第3話コモンセンスオブアンダーワールド

「お姉さん、一杯奢らせてよ」


「ん〜、じゃあ飲みやすいのがいいなぁー」


「それならオススメが。マスター、チョコミルク頂戴」


 バーテンダーは頷き、ロンググラスを取り出した。正方形の氷をグラスへ落とし入れ、リキュールを注ぐ。滑らかに注がれたチョコリキュールがソースのように氷を覆い、瓶に入った牛乳でグラスを満たすと、それぞれの色が細く絡み合う。バースプーンで掻き乱してあげれば、底に溜まったリキュールが舞い上がりミルクの優しさを貪るように淡く1つになる。

 最後に生クリームと刻んだチョコを散らし、陶然へと誘う魅惑が生まれた。


「美味しい!甘くて飲みやすいわね。これだとすぐに酔っちゃいそう」


「大丈夫だよ。何かあれば俺が送ってくし」


「本当にー?なら飲んじゃお!」


 スッと通った鼻筋に、吸い込まれるような緑の瞳。柔らかな目尻とぽってりと赤い唇。サラリと長い金の糸をかき上げる仕草には儚げな美しさがあり、寂しさに息を切らす男には女神のように映るだろう。


 しんみりした夜空に燦然と輝く満月。派手に着飾る通りは喧騒に包まれている。足元の覚束ない父ぐらいの年齢の男を支える若い男や、へたり込み吐瀉物を撒き散らす彼女を介抱しながら、美麗な蝶に目を奪われる彼氏。佇むだけでも飽きない通りで、麗しの女神はたくましい腕に体を預けて帰路についていた。


「ちゃんと送ってね?」


 甘い息が顔に掛かり、上目遣いに頼み事をされれば、滾る情欲が行き場を失いそうになる。だが、カオスな通りにも秩序はあり、男にも理性がある。


「分かってるよ。任せて。家はあの辺だっけ?」


「ちゃんと覚えててくれたんだ」


「そりゃーね。行きたかったし」


「へー?そうなんだ。それって私が魅力的だったってこと?」


「当然さ。じゃなきゃ酒なんか奢らないよ」


「良かった〜。私、彼氏にフラレたばっかりで自信なくしてたんだ」


「ソイツの目が節穴なのさ」


 ここは歓楽街。一本、道を外れれば月光も届かぬ暗がりとなる。ひどい匂いのする場所でも慣れてしまえば胸が高鳴る場所である。


「ハアハア、ここで?」


「ハアハア大丈夫だよ。ここに来るやつの目的は同じだから、気を使ってくれるよ」


 送る家はまだ先のはずだが、我慢出来なかった男はベルトを緩めスラックスをずり降ろす。触れた頬の熱が手の平に伝わり、唇を重ねる度に彼女の髪の匂いが、路地の嫌な匂いを消してくれる。

 女は初めこそ驚いていた。こんな汚い場所でと思ったからだ。だが、家に帰ってもどうせ汚れるのだ。まあいいかと盛り上がった雰囲気を壊さないよう、彼に合わせて踊り狂う。


「いいかい?」


「ええ、きて」


 通りを歩いていた時も荒い息と、胃液をぶち撒けるような音、土を摺る音が聞こえていた。だが、喧騒を消しリズミカルな音を足してあげれば、鼻がネジ曲がりそうな路地にも淫靡な空気が流れる。


「ハア、ハァ最高だよ」


「うん、私も」


 男は夢中だった。吸い込まれそうな瞳をずっと見ていたい。柔らかな唇に触れていたい。細く芳しい髪を撫でていたい。このまま1つになっていたい。


「ハァ、ハァ、ハガッ、ゲフッゴブッ!」


 揺蕩う蠱惑的な世界が一変し、突然肺が焼けるように熱くなり、頭の中で鉄球が跳ね回るような感覚が男を襲う。


「ガアッ!ゼェゼェ、オェェェ」


 焦点が定まらず、体が浮遊し天地がひっくり返るような感覚と猛烈な頭痛で胃の中身をぶちまけた。ゲロをかける失礼さは分かっているが天女のような彼女から手を離すことは出来ない。離してしまえば、一生後悔する気がしていたからだ。


 女は愛おしそうに男をキツく抱き締め、肩に顎を乗せる。ゲロが服に掛かろうが、苦しみで全身を痙攣させようが、彼女はすべての力を振り絞り男を繋ぎ止め続けた。


 脚を絡ませ手を体に回し全身で男を抱き締めた彼女は、目を半開きにしながら、至福の時を味わっていた。

 ただ殺すのでは面白くない。


 狩人が獲物を仕留め高まった衝動が晴れるその時、新たな欲望を与えるのだ。絶望的な苦しみの側に佇む女神。人は縋りつかずにはいられず、ただ愚直に欲する。苦しみからの解放をではなく、死の瞬間まで微笑みをくれと、それだけを欲する。


 重力に逆らえず膝が落ちていく男の体を、快感の分だけキツく締め付ける。バキッ、バキッ、とどこかの骨が折れ始める音が聞こえはたと気づいた。


 もうイッてしまったのだと。


 力無く傾いた首筋の動脈は動きを止め、充血した目に光は無い。

 手の力を緩め、絡めた脚を解けば重力に従ってドサリと崩折れた。

 女は亡骸を眺め、暫しの余韻に浸った後、貼り付けた微笑を捨てた。


「会長暇かなー」


 餌に食らいついた魚のように、片脚にまとわりつく下着に脚を通し、ひらひらのスカートをはたき身なりを整える。


「報告して、酒たかりますか」


 路地に横たわる男の顔は苦しみに悶えきった壮絶な顔であり、甘い誘惑の権化の背を、未だ物欲し気な表情で見送るのであった。




 夜の街はこれから。月明かりは雲に隠れ、代わりのように夜の蝶が輝くがそれだけでは酔いどれが道を見失う。歓楽街の煌めきと幻想的な空間を月に頼らず作ってくれる魔法の光が宙に散りばめられ、そのさんざめきを麗しの華が悠然と歩く。

 いつもなら、蝶たちは翅をバタつかせ、オスを誘惑し、鱗粉が光を反射させ二人だけの世界であると錯覚させる。

 だが、彼女には太刀打ちできない。

 愛を囁かれずともオスは彼女から目が離せず、鱗粉で作られた偽物の世界も容易く壊れ去ってしまう。


 そんな男どもに愛嬌を振りまきながら、彼女は、CSOU Co., Ltdと書かれた古びた看板の社屋へとやってきた。


 バダンッ!


 摺りガラスに太い丸太がムチのようにぶつかり、ビーが誰かと話している。恐らく蛇だろう。何かといえば蛇と部屋に籠もりたがる生粋の変態。今日は羽目を外して受付前で楽しんでいるのだろうか。

 そう考えると扉を開けるのが嫌になってくるが、報告しなければ会長に酒を奢ってもらえない。報連相ホウレンソウを意識しろと意外と口うるさく、今日殺した男の記事が出てしまえば、酒をたかりに行くたびにそれをネチネチ言われる説教の席に変わってしまう。タダ酒のためならば、グロテスクなシーンも甘んじて視界に入れるしかないか。


 ため息をつきながら摺りガラスに向かうと、向こう側からも人影が近付いてくる。


「ビー覚えてろよ!勝手に俺の!俺の体を!俺の体を動かしやがって!」


 この声はエヌだろうか。2度ぐらい会ったが、巨漢のイカれた男で、自分よりも年下のくせに説教臭い面倒なヤツだ。


 中から苦々しい顔で出てきたエヌは、女を見て更に険しい顔になりピシャリと戸を締めた。


 ズカズカと大きな歩幅で女とすれ違ったが、特に何を言うわけでもなく、一瞥をくれてやるでもなく、ただ肩をぶつけて去っていった。


 大の男でも耐えきれない衝撃を肩に受けた、普遍の美を持つ女性だったが、何か起きそうな予感を信じ肩が触れる瞬間に体を僅かに引いて、その力を緩和した。それでも、その衝撃は完全に消えたわけではない。高いヒールで器用にバランスを取りながら尻もちをつかずによろめくだけで、過ぎ去っていく大男の背に中指を立てた。


「何なのよ!クソが」


 そんな罵詈を受けて振り返りもしないエヌに、より一層腹がたったが、それよりも引き戸を隔てた向こうから子供の声がすることに気を削がれた。


 この社屋に間違えて尋ねる子供はいない。辺りは酒場や娼館、的屋など大人の娯楽しか無い上に、そもそも治安が宜しくない。普通の教育をされたのならば、近付くことすらないはずなのに、やはり子供、男の子の声がする。


 気になった女は摺りガラスにやや近付き、聞き耳をたてる。


「お前ビーって言うんだろ?さっきの兄ちゃんが叫んでた」


「そうだよビーです。宜しくね。君は」


「黙れ」


 この会社のナンバー2であるビーに黙れとは、この子供も命知らずだなと感心しながら、続きに耳を傾けるがシンと静まってしまう。

 ビーは言い返さないのか?と眉をひそめると、子供の声がまた聞こえてくる。


「これ便利だわ。ありがとな。蛇さん。腹減ってるんだろ?こいつ食えよ」


 蛇さん?ビーがよく言うワードに違和感を覚え、もっと良く聞こうと一歩近付こうとしたその時だった。


 のそりと丸太のような影が動き出し、獲物を見下ろすようにゆっくりと体をくねらせる。


「声が出ないと能力が使えない訳だ。なるへそなるへそ」


 大蛇に怯えるどころか、至って冷静でどこか満足げな少年の声が聞こえると、蛇の口が大きく開き、次にはダラリと動かない何かを、咥えて飲み込み始めた。


「ごめんね、愛してる……ペットだけ残していくのは確かに可愛そうだな。後でお前も殺してやるよ安心しろ。ただし、それ食ってからな」


 ごめんね、愛してる。その言葉は羅列された文字を読むように発され、後に続いた狂気性を感じる宣言は、この会社に勤める誰もが拍手を送る優しさであり、彼女は顔も知らない男の子に母性の在り処を見出した。


 愛してると何故言ったのかは分からない。けれど、その言葉を使うときは、心を込めて言わなければならないのよ。頭の中で言い聞かせながら彼女は優しい笑みを浮かべる。


「ちょっくら探検でもしてみよう。うんいいね」


 一人二役、自らの問いかけに自ら答える男の子。

 空想のお友達かしら。

 僅かばかり前の時よりも情熱的に抱き締め、全身を確かめるように触れてみたいと思ってしまうほどの愛くるしさに、彼女は身を焦がされるような感覚に襲われていた。


 すりガラス越しの小さな影が階段の方へと消えていき、残ったのは強烈な寂寞。

 これを晴らすには彼に会う他ないだろう。一歩また一歩と近付き、引き戸に手を掛ける。


「大好きだなー。止めとこ」


 パッと手を離すと、彼女は当初の目的を忘れ、会長がよくいる酒場へと向かうことにした。


 あんなに可愛い子、こんなに滾った状態で会ってしまえば殺してしまうもしれない。それは嫌だ。彼をたくさん愛撫して、私が飽きるまで側に置かなければ、この母性と劣情は消えてくれないだろうから。


 雲に隠れた月の代わりに、天より舞い降りた美の化身は、夜光虫どもで満たせないかと試しはじめ、結果として今日だけで10人もの命が無惨にも散っていった。


 それでも溢れるドロドロとした欲望に不満を感じながら、大きな酒場へたどり着く。


【軒下の都】はこの街が戦火で焦土と化しても残った古い酒場。昨今では珍しい魔法を使わない木造建築で、歩くたびに、風が吹くたびに、ミシッと音が出るような屋内の一角には、ブハハハと笑う男の姿があった。


 彼女が机の間を通れば、酒を持つ手を止め誰もが振り向く。だが、一人大声で笑う男は周囲の変化を知るや知らずや、変わらずジョッキを傾けていた。


 コツコツコツと高いヒールでその男がいる机の前で立ち止まると、彼女は机を叩いた。


「会長、あの子誰」


 眉まで掛かったボサボサの黒髪を、鬱陶しそうにかき揚げ女を見やる。


「エフ!おお、酒だな。座れ!」


 彼女は返事をすることなく、会長と呼んだ男のジョッキを無理やり取り上げ乱暴に机に置いた。


「あの子は誰なの」


 髪がまた垂れ下がり、鬱陶しそうにかき揚げたその目はパチパチと瞬いていた。


「誰だよ」


「知らないわよ。男の子よ。会社にいたの」


「知らねえよ。ビーに聞け、アイツが受付してんだろ?」


「ビーは多分死んだわよ」


「はい?」


「だから死んだの」


 だらりとしなだれる髪を、今度はかき揚げずに暫し沈黙した。


 ビーとは長い付き合いの会長だから相当ショックなのかしら。肩も震えて泣いてるじゃない。とエフは考えたが、それは杞憂だった。


「ブハハハ!マジで!?いやービーが死ぬかー。面白いわ。そしてラッキーだ」


「……仲が良いと思ってたけど、そんなことないのね」


「古い付き合いってだけだ。『座れ』」


 ニヤニヤしながら、エフに命じる会長。エフにそんな気は無かったのだが、何故か体が勝手に動いてしまう。


「ビーの能力、凄いだろ!死んでくれたかー。誰が殺した?お前か?」


「私に興味の無い男を殺せるわけないわ。知ってるでしょ」


「まぁな。で?」


「だからその男の子よ」


「男の子ねえ。幾つぐらいで、どうやって殺した?能力が使えたから死んだのは確実だな」


「顔を見てないから知らないわよ。多分7歳とかそれぐらいじゃない?ビーは蛇に殺されたわ」


「蛇か。そうか、そうか」


 ジョッキを持ち上げグビッと飲むと、男は髪をかき揚げこう言った。


「髪切るわ」






 カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。


 生きているとでも言うように、時計は鳴く。壁へと吸い込まれる音たちは、彼へと届く前に養分となってしまう。


 時が止まったのか、世界が凍りついたのか、はたまた自分が亡者なのか。シンと静まる空間で彼はスペアリブを頬張っていた。


 肉汁が滴り、骨にひっつく筋肉をねぶり食う。音の様に取られまいと、味わう間もなく飲み込む。ずっしり重い骨を砕き、頑丈な奥歯で細かくしてから食道へ送り出す。ちゃんと養分になれよ、余さず俺の血肉になれよと希望を込めながら、残り1つのスペアリブにかぶりついた。


 ペチャヂュルと肉を食い、バギゴキと骨を噛み砕き、ハアハアと犬のように皿に残ったソースを舐める音が絢爛なレストランに広がる。しかし、その音を納めるのは誰かの鼓膜では無かった。


 ドアベルの音も虚しく溶け、入ってきたのは肩まで伸びるサラリとした髪をなびかせた男性。ウール地のジャケットを着込みマフラーを巻いて、寒そうに口元を覆いながら、あたりを見回す。


「覚える気が無いんだね?散らかすなと言ったのは何回かな」


 一人の咀嚼音と時計の音以外静かなレストラン。各テーブルには食べかけの料理と赤いソースが飛び散っている。客達は天を仰ぎ、顔を伏せ、もはや腰掛けず床に眠る者もいる。美味なる料理に感動している訳では無い。


「絶対に会長へ文句を言ってやる。ボクはゴミ掃除がしたくて会社に入った訳じゃないというのに、はあ」


 テーブルと死体の間を縫ってやってきた男は、空いている席へと腰を落ち着けた。


「おーーい、今はどっち?聞こえていないのか聞こえているのか」


 骨を噛み砕く男の目の前で指をパチパチ鳴らすが、一向に反応を見せない。


 最後の一欠片を口へ放り込むと、ゆっくりと視線がウールのジャケットの男へ向いた。


「何だ、いたのか」


「耳、聞こえているのかい?」


 聞こえていなくても意味が分かるように、指で耳を指し示し尋ねられるが、ずっと聞こえていた。しかし聞き入れなかっただけの事。食事を邪魔されるのは嫌いだし、そのせいか自然と体が情報を取捨選択してくれるようになった。


「今は聞こえてる。用?」


「呼び出しだよ。ビーが死んだ」


「ふん」


 ため息混じりの返事で場を濁す。ビーとは親しくない。そもそも社員の中で交友があるのは目の前のディーだけ。ほとんど他人の弔いの為に、あのわちゃわちゃした会議には参加したくないのだ。


「出席した方がいいよ。新入りとの顔合わせもあるらしいからね。なんでもソイツはビーを殺した張本人らしい」


「ふん」


 やはり興味がないらしく、隣の席で天を仰ぐ死体に目を遣る。眼球から少しだけ飛び出たフォークとスプーンの先がシャンデリアに照らされてギラリと光っていた。アニメで見た事がある、悪企みをするキャラクターの目がキランと光るシーン。何故かその場面と重なり、面白くなったのか笑いが溢れた。


「何を笑っているんだい。話を聞いているのかい?」


「ビーの弔いには興味がない。弔意の無い人間が出張る事もないだろ。オレは欠席する」


「そう言うと思ったよ。もう1つ出席すべき理由があるんだ。実は」


 カランコロン。ドアベルが店内に響き渡りすうっと開く扉。隙間からひょっこり顔を出したのは恰幅の良い中年の女性。分厚く塗りたくったであろう白地の顔に真っ赤な唇。一重の瞼の上ではこれでもかと逆巻いたまつ毛が薄い目を大きくみせる。


「よっ!開いてるかい?」


 調子良く尋ねてくるが、彼女とも親しくはない。


「どうぞどうぞ。ボクの店じゃないですけどね」


 こういう時、必ずディーが答えてくれる。うっとうしそうな顔で無言になるシーをフォローする為だろうが、ディーが空気の読める男だと印象付けるだけ。気難しい奴だなと思われるシーの株が上がった例はない。


「やったね」


 分かりきった返答を待たず店内に入ると、嬉しそうに死体達を値踏みしだす。しゃがんでほっぺをつついたり、顔を突っ伏している女性の首元をグニグニと揉んでみたり。八百屋で熟れ時を見極めるが如く物色すると、お目当てを見つけたのかテーブルにつく2人に顔を向けた。


「これがいいね。いくら?」


 指差したのは目の代わりにナイフとフォークを備えた、テーブルマナーの化身。

 可笑しくて思わず吹き出してしまった、あの死体だ。


「ダメだ」


 コイツはいつもお気に入りの死体を選ぶ。センスがあるし、同じ価値観を持っているから嫌いにはならない。しかし、趣味が嫌いだ。上手い具合に仕上がった偶然の産物は朽ちていかなければならない。そうして大地の循環に乗り養分とならなければならない。という主義もあるのだが、コイツは証拠として渡す訳にはいかない。


「またお気に入りを選んじゃったかー。分かったよ。ならコレは?」


 選んだのは口からクラムチャウダーを垂れ流す御婦人。クラムが器用にタンに乗っているのは良い点だが、如何せん彼女の体型が細過ぎる。あと一歩。牛のように大きければ良かったのだが。


「10万」


「吹っ掛けるね?こんなに細いんだから5万ぐらいじゃないの?」


「ディーの手間賃3万も含めて10万。それともそのまま持って帰る気?」


「3万か。あと一声欲しいなー。せめて2万ぐらいでどう?」


「まあまあ。ボクはタダでいいよ。7万で成立かな?」


「対価は貰わないとダメでしょ。そもそもコイツらは商品じゃないんだから、欲しいなら自分で殺したら?」


「ふーん、私が殺し向きの能力を持ってないって知ってるでしょ。まあいいや。10万ね」


 彼女は袈裟懸けのポーチから札束を取り出し数えながらテーブルへ重ねていく。


「はい10万。ディー君よろしく」


「はいはい」


 ディーは隣のテーブルに座る鶏ガラのような女の元へ行くと、彼女のポーチが開くのを待った。

「ちょっと待ってね。コイツはもう飽きたからいいや」


 ガサゴソとポーチの中から引っ張り出したのは、全裸の男性の遺体。歯のない口に手を入れ魚を引き上げるようにポーチからズルリと引き抜いた。太腿やお尻の肉が綺麗に切り取られ、お腹は四角い穴が空いており、捌かれた後のモノだった。

 ポイと床に投げ捨てると、ドスンという音と少しの振動が広がる。


「背中はまぁまぁ美味しかったんだけどね、やっぱり適度な運動は大事だよ。脂肪が多すぎて、肉を焼くぐらいしか使い道が無かったのよ。参考にしてね」


 大柄な女性がポーチの口を大きく開くと、ディーは鶏ガラの背後から脇に手を入れ、グッと持ち上げた。特に重そうな素振りも見せず、頭からポーチに収納していく。初めこそ、入るわけが無い大きさだったのに、ポーチに近づくとキュッと変形し滑りこむように収まっていく。

 するすると鶏ガラの死体が収まると、ポーチを嬉しそうに締めながら、ありがとねとディーにお礼を述べた。


「どういたしまして。ところで、エイチは何故ここに?」


「そんなの、2人が揃ってるならきっと美味しいものがあるなと思って」


「え?わざわざここに来たんですか?」


「うん。近所だからね」


「この辺に住んでるんですか。いい街ですよね」


「ハハハ。ディーは、お世辞が下手だね。クソみたいなところよ。じゃあ、買い物も終わったし帰るわね。子供が待ってるから」


「はい。お気をつけて」


 手を振り、さっさとドアから去っていったエイチの後ろ姿をシーは興味深そうに眺めていた。


「アイツ子供いるんだ」


「ん?ああ。男女の兄妹がいるって言ってたよ。この前話してたじゃないか」


「そう。覚えてないな」


「はあ」


 ため息を付きながら座ると、ディーは先程の話題を蒸し返す。


「で、呼び出しの件だけど、もう1つ理由があるんだ。実は」


 ニヤけた顔で、大きく空気を吸い込んだ。大事な話をする時は大体勿体ぶった言い方をするのがディーの癖。シーはもう慣れてしまったが、最初はイライラしたものである。


「戦争が始まるんだ」


「ふん」


「えっ!?これも興味無いのかい?ブルッフーヴァが侵略戦争を仕掛けたのに、興味無い?」


「オレ達に関係無いじゃん」


「もしも、いやほぼ確実だけれど、マルカーヴァが負けるとボクたちの仕事は立ち行かなくなるんだ。今は国が疲弊して腐りきってるからこうして自由でいられるんだぞ?」


「腐りきってたらオレ達はこうして集まってないでしょ。欲にまみれた金持ちとボロボロの体制のおかげで何とかやれてるんじゃないかな」


「そう、かな。それなら尚更、侵略は反対だろう?」


「どっちでもいいかな」


「うーん。このまま出席しないつもりかい?」


「そのつもり」


「一緒に行こう。ボク一人だと心細いんだ」


「なんだ、そういうことか。珍しく粘るなと思ったら君が出席したかったんだね」


「そりゃあね。新人君を見てみたいし、ボクらが知らない社員も増えているし、どんな風になってるか気になるんだ」


「そういう事ならいいよ、行こう」


「よっしゃ、助かる」


 ディーは普通の感性を持っている。今や慣れてしまって死体を見ても驚かないし、殺害現場に居合わせても目を背けなくなった。でも彼は殺しを殆しない。ウチでは少数派だと思う、変わったヤツ。変わったヤツだからという訳では無いのだが、社員と会うのは緊張するらしい。目がギラついていて、飛びかかって来そうだとか、話題が最近の殺しの件でついていけないとか、いろいろ理由があるらしい。

 まあ、オレも用があるのでそのついでに出席するのも悪くないか。


「ビーが死んだなら、受付は誰になるのかな」


「さあ。その辺も話題に上がるんじゃないかな」


 シャツのシワを伸ばしながら立ち上がると、ついでに緩んだネクタイを少しだけ締め直す。


「まだ時間はあるよ。もういいのかい?」


「仕事は終わったし、ご飯も食べたし、他にやる事ある?」


「耳、返さなくてもいいの?」


「あー、久しぶりに他のメンツと会うし、今日はこのままでいいかな。適当に捨てるよ」


「そういう事なら、片付けますか」


 テーブルにはシーが飲んでいた水の入ったグラスが1つ。それを傾けクロスに染みを作ると、隣の席で天井を見上げる男のそばに立ち、肩を掴んだ。自分よりも重いであろう男を軽々と引っ張り上げると、もう片方の手に持っている空のコップへと押し込む。つるんと滑り込んだ後には、コップの中に面影が見えた。目のフォークや銀色の腕時計、茶色の革靴や、胸元のスカーフが肉と皮膚に繋がれ、赤い液体の中にある。もう人の形はしていない。タオルを詰め込んだようにどっちが頭で足なのか、あべこべになった様子を確認すると、シーに手渡した。


「ありがとう」


「どういたしまして。ああ、次からは1箇所にまとめて血をなるだけ出さないように殺してほしいな。いちいち歩き回るのも面倒だからね」


「気を付けたつもりだけど」


「……まあ前よりは。それでも、まだ酷い。次から頼むよ」


「分かった」


「あと5分ぐらい待ってて、座ってていいよ」


 ディーは芳しくも渋みのある香りを放つグラスを傾け、またもやクロスにシミを作るのだった。




 ガラガラと昭和の音がする玄関。受付には誰も立っていないが、間仕切りの向こうでタバコを吸っている人がいるようだ。換気されていない部屋だから、煙が充満している。


 喫煙者で思いつくのは会長ぐらい。一応、挨拶に行こうかと敷居をまたいだ。


「シー!ディー!こっち来い!」


「はあ」


 思わずため息が漏れる。挨拶だけでは済まないと分かっていても、断る程バカじゃない。以前、全く同じ状況でこっそり逃げた後、家や仕事中も構わず、姿を表ししつこく絡んできたからだ。本当に本当に、あれは嫌な思い出だ。


 2人は渋々、間仕切りの向こうへと歩いていった。

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