幕間

プレイバック・イン・メモリーB

「はい、これ」

 ある日の朝、真が朝食の食卓に着いていると、桃に花柄のレターセットを渡された。

「なにこれ?」

「材質は紙だよ」

「そんなの見りゃわかる。もしかしてラブレターか?」

「なんでお兄ちゃんにラブレター渡さなきゃいけないの。中見てみなよ」

 真は封を開けて中の便箋を取り出した。真宛てに書かれた文言が目に入る。どうやら桃の結婚式の招待状のようだった。

 桃が不安そうにこちらを見ている視線を感じる。

「そうか、結婚式か。おめでとう」

 真は桃の顔も見ずに言った。自分でもわかる。その言葉は、まったく響いていない。取ってつけたような建前の言葉でしかなかった。

 桃が悲しそうな顔になる。

 いたたまれなくなり、真はさっと朝食を平らげて席を立った。

 なんだろう、このモヤモヤした気持ちは。

 心から祝ってあげたいのに、そうできない自分がいる。

 結婚式まで、もう少し時間がある。それまでに気持ちを整える必要があった。

 兄として妹にできることをしてあげたかった。


     ◆


「私なんか、いなければよかったんです」

『とびとり』の事務所。賢二と咲来は、依頼者としてやってきた坂下桃の対応をしていた。

 どういった依頼内容なのか伺いたいところだったが、桃は兄に関することで悲観的な気持ちを持っているようだった。

『とびとり』の仕事にはマニュアルがない。依頼者からの話を真摯に聞き、一緒に考え、最善の形でサプライズを行う。今はこの場に紅音がいないので、自分たちでなんとかしなければ。

「よかったら、お話聞かせてください」

 賢二は桃に向かってできるだけ穏やかに言った。

 その後桃から兄妹に関する話を聞いた。幼いころ両親が離婚し、兄妹が引き離されそうになった時に真が桃の手を取ったこと。母が亡くなり、それからずっと真に面倒を見てもらったこと。真が桃を独りにしないために、恋人と別れたこと。そのために自堕落な生活を送り、その癖が抜けなくなってしまったこと。今度の結婚式で桃が真に感謝の気持ちを伝えたいこと。真にも幸せな人生を送ってもらいたいと願っていること。

 翌日、賢二は桃のこの話を紅音に話した。

「ハハ。良い兄妹だね。お互いがこんなに相手のことを想ってる。今はちょっとすれ違ってるけど、そこをなんとかするのがあたしたちの仕事だ」

「あの、ソラさん」

「なんだいケンケン。ケバブからマンボウに」

「それを言うなら藪から棒。ソラさんは、昨日の依頼人である桃さんが真さんの妹だってことを知っていましたよね? どうして僕たちにそのことを言わなかったんですか?」

「そのほうが面白いと思って」

「面白くなくていいんです」

「いや、面白いほうがいいじゃん」

「でも兄妹が別々にうちへ依頼しにくるって、珍しい偶然もあるものですね」

「偶然じゃないよ」

「えっ?」

「あたしが種を撒いておいたのさ」

 紅音が不敵に笑いながら言った。

 一体いつの間に手を回していたのか。賢二はなんだか怖くなって、それ以上尋ねることができなかった。この人は、良くも悪くも恐ろしい。


     ◆


「つーわけで、ソウチョー頼むよ」

 その紅音の言葉で聡一の目が点になった。『とびとり』スタジオでの一コマだった。

「な・に・を・だ?」

「えっ?」

「えっ、じゃねえ」

「ソウチョーが花嫁を攫っていく役目に決まってるじゃん」

「何の説明もなしにいきなりそんなこと言われてはいわかりましたと答える奴がいると思うか? お前はアスファルトに生えてる雑草か?」

「アスファルトにだって花は咲くんだよ。それにソウチョーならうんって言ってくれるとあたしは信じてる」

「嫌な予感がする」

「なんですかなんですか、面白そうな話ですかー?」

 七菜が話を聞きつけてきて、聡一が尚更迷惑そうに顔をしかめた。

「元カレ設定のソウチョーが結婚式本番で花嫁の桃を攫うことになったんだ」

「なんそれずるい! 七菜もソウチョーさんにさらわれる役やりたいですー。おひめさま抱っこのオプション付きで」

「いいないいなー。じゃああたしもー」

「お前らちょっと黙れ」

「そうやってぶつくさ言いながらも結局やってくれるソウチョーがあたしは好きだよ」

「そんな俺はいない」

 と言いつつ、結局はその役目を押しつけられる聡一だった。


     ◆


「よーしじゃあ、今日の練習はここまでにしよう。おつかれー」

 紅音の声がスタジオに響いた。

 ダンスの練習で精魂尽き果てた真はスタジオの床で大の字になっていた。

 ニット帽を目深に被りサングラスをかけてマスクをした完全防備姿の桃は、スタジオの隅に座って兄の練習の様子をこっそり観察していた。まさかここにサプライズを仕掛けるはずの相手が居座っているなんて夢にも思わないだろう。真は自分が仕掛ける側だと思っている。

 桃は紅音から逆サプライズの案を提示された。兄が自分のためにお祝いのイベントを用意しようとしてくれていたことが、桃はとても嬉しかった。その兄をある意味裏切ることになるが、それは兄を喜ばせたい、以前のように笑い合いたいという想いからだった。

 真が帰った後、ダンサーたちが残って桃と段取りの確認をしてくれた。桃はなぜか結婚式の最中に攫われることになっている。その後、桃の話を聞いて紅音が作ってくれた歌を披露することになる。桃と真のためだけの、オリジナルソングだ。

『とびとり』の人間はみんな協力的で、桃が想いを伝えるための後押しをしてくれた。みんな優しくて、熱い人たちだった。リーダーの紅音は、ちょっとだけ何を考えるているかわからない人だったけど。みんな誰かを喜ばせることが大好きな、「サプライズ・プランナー」だった。


     ◆


 カフェの一角で三人の女が顔を突き合わせていた。楽しい女子会というには、少しばかり程遠い。

 桃から連絡先を聞いた紅音は、玲奈と会うことにした。桃と紅音がこれまでの事情を全て玲奈に話した。紅音が真の恋人などではないことはもちろん、どうして真があのようなヒモ男になってしまったのかも。

「すみません、全部私のせいです」

 この会合で、桃は何度も玲奈に頭を下げた。そのたびに紅音は桃をたしなめた。悪いのは全部自分勝手なあのヤローなんだ、と。

「マコっちゃんはとんだ勘違いヤローだ。だけどそれは全部、ちょっとばかり的を外した優しさからきてる。それはあたしなんかより長く一緒にいたあなたのほうがよくわかってると思うけど?」

 紅音が玲奈に話を向けると、彼女は考え込むようにして俯いた。

「この前偶然会った時。傍で見てて、二人ともまだ気持ちがあるんじゃないかと思った。マコっちゃんは今は桃のことで頭いっぱいだけど、結婚式が終わったら会ってみたら?」

 玲奈はすぐに答えは出さず、宿題として持ち帰った。

 その日の夜、紅音に玲奈からメッセージが届いた。

 もう一度真に会ってみたいという。


     ◆


 桃の結婚式当日、咲来は結婚式が始まる前に本番の場所でピアノの練習をした。その練習には賢二が付き合ってくれた。

 これまでは見ているだけの自分だったが、今日はみんなと一緒にサプライズに参加する。失敗はしたくなかった。サプライズは、依頼者にとってとても大切な瞬間、記念の思い出だから。自分たちの仕事は全てその瞬間を演出するため。

 賢二は下手な言葉をかけることもなく、黙って見守ってくれている。練習を繰り返すうち、少しずつ成功への確信を持つことができた。

 そろそろ引き上げようかというころ、チャペルの入り口から小気味良い足音が響いてきた。

「うわー、広いですねー」

 七菜だった。『とびとり』の一員として、今日は小さな七菜もタキシードだ。

 七菜は両手を左右に広げながら座席の間の通路を走って、それからクルクルとクラシックバレーのように回り始めた。その様子を見ていた咲来は、気持ちが和んだ。

「七菜もこんな場所で結婚式挙げてみたいです」

「お相手はいるんですか?」

 賢二が尋ねた。

「それはもちろんやきとりたべるです。なんたってわたしは岡崎七菜ですから」

「それを言うならよりどりみどりですよ。ですよ、ね?」


     ◆


 ホテルの宴会場でウェディングケーキが爆破されたころ、紅音は一人ホテルのテラスにいた。塀の近くから、晴れ間の広がった空を何気なく眺める。

 言えなかった想いを伝え合い寄り添う真と桃の兄妹の姿が脳裏に残っている。

 紅音は自分のことのように嬉しかった。

 それと同時に、自分の心の隅にぽっかりと空いた隙間が存在することに気づいてしまった。

 これまで気づかないふりをしていた。

 誰かの笑顔のためにすることは、自分の心を満たしてくれた。紅音はその仕事が大好きだった。けれど、それだけでは埋め切れない空虚さがある。

 真と桃、二人の愛を目の当たりにして、その隙間がより浮き彫りになった。

 不安だった。

 この開いてしまった穴が広がっていき、自分の心を崩してしまわないかと。

 仲間たちに向けて、ちゃんと笑うことができるのかと。

 空を一羽の鳥が飛んでいた。

 自分は、飛べない。

 飛び方を知らない。

 空を舞う喜びを、まだ知らない。

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