第11話 長男家出す

人物表

 西口良司(33) 会社員

 西口祐一(35) 良司の兄

 西口道子(65) 良司の母

 西口晴男(66) 良司の父

 前田真衣(33) 会社員


◯ホテルのレストラン・店内(夜)


 高級感のあるレストランの店内。

 西口良司(33)と前田真衣(33)が向かい合って座っている。

 真衣の手元に、開いたリングケース。中には婚約指輪が入っている。

 目を潤ませて、それを見つめる真衣。


真衣「嬉しい」

良司「受け取ってくれる?」

真衣「もちろん」


 良治、指輪を取り出し、真衣の左手薬指へ近づける。


真衣「待って…」


 良司、指輪を持った手を止める。


良司「なに?」

真衣「私、一人っ子よ」

良司「知ってるよ」

真衣「同居して、とは言わないけど、実家から離れて暮らせないから」

良司「もちろん、承知の上さ」

真衣「良司くんの実家は大丈夫?」

良司「実家は兄貴に任せてあるよ。次男は気楽さ」

真衣「良かった」


 良治、指輪を真衣の薬指にはめる。

 良司の足元にビジネスバッグがスマホの着信で震えている。



◯地下鉄・車内(夜)


 少し混んでいる電車内。

 良司が吊り革を持って立っている。

 車窓のガラスに映る良司の顔は、にやけている。

 良司が手に持ったバッグが震える。

 良司、バッグからスマホを取り出す。

 画面に、「不在着信 母」の文字が何件も並んでいる。

 ぎょっとする良司。



◯地下鉄駅・入口(夜)


 良司、スマホを耳に当てている。

 コール音が一回鳴る。


道子の声「良かった、ようやく繋がった」

良司「母さん、ちょっと話したいことがあるんだけど」

道子の声「そんなことより、祐一から連絡はなかった?」


 良司、むすっとする。


良司「兄貴から? 何も」

道子の声「そう……」

良司「兄貴がどうかしたのか?」

道子の声「昨日の夜から姿を消しちゃって」


 良司、驚いて、


良司「姿を消した!」



〇西口家・居間(夜)


 西口道子(65)が受話器を握りしめている。

「西口豆腐店」と書かれた前掛けをつけた西口晴男(66)が、そわそわと居間を行ったり来たりしている。


道子「いろんな人にも聞いてるんだけど、連絡がないって」

良司の声「兄貴の携帯には連絡したのかよ」

道子「もちろん。でも連絡が返ってこなくて」



〇地下鉄駅・入口(夜)


 良治、考え込むような表情で電話をしている。


良司「信じられないな、兄貴が家出って……」


 道子の鳴き声が聞こえる。


良司「落ち着いて、俺からも連絡してみるから」

道子の声「よろしくね」

良司「ところで、母さん……」


 電話の切れる音がする。

 良司、終話画面が表示されたスマホを睨む。


良司「こっちの話も聞いてくれよ」


 スマホが震え始める。


良司「ん?」


 と、目を見開く。

 画面には、「兄貴」と書かれている。

 良司、電話に出る。


良司「兄貴か!」

祐一の声「悪いな、こんな夜に連絡して」

良司「さっき母さんから電話があったぞ。家出したって」

祐一の声「もう知ってるなら話は早い。俺、今東京にいるんだ」



◯東京駅・新幹線改札口(夜)


 八重洲南口の案内掲示板の下で、小さな旅行鞄を持った西口祐一(35)がスマホで電話をしている。


 良司の声「えっ!」



◯地下鉄駅・入口(夜)


 唖然とした表情で、良司がスマホを持っている。


祐一の声「今から、お前の家行っていいか?」

良司「なんだよいきなり」

祐一の声「場所はわかるから、じゃ、後で」

良司「ちょっと待てよ」


 電話の切れる音。

 良司、舌打ちする。


良司「少しは俺の話も聞いてくれ」


 と、乱暴に携帯をバッグに入れると、早足で歩き出す。



◯イイダアパート・良司の家(夜)


 小さなテーブルの前で、良司と祐一が正座して座っている。

 祐一、旅行鞄から「西口豆腐店」と書かれた豆腐パックを取り出し、テーブルに置く。


祐一「土産だ」


 良司、豆腐パックを一瞥する。


良司「こんな夜中に何の用だ?」


 祐一、室内へ視線を移す。

 部屋の隅に、雑に積み重なった洋服がある。


祐一「整理整頓しろって、母さんにいつも言われているだろ」

良司「さっさと用件を話してくれ」


 祐一、深呼吸する。


祐一「俺、家を出た」

良司「知ってるよ。で、今俺のアパートにいる」

祐一「しばらく戻らない」

良司「しばらくって?」

祐一「そうだな……、二、三ヶ月かな」


 良司、豆腐パックを一瞥する。


良司「豆腐屋はどうする? 親父困るだろ」

祐一「そう思うなら、豆腐屋はお前が継げ」


 良司、ポカンとした表情で、祐一を見る。


良司「はっ? 何言ってるんだ」

祐一「良司が家を継いでくれ」

良司「えっ?」

祐一「父さんと母さんのこと、任せたぞ。今日はそれを伝えたかったんだ」


 と、腰を浮かせる。


良司「ちょっと待てよ」


 と、膝立ちする。


良司「なんだよ、いきなりやって来て、あとはよろしくって。意味わかんねえぞ。ちゃんと説明しろ」


 祐一、良治を見て、正座に戻る。

 良司も正座に戻る。


祐一「急に、旅をしたくなったんだ」

良司「勝手だな……。兄貴、長男だろ」


 祐一、良司を睨みつける。


祐一「(大声で)長男って言うな!」


 良司、のけぞる。


祐一「長男だから、どうして家を継いで、どうして豆腐屋なんてやらなきゃならないんだ!」

良司「兄貴、声が大きい……」

祐一「俺にだって、やりたいことの一つや二つあるんだ」

良司「だから、声が大きいって」

祐一「良司、お前は良いよ。次男ってだけで東京に行かせてもらって、そこで自由気ままに暮らせて」

良司「兄貴、落ち着けって」

祐一「どうしてみんな、長男って言葉で、俺を縛りつけるんだ!」

祐一、息苦しく咳き込み始める。鼻血が流れる。

良司「兄貴!」


 と、祐一に近寄る。


良司「大丈夫か?」


 祐一の咳が落ち着くが、苦しい表情。


良司「どこか具合が悪いのか?」


 祐一、鼻紙を取り出し、鼻を拭く。


祐一「昨日医者に、余命半年って言われた」


 良治、驚いた顔で、


良司「嘘だろ……」


 祐一、旅行鞄から錠剤を取り出し、飲み込む。


祐一「その話を聞いたら、いても立ってもいられなくて、東京に出てきた」

良司「なんだよそれ」

祐一「東京行くの、夢だったんだ」

良治「体のこと、母さんは知ってるのか?」

祐一「まだ言ってない」

良司「どうして?」

祐一「心配させたくないんだ!」

良司「いや、それでも」

祐一、良治の腕をつかんで、

祐一「良司、俺の代わりに、父さんと母さんのこと、面倒見てやってくれ」

良司「そんなこと言われても、俺だって……」


 と、息苦しそうな祐一、それから、机の上の豆腐パックを見る。


良司「整理する時間をくれ……」


 と、額に手を当てる。

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