割れた欠片
その日、仕事が休みだった紅音は、午後の街をブラブラと歩いていた。東京を東西に突っ切る鉄道の沿線の街だ。駅周辺に複数の商店街が入り乱れるごちゃごちゃした街並み。日用品を買い揃える他、掘り出し物でも探すつもりでのんびりと歩いた。
人通りの多い商店街を進んでいると、見知った顔を見つけた。黒いズボンに黒いジャケット。すらっと引き締まった体格に、端正なルックス。聡一だ。ズボンのポケットに手を突っ込みながら
運良くこちらの存在には気づかれていないようだったので、紅音は当然のごとく尾行を開始した。聡一がプライベートでどんな生活を送っているのかまるで知らない。これは週刊誌顔負けの激写が期待できそうだ。なんならある程度法を破っていく覚悟すらこちらにはあるぞ。
つかず離れずの距離でしばらくついていくと、ある店の前で聡一が足を止めた。カシャ。店のほうを眺めながら何かを思案するように動かなくなった後、聡一はポケットに手を突っ込んだまま自動ドアから店に入っていった。カシャカシャ。
紅音は店の前まで来て、しげしげと外装を眺める。それは巷でも有名な洋菓子屋だった。聡一となんと不釣り合いな。これは予想以上にやばい山かもしれない。
紅音は気配を消しながら静かに店の中へと潜入する。
ケーキ類が陳列されたガラスケースの前に聡一がポケットに手を突っ込んだまま立っていた。前傾姿勢になり、品定めをしているようだ。カウンターの奥では注文を待っている女性店員がそわそわしている。
紅音は抜き足差し足でぎりぎり聡一の横顔が見える角度に入った。
聡一は眉間に皺を寄せた厳つい表情で、スイーツを吟味している。それはスイーツを品定めしていい表情ではなかった。これからいかなる手段で拷問を開始しようかという拷問官の表情に見える。店員が落ち着かないわけだ。カシャ。
カシャ、カシャ、カシャ、カシャ。
眉間に皺を寄せている聡一がこちらを向いた。カシャ。
「おい、何してる」
「スイーツを楽しそうに選んでいるソウチョーの写真を撮っているところであります」
「くそっ」
聡一が吐き捨てながら店の入り口のほうへ歩いていく。
「ちょっと待って待って。まだ何も買ってないじゃん」
「うるせー」
「誰かのお土産とかだった?」
「……ちげーよ」
「じゃあ、自分で食べるんだ」
「……悪いか?」
「いやいや、全然悪くない。悪人面なのはソウチョーの顔だけで」
聡一が鬼のような表情で睨んできた。怖い怖い。
「ソウチョー甘いもの好きだったんだね。これは新発見」
「帰る」
「待ってって。この店イートインもできるみたいだから、一緒に何か食べてこうよ」
どうにか聡一を引き留めて、喫茶スペースでお茶をすることにした。
紅音はショコラのシュークリームとコーヒー。見た目はシュークリームというよりパフェに近かったが。
「ソウチョーのは、うおっ、フルーツ盛り盛りのやつだ。似合わねえ」
「ああ?」
カシャカシャカシャ。
「撮るな」
「なんで? スイーツとソウチョーのツーショットなんて奇跡じゃん。今度ナナナに見せてあげよう。飛び跳ねて喜ぶぞ」
紅音はコーヒーに口をつけた。香り豊かで美味しかったが、咲来が淹れてくれるコーヒーには敵わない。あちらには愛情が注がれている。続いてフォークとナイフを使ってショコラシュークリームを食す。うん、予想通りの味だ。美味しい。シュークリームを素手でいかないなんてなんて上品な食べ方だろう。
聡一もフルーツの盛り合わせケーキみたいなものを食べている。笑み一つ浮かべず不機嫌そうな表情だ。
「美味しくないの?」
「美味いよ。なんでだ?」
「だったらそんな顔して食べないでよ。眉間に皺を寄せてスイーツ食べる人間がどこにいるんだ」
「これが普通の顔だ」
「笑いなさい」
「あはは」
顔はまったく笑っていない。まったく。
「それにしても、ソウチョーと二人だけでいるなんて、久しぶりだね」
聡一が顔を上げて、無言で紅音を見た。
「ソウチョーはさ、『とびとり』での仕事は、楽しい?」
聡一は何度か瞬きをする。
「重荷になってないかなと思って」
聡一が紅音の心情を探るように視線を向ける。
「あたしから誘っておいてなんだけど。もしさ。もしソウチョーが他にやりたいことがあるんだったら、無理しなくても」
「お前に心配されるつもりはない」
「なんだよ、こっちは――まあいいや」
「嫌いじゃない」
「えっ?」
「頼まれたからやってるってわけじゃない。お前への義理のためでもない」
「……」
「知りたいことがあるんだ。俺なりに。だから、俺のことはほっとけ」
「……」
カシャカシャカシャ。
「撮るな!」
真は、パチンコ店にいた。二時間ほどパチンコ台の前に座り、あり金を全て溶かし切った。
スパコンスパコンと盤面に打ち出されていた玉が切れる。
もしかするとまだ幻の玉が一発二発打ち出されるかもしれないと期待し右手でハンドルを何度か捻り直してみたが、もちろんそんなものは存在しない。残っているのは静寂という名の虚しさのみである。
真は立ち上がり、二つ隣にいた人間の積み上げられたパチンコ玉の山を恨めしく横目に見ながら出口へ向かった。
パチンコ店から出ると途端に体がじわっと湿気に包まれる。
「ちっ」
雨だ。それもかなり大振りの。騒がしいパチンコ店の中ではまったく気づかなかった。
傘どころか小銭一枚持ち合わせていない真は、無防備のまま梅雨時の雨の中へと足を踏み出した。
雨粒が眼前の眼鏡のレンズを打ち、視界を曇らせる。雨に濡れた衣服が肌に不快に張りついた。
道を歩いていると、黄色い長靴を履いた小さな子供とその母親とすれ違った。その光景を目にし、真は昔の記憶へと思いを馳せる。
蒸し暑い雨の日、妹の桃と一緒に傘を差して歩いたあぜ道。
その日桃は学校に傘を持っていかなかったので、真は中学校から桃の小学校まで迎えに行った。
もう帰っているかもしれなかったが、桃は教室で友達と遊んでいた。真の姿を見ると、友達に別れを告げて真のほうに笑顔でやってきた。
一つの傘で二人は歩いた。
頼れる両親がいないので、真は自分が桃の親代わりのつもりだった。
桃は傘を持っていないほうの真の手を、ずっと握っている。小さいけれど、温かい手だった。
他に
「ねえお兄ちゃん」
「なに?」
「わたしねえ、大きくなったらお兄ちゃんと結婚したい」
桃の眩しいほどの満面の笑みが真の視界に収まる。
遠い記憶だった。
けれど、その妹の笑みはいまだに確かな実感をもって真の中に存在する。
雨は容赦なく降り注ぎ、真の体を打ちつけた。
真の頬から垂れていく水滴。そこに紛れた一粒二粒は、もしかすると違う種類のものだったかもしれない。
雨は流していく。流していってくれる。
優しく、慰めてくれているような気がした。
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