第2話 その少女、依頼主

 事件から一夜が明けた。

 タマキは普段どおりに学校から寮の自室へ戻らずに直接職場である『民間警察機構PPO東京新都北営業所』(通称 新都北署もしくは単純に北署)の捜査課へと足を運んでいた。

「お疲れ様でーす。」

 軽い挨拶をしながら捜査課の部屋に入ると、部屋の中央の席に座る痩せぎすな男が読んでいた文庫本から目を離しタマキを一瞥し、さらに奥にある捜査用端末に取り付けられたディスプレイを覗いていた二人が振り向き『おー』と力ない声で返事を返す。

 軽いステップで自分のデスクに向かうと通学カバンをイスの背もたれに掛け、向かいの席の男に話しかける。

「滝さんがこの時間に外回り行かないのって珍しいよね。待機命令でも出てます?」

 話しかけられた男、主任捜査官の滝レンジが再び文庫本から目を離す。

「まあ、そんなところだ。もうすぐ課長が警視庁本庁での会議から戻ってくる。詳細は課長から聞いてくれ。」

 薮睨みの様な視線をタマキに向けながら、滝は必要な事だけ告げると、再び手元の本へ目を落とす。

 ライト級ボクサーの様な細いが筋肉がガッチリと付いた体格に鋭い目つき。体格と同じ痩せた頬に整った顎髭と野性味のある外見の滝だが、趣味は紙の本の収集と読者と言う知的な面を見せる彼は署内での人気が高い。

 もっともモーションをかけたとしても、なんだかんだとかわしており、最近では実は子持ちの妻帯者ではと噂が立っている。(職業柄、誰もが家族構成を調べられるので、彼が子持ちでも妻帯者でもない事は分かるのだが。)

 必要以上の人間関係を避けているとも思える彼であるが、捜査課のメンバーには幾分対応が柔らかい。それが仲間意識なのか分からないが。

「タマキちゃん、昨日はお疲れ様〜。」

 携帯端末をデスクに備え付けのコンピューターに接続し昨晩の報告書ログをメインフレームへ提出する準備をしていたタマキに、先ほどフロアの奥にいた一人、佐藤リュウジが声をかけてきた。

「あ、サトさんありがとう。調整してもらったおかげでHデンジャーは快調だったよ!」

 キーボードを叩きながら、佐藤の方を向きニカッと笑うタマキ。

 そんなタマキの横のイス(空席)に腰を下ろす佐藤。

 100キロを越える体重にイスが悲鳴を上げるような軋みを立てる。

 樽型の体型にキレイに剃り上げたスキンヘッドに柔和な顔つきとどこかマスコットの様な雰囲気がある。

「そいつは重畳。僕も調整したかいがあるよ。」

 普段から細い目をさらに細くしホクホクの笑顔で答える佐藤。

 佐藤の本来のポジションは科学捜査であるが、工業系の大学を出ており趣味の機械いじりもプロ並み。その為、課内の機器整備も担当している。

 特にHデンジャーは伊坂重工業連合より試作品の現地テスト名目で貸与されている関係であるので、扱う人間も最小にして欲しいとのオーダーが有った。そこから佐藤が整備を担当する事は必然であった。

「ところで聞いたかい。事件ケース45835のその後の話しは?」

 電磁砲Hデンジャーについての話しに一息ついたところで、佐藤が声を潜めてタマキに尋ねる。

「佐藤さん。それはまだ機密レベルの高い情報ですよ。」

 耳ざとく聞きつけた滝が再び文庫本から目を離し佐藤に釘をさす。

「おっと、そうだった。でも関係者が知っていないのは後味悪いだろう?」

 パチンと額に手を当てながら滝に返答する佐藤。彼としても本来であれば一般捜査員が知らされる情報ではないことは分かっていたが、当事者であるタマキには知らせておくべきと考えての行動である。

「それはそうですが。問題になったら佐藤さんが責任取ってくださいよ。」

 佐藤の言いたいことは滝にもよく分かっていた。

 2人はPPOへ入る前は自治警察の警視庁所属していた。その頃、佐藤は滝の先輩であり二人は相棒バディとして捜査に当たってきた間柄であった。

 そしてその当時から該当人物へ必要な情報を与えて、行動を見守るのが佐藤の常であった。

 滝が一応了承したのを確認した後、改めてタマキに向き直る佐藤。

 今度は小声ではなく普通に話しかける。

昨日の事件ケース45835で君が最後に捕獲した容疑者。彼がオートマトンであることは確認済みだね。」

 タマキにとっては既に承知の事実を話す。事前の再確認でありここから先が新情報であることを暗に示唆していた。

「容疑者の名前は久我ヨシト。問題なのは彼のオートマトンとしての型だ。」

「それです! 彼は明らかに普通のオートマトンとは異なる動きをしていましたよ。実は軍の特殊戦用だったりとかしません?」

 思わず口をはさむタマキに、落ち着けと右掌を向ける佐藤。

 顔の作りは笑ったままなのに、目が全く笑っておらず、僅かにだが目が開かれ普段は見えにくい瞳が僅かに見える。その眼光は滝に劣らない鋭い光を放っている。

「彼は次世代型オートマトン。いわゆるネクサス型と呼ばれるタイプであり、今年に入って試験的に市街地での運用テストが始まっていた。」

「そんな試験タイプがいきなり論理暴走したらマズイんじゃ?」

「いや、事件自体は暴走ではないんだ。容疑者達は襲撃したビルに入っていた会社『富桑運送』で働くオートマトンであり、その労働環境に著しい問題が有ったことは、自治警察及び労働監督署がつかんでいる。犯人の要求は労働環境の改善と未払い賃金の回収だったからね。」

 そこまで聞くとタマキが首をひねる。

「そうするとですが、何が機密レベルの話なんですか? 恐らくこの内容なら事件報告書の背景情報には載ると思うんですが。それになんか昨日の雰囲気と主張が食い違っている気が……。」

 その疑問に今度は滝が答える。

「ネクサス型オートマトンは伊坂重工業が製作しているオートマトンだが、富桑も伊坂連合の系列子会社だ。伊坂の法務部からオレたちPPOや本庁が介入したことで大事になったが、事件自体は社内争議なのでこれ以上の捜査は不要であり、容疑者の身柄を伊坂に寄越せと言っている。」

 どこか吐き捨てるように話す滝は最後に「キナ臭い話だ」と付け加える。

 普段はあまり感情を出さないタイプでクールな印象のある彼だが、実際には誰よりも情熱的で不正などを見逃せない質である。そんな彼にとってはこれほどの事件をで片付けようとする伊坂重工業のやり方が気に食わないのであった。

「と言うことで現場責任者として課長は本庁の警備部々長らと一緒に伊坂と会議中。それ如何によって我々の行動が変わる可能性があるからタマキちゃんも備えておいてよ。」

 それを伝えると佐藤は席を立ち元の席へと戻り、滝も苛立ちを抑えるように文庫本を開く。そのタイトルは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。

 話す相手もいなくなったので、報告書の提出を再開するタマキだが提出自体はほぼ自動で行われるため、報告不要な独り言などが収録されていないかだけチェックしていた。

 タマキは委託とは言え捜査官である。本来なら昨日のような突入任務は業務範囲外である(捜査の結果、犯人のアジトへの突入はあり得るのだが)。

 昨日はたまたま近くで学校のレポートをまとめる為の取材をしていたところで、緊急呼び出しを受けたのであった。

 その為、今日は籠城事件の背景捜査が始まると踏んで放課後、直接北署へ来たのであった。

 タマキが報告書の提出に続けて、弾丸の補充申請と装備の整備進捗表のチェックをしていると捜査課のドアが開き、制服姿の女性が入ってきた。

 20代後半、少し気の強そうだが、警察の制服を着させられているような微妙にそぐわない雰囲気を持っている彼女がこの民間警察機構東京新都北営業所 捜査課々長である高野レイコである。

 もっとも気の強そうな雰囲気は席に座るまでで、座ると同時に軟体動物スライムか溶けたソフトクリームの様にデスクにグテーと突っ伏した。

「つ、疲れた。民間に行けば制服とオサラバできると思ったのに、なんで他企業との会議には制服着用義務があるのよ……。本庁組はスーツだったのに!!」

 刑事に憧れて自治警察に入った経緯のある彼女であるが、警察官になった後で制服が苦手なことに気がついた。

 捜査課への移籍願いも却下され続けたことから、制服を着続ける事もないと自治警察を退職しPPOの門を叩いたのだ。

 幸い彼女のコモディティ・ライセンスは捜査官としての適性を示していたため、晴れて捜査課への所属が決まり、さらには統率者としての適性が有ったので課長として勤務することになった。

「やっば、PPOに入っていきなり刑事デカ長ってわたし凄すぎない?」と有頂天だった彼女だが、唯一の落とし穴がこの制服着用義務だった。

 周囲も捜査官と管理職の双方において有用性を継続的コモディティに示しているので会議後の醜態を見て見ぬふりをしているが、他の課の人間がこの醜態を見たらなんと言われるか分からない。

 捜査課一同はそんな状態の彼女が復活するのを、各々の態度で待っていると高野はおもむろに立ち上がる。

「さて、過ぎたことは置いておいてだ。仕事の話をするからみんな集まって。」

 課長の声に弾かれるように集まる一同。

 先程タマキに話しかけてこなかった男。市村タツヒコも他のメンバーに遅れてやってきた。

 滝と同じ様に痩せ型であるが、市村は貧相なイメージが付く。これはボサボサの髪型や十分に筋肉がついているとは言い難い体型と首を前へ突き出すような姿勢ゆえである。

 もっとも彼は他のメンバーの様に現場へ出向くことが任務ではなく、署内で業務端末などを駆使し捜査を行う電脳捜査官サイバー・オペレーターのため、他の捜査官の様に現場で身体を張る必要がないのであまり問題はない。

 課員が揃ったところで高野はおもむろに話し始める。

「一応、箝口令が敷かれていたんだけど、この様子だと全員既に知っているみたいね。」

 仕方ないと言いたげな言い方だが、どこか予想どおりと言った雰囲気で話し始める。

「伊坂重工業の担当者と話し合った結果、向こうの法務部実働部署と自治警察が合同で背景捜査を行う事になったわ。」

 その一言に皆、口には出さないが落胆の表情を見せる。犯人を検挙したのは自分たちであるはずが全て持っていかれた感があるためだ。

「ただし、PPOには本件について別の任務が与えられたわ。人質だった伊坂サヤカさんの身辺警護と犯行組織の洗い出しよ。」

 皆が驚くのも無理はない。捜査から外されたと思ったところに本命とも言える犯行組織についての捜査がこちらに舞い込んできたのだ。

「色々調整があるのよ。伊坂からしたら久我達がストライキの延長線で騒ぎを起こしたことにして内々の問題として処理したい。でも警視庁や私たちは何かしらの組織の関与を疑っている。」

 おもむろにデスクに投影されたイメージキーボードを操作し壁面のパネルに模式図を投影する。

 そこには3つの円が描かれておりそれぞれに「伊坂」「警視庁」「PPO」と書かれている。

 そのうち伊坂と警視庁の円を「労働争議で捜査」と書かれた円で囲う。

「とは言え警視庁や私たちは第三勢力である犯行組織について明確な証拠をつかんでいない。そうである以上、警視庁は伊坂の主張を受けて過激化した労働争議の線で捜査するしか無い。でも私たちPPOはまかりなりにも半民間企業だから独自に捜査ができる。そこで警視庁側が犯行組織の調査をこちらに回したってわけね。」

 PPOの円を「犯行組織捜査」の円で囲いながら続ける。

「でもよく警視庁側もそんな案をのみましたね。縄張り意識とか考えると。」

 見た目に反しよくとおる声で市村が疑問を口にする。

「りゅーちゃんの言うことはもっともね。」

 高野が市村の疑問に答える。通常であれば自治警察とPPOは同じ捜査機関であるため、常に縄張り争いが発生している。しかし新都北署の捜査課に関しては若干おもむきが異なる。

 それは高野課長以下構成要員の半数以上が自治警察出身者であり、若手である市村やタマキは滝のはからいで研修時に警視庁に一時勤務していた事がある。

 その為、警視庁側にもある種の仲間意識が芽生えており北署捜査課なら任せてもいいだろうと考えている者が多かったからだ。(この辺りは佐藤と滝が警視庁時代に上げた功績も大きい。)

「でもそうなると、最初に有った元人質の身辺警護ってなんですか?」

 タマキが最もな疑問を口にする。

「それはある種のバーターね。容疑者が『元人質の確保も目的』って言っていたでしょ? もし第三勢力が関与しているのであれば彼女はまだ狙われている可能性があるから警護しろってことね。」

「ちょっと待ってくれ。我々は捜査課で有って警備部個別警備課ではないんだ。要人警護なんて管轄外。第一彼女は伊坂社長の一人娘で社長代行じゃないか。」

 滝が思わず反論を口にする。「実働部署とやらが警護するのが筋では」と最後に小声で付け加える。

「……。あの~。昨日わたしが救出した人って、社長令嬢だったの?」

 突然どこか申し訳無さそうな声を上げるタマキに全員の視線が集まる。誰も驚きの表情が浮かべている。

「タマキ、今まで気が付かなかったの?」

 高野が少し呆れ気味の声色で確認してくる。

「いや~……。会社と同じ名前だなとは思っていたんですが、そんなに珍しい苗字でもないし偶然かなと……。」

 自分の無知さに恐縮しまくるタマキを見ながら、高野が話しかける。

「ねえ、タマキ。それだけ肝っ玉が大きいのなら彼女はあなたが担当でいいわね? ほら歳も近いし友達を守る感覚で。」

 どこか意地の悪い言い方だが、たしかにここのメンバーの中ではタマキが適任であることは間違いない。

 同性でないと入れない場所が公共の場所に存在している以上、滝では警護が難しい場合があるし、高野が警護についてしまうと指揮者不在となってしまう。

 提案される前から逃げ道など無かったことを悟り渋々と了承するタマキだった。

「大丈夫よ。昨日もう話していたんでしょ? 初対面ではないんだからうまくいけるわよ!」

 根拠に薄い応援の言葉を投げかける高野に対し、怒りとも悲しみとも羞恥とも言えない何とも言えない表情で恨めしそうにするタマキ。

 確かに以前にもある事件の被害者だったクラスメイトを警護する事が有ったので身辺警護も初めてではない。

 しかし今回は社長令嬢で社長代行。そもそも住んでいる世界が違いすぎて話があうのかも疑問だ。

「という事で、タマキは伊坂サヤカの警護。滝さんは関連施設や関係者への聞き込み。りゅーちゃんは事件前後のネットの書き込みなどを洗い直して。サトさんは整備が終わり次第、滝さんのバックアップで行くわよ。」

 担当を整理指示すると課長はスッと右手を上げ敬礼する。

『了解!』課員の声が唱和し、各々敬礼を返す。

自治警察本庁じゃないから、敬礼は必要なかったわ……。」

 敬礼を解いた右手のひらをマジマジと見つめボヤく自称刑事デカ長、高野レイコ。全く締まってない。

 その姿に滝を除く課員は思わず吹き出す。

「仕事だぞ、サッサと持ち場へ行け!」

 間髪入れずに滝が周囲にハッパを掛けるが、そんな滝も始め一瞬だけ肩を震わせた事を見逃さなかったのは佐藤だけだった。

「おう。お前もシッカリとな!」

 かつての相棒時代のノリで返す佐藤に滝は仏頂面で返した。

 滝たちが部屋を出ていくなか、タマキは課長席の前に残っていた。

「あのー。対象との合流時間とか決まってる?」

 どこか申し訳なさそうに問いかける。

 現場での冷徹さや、人前での明るい振舞いなど、いくつもの側面を持つ彼女だが、本質的にはどちらかと言えば奥手であり、ごく一部の人間の前では引っ込み思案な側面を見せる。

 その一部には幼なじみであり、子供の頃は姉の様な存在であった高野も含まれ、仕事中でも二人だけの時は互いに敬語無しに話している。

「ああ、伊坂サヤカは30分後に署まで打ち合わせに来るわ。」

「ええ、そんな突然!」

 慌てるタマキに対し微笑む高野。プライベートではタマキに対して以前と同様に姉のように接している。

「昨日、現場で会ってるんだから慌てる必要ないでしょ。だから早く準備なさい。」

 穏やかに話しかけタマキの髪を優しくなでる。

「う、うん。」少し落ち着いたようにうなずきタマキは部屋を後にしようとする。

「あと、勤務中は学校の制服禁止。時間的に無理ならせめて勤務用ジャケット羽織りなさい。緊急事態じゃないんたから。」

 課長の顔に戻った高野の指摘が響く。

「え~~。」

 タマキの心底嫌そうな声が室内に響いた。


 約十分後。

 タマキは高野と二人、警護対象の到着を署内ロビーで待っていた。

 先程の指示に従い、タマキは学生服の上から勤務用ジャケットを身に着けている。

 しかしベージュのスカートの上から藍色のジャケットはコーディネート的に大丈夫なのだろうかと思う。

 このジャケットは成人の私服捜査官が現場で簡易身分証明のために用意されたものだが、シックな色合いのスーツの上から身に着ける事を前提としているため、華やかさに定評のある『東京新都女子学園高等学校』の制服の上からではちぐはぐに感じる。

 そんな不快感を顔に出さないようにタマキは真顔でガラス張りの壁越しに見える外の風景に注意を向けていた。

 新都の北側は旧東京市街に近く交通量も多いエリアであるが、幹線道路からやや外れた所にある新都北署の周辺は往来が少ない。

 これは警ら車両のみならず各種大型陸走型ドローンを配備しており、これらの緊急出動時に対応するためである。

 そんな車通りの少ない道路へ大型リムジンが入ってきたら一目引くだろうなと思っていると一台の白いワンボックスカーが敷地内へ入ってきた。

 何処かの納入業者かなと思ったが、業者なら店舗名などがプリントされているがそれらは見当たらない。

 タマキは一瞬、手がピクリと動かしたがタマキを横目で見た高野が入り口を見ながら小声で指摘する。

「ぴしっとしなさい。依頼人クライアントが来たわよ。」

 依頼人という単語に不自然さを感じながらも、正面エントランス入口前に横付けされたワンボックスカーのドアがスライドするところを見た。

 車の奥から中年くらいの身なりをしっかり整えたサラリーマン風の男が降り続いて降りようとする人物を補助しようと右手を差し出した。

 その手を取りながら降り立つ人物をタマキは見間違えることはない。

 見慣れない制服に身を包んだ華奢な体格。背中の半ばまで伸びた黒髪。そして昨夜の現場でソファーに横になりながら自分を見つめ返していた瞳。

 間違えない。昨夜タマキを支援し、彼女が救助した少女『伊坂サヤカ』であった。

 お付きと思われる男と二人、署内に入ってきたサヤカはまっすぐタマキたち元へ向かってくる。その後ろで彼女たちを乗せてきた車は出発していった。

「伊坂サヤカさん。本日は弊社までご足労いただきありがとうございます。わたしは捜査課の課長を務めております高野と申します。」

「お出迎えいただきありがとうございます高野課長。そしてわたくし共のわがままにお答えいただき感謝いたします。」

 高野とサヤカが互いに挨拶をかわす。

「応接室はこちらとなります。」流暢に案内を始める高野に従いサヤカが歩き始める。一瞬サヤカとタマキの視線が合う。サヤカが一瞬いたずらっぽく微笑む。その不意の笑みにドキリとしたタマキはそのままフロアに立ち尽くしていたが慌てて高野たちを追いかけていった。

 4人が応接室に入り椅子へ座ると、高野が打合わせ開始とばかりに話しかける。

「本日は先程行われました、事件ケース453835への対応の付随事項の確認とそのための契約をさせていただくためにこの場を設けさせていただきました。」

 室内の大型モニターに書類が投影される。高野が用意したものである。

「ええ。そちらの契約書に記載されている内容で問題ありません。」

 何の問題もないとばかりに即座に答えるサヤカ。

 タマキは初めて見る契約内容の為、目を凝らして確認しようと画面を見入る。サヤカの身辺警護を条件に犯行組織についての捜査を許可するように読める内容だ。

「でも、本当によろしいのです?」念を押す様に高野はサヤカに尋ねるに対しサヤカは断言する。

「無理をお願いしているのは重々承知しております。でも恐らくこの条件が重要になる局面があるとわたしは考え、社長や法務部を説得しました。」

 高野がなぜこんなに気にしているのかが分からず契約内容を改めて確認しようとモニターを凝視するタマキだが、先程から違和感があった。

 PPOはその業務ゆえ基本的に応接室や会議室がモニタリングされているので人目を感じるのはいつもの事だ。特に今回は大企業の社長代行との打合わせである。顔を見せていないとは言え、署長クラスの人間がモニターの向こうどころかどこかにあるかもしれない監視窓から直接見ていても何らおかしいことはない。

 つまりこの違和感は別のものから来ている。

 何かと考えるタマキは一つの事に気がつく。

 この部屋の中には4人いるのだが気配が足りない。サヤカと一緒に来た男。この男はさっきから一言も話さない上にそれが自然なことのように感じていた。その感覚こそが違和感の元だ。

 改めて男の方にタマキは視線を向ける。

 男は手元の端末を開きそれを凝視している。いやもしかするとのかもしれない。

 思わず立ち上がり、タマキは男に声をかけようとする。

「さすがに気がついたみたいね。」

 その言葉に思わず声の主へと顔を向ける。

「彼は調整前のオートマトン。つまりは人格がインストールされていない自律行動が不可能な状態よ。」

 サヤカが得意げにタマキたちに語りかける。

「それをわたしのコモディティ継続的存在価値・ライセンスである『電脳操作』で操っていたの。これは自分と対象がネットワークで繋がっていれば直感的に操作できるって電子通信適合ネットワークネイティブ能力よ。」

 誇るかのように語る彼女のやや子供じみた行為(大人もびっくりするレベルのことではあるが)にタマキはため息交じりに返答する。

「えぇぇ……。もうそれコモディティ・ライセンスと言うより『スペシャライズ専有的特異価値・ライセンス』じゃないの。それにそれをわたし達に見せて何の意味があるの?」

 しかしこの疑問を遮るかの様に高野がサヤカとの話を続ける。

「なるほど、承知いたしました。たしかにあなたの能力をお見せいただきましたので、弊社にて検討させていただきます。」

「え、え? レ、じゃない課長。検討っていったい??」

 思わずプライベートでの呼び方をしそうになるのを慌てて訂正しつつ高野に問いただすタマキ。

「伊坂サヤカさんは警護中、我々の行動のサポートを希望されており、その際に自分の能力が役に立つとの話だったの。そして今その能力の一端を開示してくださった。この能力なら現場に出ることなくサポート可能よね。」

「まあ、そうだと思いますけど、りゅーくんが別の意味で死にそう。」

 同僚の市村の顔を思い浮かべ思わずボヤくタマキ。市村はリアルで人と接することが苦手な部分がある。課内で話す限りではそうでもないが人見知りの傾向があり、研修時も相当苦労していた。

 そんな彼の席の横にサヤカの様な見ず知らずの女性がつくことになれば、彼はパニック状態どころでは済まない気がした。

 それは余計な心配と高野はサヤカと話しを進め、ネットワーク越しに署長の最終確認まで取り付けていた。

 一通りの確認が済んだことで打合わせは終了となり部屋から退出する。

 再びロビーへ戻ったところでサヤカが改めてタマキの方を向く。

「改めて昨日はありがとう。そんなに固くなる必要はないわよ。あなたはわたしの命の恩人で、またわたしを危機から守ってくれるのよ。」

 微笑みかけるサヤカに、ドギマギしつつ「で、でもクライアントだし……。」と返答するタマキ。

「大丈夫! 恐らくだけどわたしたち仲良くできそうな気がするの。だからプライベートの時間だけでも気兼ねしないでくれるとわたしも助かるわ。」

 そう伝えるとタマキの右手を握る。

(わたしを信用してくれたのね。)

 昨日握手を交わした際のサヤカの言葉が脳内にリフレインし、心の中にあったギャップが氷解していく。クライアントと業務担当という言葉にどこか気後れしていたが、彼女は昨日会話を交わした時のままで今後もやり取りを望んでいるのが分かった。

 そして自分もそれを望んでいた事を。

「ありがとう。」

 最初に感謝の言葉が口に付いた。まずは彼女の気遣いに感謝するべきと思ったから。

「そしてこれからよろしく! わたし頑張るし、課のみんなも全力で捜査にあたるから安心して。」

 握手をかわす右手に左手を添えてしっかりと握と、サヤカの手の柔らかさや暖かさが伝わってくる。

「ふふ。なら明日からお願いするね。」

 それを伝えるとゆっくりと手を離すサヤカ。そして高野に一礼する。

「車は署の前につけますので、お見送りはここまでで十分です。本日はお時間をいただきありがとうございました。」

 そう伝えるサヤカに高野は「承知いたしました。」と優しく伝える。

 改めて会釈をして歩き出すサヤカ。フロアを抜け敷地の境界に設置された門の前に到着すると、先程のワンボックスカーが勢いよく滑り込んでくる。

 それをフロア内から見ていたタマキは何か不自然さを感じた。

 停車の仕方が先程と異なる。さっきは急なブレーキはせずに、もっと自然な形で停車していた。ナンバープレートは確認できないが同じ車種で色も同じ。

 打合わせの時間は1時間程度だったので、別の運転手が手配されたとも考えにくい。

 状況が気になり、駆け足で外へ出ようとした瞬間。車のサイドドアが開く。

 中から出てきたのはTシャツにジーンズ姿の若者が二人。彼らはサヤカの両腕をつかむと強引に車内に引っ張り込む。

 ただならない状況に、タマキが全力で走り始めるが、車はドアを閉めながら急発進する。

 猛スピードで車が立ち去ると取り残されたオートマトンが倒れる。

緊急事態エマージェンシー!!」

 左手首に腕時計代わりに付けていた通信端末を使い、北署職員へ緊急事態を通達する。それに呼応し署内にサイレンが鳴り響く。

 タマキはスカートのポケットからレーザー式網膜投影型ARディスプレイを取り出し身につける。

回路接続シェイク・ハンド! 飛翔捜査型ドローンファルコン5から7号機、陸走追跡型ドローンハウンド10から14号機を緊急発進!」

『回路接続。各ドローン発進します。』

 AIの反応と同時に半地下の車庫から小型の4輪バイクの様な姿のドローンが回転灯を灯し飛び出してくる。

 それを見届けるとタマキは署内へ駆け戻る。

 フロア内は突然のサイレンが鳴り響いた事で一般人が軽いパニックを起こしていたが、窓口担当の職員が冷静に対応し場の収集に努めている。そんな中で高野は自らの端末を使い課員に指示を飛ばしている。

「課長!」高野の姿を認めたタマキはそこへ駆け寄る。

 一瞬、手を上げてタマキの発言を制すると、端末向かい「お願い。」とだけ話しかけ通話を終える。

「すでに車で出てる滝さんが追跡に参加したわ。りゅーちゃんもネットワーク経由で犯人情報を追跡中。」

 手短に課員の状況を伝える。タマキは自分に下される命令が分かっているが、その言葉が発せられるのを待つ。

「タマキはすぐに追跡用装備一式を受領したのち追跡に参加。警ら用ホバーバイクが空いているからそれを使用しなさい。」

「はい!」

 返事も早々に弾け飛ぶように駆け出すタマキ。地下への階段を飛び降り整備部へ向かう。

 整備部受付に着くとセンサーに右手をのせる。センサーが指紋や静脈をスキャンしタマキ本人であることを確認。

 入口が開き、彼女のロッカーを指すランプが点灯する。

 ロッカーの前へ来ると自動でロッカーが開放。

 中には各種装備をまとめたリュックと防弾防刃性能が高められた追跡任務用ジャケットが入っている。

 制服用ジャケットを乱暴に脱ぎロッカーの脇に設置された回収用ボックスへ投げ入れると、装備を取り出し素早く身につけながらロッカーを後にする。

 車庫へと向かう通路へ出ると佐藤が待機しており、両手でかかえていたガンベルトを差し出す。

「タマキちゃん。君の銃Hデンジャーだ。」

「ありがと、サトさん! じゃあ、急ぐから!」

 佐藤の前から走り去りながら受け取ったガンベルトを腰に巻く。ガンベルトの情報を受け取ったAIがARディスプレイにHデンジャーと専用マガジンの情報を表示する。

 緊急出動の為、特殊弾頭ケースは用意していないが予備を含めマガジンが3つ、それぞれに弾丸は20発。犯行グループが10人以上でもいない限りは対処可能だ。

 カバンから取り出したグローブをはめながら車庫へと入るとホバーバイクがさらに下にある整備エリアからリフトアップしてくる。

 ホバーバイクは立ち乗り式でハンドルは付いているものの基本は体重移動で進路変更や速度調節を行う。

 形状的に速度も通常の車輪式バイクほどは出ないが、タマキのように体を動かすことが得意な者が操縦した場合、非常に小回りがきく。また腕次第では3次元的なアクロバット走法が可能であるため、追跡用としては4輪車と併用されることが多い。

 今回はドローンで目標を追跡。捕獲は滝とタマキが行う作戦である。

 タマキはバイクに飛び乗りハンドルを握る。

 ハンドルとグローブの接触型回線が接続リンクしAIの認証がおりる。

 車載バッテリーからの電源供給が開始され、ローターが回転を始める。

 十分な回転数に達するとAIの制御により機体がゆっくりと浮き上がる。

 規定の位置まで浮遊するとARディスプレイに発進サインが灯る。

 タマキはハンドルを強く握ると体を前傾させる。通常であれば微速前進から始めるが、緊急事態かつ彼女がホバーバイクに乗りなれていることから転倒しないギリギリに車体を傾斜させ、ファンが発生させる風を浮力より推力にまわす。

 急発進するバイクは高速で地上への坂を駆け上がる。

 勢いにのり坂を登りきったところで大きくバウンド。はねて飛んでいる時を利用し姿勢調整し機体の水平を保つ。

 再び浮力を得て降下速度が落ち着いてきたところを見計らって再度、前傾姿勢をとり加速。

 加速と浮揚を使い分けることで通常以上の加速を維持しタマキは北署を後にした。


指揮コマンドより各員。現状報告。」

 高野の声が無線越しに響く。

「こちら市村。サイバールームで追跡中の車両のID照会中。あ、佐藤サトさんこっちに来ました。」

「佐藤です。市村くんから各ドローンの制御権を移譲。ドローンによる捜索を実行中です。」

 市村と佐藤のアイコンが発言する。サイバールーム内は部外秘となっているため、通常はリアルタイムカメラでの撮影が義務付けられている、捜査中のサイバーカンファレンスCCにおいて例外的にアイコンでの参加となっている。

「こちらPー5パトロール5号車 滝。新都中央エリアへ向けて移動中。」

 簡潔に答える滝。Pー5は北署所有の警ら車両の中で唯一のガソリンエンジンを積んだスポーツカータイプの車両であり、今やクラシック車でもないと見ることのない手動変速機付きMTである。

 その運転の煩雑さ故に乗り手を選んでしまうため、Pー5は実質的に滝専用車両となっている。

 まだ目標を探索しているので法定速度を守り走行しているが、その気になれば相当無茶な運転も可能である。

「こちらタマキ、PB-8警ら用バイク8号にて目標の逃走方向へ走行中。滝さんのバックアップに回ります。」

 タマキも冷静になるように心がけながら報告する。

 普段であれば意識しなくても冷静に対応できるが、今日はなかなかそのゾーンへ入ることができない。

護衛対象サヤカが目の前で拉致されたことに動揺している?)自問するが答えはでなさそうである。悩むより行動をするべきという以前滝から受けた薫陶があったが、こういう時の心構えの話だったのかと考えながらバイクを走らせていく。

『市村です。車両のID割れました。これPublicRentalCarですよ。伊坂の社用車だったらこんな事なかったんじゃないか。」

 どこか呆れるような口調での報告だった。

 パブリックレンタカーとは行政が運営しているレンタカーで、人格権と運転免許さえあれば、誰でも簡単に借りることができる電気自動車である。

 パブリック公共での運用となるため、社用車に比べるとセキュリティは甘いと言わざるを得ない。仮にも会社のVIP社長代行の移動にPRCを使用したことが信じられないのであった。

「そこをボヤいても始まらないわ。至急新都交通課に所在確認を。」

 高野がいさめると同時に指示を出す。都内で運行するPRCは各特別行政区交通課の管理下にあり、レンタル中の各車両の大まかな位置は交通課で把握可能であった。すぐさま関連団体ブックマークより新都交通課のサイトアドレスを呼び出し、照会を開始する。その間わずかに数秒。視線入力や細かい体の動きをショートカットキー登録した故の早業であり、電界没入フル・ダイブによる思考トリガーを除けば最速と言ってもいいだろう。

目標補足ビンゴ! 該当車両はやはり新都中心部へ向かっています。」

 早速目標を確認した市村が情報をCCにアップする。

「ならファルコンを2機そちらへまわそう。ただ乱気流が発生しているだろうから、Fでの直接支援ダイレクト・サポートは難しいと考えて欲しい。」

 佐藤が素早くコンソールを操作しドローンの進行方向を変更する。

 新都は東京湾北部に作られたメガフロート海上浮遊都市を中心に埋め立てなどを行い作られた都市である。その性質上、海上に浮かんでいるに等しいため旧市街に比べ風が強い。

 その上、中心部は高層ビルによるビル風と相まって乱気流が巻き起こるので、衝突事故防止の観点から通常は飛行型ドローンの運用も制限が掛けられている。

 その様な中を飛行させるには捜査権を持つ警察組織においても、飛行型ドローンの操縦に熟練した者が操作する場合にのみと限られており、北署では佐藤がただ一人この許可を持っている。

 もっともその佐藤をしても、目標の探索及び追跡が手一杯であり、乱気流渦巻く中心部では装備しているペイント弾による発砲などは不可能であった。

 佐藤がしばらくドローンを操作しているとディスプレイ右下に赤い光点が表示される。目標をカメラで捉えたのだ。すぐさまその情報をCCにあげると追跡を続ける旨を伝える。

「よし。ここから俺たちの番だ! 行くぞ、タマキ!」

 滝が力強く宣言すると同時にルーフに回転灯を乗せる。回転灯が点灯を開始しサイレン音が周囲に鳴り響く。

 サイレンに合わせるように素早くシフトチェンジしアクセルペダルを一気に踏み込む。猛然とエンジンの回転数が上昇しサイレンに負けない轟音を奏でる。

 電気自動車やハイブリッド車の様な静音性の高い車両が一般的である中、突如モーターレース会場ぐらいでしか聞かないようなエンジン音はサイレン以上に周囲を圧倒する。

 そんな爆音を響かせながら加速するPー5は車が一切走行していない追い越し車線を走り抜けていく。

 今や一般的となった自動操縦車に搭載されているAIには緊急車両を感知すると路肩で停車するようにルーチンが組まれている為、Pー5の進路方向には一切の車両が存在していなかった。

「Pー5よりPB-8。チェイスになった場合は進行方向に回り込んで頭を押さえろ。」

 加速に身を委ねながら滝はタマキに指示を出す。どんな自動操縦車でも万が一に備え手動運転モードが備わっており、切り替えは運転手の一存で変更可能になっている。

 犯人もよほどのバカか機械音痴でもない限りは手動運転に切り替えているであろう。

 その場合は目標を追跡チェイスすることになるが、滝にとっては無改造の電気自動車ごときに負ける気はない。

 ただ追跡の結果二次被害を起こすわけにはいかないため、タマキはタイミングを見て目標の進行方向へ回り込んで停車させようと考えたのだ。

「了解。」

 手短に答えたタマキは腰のホルスターから銃を抜くと、車体に備えられているマウントに接続させた。バイクに乗ったまま射撃することになるのであればマウントに接続させておくほうが手で持って射撃するより命中精度が上がるためであるが、この状態では抜身の銃身を市民に晒すため、あまりよろしくない。

 タマキはなるべき人目につかないように裏道や横道を選びながら追跡を続ける。

 追跡を始めて5分程が経過する。犯人側も道路状況に詳しいのか、こまめに進路を変えるため滝やタマキが目視確認するには至っていない。

「ん? 目標奴さんだが中心部から外れてきていないか?」

 最初に不審な動きに気がついたのは佐藤であった。一見すると新都中心部のビルの間を右往左往しているように見える目標車両だが、少しずつだがエリア外へと移動してきている様であった。

「そうね。最初は車を乗り捨てる場所を探してるように思っていたけど、どうやらこちらを出し抜いて別のエリアで捨てるつもりかしら。」

 高野が感想をもらす。「ならどこへ向かう?」さらに呟く声に市村が答える。

「バッテリー残量から旧市街エリアへ向かうには心もとないですね。そちらへ行こうとしたら何処かの連絡橋の上で立ち往生するのがオチですよ。」

 乗り換えるなら北部エリアに有るPRC管理センターであるが、北署前で事件を起こした奴らが安易に北部へ戻ってくることは考えにくいと付け加える市村だったが、さりとて他に犯行グループが向かう先は思いつかない。

「いっその事、北部エリアに追い込んではどうです? 北部ここなら我々の庭だ。車両で逃げられないところへ追い込んで確保するというのは。」

 横から抑揚もなく淡々と提案してきたのは佐藤であった。

「それだな。」すかさず賛同する滝の声が決め手となる。

「では目標を北部エリアへ誘導します。誘導先は水路沿いの住居エリア付近が良いかしらね。」

 高野がすかさず誘導先を決める。

「了解です。Fは自律行動で目標を追跡。滝よ、スマンがハウンドはこちらでもらうぞ。」

 それまで滝の車両の周囲を並走していた追跡型ドローンが散開していく。

 方針は賛同したもののドローンの支援が無くなったことに滝は軽く舌打ちしたが、気を取り直し再び速度を上げる。一度は相手側に追いつき追跡していることを知らしめる必要がある。

 幸いなことに目標はこの先の十字路を左折した先を走行中である。一気に追いつくチャンスである。

 一方、タマキは目標が走る道路と並走する道を走行していた。

 目標はややスピード超過はしているものの信号無視などはまだしていない。

 それであれば相手を誘導するには信号を調整するのが早い。信号の操作自体は市村が署内から行えるが、信号切替のタイミングを見計らうためにも現地でリアルタイム確認が必要となる為、タマキはそれを任されたのだ。

 焦る気持ちを抑えながら目標よりやや先を行きながら周囲の車両を確認しタイミングをメンバーへ伝える。

 タマキの後方数十m後を滝のPー5が走る。まだ目標に姿を見せるタイミングではないからだ。

 そして目標が北部エリアへ向かうしか無いところまで誘導が完了した時、滝は改めて目標の走る後方へと躍り出て回転灯を灯しサイレンを鳴らしながら加速していく。

 突然のサイレンに驚いたのか、一瞬遅れて目標も加速を始める。

 猛然と追跡してくるPー5に目標はがむしゃらに加速を続ける。

 一本道で行われるカーチェイスはついに中心部と北部をつなぐ橋にさしかかる。

 ここで滝は減速する。追跡を巻けるチャンスと思ったのか目標車はさらに加速する。しかし橋を渡った先の十字路を見て運転手は絶句する。直進方向と右方向にドローンが道を塞ぐように待機していたのだ。

 ここに至って自分が誘導されていた事に気がついた運転手であったが、どうすることもできず唯一道が開いている方向へと左折する。

 曲がりきったところで再度加速をかけようとした時、突如何かの衝撃が走り制御AIによって車は強制停止させられた。

 何事かと運転手である小太りの中年がモニターを確認すると右前輪のパンクが表示されていた。

 なぜ突然と思った時、車の右側面に何かが浮いている事に気がついた。

 それは水路の上でホバリングをしている警察のホバーバイクであり、そのバイクの前面に銃器が取り付けられていた。

 その銃器を使用しこの車のタイヤを射抜くという芸当をこなした相手を恐る恐る見る。

 それはまだ幼いと言ってもよい少女であった。

 ホバーバイクが巻き上げる風がショートボブの髪を逆立てている。そのような中で少女タマキは自分たちを鋭く睨みつけていた。

 タマキはカーチェイスが始まっても、そのままそれまで走行していた道路をそのまま走り抜けた。正面は水路で行き止まりであったが、ホバーバイクの出力を上げ高度を取るとそのまま侵入防止柵を飛び越え水路へと飛び出した。

 通常ホバーバイクは体重移動で進行方向を決めるため、ちょっとした体重移動でその方向へ移動してしまうのでホバリングする事は難しいが、タマキ自身はこの手の訓練を滝や佐藤から受けており朝飯前にこなすことが出来る。

 さらに車体に固定した銃を使ってその状態から予測射撃でタイヤを射抜くという、普通なら不可能と思われる芸当すらこなした。

 それが彼女タマキの力量であり、それに裏付けられた判断の早さが生んだ結果であった。

 (なぜそうなったか詳細はさておき)事態をようやく把握した運転手はサイドボードに置いていたリボルバー拳銃を握ると、窓越しにホバーバイク向けて発砲。

 窓ガラスが割れる鈍い音が響くが、ホバーバイクが素早く射線から外れていた。

 数m横へスライドしたバイクが態勢を立て直そうとしている隙をついて、後部座席に乗っていた2人はサヤカを無理やり引き出し住宅街へ続く横道へと駆けていく。

 運転手も運転席から転げるように這い出ると逃走を図ろうとしが、その瞬間、後ろから強い衝撃を受けてドアへと叩きつけられた。

 運転手が状況を理解できず後ろを振り向くと、スーツ姿の細身の男が立っている。

「な、なにしやがる!」運転手が怒号を上げ振り向きながら拳を振り上げる。

 しかし運転手がその拳を振るうより前に、自分のアゴに冷たい何かが当たるのを感じた。

 いつの間にか間合いを詰めたが右手に持っていたオートマチック拳銃を突きつけていたのだ。

「抵抗は無駄だ。大人しく逮捕されりゃ手荒な真似はしない。」

 地獄の底から響く様な低音で語りかける滝。その目は鋭いが殺意すらなく、ただ何のためらいも感情もなく機械的に引金をひくであろうと思わせる凄みが有った。

 その凄みにあてられた運転手は抵抗の意思をくじかれ、投降の意思を示すため地面に這いつくばった。その男の腕をねじり上げると滝は手錠をはめる。

「こちら滝。犯行グループの運転手を確保。グループメンバー残り2名は徒歩で逃走。タマキが追跡している。」

 耳にかけたインカムを通じて状況報告をする滝に犯人逃走の焦りはなかった。タマキが追跡しているのであればこの先の住宅街でとり逃すはずがない。

 また変な借りが出来るだろうが、その借りを支払うのは課長とタマキであり、自分ではないのであまり気にしないでおくことにした。


 滝が運転手に迫っている時、タマキはバイクの姿勢を直し車道へと躍り出ていた。

 その時、後部座席から出てきた2人組がサヤカを無理やり引っ張り横道へと消えていく。

「あいつら……。」非道な行為に怒りが湧いてくるが、捜査の師匠でもある滝が見ている前で無様な真似はできない。そう考えると頭の中が一気に冷えていく感じがし、冷静さが戻ってくる。

 Hデンジャーを車体から引き抜くとバイクから飛び降り、駆け足で横道へと突き進む。

指令オーダー。PB-8現状で駐機。」

 手短にバイクの停止指示をAIに送りながら住宅街を駆け抜ける。

 この住宅街は新都の建築物としては古く高くても3階程度の比較的小型の集合住宅が雑然と並んでおり、道端にも重機やトラックがそこらへんに止まっている。

 一見すれば遮蔽物の多い道に見えるが、実質一本道であるため直進するしか逃げ道はない。

 犯人側は2人とは言え、人質を連れている以上そう早くは動けない。

 じきに追いつくと自信を持って駆け、障害となる物を飛び越える。

 もう少し先は右への曲がるクランク。素早く愛用の小型電磁加速砲ハンドレールガンを引き抜く。

 ARディスプレイに照準器を連動。薬室チャンバーに備え付けられている予備電池サブコンデンサーを解放。出力が100%まで高まる。

警告アラート。射撃は威嚇目的のみ許可されています。』

「大丈夫。ただの人間相手に撃ち込む事はしないわ。」

 AIからの警告は予想済みと回答する。薬室内が超伝導状態となり、弾丸が浮遊を始める。

『相手がオートマトンであっても威嚇以外認められません。』

 律儀に返答するAIの言葉を聞き流しながら、身体を半身にしながら左足を前に踏み込みブレーキをかける。

 先頭の男が右へ曲がろうと右足をやや外側へ踏み出そうとする。

 その瞬間。愛銃Hデンジャーの引金を引く。電磁誘導により超高速で弾丸が電磁誘導装置バレルを通過し外部へ放たれる。

 曲がろうとしていた男のまさに足元に着弾。地面のえぐれる轟音と供に巨大な土煙が舞う。

 男は突然の事に訳が分からないままバランスを崩し、勢いそのままに壁へとぶつかる。

止まれフリーズ!!」

 タマキの声が道に響く。先程の轟音と合わせて道に人々が何事かと出てくる。

「うるせー! どかないと人質をぶっ殺すぞ!!」

 後方を走っていた男がサヤカを羽交い締めにしつつ持っていたナイフを喉元にあてる。

「無駄だ!」と叫びながらジリジリと相手との距離を詰めるタマキ。ふとサヤカを見ると左手につかむ携帯端末の画面がこちらに向けられている。

 ARディスプレイの拡大モードで画面に表示されている内容を確認。

「ここで、そのに危害を加えると、あなた達の立場悪くなるんじゃない?」

 一瞬の検討の後、近寄るのを止め改めて話しかけるタマキ。

 その言葉は気遣っているようであるがどこか小馬鹿にしている感じがある。

「今なら窃盗と傷害に公務執行妨害だけだから、懲役は有っても人格権には影響はないわよ。」

 意味ありげに微笑む。どこか含みがあるその笑みは追い詰められた者には嘲りにも捉えられる。

「クソがっ! そんな脅しで俺が止めると思うのかよぉ!!」

 逆上した男が絶叫にも近い叫びを上げ、右手に力を入れる。

「しょーがないわねぇ。これで満足かしら?」

 構えを解き、銃を腰の後ろにあるホルスターへしまう。さらにホルスターごと腰に巻いたガンベルトを外し地面へ置く。これで完全に丸腰である。

「どうしたの? まさか丸腰の女の子が相手でも怖い?」

 リラックスしたように腕を力無く降ろした状態で語りかけるタマキ。

 男が歯ぎしりする音が僅かに聞こえる。

「大体、大の大人が女の子二人相手にナイフ振り回すことしかできないって情けなさ過ぎない? まぁこの状況でお茶に誘われてもお断り確定だけど。」

 挑発した上で大仰に肩をすくめため息をついて見せる。

 男の顔に怒りに満ち赤く染まっていく。同時に首に突きつけていたナイフが離れていく。

『今っ!』タマキのイヤフォンからサヤカの指示が弾ける。同時に駆け出すタマキ。

 普通の人間よりわずかに早い動きで迫り、男がナイフを振り回す前にその腕をつかむと身体を回転させるように後ろへ引く。

 意表をつかれ完全にバランスを崩した男は前のめりにタマキの方へ引き寄せられる。

 タマキは身体を僅かに沈めると左肘を突き出す。容赦のない一撃が男のみぞおちに食い込む。強烈な一撃の衝撃で男はサヤカを掴んでいた腕を離してしまう。

 タマキはさらにその肘を支点に男を背負い込むように身体を滑り込ませ地面へ投げつける。

 男の体はちゅうを舞い、尻から地面へと落ちた。

 衝撃と痛みに悶絶する男の首筋を掴み電撃を流し気絶させるタマキ。

 先程ガンベルトを外してしまったので、手錠が手元に無かったための非常手段だ。

「やったね!」

 サヤカがタマキに近づくと嬉しそうに話しかける。

 一歩間違えばサヤカが怪我をする策であったため、注意するべきかと考えたタマキだが、今はその時ではないと考えサヤカにうなずく。

「てめえら! 俺を本気で怒らせたな!」

 突如、鳴り響く怒声にタマキは反射的に抱きかかえると声の方とサヤカの間に自分が入るようにし、声の方を振り返る。

 そこには先程バランスを崩して倒れた男がいつの間にか銃を構え立っていた。

 男の足元には先程タマキが置いたガンベルト。

 どうやら仲間がタマキに投げられているうちにガンベルトを拾い上げていた様だ。

「止めなさい。あなたにその銃を撃つ資格ライセンスはないわ。」

 静かに告げるタマキ。

「コモディティ・ライセンスがなんだってんだ! こちとら人形オートマトンどもに仕事取られて資格失効してんだよ!」

 男が絶叫しながら銃を前へ突き出す動作を繰り返す。

「オートマトンに仕事を取られたっておかしくない?」

 不意に反論が飛び出る。それはタマキの腕の中にいるサヤカだった。

「オートマトンの雇用は労働力の足りない現場に限定されているわ。もし違反している企業があるのなら、我々オートマトンの製造している者たちとしても看過できないので教えて下さい!」

 諭すように語り始めたサヤカであったが、最後は懇願するような叫びとなっていた。

 タマキが注意しながら周囲を見渡すと、サヤカの声を聞いたのか周囲にはさらに人だかりができている。その多くは地域柄か建設土木業などの肉体業務に従事していると思われる体格の人物が多い。

「……いつもそうだ。お前ら伊坂の連中はそうやってキレイ事ばかり並べて、俺たち弾かれた者の言葉は聞いちゃくれねえんだよ!」

 男が叫ぶように言い返す。それに対し「そんな事」と言い返そうとするサヤカをタマキが制する。

「止めときなよ。これ以上は平行線だから。」

 改めてサヤカを庇うように前へ一歩出て、タマキは言葉を続ける。

「あなた、そう言っているけど努力してきた? 少しうまくいかないからって投げ出して愚痴っていれば、ライセンスなんて簡単に取り消されるわよ。それこそオートマトンより生産性低いんだから。」

 睨みつけるような視線を向け語るタマキに男は気圧されていく。銃を構えたままであるが1歩2歩と後ろへ下がる。

 ついに後ろの壁に足がつくと、震える手で構えた銃をタマキに向け、顔は下を向きながら声にならない叫びを上げながら銃を突き出しながら引金を引く。

「みんな! 助けてーーっ!」

 同時にタマキがそれまでと打って変わった悲鳴を上げる。

 引金を引いても弾が出なかったことより、その悲鳴に驚いた男が次の瞬間、横から殴り倒される。

 吹き飛んだ男が殴った相手を見る。それは集まってきた野次馬の一人だった。

 殴りつけた男はそのガッシリとした体格から繰り出した一撃に満足していないのか、犯人の男の襟首をつかむと道の中央へ引きずるように投げ飛ばす。

 判別不能な悲鳴を上げながら投げ出された犯人を今度は別の労働者たちが取り囲む。

 いずれも逞しい体格の男達を見上げ、完全に顔がひきつる。

 囲んでいるうちの一人が犯人を引き倒すと、男たちは次々とその上に倒れ込む。

 そのたびにヒキガエルが潰されるような悲鳴をあげる犯人。それを見ていた最初に殴りつけた男は、おもむろにタマキの方を見て親指をあげる。

 タマキも満面の笑みで親指を上げて返礼するのであった。

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