雨に打たれ激しく打たれ

 賢二は坂下桃と名乗った女性と『とびとり』事務所の応接セットで向かい合って座っていた。

 紅音から依頼者の対応を任されていたが、まさかその依頼者がこの前来た坂下真の妹だとは思わなかった。これは単なる偶然だろうか、それとも紅音が意識的に仕向けたものなのだろうか。わからない。

「こちらの会社では大切な人のためのサプライズを企画してくれると聞きました」

 兄とは違いきっちりした感じの桃が言った。

「はい。そういうことになっているはずです」

「はず?」

「あ、いえ」

 賢二はこういった人を相手にした対応が得意ではなく、つい緊張してしまっていた。

 賢二がどう話を進めようか考えあぐねていると、咲来がトレイにカップを載せてやってきた。

「どうぞ」

 咲来は桃の前のテーブルにコーヒーのカップを置き、もう一つのカップを賢二の前に置いてくれた。お客ではない賢二のほうに出す必要はないのだが、咲来なりのエールなのかもしれないと思ってありがたく受け取った。

 一度コーヒーに口をつけ、気を取り直して桃と向き合う。

「それで、今回はどういったご用件でいらっしゃったのでしょうか」

「はい。実は私、今度結婚式を挙げることになりまして」

「そうですか。おめでとうございます」

「ありがとうございます。ただ、一つ気がかりがありまして」

「はい」

「私の兄のことです」

 賢二の脳裏に丸いフレームの眼鏡をかけたひげ面の真のイメージが浮かんだ。

 賢二の中でいくつかの思考が交錯する。桃は、ここへ真が来たことを知っているのだろうか? そのことをこちらから話すべきだろうか。黙っていたほうがいいだろうか。

 デスクのほうにいる咲来にちらっと視線を向けると、彼女は賢二に判断を任せるというように小さく頷いた。

 賢二はもし紅音だったらどうするかと考えた。するとすぐに考えは決まった。ここは、「サプライズ」を企画する会社だ。

「お兄さんがどうかしましたか?」

 真と会ったことは黙っておくことにして賢二は話を促した。

 しかし桃は顔を俯かせて、黙り込んでしまった。唇を噛む仕草が見える。

 賢二は桃が話すのを待つことにした。沈黙を保ち、時を流す。

 しばらくすると、桃が顔を俯かせたまま沈痛な面持ちで言葉を発した。

「私が、兄の幸せをぶち壊したんです」

 思ってもいない内容を聞き、賢二は目を見開いた。

「私なんか、いなければよかったんです」



 紅音と真は駅前の喫茶店で話をしていた。

 誰かが近づいてくる気配があったので、紅音はそちらに顔を向けた。店員かと思ったが、そこに立っていたのは自分と同じぐらいの年ごろに見える女性だった。黒いストレートヘアーが清楚な印象を持たせている。

「真さん」

 女性は感情を抑え込むようにふるふると体を震わせていた。

 紅音は真に目を向ける。真は驚いた表情で女性を見つめていた。

玲奈れいな

 真が女性の名前を呼び、その名が紅音の脳にもインプットされた。

「お知り合いで?」

 紅音は二人を交互に見ながら問いかけた。玲奈は一度紅音を睨んでからその表情のまま真に向いた。

「本当は声をかけるつもりはなかったんだけど、我慢できなくて」

「……用がないなら行けよ」

 真は玲奈の顔を見ずに言った。

 玲奈の顔がさっと紅潮する。この二人がどういう関係なのかわからないが、不穏な空気であることは見て取れた。

「あの、もしかしてなにか勘違いしちゃってます? あたしとマコッちゃんはそういう関係じゃ――」

「マコッちゃん!?」

「はあ。あんたわざとだろ」

 真は呆れた顔になった。

 玲奈が歯ぎしりの音が聴こえそうなほどに歯を噛みしめて、真を睨みつけた。そしてぐるりと方向を変えて足早に去っていく。喫茶店の入り口に向かっているようだ。

「おい、待てよ」

「命令してないで、自分が行きなよ」

「はっ?」

 真は紅音の言葉に疑問を呈した。

「さっさと追いかけなよ。伝えることを伝えておかないと、後悔するよ」

「……ちっ、くそ」

 真は悪態を吐きながら立ち上がり、玲奈のあとを追っていった。


 真は喫茶店のあるビルから外に出た。

 雨が降っている。またか、と真は舌打ちをした。

 真は雨の中に躍り出て、視界の悪い中玲奈の後ろ姿を探した。路地のほうへ消えていく彼女を見つけ、走り出す。

 二つ角を曲がったところで、彼女に追いついた。

「玲奈!」

 真は後ろから彼女の肩を掴んだ。

 玲奈は真の手を引き剥がし勢いよく振り返った。

「やめてよ!」

 玲奈が叫ぶように言う。真は雨が降っていてよかったと思った。これだけ雨が降っていれば、周りに聞こえにくい。

「何しにきたの!?」

 それは怒ったような声だったが、彼女の顔は泣いていた。

 玲奈に問われて考えてみたが、自分も何しに彼女を追ってきたのかわからなかった。

「もう、私の前に来ないでよ!」

 玲奈は拳をトンカチを打つ要領で真の胸に打ちつけた。

「私がどんな気持ちだったか、知らないでしょ!」

 彼女の声が雨の中に響いていく。

 真は黙って為すがまま立ち尽くした。降りつける雨が体を伝っていく。

 玲奈は真の胸に拳を置きながら、しゃくり上げて泣いていた。

 彼女は自分に抱きしめられることを待っているのかもしれない。だけどもう、自分にそんなことをする資格など無い。あるわけがない。

 真から反応が得られないことを悟ったのか、玲奈は体を離した。一度真を睨むように見据え、背中を向けて去っていく。真は黙って彼女の後ろ姿を見送った。

 雨が冷たく感じる。もうすぐ夏に差しかかる蒸し暑い時期なのに、真の体を――心まで冷やしていく。

 どれぐらいそこに立ち尽くしていただろうか。

 唐突に体に降りかかる雨が止んだ。

 横を見ると、紅音が傘を差して真の上にかざしてくれていた。

「今のあなたにうってつけの場所があるんだ」

 紅音が朗らかに言った。

 真はその誘いに乗ってみようと思った。

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