幕間
プレイバック・イン・メモリーF
その日の学校が終わった奏太は、自宅に向かって通学路を歩いていた。ランドセルのショルダー部分を握りしめ、顔を俯かせながら歩く。
奏太はいつしか通学路を外れ、専門店が立ち並ぶ商店街を歩いていた。人の多い場所へ来れば、この胸の内に募る寂しさが紛れると思ったのかもしれない。実際は、より孤独感が強調されるだけだったが。
そろそろ家に帰ろうと思った時、奏太はその立て看板を目にした。
鳥らしきマークが描かれ、その下にこのような文言が見える。
『大切な人に、大切な想いを。その感動、お手伝いします』
大切な人。大切な想い。
奏太は重い病気で入院している母の顔を思い浮かべた。
奏太の願いはただ一つだった。母に早く元気になってもらい家に帰ってきてほしい。そのために自分に何かできることがあるなら、好きなゲームのプレイ時間を少し削ったっていいとさえ思った。
奏太が建物の前にある看板を見つめ思い詰めていると、背後から声が聞こえた。
「やあ少年。おしっこチビりそうでトイレでも探してるのかな?」
◆
その日紅音が『とびとり』のスタジオで四つ足歩行になって考え事をしていると、スタジオに奏太が姿を見せた。
話を聞くと、奏太はお母さんに会いたいということだった。
「会いたい? お母さんは家にはいないの?」
紅音は奏太に訊く。
「病院にいる」
「病院?」
「ずっと。帰ってこない」
「もしかしてお母さんは入院してるのかな?」
紅音の問いに奏太は少し時間をかけてから頷いた。
「そうかあ。そりゃ寂しいよな。よしわかった。この綺麗なお姉さんがサメ肌脱いでやろう」
それから紅音は奏太と一緒に奏太の母親が入院している病院に向かった。
病院のロビーの受付でお見舞いの手続きをしていると、廊下を歩いてきたベテランの女性看護師が紅音たちに目を留めた。
「あなた、奏太くんの母親のお知り合い?」
「まっ、そんなところです。まだ会ったことないけど」
「ホント残念ね。まだ若いのに」
紅音は看護師の言葉に引っかかりを感じ、話を聞くことにした。看護師はだいぶ言葉を濁したが、そこからも奏太の母親が軽い病気ではないことが推測できた。
紅音は廊下の隅っこでしゃがみ、奏太と目線を合わせてその頭を撫でた。奏太は不安そうな表情で紅音を見る。
「よしよし、良い子だ」
紅音は立ち上がり、奏太の手を掴んで廊下を歩き出した。
奏太の母親がいる病室の前まで来て、中を覗き、入った。
あっけらかんな態度を装いながら。いつも通りの自分で。
◆
「歌、ですか?」
菫は紅音の言葉に疑問を感じ、訊き返した。
「そう。あたしが菫の気持ちを聞いて歌詞を書く。そして菫がそれを歌う」
「えっと、どうしてですか?」
「スカッとするかもしれないじゃん」
「スカッと、ですか」
「菫は何のために生きてる?」
「えっ?」
「自分は生きてるんだって、叫んでほしいんだ、菫に」
「……」
「誰のためでもない。自分のために歌ってほしい」
その数日後には、紅音が歌詞と曲のデータを持ってきた。さらに、ダンサーたちを集めてその中心で菫が歌うという計画も聞かされた。
「そんなところで私なんかが歌ったら、絶対グダグダになりますよ。声なんて届きません」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ。あたしも一緒に歌ってあげるし」
「紅音さんが?」
「友人同士初めての共闘ってやつだ」
「それは心強いですけど」
「もちろん、無理はさせられない。菫は何も心配しなくていいよ」
「紅音さんはどうして」
「そこまでやってくれるのかって?」
「はい」
「まあ、強いて言うなら、それがあたしの生き方だからだよ」
「紅音さんの生き方?」
「あたしは人の笑顔を見るのが好きなんだ。『とびとり』だってそのためにある。あたしの一生の娯楽のためにね」
菫はつくづく大空紅音という人物に興味を抱いた。
◆
「もし何か起きた時、お前は責任を取れるのか?」
聡一が紅音に言ったその言葉は、もちろん菫の状態と計画を実行し責任を問われることになる紅音を案じての言葉だった。
自分たちも一緒に支える。そう伝えたかったのに、ただただ紅音を傷つけた形になってしまった。
その償いではないが、聡一はダンスの練習を再開し、千羽鶴作りにも参加した。
「ソウチョーが作った鶴、へったくそだな」
「なんだと!?」
あの一件があって以来しばらく紅音の聡一に対するあたりが強かったが、それでチャラにしてくれるなら構わなかった。借りは即返すという紅音らしいスタンスだ。
時間のあるメンバーはダンスの練習後もスタジオに残って千羽鶴を作った。
菫には内緒にしていたが、海岸での歌の披露と病室に千羽鶴を飾る計画は菫の夫正則と奏太にもあらかじめ了承してもらっていた。彼らは紅音の計画に賛同し、協力してくれた。正則と奏太も『とびとり』のメンバーと一緒に千羽鶴を折った。
「それにしてもー、ソウチョーさんってなんだかんだ言って結局は優しい人ですよねー」
「はあ!?」
小学生ダンサー七菜の唐突な発言に聡一は食いついた。
「口ではいつも悪口ばっか言ってるようでー、実はみんなのことたくさん考えてくれてるんです」
「うるせえチビンコ」
「はわわ。チビンコってチビとミジンコが合体したやつですか?」
「ソウチョーの得意技照れ隠しだね」
「てれかくしですね!」
紅音と七菜による総攻撃を受ける聡一であった。
◆
海へ行く当日、菫が正則と奏太と一緒に出ていった後、不満そうな顔のベテラン看護師から許可を取り、紅音と咲来は病室に千羽鶴を飾った。折られた鶴はおそらく全部で一万は越えている。賢二は先に会場に向かって機材のセッティングをしているはずだ。
最後にみんながメッセージを書き込んでくれた寄せ書きをベッドに立てかけた。なんだかんだ言って菫のことを心配している看護師もメッセージを書いてくれた。
「これでよし、と」
「では海に向かいましょうか」
「水着でビーチバレー大会だな」
「違います」
ランチを食べている菫たちに先回りして紅音と咲来は海岸にやってきた。
「ケンケン、準備のほうはどう?」
紅音は砂浜の一角に設置されているステージに行き、ギターのチューニングをしている賢二に声をかけた。
「はい。問題ありません」
「そう。なら菫たちが来るまで水着で将棋大会だな」
「それ水着の必要あります?」
菫からもうすぐ到着するというメッセージが届くと、ステージに黒い幕を被せた。ステージ上が暗くなる。
「わっ! ケンケン、今どさくさに紛れてあたしの胸触ったろ?」
「触ってません」
「ソラさん、どさくさに紛れて私の胸触らないでください」
「ごめん、出来心でつい」
「変態ですか?」
◆
曲が始まり、夕陽に染まる海岸は熱狂の渦に包まれた。
二つ目のサビが終わり曲が間奏に入ったところで、七菜は正則と奏太のところへ向かった。この間奏の間に彼らを菫のもとに案内するという大役を紅音から仰せつかっている。
「こっちです、こっちです」
疾走する旋律とリズムに煽られ七菜はピョンピョン飛び跳ねながら正則と奏太を連れていく。
これは誰のサプライズでもなかった。ここにいる全員が、ここで起こることをあらかじめ知っていた。けれど今感じている心を震わすほどのこの熱は、本番でしか味わえない驚きがあった。
それまで抽象的だった歌詞が、家族へ向けた明確なものへと変わる。
七菜はステージ上で歌っている菫の姿を見た。染めたての青い髪を風にはためかせながら、自分に連れ添ってくれた二人へ歌で想いを伝えている。
七菜の頬に涙が流れた。切なくて、胸が苦しくなった。菫は自身の行く末を確信している。それでいながら、前向きな言葉を家族にかけた。
菫のまぶたから涙が流れている。正則と奏太からも。
七菜は涙を拭い、他のダンサーたちに倣って踊りを再開した。
彼女たちの想いを尊重するように。
◆
菫たちが海岸から去った後、紅音は集まってくれたメンバーたちに礼を言い、使用した機材の撤収をした。
「ふぅーーー」
片づけを終えた後、紅音は日の暮れた夜の海岸に立ち、大きく息を吐いた。
「どうしたんですか?」
声がして振り返ると、賢二と咲来が近くにいた。
紅音は再び前を向いて、月明かりに光る海を眺めた。
「べつに。なんでもないよ」
「らしくないですね。あなたがふざけたことを言わないなんて」
咲来にそう言われ、紅音はわざとらしくむくれた。
「あたしは黄昏れちゃいけない人間なのかよ」
「いいえ。ただ珍しいなと思って」
三人で並んで立って、しばらく夜の海を眺めていた。その景色には昼とはまた違う神秘的な味わいがあった。
いろいろな思いが頭の中を巡り、そして消えていった。寄せては引いていく波のように。
紅音は両腕を上げて思い切り伸びをした。考えすぎるのは、好きではない。
「帰ろっか」
◆
朝、看護師は菫の病室にやってきた。想いの虹が架けられた部屋に。
菫は姿勢正しく、真っ直ぐ仰向けになって眠っていた。
その顔は、とても安らかなものに見えた。
きっと、良い夢を見ているのだろう。
そう思えるような。
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