花と笑顔
「たのもー!」
スタジオの入り口が開くとともに威勢のよい声が響いた。後ろで髪を結ったポニーテール姿の七菜が入ってくる。
「そのたのもーっていうの、最近よく聞くけど流行ってるんですか?」
スタジオでダンサーたちの到着を待っていた賢二は、七菜に尋ねた。
「おーケンケンさん。モチモチですよ。七菜一人の中でパヤりまくってます」
「パヤる? 一人だけですか」
「すぐにそこら中に拡散されるはずですよ。なんたって七菜は天性のカリスマ性の持ち主なんですから。まさに流行発信秘密基地です」
「秘密だったら流行しないと思いますけど」
「おい、そこの豆粒」
スタジオの隅であぐらをかいている聡一が声を上げた。七菜がそちらに不満そうな顔を向ける。
「ソウチョーさん、もしかしてその豆粒って七菜のことを言ってます?」
「お前以外に誰がいるんだ鉛筆の削りカス。くっちゃべってないでさっさと準備しろ」
「七菜は鉛筆の削りカスじゃなくて練り消しのカスなのでソウチョーさんの言うことは聞きません!」
「練り消しのカスでいいんですか?」
不毛なやりとりで貴重な時間が失われていくのは賢二も危惧していたが。
「そういえばケンケンさん、ソラさんはいずこに?」
七菜が妙な古語を用いてそう尋ねてきた。
「ソラさんは、この前いた男の子と一緒に出かけています」
「なんと! あの七菜よりもちっちゃい可愛らしい男の子と!? もしかしてデートですか?」
「デートではないと思いますけど」
「これはなんだかふりんされた気分」
そもそも付き合っていたのかと口から出かかって、賢二は口を噤んだ。
なんだろう、このもやもやした感じは。
天真爛漫、奇想天外な発言と行動で自分を振り回す人物。
大空紅音という女性。
今自分が抱えているこの得体の知れない不気味な感情はなんだろう?
彼女が今ここにいない事実に、自分は何を感じている?
胸の内にできているこの歪な隙間は?
賢二はその感情を分析することを恐れた。
この気持ちはきっと、誰にも言えないものだ。
言葉にすればきっと、失われてしまうものだから。
「おい北京原人。ぼさっとしてないでさっさとレッスンを始めろ」
「えっ? 北京原人? 僕が?」
「そうですよケンケンさん。貴重な時間を無駄にしないでください」
七菜にそう言われ、一体どの口が言うのか、という言葉を賢二は静かに飲み込んだ。
軒先に輝く鮮やかな色。
芳しい香り。
商店街の一角に店を構えるお花屋さん。
紅音は奏太と一緒に仕事でもプライベートでも付き合いのある人物のいるその花屋を訪れた。
「ちーっす、ボーさんいるー?」
紅音はどかどかと店内に足を進めながら声をかける。
「いるわよここに。その傍若無人な物言いは紅音ちゃんね」
並んだ棚の角から姿を現わしたのは、分厚いメイクを施したお団子ヘアの人物。名前は「ぼたん」。愛称「ボーさん」。いわゆるオネエ。本名、年齢、性別全て不詳だが、おそらく紅音より二回り以上は年上だと推測される。大袈裟な口調と外見の違和感に目を瞑れば、思いやりのある優しい人物である。『とびとり』のサプライズ・プロポーズなどで使用する花束などは全てこちらの店に発注している。
「こんちは」
「ウフフ。相変わらず元気そうね。あら?」
ぼたんは紅音の後ろにくっついている奏太に目を留めた。
「まあ可愛い! オホホ! 誰よその子、紅音ちゃんの甥っ子?」
ぼたんは両手を頬にあてうっとりした表情を浮かべた。
「あたしに兄弟はいないって知ってるでしょ」
「じゃあもしかして紅音ちゃんの?」
「まさか」
ぼたんの迫力に肝を抜かれたのか、奏太が紅音の服の裾を掴んで背中側に隠れた。
「大丈夫、怖がらなくてもいいよ。ボーさんはこう見えて妖怪じゃなくてれっきとした人間なんだ」
「まあ失礼! 誰が妖怪ですって!?」
「だから妖怪じゃないって言ったつもりだったんだけど」
奏太が紅音の横からちらっと顔を出した。恐るおそるといった感じで口を開く。
「この人、女の人?」
「オホホ! そうよ、どこからどう見てもいい女でしょう?」
「はは。まあそういうことにしておこうか」
「紅音ちゃん、聞こえてるわよ。それで、今日は何しに来たのかしら?」
「そうそう、お花を見繕ってほしいんだ。お見舞いに相応しい花ってどれかな?」
「お見舞い? 誰か具合が悪いの?」
その時紅音は自分の服の裾を引いている奏太の手に力が入ったのを感じた。
紅音は俯いてしまった奏太の頭を優しく撫でた。それからぼたんのほうに向き直る。
「綺麗な花、お願い」
「チャオ」
陽気な声が聞こえた。菫はベッドから上半身を起こして状況を確認する。
明るい髪色の女性が病室の入り口に見えた。昨日突然やってきた人だ。名前は確か、大空紅音。すぐ後ろに奏太の姿もある。
「こんにちは。本当にまた来てくれたんですね」
「約束を破らないことだけが取り柄の人間だから」
「もっとたくさん取り柄がありそうな人に見えますけど」
「あら、そう見える? 嬉しい」
紅音がゆっくりと部屋の中に入ってきた。彼女が抱えている綺麗なものに目が留まる。
「お花、持ってきたよ。迷惑じゃなかったかな?」
「ありがとうございます。嬉しいです」
バスケットに切り花が生けられたフラワーアレンジメントだ。明るくも主張しすぎないバランスの色で整えられている。
「これはガーベラですね。あれ、これは」
菫は花と花の間にさくらんぼのような実を見つけた。
「それ、ヒペリカムって花の実なんだって」
「そうなんですか。すごく可愛いですね」
「悲しみは長く続かない」
「えっ?」
「花言葉だよ」
紅音は花の入ったバスケットを棚のほうへ持っていった。
奏太がベッドのほうへ近づいてくる。菫は寂しそうな顔の息子の頭を撫でてあげた。
紅音が戻ってきてベッドの傍でしゃがみ、菫の顔を覗き込んできた。
「昨日よりちょっとだけ、顔色がいいね」
「そう、ですか」
「可愛い」
「えっ?」
「どう姉ちゃん。ちょっとこれからオレと一緒にお茶でもしない?」
「……」
菫はどう反応したらいいかわからず、真顔のまま停止してしまった。
「ハハハ。冗談だよ」
紅音は一人笑っている。なんだか少し小馬鹿にされたように感じた。
「あれ、もしかして怒った?」
「いいえ、そんなことありません」
「菫は真面目だねえ」
「普通だと思いますよ。紅音さんが変わってるんじゃないですか?」
「それはよく言われる」
紅音は屈託のない笑みを見せた。笑顔のすごく似合う人だ。その笑顔が彼女の人柄を表しているようで、とても美しく感じる。
「あのさ、昨日家に帰った時の話なんだけど」
紅音が急に話し始めた。菫は黙って話に耳を傾ける。
「チーズを食べようと思ったんだ。確か冷蔵庫にあったよなと思って。だけど、冷蔵庫を開けたらどこにもチーズが無いんだ。なんてこったい駄目絶対ってね。仕方ないからベランダに出てUFOを呼ぼうと思ったんだ。今ちょうど練習中なの。そしたら遠くでカラスが鳴いたのさ。なんて鳴いたと思う?」
「えっと、カァー、とかですか?」
「おぎゃー、だよ」
「……ふふっ」
「あっ!」
「どうしました?」
「今、笑った」
「それは笑うことだってありますよ。人間ですから」
「良い笑顔だね。可愛い」
「お茶は行きませんよ」
「ちぇっ! じゃあまた今度来た時誘うから」
紅音はそれ以上長居はせず、さらっと帰っていった。
その後菫は彼女について考えた。
荒唐無稽、掴みどころがないようで、紅音の行動は一貫していた。
自分を笑わせようと、つまり元気づけようとしていた。
そしてまた来るという約束を一方的にしていった。
不思議だった。どうして赤の他人にそこまで。自分が今まで出会ったことのないタイプの人間だった。
菫は大空紅音という人物への興味が尽きなかった。
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