花嫁を追え

 昨日からの雨が降り続き、妹の晴れ舞台はあいにくの天候だった。

 真はチャペルのあるホテルに到着した。新郎側の親族と挨拶を交わした後、控え室で待機する。テーブルにちょっとしたお菓子が並び、紅茶なども飲める。真は何も口にするつもりはなかったが。喉を通る気がしない。

 真が落ち着かない気持ちを静めようとテーブルに肘を置き両手を組み合わせてじっとしていると、誰かが近づいてくる気配があった。

「おいっす。なに生乾きの洗濯物みたいな顔してんの?」

 紅音だった。真と同じくタキシード姿なのが意外だった。髪も無造作な普段とは違い綺麗に整えられている。なんていうか、かっこいい。

「なーにじろじろ見てんの?」

「いや、べつに。生乾きの洗濯物みたいな顔ってどんな顔だよ」

「今のマコっちゃんみたいな顔」

「そんな顔してるか?」

「してるしてる」

 紅音にちゃっかいをかけられて、少しだけ気持ちが楽になった。それが彼女が意図したことかはわからないが。

「桃と会った?」

 紅音に訊かれる。

「いや」

「めっちゃ綺麗だよ。この無様な兄の妹とは思えないぐらい」

「ずいぶんな言われようだ」

 一通り軽口を叩かれた後、紅音は控え室から出ていった。その後、真は結婚式のスタッフから段取りの説明を受けた。桃の父はいないので、真が代わりに桃と一緒にバージンロードを歩くことになった。一体どんな気持ちでやればいいものか。

 準備が整ったというので、チャペルのほうへ向かった。両開きの扉から入る。左右に座席の並んだ天井の高い空間。オルガンとチェロの生演奏があった。カメラマンらしき人間がパシャパシャとやたらシャッターを切ってくる。座席の端には白い花があしらわれていた。ところどころ白いキャンドルが焚かれているが、よく見ると実際の炎ではなくライトで演出されたものだった。

 真は桃側の親族の席に座り、時を待つ。牧師の格好をした人間や、聖歌隊、インカムで会話をしているスタッフなどが目に入る。『とびとり』の人間の姿は見当たらない。

 幼いころからずっと面倒を見てきた妹の桃が、今日結婚式を挙げる。お相手の優紀とは何度か顔を合わせたが、実直で真面目な印象を受けた。もちろん桃が選んだ相手というのなら、何も言うことはない。今の自分のようにろくでもない人間でさえなければ。

 桃は自分の手を離れ、自分の知らない場所で、幸せを育んでいく。当然の権利であるが、真はそこに少しばかりの寂しさを感じた。しかし、この気持ちも今日で終わりだ。潔く笑顔で妹を送り出す。それだけが自分に与えられた役目。それをまっとうしたなら、もう自分に役目はない。

 そこで真は気づいた。自分にとって桃の存在が、大きな生きる指針となっていたことに。それを失う辛さから、これまで桃の結婚を素直に祝ってやることができなかった。今日が最後の機会。明日からは、空虚の日々が待っている。だとしても、桃のために祝いを挙げなければ。

 新郎と新婦が到着したというので、真はスタッフに呼び出された。一度チャペルの外の廊下に出る。

 上下白のタキシードに身を包んだ、少し緊張している様子の優紀がいた。真は朗らかに笑みを浮かべ、彼の緊張をほぐすようにポンと軽く肩を叩いた。

 そして優紀の横にいる、ウェディングドレス姿の桃に近づく。薄いベールを被った桃は俯き加減で、表情が見えない。真は何か言葉をかけようとしたが、体が固まってしまい声が出なかった。

 仕方なく、真は桃の隣に黙って立った。一度桃がちらっと真のほうを窺った気がしたが、真はずっと前を向いてチャペルの扉を眺めていた。

 先に新郎の優紀が中に入っていく。聖歌隊のコーラスとオルガンの演奏、列席者たちの拍手などが聴こえた。

 真は桃のほうに自分の手を差し出した。しばらくして、桃がそこへ白い手袋をした手をのせた。

 子供のころによく、こうして手を握って二人で道を歩いた。幾度となく繋いできた自分より小さな手。この手を握るのも、今日が最後かもしれない。

 チャペルの扉が開き、スタッフに進むよう促される。

「行くぞ」

「……うん」

 お互いに顔を見ず、短い言葉を交わした。

 ゆっくりと、チャペルの中へ入っていく。

 入口の近くで止まり、真は桃に被せられたベールを取った。そこで初めて、桃の顔を見た。

 真を見つめる少し驚いたような表情。最近はこうやってまじまじと顔を見る機会もなかった。いつの間にか、桃は大人の女性になっていた。自分が予想していたよりずっとずっと大人だ。だけどそこには微かに、無邪気に笑う幼い妹の面影が残っていた。

 真はベールをスタッフに預け、再び桃の手を取りゆっくりと歩き出す。通路の先に新郎が待っている。彼に妹を託さなければ。

 その時、チャペルの外からバタバタと慌ただしい足音が響いてきた。言い争うような声が聞こえた後、誰かがチャペルの中に駆け込んできた。

「待て! 待つんだジョー!」

 男の声がチャペルの中に響き渡る。ジョー? 一体何なんだ?

 真が振り返ると、そこにグレーのタキシードを着た男が立っていた。ぶすっとつまらなそうな表情を浮かべている。よく見ると、それは『とびとり』メンバーのソウチョーこと聡一があることがわかった。

「ちょっと、あんた何やってるんだ?」

 状況が掴めないまま、真は聡一に問いかけた。

 聡一は真の言葉を無視した。かわりに桃が聡一のほうへ一歩近づいた。

「ソウちゃん」

 桃が神妙な面持ちで彼を呼んだ。ソウちゃん? 桃は聡一と知り合いなのか?

 聡一は桃を見据えた。

「桃。迎えにきたよ。あれからいろいろ考え直して、ようやく決心した。俺はもう一度きみとやり直したいんだ」

 台詞に似合わず苛々しているような顔で聡一が言った。言わされている感が半端なかった。なんなんだろうこの茶番は。

「でも、私には優紀さんが」

「構うもんか」

 聡一が桃に一歩近づいた。

「そうはさせじ!」

 新郎の優紀が勢いよく飛び出してきて聡一と桃の間に割り込んだ。なんだそのダサい台詞は。

「むん!」

 聡一がその優紀に向かって開いた右の手の平を向けた。

「うわあ」

 優紀が間の抜けた声を出しながら見えない巨人の手で押し潰されたかのようにゆっくりと床にひれ伏した。その動作は真には滑稽にしか見えない。

「何をしているんですか!?」

 RPGの教会にでもいそうな格好の牧師が間に入ってきた。

「むん!」

「うわあ」

 再び聡一のサイキックが発動し牧師がゆっくりと倒れていく。もうどこをどうつっこめばいいのかわからない。

 邪魔者を圧倒したところでサイキッカー設定の聡一が桃に近づき彼女の手首を掴んだ。

「行こう」

「でも」

「桃。愛してる」

 聡一が間近で桃を見つめながら囁いた。てめえ何言ってやがる。桃も顔を赤く染めてまんざらじゃない顔してるじゃないか。お兄さんは許しません。

 聡一が桃の手を引いてチャペルの入り口に向かって歩き出す。

 桃が真のほうを振り向いた。そして乞うように言う。

「お兄ちゃん、助けて」

 聡一と桃がチャペルの外へ消えていった。

 その場に残された真はぽりぽりと頭を掻いた。

 こんな狂気の沙汰のような演出を考えるような人間を、真は一人しか知らない。

「お、お義兄さん。も、桃を、頼みます」

 床に這いつくばっている優紀が息も絶え絶えの様子で言った。一体どこまでが本当でどこまでが嘘なのか。いや、いっそのこと全て夢であってくれ。

 とにかく、こんな茶番は終わりにして、妹の大事な結婚式をぶち壊した対価を払わしてやる。

「待ちやがれ!」

 そんな台詞を残し、真はそそくさとチャペルを出て桃たちのあとを追った。



「ちっ。ちっ。チッチチチー」

「ソウチョーさん! 舌打ちのしすぎで往年のギャクみたいになってますよー」

 聡一は桃の手を引いてホテルの廊下を走っていた。後ろからはタキシード姿の七菜が桃のドレスの裾を引き摺らないように持って走っている。

「ソウチョーさんの演技めちゃめちゃ素敵でした。七菜はきゅんが止まりません!」

「やめろ。永遠の汚点だ。やっぱり引き受けるんじゃなかった。今猛烈に後悔してる」

「……ふふ」

 含み笑いするような声が聞こえたので、聡一は走りながらちらっと桃のほうを振り向いた。

「どうした?」

「いえ。兄の茫然とした顔が可笑しくて」

 桃は本当に楽しそうに笑っていた。

 聡一は再び前を向いて黙って走る。

 後ろのほうからどかどかと騒がしい足音が近づいてきた。



「さあ、みなみなさま。我らが愛しき花嫁の坂下桃が、天才マッドサイエンティストスイーツ大好きシックスパックサイキッカー、ソーイチ・デ・ボンヌに攫われてしまいましたが、ご安心ください。妹思い、妹を愛して愛してやまない、もはやシスコンの域を離脱した坂下真が必ずや連れ戻してくれるでしょう。その様子はこちらのモニターでご確認くださいませ」

 マイクを持った紅音はチャペルにいる列席者たちの前で大仰に言い放った。

 室内に用意されたモニターに桃たちを追いかけている真の後ろ姿が映し出される。



「なんで僕がこんなことを」

 カメラを構えて真の後ろを走っている賢二はぼそっと呟いた。



 真は聡一に連れ去られていく桃を追っていた。桃の後ろで七菜がドレスの裾を持って走っている。七菜は一度こちらを振り向いて、べー、と悪戯っぽく真に向けて舌を出した。やっぱりこの茶番は奴らの仕業だ。

 桃たちが廊下の角を曲がって消えていく。真がその角を曲がると、通路の両端にタキシード姿の人間が数人いた。どことなく見覚えがある。そうだ、一緒にスタジオでダンスの練習をしたダンサーたち、つまり奴らの一味だ。

 こんなところで何をしているのかと思っていたら、ダンサーたちが真に向かって連続でバレーボールを投げつけてきた。

「うおい!」

 真が間一髪飛んできたボールを避けると、すぐ背後で「うげっ」という呻き声が聞こえた。

 振り返ると、そこにカメラを構えながら倒れ込んでいる賢二がいた。どうやら真がかわしたボールに当たったらしい。

「よくわからないけど、あんたも大変だな」

「恐縮です」

 真はバレーボールゾーンを抜けて先を進む。

 前方で桃たちが通っていった後、ダンサーたちがなにやらせっせと床に設置していた。近づいていくと、どうやら石みたいなものがごっそり敷き詰められた足つぼマットであることがわかった。

「ここは靴を脱いで通ってください」

 近くにいるダンサーが真に向かって言った。

「脱いでたまるかアホンダラ!」

 真は叫び散らして土足のまま足つぼゾーンを渡っていく。

 中間ほどまで進んだところで、前からバレーボールが飛んできた。足つぼに気を取られていた真はもろに額にボールを浴びた。バランスを崩して顔から足つぼに真っ逆さま。

「ギャアアアア!」

 すんでのところでどうにか両手をついて受け身をとったが、手に突き刺すような痛みが走る。

「いてえ。くっそう」

 悪態を吐きながら足つぼゾーンを通過する。

 一連の障害物をやりくりしている間に桃たちを見失ってしまった。

「向こうです」

 ダンサーの一人が真が進むべき方向を指し示した。まったくもって信用ならない。しかしやみくもに進んでも埒が明かない。真はダンサーが言った場所にあるドアを開け、部屋の中を通っていく。

 急に香ばしい匂いがするなと思ったら、そこはホテルの厨房だった。コック帽を被った料理人たちが調理に勤しんでいる。

「ホントにここ通ったのかよ」

 真は愚痴愚痴言いながら厨房を突っ切っていく。

「やー、やー、どーもすんません、通してくだせえ」

 料理人たちに苛立ちの視線を向けられながら真は厨房を通過した。まったく、何をやらされているんだ俺は。

 いい加減うんざりして桃を追いかける気力も失せてきた。シンプルに体力の消費も激しい。

「向こうです」

 もやは逆らう気も起きなくて、黙って指示された方向へ向かった。

 両開きの扉がある。扉を開けて、中に入った。

 そこはチャペルだった。もしかして元いた場所に戻ってきたのか? それとも違う場所か? まあそんなことはどうだっていい。

 座席の間の通路の先に、ウェディングドレス姿の桃の姿が見えた。こちらに背中を向けている。

 他に人気ひとけはない。真は桃のほうへ近づいていった。

「鬼ごっこはもう終わりか?」

 眼鏡の位置を直しながら真は問いかけた。

 桃がドレスの裾を擦らせながらゆっくりと振り向いた。

 いろいろと言ってやりたいことがあったが、真は桃の顔を見てその気が一気に失せた。

 桃の頬に涙が伝っている。

 真は反射的に、昔からずっとそうしてきたように、桃の涙を拭おうと手を伸ばしたが、途中でその手を止めた。

 今自分たちの間にある心の壁が、真の手を通さなかった。

 いつからか遠くなってしまった大切な存在。

 真は手を下ろし、じっと桃を見つめる。

「バカ」

 瞳を潤ませている桃が、小さく呟いた。

 涙がこぼれ、床に落下した。


     ◆

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