだ。

 ここから先は時間との勝負である。

 元々は旧東京都市部東京23区内で起きた強盗事件の犯人が新都に逃走した事から始まった追跡だった。

 犯人は身軽に新都内を駆け巡るように逃走を続けたため、自治警察はおろかPPO各所轄の捜査官まで動員される騒ぎとなった。

 タマキは授業中であったため放課後に捜査に合流したが、ここまで追跡が長期化するとは想像していなかった。

 また未だに犯人の素性が不明であるため、人格権データー検索による現在地特定が難航した。

 結果、昔ながらのカメラや目視情報だよりの捜査を強いられていた。

 そして、その手の捜査を得意としていた北署捜査主任の滝が犯人を目視で発見し、北署管内のオフィスエリアにある雑居ビルへ追い込んだのであった。

 一方。タマキも夕方から警ら用エアバイクを駆り捜査に参加していたが、相棒バディであるサヤカが初の任務という事もありレクチャーを兼ねての捜査であったため、当然ながら普段より時間がかかっていた。

 そのような中、滝から犯人を追い詰めたと連絡があり、タマキは現場で滝と合流したのであった。

 現場に着きバイクを駐車するなり、タマキは滝とハンドサインで合図を送り合うと、了解の旨を伝え路地裏へと駆けていった。

 そして今、タマキは人が二人やっと通れる様な狭い廊下を慎重で歩みを進める。

 こちらからの奇襲は無理だとしても犯人に付け入る隙をみせる必要はない。

 一歩一歩、音をたてない様に進む。

 正面には暗がりの中にボンヤリと緑色の光を灯す非常口の看板。

 そこが目的の正面フロアへの扉である。

「またこのシチュエーションか……。」

 タマキはサヤカと初めて会った事件を思い出しつぶやく。

『そうね。あの時も入口のフロアだったわね。』

「うん。二度あることは三度あるってヤツかも?」

 サヤカの言葉に対し、先程に比べ幾分感情のこもった声でタマキは返す。

『どうする。突入する?』

 サヤカが幾分興奮した口調で確認する。

 これまでに事件に巻き込まれた言は有るが、捜査側として犯人を追い詰めた経験は今回が初めてである。気分が高揚しているのも仕方がない。

 タマキも初の捜査時は同じ様な興奮を味わった覚えがある。

「大丈夫。焦る必要はない、作戦通りに。」

 はやるサヤカに対しタマキは先輩として答える。

 あえて区切りながら話す方法は訓練時に滝がよく使っていた方法だ。

 相手を落ち着かせた後に要点を伝える事で、自分の役割を再認識させる。

 新人のスタンドプレーは、自身の命どころか周囲にも危険が及ぶ。

 己の役割を理解させ、確実に実行させることは教育係には必須のスキルだった。

「そろそろ滝さんが突入する時間だよ。」

 タマキが静かに伝える。

 ウィンドウ内でサヤカのアバターが細かく動き、通信を行うサインが入る。

『ハウンド4よりハウンド2、タイムスタンプ変更なしでよろしい?』

 サヤカは滝のバックアップについてる市村を呼び出す。

『ハウンド2。変更なし。』

 数瞬のラグの後、市村の反応が返ってくる。

 タマキは一瞬だけ意識を通信に向け、片眉を上げる。

 そして再び正面の扉(正確にはその先にいるであろう被疑者)に意識を向ける。

 廊下に仁王立ちになり、愛銃のグリップを両手で握りしめる。

 ゆっくりと照準を扉にあわせ、いつでも発砲できる様に制御装置を解除し充電チャージを開始する。

 非常灯のみが照らす廊下は暗いが、照準装置の光量補正などは使用しない。

 正面フロアは突入開始と同時に大量のサーチライトで照らされる事になる。

 つまりは扉が開いたその瞬間、この廊下も大光量にさらされる。

 その光の奔流に視界を奪われる訳にはいかない。

 タマキは射撃姿勢を解かないままに、やや下に顔をさげ、ARディスプレイに映される正面フロア内の監視カメラの映像に集中した。


 ―正面入口前

 民間警察機構PPO新都北営業事務所新都北署捜査課所属の主任捜査官、滝レンジは逃走中の被疑者を発見追跡。

 現在は入居者のいない雑居ビルへ追い詰めていた。

 後発でやってきた部下の静流タマキを裏口に配置し、自身は警視庁及びPPOの警備部から派遣された機動隊突入班を率い正面からの突入準備を進めていた。

 自治警察とPPOに上下の関係は無いが、慣例的にPPOが自治警察の指揮下に入るのが常である。

 しかし警視庁出身である滝は双方に顔が効くこともあり現場指揮を任せられる事が多く、今回もその役目を引き受けていた。

 もっとも本人はスタンドプレーを得意としており、他人ひとを直接指揮することは苦手であった。

 現に今回も合同捜査本部設置となっていなければ、とっとと一人で突入し、被疑者を確保している自信があった。

「まったく、ままならないモンだな。」

 滝は警視庁が用意した移動指揮車内の椅子に座りながら小声でボヤく。

 それを聞きつけた突入班の一人が怪訝そうな雰囲気になる。

 突入班の班員はARディスプレイを兼ねたフルフェイスヘルメットを被っている。

 スモークのかかったバイザー越しに表情までは読めないのだが。

 やがて準備完了の報告が届くと滝は立ち上がり、背もたれにかけていたジャケットを羽織る。

 滝の出で立ちは防弾チョッキこそ身に着けているものの普段と同じ私物のスーツ姿である。

 指揮下に入る突入班員はせめて対弾ジャケットだけでも身に付けるように進言するも、動きが鈍くなると拒否していた。

 この辺り、同じ理由で対弾ジャケットは身につけるが防弾チョッキは着ないタマキとは対照的である。

 そんなやり取りを見ていた警視庁側の現場責任者である警備部長はダメ元で「無茶はするなよ。」とだけ滝に投げかける。

 何かあった場合、責任が自分へ向かない様にするための言葉であることを滝は承知していた。

 指揮車から降りた滝はそのまま無造作に雑居ビルへ向かう。

 フラフラとゆるい感じに歩くその姿は無防備に見えるが、実際には雑居ビルの窓からは死角になる位置を選んで進んでいる。

 あくまで自然体に、だが相手に有利な情報を与えない。

 滝の捜査理念は行動の一つ一つに現れている。

 先行して雑居ビルに張り付いていた突入班に合流すると、イヤフォン越しに市村を呼び出す。

『タマキたちは裏口に待機中。いつでも行けるってよ。』

 市村と滝の連携は1年近い。

 通信を繋がれた時点で意図を察し、指示される前に滝の欲しい情報を伝える。

「了解。6分後に突入する。行動開始を伝えろ。」

 端的に指示を出すと滝は通信を切る。

 意外にも滝は行動前にしっかりとプランをまとめるタイプではあるが、行動を始めると自身も駒の1つ程度の認識になる。

 故に行動開始後の指示は緊急時を除いて極端に少ない。

 軍隊の様な長期的に行動をするのであればそれは問題だが、時間がかかればそれだけ犯人確保が難しくなる警察にとって、突入は短時間行動であるので十分である。

 突入班が所定の位置についたことを確認すると、滝はARディスプレイを呼び出し、他の要員たちの配置を確認する。

 サーチライト及び煙幕展開準備よし。

 犯人が屋外に逃走した場合の狙撃班準備よし。

 救急班の車両、担架準備よし。

 犯人挟撃のための裏口側制圧よし。

 全ての準備が整ったことを確認すると、滝は支援班に煙幕展開を支持する。

 ビルの通気口付近に待機していた作業員が、通気口にパイプを接続。

 パイプを伝って大量の水蒸気が室内に送り込まれる。

 発煙筒や催涙ガスなどを使用しないのは、相手が対策している場合やその手のガスに耐性を持っている場合を考慮してのことであり、場合によっては高価であるがレーザー兵器を所持している可能性はゼロではないとの情報から、レーザーの拡散を狙ってのことであった。

「なんで、旧都心エリアで起きた事件の犯人が、レーザー兵器なんか持っている可能性があるんだ?」

 滝は作戦立案時に疑問をていしたが、明確な答えを警視庁側から得られないでいる。

 また今回も政治的な駆け引きの延長にあるのかと、ため息をはいたものだった。

 イヤなやり取りを思い出すも一瞬で払いのけた滝は、水蒸気が急速に充満していくフロアを確認する。

 霧状とは言えただの水蒸気である。素早く動かなければ空気より重く下に溜まってしまう。

 ある程度噴霧が進んだところで、滝は突入班員にハンドサインで突入を指示すると、自らが率先して突入する。

 突入班員の多くが既に滝と連携した経験を持っているため、その行動に驚くことなく後に続く。

「警察だ!抵抗せずに投稿しろ!!」

 真っ先に飛び込み両手で愛用の9m口径オートマチック拳銃を構え滝は叫ぶ。

 水蒸気で視界が悪いが全く見通しが効かない訳ではない。

 慎重に周囲に視線を巡らせる。

 後から突入したメンバーは滝の左右に展開し、強化アクリル製のシールドを前面に掲げる。さらにその後から来た班員が携行してきた短機関銃サブマシンガンを膝うちの姿勢で構える。

 ただの逃走犯相手には過剰とも言える陣形だが、先のやり取りから滝はイヤな予感が張り付いており、現状持てる最高戦力で挑むことにした。

 結果、泰山鳴動鼠一匹となったなら、それはそれで良い。相手を軽んじて軽装備で挑み、こちらに損害が出ようものなら、後の処理が大変な事になる。

 周囲に気を配っていると、前方右側の物陰から何かが姿を表す。

 滝よりやや背の高い人物の様だ。

 今回は人質を取られているという話はない。

 つまりは被疑者であるのだが、相手の出方が分からない以上、迂闊な動きはできない。

 滝はゆっくりと銃口を相手に向ける。

止まれフリーズ! 抵抗するのなら発砲が許可されている。」

 静かに、だがハッキリと聞こえる様に滝が声をかける。

 相手は一瞬それに反応するがその後は動かない。

「どうした。投降するなら意志を示せ。」

 再度の警告。

 周囲の緊張が一気に高まる。

 その中、市村から個別通信。

『滝さん。被疑者の出方が分からない以上、慎重に。』

 市村に言われるまでもなく、滝は相手の出方を伺っている。

 その時だった。相手は素早く右腕を持ち上げる。

 次の瞬間、その右腕に小さな閃光と乾いた破裂音。

 とっさにその場にしゃがむ滝。

「被疑者。発砲!!」

 突入班の誰かが叫び、前衛の班員がシールドを前に突き出し、その影に身を隠す。

「誰だ? レーザー兵器なんて言った奴は!」

 床を滑るように(実際、床が濡れているのを利用し滑っていた)、滝は前衛の後ろへ移動しなからボヤく。

提案サグジェスション。相手が通常の拳銃ならサイズに関わらず通常の手順で制圧できます。』

「確かにな、ここは通常手順で行くか。」

 滝と市村が行動を確認する。

「念のため、レーザー兵器を進言したヤツ特定しておいてくれ。」

『? 何でです。』

「なんとなくだ。今回の件、本当に単なる強盗なのかも確認が必要な気がする。」

『了解。とりあえずは目の前に集中……』

 滝は個人的な指令を市村に伝えた。

 それに答えた市村は個別回線を切ろうとしたその時だった。

『逃げて!』

 個別回線を含む突入班の使用する全ての通信回線に強制的に割り込んできた通信が警告を発した。「誰の通信か?」と意識より先に、反応した滝の身体の脇を何か大きな物が落下してきた。

 一瞬周囲の水蒸気を吹き散らしながら落下してきた物体。それはこのフロアに設置されていた長椅子であった。

 かろうじて長椅子の下敷きになった者はいなかったが、明らかに人間の力では投げつけることが不可能な物が降ってきた衝撃から、突入班員の動きが止まる。

 それは滝も例外ではなかったが、経験と離れからか一足先に我に返った。

 一瞥被害が無いことを確認すると、すぐさま被疑者の方へ視線を向ける。そこには体格に似合わない程の大きさがあるテーブルを持ち上げている姿が見える。

「市村!」

 とっさにマイクへ向かい市村を呼び出す。

分析アナライズ。熱分布その他の結果から高い確率でオートマトンですね。恐らく先日、タマキが逮捕したネクサス型ヤツと同じタイプ。』

 それを聞きながら滝は素早く拳銃のグリップからマガジンを取り出すと腰のガンベルトに挿していた予備のマガジンから一つを選び交換する。

「目標は特殊なオートマトンだ! 総員、弱装衝撃弾装填。散開して奴を撃て!」

 突入班のメンバーに指示を出すと同時に滝は犯人に向けて走りながら引金を引く。

 次々と撃ち出される弾丸は走ることにより発生する射線のズレにより多くが外れるが、何発かは確実に相手を捉えている。

 このまま撃ち込めば相手を無力化できると踏んでいた滝であるが1つ判断ミスを犯していた。

 それは先陣を切って射撃を浴びせれば相手は滝に意識を集中すると思っていた事だ。

 しかし、犯人は駆け寄る滝を無視し突入班のメンバーに向けて突進していく。

 そこからは一瞬だった。

 犯人は先程投げた長椅子を拾い上げるとそれを抱え全力で振り回す。

 体勢を立て直していたメンバーたちは避けることもままならないまま、長椅子によって弾き飛ばされ、ある者は気絶し、またある者は苦悶の呻きを上げながら立ち上がることもままならない状態となっていた。

 あまりにもあっさりと配下のメンバーを倒されたことで、滝も驚きのあまり反応が遅れたが、犯人が投げつけた長椅子をかろうじて避けることが出来た。

 反撃に移るため改めて射撃体勢をとろうとした瞬間、右肩に衝撃が走る。

 何が起きたか確認するまもなく胸部に数回衝撃を受けた滝はもんどりをうって倒れる。

 それを見ながら犯人はいつの間にか構えていた拳銃を腰のホルスターへと収める。

 犯人は滝に向けて空いた右手で拳銃を抜いていたのだ。

 さらに右肩と胸への正確な射撃。視界の悪いこの場にあって驚異的な手腕である。

 あまりの出来事に沈黙したバックアップ要員たちは次の瞬間、電界会議室サイバーカンファレンス内に次々と報告を上げる。

 突入班のメンバーはいずれも命に別条はないが、骨折などの負傷により行動不可能となっている。

 滝もまた防弾チョッキのおかげで致命傷は免れたが、肋骨に損傷を受けている。

 すぐさま救助隊を送りたいが銃火器を所持した被疑者がいる為、迂闊に向かわせることはできない。

 結局、司令部が出した指示は水蒸気を送り込むのを止め、正面からサーチライトを当てることだけだった。

 状況膠着。

 多くの関係者はそう感じていた時、不意に何かが乱雑にぶつかる音が周囲に響いた。


「行くよ、サヤカ。」

『了解。もうタマキが行くしかないわね。』

 ドアの向こう側で起きた事をモニターしていたタマキがサヤカにつげ、サヤカも同じ考えてあることを確認した。

 念のためARにフロアの監視カメラからの映像を写し、犯人の位置を確認する。

 距離は十分。タマキは一旦、電磁砲をホルスターに収め、軽くジャンプと屈伸を行う。

『ドアのセーフティーは解除してあるわ。』

 サヤカが突入の前準備として、入口フロアへと続くドアのロックを災害時緊急対応システムにて解除していた。

 それを聞いたタマキは勢いよく走りだし、ドアに右脚で蹴り飛ばす様に飛びこんだ。

 普段であればびくともしないであろうドアは抵抗もなくタマキの勢いに押し倒される。

 その上に少女は右足、左膝、両手をついて倒れたドアの上に着地する。

 フロア内に唐突に響いた轟音。

 屋外にいる者たちを含め、その場にいる全ての者が音の発生源に注目した。

 正面左右の三方から照らされるライトの中、ゆっくり立ち上がる。

 両手がドアから離れる。

 左足を踏み出し、ドアから一歩離れた位置に移動する。サーチライトもそれに合わせ移動し、3つのライトの交差する中心にタマキを捉え続ける。

 腰の後ろに装着したホルスターから銃を引き抜くが、腕はダラリと下ろしたまま。

 ライトに照らされた顔がゆっくりと持ち上がっていく。

 前髪で影になっていた、瞳は犯人に向けられている。

 ある種の真剣さをたたえる瞳。

 ……いや、その瞳には怒りが静かに満ちていた。

 これまで2度、サヤカはタマキが犯人と相対する場面に立ち会ったが、いずれもタマキは感情が消えたようであった。

 しかし、今の彼女はどうだ。激しい感情の吐露こそ無いが、怒りに満ちているのが目に見えて分かるだろう。

 バイタルも軽い興奮状態であることを示している。

 このまま何も考えずに突撃するのではとサヤカは焦る。

「感情に囚われるな。」

 不意にタマキが呟く。

「感情を飼い馴らせ。」

 軽く深呼吸。

「感情を力に。」

 興奮状態を示していた各数値が正常値まで戻る。

「『猟犬の価値ライセンス:ハウンド』の証明を。」

 サヤカには何が起きているのか理解できなかった。

 単純な決意表明を呟くだけで、平常心を取り戻す。

 自己暗示であってもそう単純にはいかない。

 強いて言うのであれば、思考切り替えによる感情制御であろうか。

 サヤカが答えの出せないまま考えあぐねていると、タマキは犯人に向かって駆けだす。

 先日の籠城事件の時よりも軽やかに駆けるタマキ。

 サーチライトも追尾し、常に光点の中心で飛ぶように駆ける彼女はバレリーナのようでもある。

 犯人まで10mを切ったところで銃を構える。当然走る勢いは落とさない。

 素早く3回引金を引く。

 独特の甲高い音を発しながら撃ち出された弾丸のうち1発が相手の肩に命中する。

 衝撃弾の威力に一瞬のけぞる犯人だが、効果が無かったかのように撃たれた右腕を持ち上げる。

 手に持った拳銃をタマキに向けるとすかさず発砲。

 素早くステップを踏むように横へ飛ぶタマキ。

 犯人の男は射撃を避けられた事に驚いた風もなく顔をタマキへ向ける。

 これまで水蒸気に妨げられ確認できなかった男の顔が視認できる。

 見知った顔ではない。だがその表情に既視感がある。

「あの男と同じ顔してる。」

 小声で呟くタマキに、ディスプレイ上のサヤカも首を立てに振り肯定。

 二人は滝が負傷した事実以上に、相手の手強さを理解している。

 でも自分たち二人の連携ならやれる。

 タマキの意図を察したサヤカがウェアのパワーアシスト機構や、Hデンジャーの出力調整を始める。

 サヤカが捜査課入りしてから数日、二人はタマキのこれまでの行動を検証していた。

 それはタマキが各システムへの指示を出すのではなく、サヤカが制御することで最適の運用を行うためのものである。

 通常であれば何ヶ月もの訓練が必要とするモノであるが、二人が初めて出会った時、事前の打ち合わせも無しに見事な連携が出来た。

 それを再現すれば問題ないのだ。

 事実、あの日程では無いが二人は高度な連携を軽々とこなしていた。

 それを今、改めて実践でやってみせようというのだった。

 犯人がタマキの方を向く。

 それと同時にタマキが走りだす。

 足元に溜まっている水を跳ね上げ、上半身は犯人の方を向けながらの横走。

 それはちょうど犯人の位置を軸にした円の動き。

 タマキは全力で走りながら男の隙を伺っている。

 その間、サヤカはウェアのパワーアシスト機能を微調整し、タマキの負担を軽くする。

 タマキの動きにあわせ、向きを変えていた男が不意にたたらを踏む。

 溜まっている水で分かりにくいが、小石か何かを踏んでしまいバランスを崩したのだろう。

 その瞬間、タマキは猛然と犯人へと駆け寄る。

 慌てて銃を構える犯人。男が引金を引いてから、弾丸が発射される一瞬の差、タマキはスライディングをしかける。

 濡れた床でスカートやジャケットが濡れる事も気にせず滑るタマキが先程までいた空間を弾丸が通り過ぎる。

 そして男の足の間をすり抜ける瞬間、素早く狙いを定めたHデンジャーから衝撃弾が放たれる。

 それは狙い過たず犯人の額、アゴ、右胸に叩きつけられた。

 弱装衝撃弾は対象の無力化を目的とした弾丸であり、貫通力は皆無である。

 しかし貫通しない分、その名が示すとおり強い衝撃を伴う。

 弱装とはあくまで弾丸に仕込まれた超小型電撃発生装置の出力の話であり、命中時の衝撃は発砲時の威力によって変わる。

 今回、サヤカは一回ごとの電磁砲の出力をそれぞれ1/3に設定していた。

 これは再充電リチャージせず3連射した場合の最大出力であり、これで相手を無力化できなければ、射撃可能になるまでの充電期間は丸腰同然である。

 サヤカも強いてはタマキも理解しての射撃は、目標に誤らす命中した。

 大きく頭をのけ反らせながらバランスを崩す男。

 オートマトンである以上、頭を揺さぶっても脳しんとうは起きないが、人体を模した形状である以上、頚椎に当たるフレームに無理な力が働く。

 2か所に衝撃を与えフレームに強力な負荷をかける事で、上手くいけばフレームの破断を狙ったのだった。

 たとえフレーム破断に至らなくても、大きくバランスが崩れることは変わらない。

 そこへ胸への一撃を加えることで確実に相手を転倒させる事ができる。

 事実、弾丸をまともに受けた犯人は後方へ倒れていった。

 派手な水しぶきを立てて倒れた犯人から素早く身を離したタマキは立ち上がる。

 ずぶ濡れのスカートが脚にまとわり付き、気持ちが悪いなと思う。

 まだ行動中であることを思い出したタマキは、思考を慌てて切り替え足元を見る。

 そこには犯人が所持していた拳銃が落ちていた。

 しゃがみ込みその拳銃に手を伸ばす。

 その光景を監視カメラ越しに見ていたサヤカは、ふと違和感に捕らわれた。

 任務中のタマキにしては銃を取る動作が遅い。

 そして左手で掴んだその銃をまじまじと凝視していたのだ。

 犯人に背を向けて。

 次の瞬間だった。

 倒れていた犯人がバネ仕掛けの人形の様に飛び起きる。

 その水音で振り返ったタマキに向け男は両手を頭上で組むと、全力で振り下ろした。

 タマキもとっさに右手に持ったHデンジャーを掲げ、銃身を左腕と交差させ防御の姿勢をとる。

『アッ、ダメ!』

 とっさにサヤカが警告を発するが、次の瞬間振り下ろされた両腕をHデンジャーで受け止めた。

 人型の存在による一撃とは思えない重い衝撃にパワーアシストウェアの衝撃拡散機能が緊急作動する。

 ウェア表面の素材を高速で振動させることで、受けた衝撃を打ち消し拡散させる。

 しかし、それでも打ち消せない衝撃を受けた左腕に激痛が走る。

警告アラート電磁加速砲Hデンジャーの電磁誘導装置破損。射撃不可。』

 サヤカとの連携のために機能抑制していたAIが作動し緊急報告を上げる。

 本来、電磁加速砲は内部に精密機械を組み込んでいる為、とっさの格闘戦等に使用できる代物ではない。

 しかしニンゲンが殴りつけた程度で壊れる程、やわなものでも無い。

 つまりはこの犯人の筋出力マッスルパワーが規定値を遥かに超えている事になる。

 重労働環境対応のオートマトンだとしても過剰出力だ。

 例え後先考えずに出力を限界値まで引き上げたとしても、人工骨格や人工筋肉が負荷に耐えられない。

 ネクサス型はまだ細かいスペックは公表されていないものの、次世代の汎用型オートマトンとして設計されていると言う。

 それは一般の人間と共に暮らす事を目的としており、人類を超越した人型オーバーヒューマンを作り上げる事ではない。

 なら何故この様な自壊覚悟のブースト機能が付いているのか。

 疑問は尽きないが二人の戦いは続いている。

 腕の痺れるような痛みに左手が緊張する。

 手の中にある犯人の銃の感触が不自然であるが、痺れからうまく手を開くことが出来ない。

 とっさの判断で右腕を振り上げる。電磁砲のグリップで犯人の額を殴りつけ怯ませるつもりであった。

 しかし腕を振り上げた瞬間、犯人の方が素早く動いた。

 タマキは突如、息苦しくなる。

 喉が圧迫され呼吸が難しい。

 男に喉を掴まれていると気がついたのは、その後だった。

 右手で喉を掴んでいたがそれだけでも万力で掴まれている様な強力な締め付けだが、男はさらに左手もタマキの首にかけ、さらに圧迫を強くする。

 タマキのバイタルデータをチェックしているサヤカは、脳への血流が止まりかけているのを確認した。

 このままではタマキは窒息してしまう。

 慌てる感情を抑え、サヤカは装備の機能リストを再検索する。

 ふとパワーアシストウェアのある機能が目にとまる。

 通常であれば防寒に使う機能だけど、もしかしたら。

 決断するなりサヤカはその機能を最大レベルで稼働させる。

 それはウェアの表地とパワーアシスト機能のある中地の間に空気を送り込むものであった。

 通常は微量の空気を入れることで断熱防寒を行う機能であるが、最大出力で空気を全体に送り込む事で膨張させ、少しでも首を掴みにくくするためである。

 みるみるタマキのウェア身体が膨らんでいく。

 もちろんこれで拘束を解くことは無理であるが、膨張するウェアが邪魔になり、犯人は思わず首を掴み直そうと一瞬だけ力を抜いた。

 その瞬間。サヤカはウェアの生命維持装置を使いタマキの心臓に強い刺激を与える。

 外部からの圧力でタマキの心臓は早鐘のように強く早い鼓動を打つ。

 それにより大量の血液が全身にまわる。

 特に首を締められ流れが滞っていた脳へと流れ込む。

 一歩間違えれば、脳溢血を起こしかねない危険な行為だが、それにより遠のきかけていたタマキの意識が戻る。

 意識の戻ったタマキは状況を把握するより身体が動いていた。

 両腕を振り上げ、肘打ちの要領で振り下ろす。

 手首を狙った一撃だが、その程度では男の拘束は解けない。

 タマキはそのまま肘を手首の内側へ滑り込ませる。

 そのまま両手を組み万力の要領で肘を外へ開くように動かす。

 男の腕はまだ解けないが、手首の内側に圧力がかかることで力がかなり弱くなる。

 オートマトンとは言え可動部に負荷をかけられると思うように力を出すことができない。その意味では複雑かつ柔軟な可動域を持つ人体を模して作られたオートマトンの弱点と言える。

 腰を落しさらに力を込めるタマキ。

 男はまだ両手を離さないが、かなり無理な体勢になることで力を入れにくくなる。

 そのまま力くらべが続くと思われた次の瞬間、タマキは地面を蹴り男の両脇に足をかける。

 そこまま下方向へ体重をかけながら脚を伸ばしていく。

 首を締め直す為に前のめりになっていた犯人は想定外のタマキの動きに、完全に体制を崩し前へと倒れ込む。

 激しい水柱を上げながらタマキは床に落下する。

 衝撃が伝わったのか、はたまた受け身をとろうとしたのか。犯人の腕が首から離れる。

 その瞬間。タマキは犯人の両腕を素早く掴み両足を跳ね上げる。

 変則的な巴投げとなるが、両腕をさらに下へと力強く引く。

 両手首をしっかりと握られた犯人は受け身をとることもかなわず脳天から床へと叩きつけられた。

 オートマトン相手とはいえ殺害を考慮した容赦のない投げ技であった。

 犯人を投げた勢いを利用し一回転したタマキは四つん這いの姿で荒い呼吸を繰り返す。

 一瞬でも意識を失うほどの圧力で首を絞められた状態からアクロバティックな投げ技を仕掛けたのだ。

 呼吸だけでなく全身に無理をさせている。

 それでもタマキは手元に落ちている拳銃を持ち立ち上がる。

 ゆっくりと犯人の方を向き銃を構える。

 水の滴る髪の奥から、鋭い瞳が見据えている。

『射撃許可よ。すみやかに相手を無力化して。』

 サヤカが冷静な言葉で指示を出す。

 その時、タマキは違和感を覚えた。

 自分の握る銃が《軽い》。いつもの電磁加速砲ではない。

 そうだ、いつものは先程壊れて使えないんだった。

 構えを解かないまま視線だけで自分の握る銃を確認する。

 ここに来て気がついたのだが、ARディスプレイのフレームが曲がっており視界に表示できなくなっている。

 ならイヤフォンこれも必要ない。

 おもむろにイヤフォンを外し後方へ投げ捨てる。

『なに? なんで捨てるの?』

 サヤカが叫ぶがタマキには当然聞こえない。

 サヤカは慌てて館内放送用のスピーカーへ侵入を試みる。

 侵入自体はすんなり出来たが、信号変換プロトコルの起動に手間がかかる。

 このままではマシン語のままのただのノイズにしかならない。

 慌てるサヤカをよそにタマキはゆらりと立ち上がる。

 酸欠と疲労で立つのも精一杯といった体である。

 しかしその瞳は鋭く倒れる犯人を見つめる。

 オートマトンとはいえ、先程の投げによるダメージが大きく立ち上がれない様子の犯人にまたがると、先程の仕返しとばかりに右手で相手の喉元を掴む。

 そして、グローブに仕掛けられたスイッチを入れる。

 その瞬間、タマキの持つバッテリーから高圧の電流が男に流れ込む。

 同時にタマキの身体も大きく震える。

 お互いにずぶ濡れの状態でグローブ以外も密着させた状態で電流を流したのだ。

 当然、タマキにも電流が流れる。

 バッテリーやウェアなどの各装備は対策をしているので通常であれば、気にすることは無いが今回の戦闘でタマキの身につけるパワーアシストウェアの表面は破損しておりアースの役目を成していなかったのだ。

 幸い床も濡れていることから多くは床へと流れ拡散したので、火傷などの心配はないが、それでも体に与えるショックは大きい。

 現に犯人は機能を停止しているのに、タマキは手を離さない。

 いや、電気ショックで手が動かせないのだ。

 このままではバッテリーが切れるまでこのまま。

 それは心臓麻痺の可能性もある危険な状態である。

 サヤカは慌ててタマキの持つバッテリー制御コマンドを探す。

 通常であればバッテリーは各装備からの指示で自動的に電力を供給している。

 そのためタマキの全装備の制御権を持っているサヤカにとっても、バッテリーの制御については能動的に行っていない作業であるためとっさに制御することが出来なかったのだ。

 ようやく制御コマンドを確認したサヤカは、即座に緊急停止を実行する。

 一連のその作業は、実質1秒にも満たない。

 電界没入による思考制御だけでは説明できないほどの早業。

 サヤカのコモディティ・ライセンス『電脳適応』があって初めて可能とする物である。

 正確にはこの特性が有るからこそ、ライセンスを保持しているのだが、コモディティ・ライセンスが一般化した現在では認識は逆転しており、ライセンスホルダーだから特性を得ていると考える人も多い。

 そしてバッテリーが強制停止したことで、パワーアシストウェアも機能を停止する。

 すでに体力を使い果たしていたタマキは支えを失い前のめりに倒れていく。

 受け身や腕を持ち上げる余裕もない彼女は顔面から落ちよう落ちるその時、間一髪でタマキのコートの襟首を掴む手があった。

 モニター越しにそれを見ていたサヤカは安堵する。

 とっさにタマキを支えたのは滝である。

 滝は傷付いた身体を必死に動かし、無傷だった左手でタマキを支えたのであった。

「まったくコイツは……。」

 そう一言つぶやくとイヤフォン付属のマイクに向かい状況を伝えるのであった。


 タマキが目を覚ましたのは指揮車に隣接するように設置された臨時救護所のベッドの上だった。

 カーテンで仕切られた空間に設置された簡易ベッドに寝かされていた自分が何処にいるか理解するまで、若干かかった。

 まだ頭がボウっとする。

 ただ状況を確認する必要性は無意識に自覚したのであろう。

 タマキはふらりとベッドから立ち上がり、カーテンの向こうへと歩きだそうとした。

 その時、何か違和感。

 ふと自分の身なりを確認すると、先程まで着ていた制服やコートはおろか、パワーアシストウェアすら身に着けていない。

 かわりに手術などの時に着させられる、簡単に着脱可能な病院着を着させられていた。

「っなによ! これー!!」

 状況を理解し思わず叫ぶタマキ。

 その叫びに救護所内にいた、救命士や医師らが慌ててカーテンの中に入ってくる。

 その人たちの顔を見るなり、タマキは顔を茹でダコの様に真っ赤にさせながら慌ててベッドの中に入りシーツを頭から被る。

「なっ、何でもないです! 」

 叫ぶタマキを見た一同は、一様に顔を見合わせると慌ててカーテンの向こうへ出ていった。

 うかつに叫んでしまった自分が恥ずかしい。シーツを頭から被って悶えていると、またカーテンが開く軽い音が響いた。

 もう一度出ていくように言おうと顔を上げたタマキは、「あっ」と言ったまま固まる。

 そこに立っていたのはゼエゼエと肩で息をしているサヤカであった。

「ちょっ、ちょっとサヤカ。なんでこんなところに?」

 そう言いながら慌ててベッドから降りるとサヤカに駆け寄る。

 そんなタマキにサヤカは手のひらを前にかざし、呼吸が落ち着くまで待つようにジェスチャーで伝える。

 意図を察したタマキが一歩後ろに下がる。サヤカを心配して不安げな表情。

 しばらく激しい息遣いだったが、少し落ち着いてきたのか2、3回ほど深呼吸をする。

 ようやく話せるようになったサヤは改めて話しだす。

「わたしはあなたの相棒バディよ。心配したら変?」

 左手を右腕の肘の上に起き、右手の指で自分の髪をいじる。

 そんな澄ました様な態度と、冷静を装った声色で話すサヤカを見て、一瞬ぽかんとした表情だったタマキだが、次第に込み上げてきた笑いに思わず吹き出した。

「ちっ、ちょっと! 人が心配してるのになんで笑うのよ!!」

 笑いの意味が分からず抗議するサヤカに、今度はタマキが手のひらを見せて待つようにジェスチャーを送る。

 頬を少し膨らませながらも、了承したサヤカ。

「ムー」と声が聞こえてきそうな表情でタマキを見ている。

「ゴメン、ゴメン。悪気は無いの。なんかサヤカの態度と表情がかわいくて。」

 頭を下げ口元に右手を当てながら、笑いを押し殺した様に話すタマキ。

 笑いをこらえている様だが、まだ肩が上下している。

「悪気が無いなら、余計に悪いわよー!」

 ふくれた表情のまま答えるサヤカだったが、次第にタマキに釣られて笑いが込み上げてくる。

 やがて二人は吹き出すように笑い始める。

 原因なんて関係ない、ただ相手が笑っているから自分も可笑しい。

「ハハハッ、ハァ~。こんなに笑ったのは久しぶりだよ。」

「わたしも!フフフフ。」

 ひとしきり笑った二人の笑い声が小さくなる。

 その時だった。タマキはこちらを見つめる冷たい視線に気がついたのは。

 タマキはサヤカよりやや背が低いため、彼女の影になって気が付かなかったが、その後ろ少し開かれたカーテンのところから見つめている双眸。

 これはマズイと思わず後ろへ下がり身構えるタマキ。

 そのタマキの行動を理解できなかったサヤカは無防備に後ろを向く。

 それを止めようと慌ててさやかに駆け寄ろうとしたタマキだが、その動きは一瞬遅かった。

 後ろを振りむたサヤカはを見てしまい動きが固まる。

 それは2人を見つめていた。

 どんよりとした正気のない瞳。

 背筋を丸めたのような姿勢。

 眉間にしわを寄せ、口は不満気にへの字に結んだそれは、捜査課々長の高野レイコだった。

「い〜わね〜。若いって任務中も和気あいあいとしてて……。」

 カーテンの間から顔を突き出し、恨めしそうに二人を見つめる目は、何かに取り憑かれたようだ。

「ぃやっ、これは……、」

 何かを言おうとして、押し黙るタマキ。

 高野の陰気な表情には、タマキの口を塞ぐ程の凄みがあった。

「だいたい、サヤカちゃんは任務上必要だから同行してもらったんだけど、油売っていいの?」

 カーテンから顔を出すために前かがみだった高野は、そう言いながら姿勢を正していく。

 ピッと背筋を伸ばした時には、先程までの半ばフザケた雰囲気は無くなっていた。

 高野の言葉を受け「あっ。」っと小さく叫んだ。

「任務って新しい事件?」

 タマキも真顔になり、高野へ質問を投げる。

「そうね……。」

 肯定の意志を示しつつも、どこか納得していない表情の高野にタマキはいぶかしげな視線を送る。

「……。今から1時間程度前に品川区の研究ラボラトリー特区で爆発事故が発生したわ。」

 旧市街である品川での出来事なら、新都北署は管轄外である。

 所轄外で起きた事故。高野がそれだけを伝えにここに来たとは考えにくい。

 ふと、何かに気がついたタマキが、顔を上げる。

 手元に端末が無いため、正確には分からないが1時間前は……。

「そう、突入が実行された直後よ。」

 表情の変わったタマキを見て、高野が質問に先回りし説明を始める。

 滝たち突入班の行動は各メディアを通して、人々に届けられた。

 その為、多くの人はこちらに気を取られることになる。

 まさにその時だった、研究特区から火の手が上がったと消防に連絡が入ったのは。

 管轄の救急車は新都での緊急事態に対応するため、『新都連絡道』入口のある旧港湾エリアに待機していた為、すぐに隣接エリアである特区へ向かう事が出来た。

 その為、現場から火災ではなく爆発であることがいち早く伝えられる事になったので、爆発とは言え被害自体は少なかった。

 しかし救助活動を行う消防士たちは、次第に違和感に気がつく事になる。

 現場で被災した人が少ないのだ。

 研究特区は自動化が進んでおり、元々人の出入りは少ない。

 だが、被害のあった施設に関しては例外である。

 そこは伊坂重工業連合のオートマトン研究所。

 オートマトンの研究開発を行う傍らで、修理調整を行うための病院も兼ねていた。

 そして、伊坂社員と警察関係者の一部のみにしか知らされていないが、ここは続発する「労働争議」に関係したオートマトンたちが調査のために収容されている施設でもある。

 その為、合わせて100人程度は施設に居たはずだが、救出されたのは約60人。

 救助が出来なかったケースも有るが、それにしても約40人が行方不明になるのは多すぎる。

 そして、最大の問題は行方不明者の多くが、入院していたオートマトン。

 つまりは犯罪もしくはテロ行為を行いつつも、伊坂の庇護により逮捕を免れた者たちだったことである。

 事態を重く見た自治警察とPPOはすぐさま、全所轄に対し検問の設置及び、重要施設の警護の指示を出したところである。

 突然のことながら、新都北署も警備部警備課が、連絡道などの重要施設付近で検問を展開中である。

 そんな中、立場が微妙なのが捜査課である。

 一般的に捜査部には現場へいち早く到着し、現場保全を行う機動捜査課が存在するが、北署の場合その独立独歩の気風から捜査課が一通りの対応を行うため、機動捜査課が置かれていない。

 その為、本来なら捜査課は警ら課と合同でパトロールを行うところであるが、現在は捜査官のうち、滝とタマキが負傷。佐藤は独自捜査で連絡がつかない。

 つまり現在の捜査課はを失っている。

 バックアップの市村とサヤカは健在なので、電脳捜査は可能であるが、やはり現場へ出てくる捜査官がいないのは民営とは言え、警察組織内においては白眼視される。

 どんなに文明が進んでも、大きな組織では旧態然とした意識は残るものである。

 もっとも対象の身柄確保が必須のため、現場に人員が必要な事も確かであるが。

 そこで高野は思案した後、負傷は承知の上でタマキのもとへ足を運んだのだ。

 一通り状況を説明する高野に対して、タマキは真新しいシャツとスラックスに着替えながら聞いていた。

 タマキとしてもこの先の展開が理解できる。

 要は自分がパトロールに出る必要があるのだ。

 幸いにして自身の負傷は軽い打撲程度で動き回るのに支障は無い。

「了解。じゃあわたしはこれからパトロールってことね。」

 着替え終わったタマキが、何事も無いように任務確認をする。

 それを聞いて、高野とサヤカは顔をしかめる。

 タマキは仕事となれば、自分の感情を押し殺した様になる事は理解しているつもりである。

 特に付き合いが長い高野は、以前よりタマキの行動に病的な脅迫概念があるのではと考えつつも、捜査から離れれば年相応な振る舞いをするために、診察を勧める事に躊躇していた。

 しかし、今回は勝手が違う。

 先程の逮捕劇の際に、タマキの装備品はほとんど破損してしまった。

 パワーアシストウェアも電磁加速砲レールガンも持たない彼女は、身体能力は優れるものの、普通のハイティーンの少女とさして変わりはない状態なのだ。

「確かに、パトロールに出でもらうわ。」

 指令と私情にはさまれた自分の思考を振り払うように高野は告げる。

「ただし、あなたは丸腰なのを忘れないで、対象を発見しても追跡するのではなく、本部に連絡すること。」

 タマキにあわせるように、なるべく感情を出さない様に指示をだす。

「それと、サヤカちゃん。あなたには予定どおり、タマキの装備品を伊坂本社に持っていって修理交換してもらうためよ。」

 高野はサヤカに向かいそう告げると、ベッド脇に置かれたカゴに目をやる。

 そこには銃身が大きく歪み使い物にならないHデンジャーや所々が破れているパワーアシストウェアが無造作に入れられている。

 どちらも普通に考えれば使い物にならないレベルの破損であり、廃棄処分が正だろう。

 しかし、これらの装備品は実地テスト用であり、破損したらしたで回収し損壊具合を調査する必要がある。

 その過程で使用可能なパーツがあれば再利用する事になるだろう。

 その様に継ぎ接ぎしつつ、一般的な運用に対応できるレベルまで精度を高めていくのだ。

「分かりました。なるべく早急に用意できる様に、スタッフには伝えます。」

 サヤカは高野の命令に対し、しっかりと高野を見ながら答える。

「ありがとう。今の捜査課うちにとって、タマキまで戦力外となると手の打ちようがないの。」

 高野がサヤカに頭を下げる。

「滝さんが負傷している以上、臨時捜査官タマキに頼らざる得ないの。本当にこの変則編成をどうにかしないといけないんだけど。」

 思わず現状に対する不満が口をつく。

 高野としてもこの編成は納得はしていない。

 だが滝や佐藤の要望する様な人材は確保できるのも稀である。

 ましてや民間であるPPOでは迂闊なことをすれば経営にも関わるため、自治警察より採用基準が高く、正規採用される者は多くはない。

 結果、能力はあるが正規採用には難のある臨時捜査官の採用が増えており、それはそれでPPO全体で問題になっている。

 タマキの採用も年齢や学業との兼ね合いがあるため、人事部でも大いに揉めたという。

 結局、彼女のコモディティ・ライセンスを測定した結果が決め手となり採用したくらいである。

 ともあれ、現在のタマキは臨時操捜査官ではあるが、正規の捜査官以上に成果を期待されているホープである。

 その彼女が、重傷でもないのに出動できないことは、現場としては痛手であり、ある種の勢力にとっては臨時捜査官を減らすために都合の良い理由となる。

 その様な中だからこそ、タマキの装備を新たに用意する必要があるのだ。

「とりあえず、タマキはすぐにパトロールに参加。定期連絡は欠かさないで。後……。」

「目標を発見したら、報告して警ら課に引き継ぎます。」

 高野の言葉を遮るように、タマキが答える。

 任務中のタマキなら行わない行動に高野は一瞬驚くが、これは二人がまだ幼かった頃、高野がおせっかいを焼きすぎた時にタマキがよく取る行動だった。

 それは心配無用だと暗に示しているものだと気がついた高野は困ったようで笑ってもいるような表情で「分かったわ。」と答える。

「じゃあ備品の回収準備を始めますね。」

 一通り話は終わったとサヤカはカーテンの外に置いてあったトランクケースを引っ張りこむと、装備品を中に詰め込む準備を始める。

「サヤカ、なるべく早くお願いね。」

 その様子を見るタマキが少し心配そうにサヤカに伝える。

「任せて。最短で代替品を用意するし、何なら改修も急がせるから。」

 手早くトランクに品々を詰め込みながらサヤカがタマキの方を振り向く。

 タマキはカーテンの外へと出ようとしているところだった。

「あっ、そうだ。」

 カーテンに手をかけたタマキが何かを思い出した様につぶやきながら振り向く。

「なに?」

 笑顔で送り出そうとしたサヤカだが、タマキの顔を見て笑顔が凍る。

 振り向いたタマキの瞳は冷たい輝きを湛えており、表情は犯人と相対している時と同様に何も伺えない。

「ネクサス型って結局、何なのかな?」

 無感情な声でサヤカに語るタマキ。

 気圧されたサヤカは思わず顔をそむけてしまう。

 しかし、その先には高野がいた。

 高野も同様に怜悧な目線をサヤカに向けている。

 それは、友達、同僚、部下サヤカを見る目ではなく、伊坂重工業連合社長代理伊坂サヤカを視る眼であった。

 その二人が放つ静かな威圧感にサヤカを恐れが支配し何も返すことが出来なかった。

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