川を探す日

尾八原ジュージ

川を探す日

 ふと思い立って、川を探しにいくことにする。いつも履いているスニーカーを履きかけて、途中で川に入りたくなるかもしれないと考える。紺色のつま先が薄くなりかけた靴下を脱いで、下駄箱を開け、スニーカーをしまってサンダルを取り出す。

 わたしの母はどちらかと言えばだらしのないひとだったけれど、三和土に何足も履物を出しておくのはよくないと、それだけは口を酸っぱくして言っていた。母は八年前に急性アルコール中毒のために死んで、今は半透明の幽霊になって靴箱の下に凝っている。靴箱の前には水の入ったグラスが置かれている。水の入った江戸切子のプリズムがいつになく美しく見え、わたしはデジタルカメラを構えてシャッターを切る。カシャ、と小気味のよい音がする。

 小銭入れと家の鍵とミネラルウォーターの500mlペットボトル一本、それにデジカメを持ってアパートを出た。夏の終わりらしい濁った光が照りつけ、うなじをじりじりと焼く。川を探すにはいい日だと思う。

 昔、川は家のすぐ近く、玄関から出て三歩のところにあった。今わたしが立っている地面の細長いくぼみはまさしく川の跡だ。アパートから三歩で川にたどり着いた時代はいつしか終わってしまった。確か当時は母も生きていて、いつとは思い出せないけれど、ふたりで川を眺めた日もあったはずだ。

 サンダルをじったじったと鳴らして歩く。この間近くのスーパーから帰ってきたとき、川の音を聞いた気がする。スーパーに行ったのは何日前だっただろう? 一昨日か、先週か、もっと前か。擦れてそこだけ白くなったサンダルの爪先のもう半歩先を、野鼠が一匹走って通り過ぎる。とっさにカメラを構えてシャッターを切る。現像しないとわからないが、きっと野鼠は写らなかっただろう。

 水を一口飲んで足を進めた。アスファルトにぺったんこになった瓶の王冠が落ちている。ずいぶん古いもののように見えるけれどどこからやってきたのだろう。ふと視線を上げると、向こうの方で細長く白いものがしゅるしゅると動くのが見えた。表面がきらきらと光る。川かもしれない。

 わたしはカメラをかまえて駆け寄った。白くて大きな蛇が長々と道路を横断していた。川ではなかったことにがっかりしながらも写真を撮った。この蛇は腹が熱くないのだろうか。川を知りませんかと話しかけると、蛇は鎌首をもたげてこちらを見た。シャッターを切るよりも先に、蛇は道路を渡りきって植え込みの中に消えた。わたしの写真にまともに収まるのは自分の爪先だけだ。剥がれかけたペディキュアの深い緑色が「迷子」という名前だったことをふと思い出す。

 下を向いていると額からぽたりと汗がおちる。暑い。川はどこに行ったのだろう。さっきの蛇は水辺に行ったのかもしれない。わけもなくそんな気がして、あるいはなんでもいいから指針がほしくて、わたしは蛇が消えた方へと歩き出す。

 しゃあしゃあと蝉の声が耳を震わせる。こんな日であっても、川の水はさぞ冷たいだろう。

 道端に鎌を振り上げたまま死んでいる蟷螂がいる。何と戦っていたのだろう。またシャッターを切ったけれど、写真だけでは死んでいるとわからないかもしれない。もはやどこに蛇が行ったかなどわからず、手がかりを失ったままわたしは歩く。

 じったじったとサンダルが湿った音をたてる。川。川。川。こんなふうにすぐどこかに行ってしまうものだっただろうか。

 空を見上げると、飛行機雲が青空を割るように一本長く伸びている。どこへいく飛行機だろう。またシャッターを切る。わたしはどこへ行けばいいのだろう。川はもうどこか遠くへ行ってしまったらしく、わたしのサンダル履きの足ではたどり着くことができないようだ。ついこの間までこのあたりにあったのにという「ついこの間」は、いつの間にか遠い昔になっていたらしい。

 わたしは諦めて家路についた。蟷螂の死骸の横を通り、ぺったんこになった王冠を踏んで、ふと角をひとつ曲がってみるとスーパーがあり、いつの間にか潰れて廃屋になっている。ああ、やっぱり川はもう遠くに行ってしまったに違いない。

 家に帰ってサンダルを三和土に脱ぎ、ふと寂しくなって靴箱からスニーカーを出した。ふたつの靴が三和土に並ぶと靴箱がガタガタと揺れ、わたしはごめんね母さんと笑って靴を仕舞った。

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