Life and favorite friend
とりを見る少年
朝、
アーケードを抜けるとそのまま名前の異なる商店街に入る。チェーン店の多いアーケードのほうとは少し雰囲気が変わり、この街の特徴としてよく挙げられる古着屋が増える。中には
街を南北に縦断するその商店街の一角に、紅音の目指す場所があった。
木の格子があしらわれた親しみやすい印象の外観。白地に青い線で輪郭を描いた鳥のシンボルのイラストが目印だ。
『とびかたをしらないとり』略称『とびとり』。それがこの会社の名前。
入口から中に入る。一階はスタジオだ。階段で二階へ上がり、事務所の扉を開けた。
事務所は、片側がデスクスペースで、片側はソファが三つ配置された応接スペース兼くつろぎスペースになっている。壁際には紅音が名前の忘れてしまった観葉植物(確かモンスター的な名前)や、スケジュールの書かれたホワイトボードなどがある。
紅音が事務所に入ると、デスクスペースでPCとにらめっこをしていた二人の人物が彼女に顔を向けた。紅音は近くにいる男のほうに声をかける。
「おはよう、総理」
「おはようござ……総理? それもしかして僕のこと言ってます?」
「あれ、違かったっけ?」
「ただの真面目な一般人ですよ。どうやったらそんな間違え方するんですか?」
「おはよう、一般人」
「あの、一般人ですけど、世の中の大抵の人は一般人なのでその呼び方はやめてください」
「注文が多いなあ」
「真っ当なことを言っているだけです」
紅音の軽口に強烈に反応してきたのは、
「サッキー、おはよー」
「おはようございます」
デスクにいたもう一人は、
ちなみに紅音は二十九歳、女。ここの人間からはよく「ソラさん」と呼ばれている。明るい髪色のウルフカット(単純に名前がかっこ良くてそれにした)。上が丸っこくて、下がシュン、って感じの髪型だ。この『とびとり』の発起人である代表である。
紅音が決めた社則により、みんな「フォーマル禁止! カジュアルオンリー!」な格好だ。紅音の人格をそのまま投影した、「堅苦しくなければあとは自由」という社風であった。
紅音はまだ眠気の抜けない体でふらっと進み、応接スペースのソファにどかっと腰を下ろした。咲来は無表情で仕事を続けているが、賢二は十秒置きぐらいでちらちらと紅音のほうをチラ見してきた。何か言いたいことがあるなら言えばいいのに。
それから五分ほど経過すると、仕事が一段落ついたのか、咲来が席を立った。奥にある簡易なキッチンのほうへ行き、作業をしている。しばらくするとトレイにカップをのせて紅音のほうへやってきた。どうやらコーヒーを淹れてくれたようだ。
「どうぞ」
「ありがとう。愛してるよサッキー」
「そんな言葉気安く使わないでください」
「気安く使ったつもりはないよ。あたしは本当にサッキーのことを愛してるのさ」
紅音がそう言うと、言われた咲来ではなくなぜか聞き耳を立てている賢二のほうが憎らしげな目を向けて反応してきた。咲来は無表情のままトレイを持ってさっさと退去していく。あっさりスルーされるのは毎度のことだ。
紅音は咲来が淹れたコーヒーに口をつける。猫舌な自分がこのコーヒーの熱さにどこまで耐えられるかというのを毎朝の挑戦にしていた。ただいまだかつてその挑戦に勝利できたことはない。本日も見事に敗北して、もう少し冷めるのを待つことにした。
それからはとくにすることもなかったので、ソファで寝転びながらスマホでSNSのチェックとゲームを始めた。紅音がスマホの画面をタップして遊んでいると、咲来がPCのキーボードを打つ手を止めて口を開いた。
「ソラさん」
「なーに?」
「あなたはいつになったら仕事を始めるんですか?」
「だって、べつに今やることないからね。優秀なスタッフたちに囲まれてあたしは幸せだよ」
「目を通しておいてほしい書類が十通ほどあると、昨日連絡しましたよね」
「ああ、うん。そうだったね。後で見とくよ、テキトーに」
「テキトーじゃなくてしっかり読んでおいてください」
「はーい」
紅音はその後もしばらくゲームをして過ごした。そしてふと顔を上げると、難しい顔つきでPCモニターと向き合っている賢二の顔が目に入った。紅音はソファから立ち上がって彼のほうへ近づいていく。
「やあケンケン。またエッチな動画でも見てるの?」
「見てませんよ! なんでそうなるんですか!? それにまたってなんですか! まるで前に僕が見ていたみたいに」
「ケンケンは見ないの? あたしはそういうのわりと好きだよ。なにこれスゲってなるじゃん」
「仕事中ですよ。新島さんも軽蔑した目を僕に向けないでください。見てませんから。それと、そのケンケンっていうのどうにかしてもらえませんか?」
「どうにかって?」
「まるで動物園にいるパンダの名前みたいじゃないですか」
「いいじゃん可愛くて。賢二だから、ケンが二つでケンケンでしょ」
「安直すぎます」
「ケンケンは何してたの?」
「……見ての通りですよ」
賢二の目の前のPCモニターには、細かいグラフみたいなボタンみたいな心電図みたいな見ているとすぐに目が疲れそうなものが画面いっぱいに広がっていた。
「なるほど。ケンケンは胸は大きいほうが好み、と」
「だから見てませんって! どこをどう見たらこれが巨乳の画に見えるんですか!? それに僕は大きいよりも……ってそうじゃなくって! 曲を作ってるんですよ。あなたが指示したんでしょう」
賢二は楽器全般に通じていた。ピアノやギターはもとより、バイオリンを弾けるのはかっこいい。そのスキルを活かし、『とびとり』で楽器演奏と作曲、イベント時の機材設置や事務の補助まで担っている。とりあえずなんでも任せてしまっていい。
『とびとり』は、依頼者から提案される「サプライズ」を企画、代行する会社である。午後から合流するダンスチームもいるが、基本的にいつも事務所にいるメンバーは今ここにいる三名である。依頼者から請け負う企画内容により動員人数が変化するので、その都度外部に働きかけてメンバーを集めている。
「さーてと。じゃあそろそろ三人でUNOでも始めるか」
「仕事を始めてください」
咲来の淡々とした指摘が部屋の中に響いた。
この日紅音はとくにすることがなかったので(実際はいくらでもあるが気分が乗らなかったので)、一人昼の買い出しに外へ出た。コンビニで三人分の一通りの昼食とおやつを購入し、袋を持って商店街を歩いた。
『とびとり』の建物の前まで来ると、そこにランドセルを背負った一人の男の子が立っていた。小学校低学年だろうか。まだランドセルが新しい。その場に立って何かをじっと眺めている。どうやら『とびとり』入口前に設置してある立て看板を見ているようだ。
『大切な人に、大切な想いを。その感動、お手伝いします』
立て看板には手書きの字でその文言と鳥のシンボルの絵が描かれている。紅音が自分で書いたものだ。男の子はそれをじっと眺めている。
「やあ少年。おしっこチビりそうでトイレでも探してるのかな?」
その紅音の声に、男の子はビクッと体を震わせて振り向いた。
あどけない顔。不安そうな怯えたような目を紅音に向けた。
「読めない漢字でもあった? お姉さんが読んであげようか?」
できるだけ穏やかに言ったつもりだが、男の子はうんともすんとも言わず目を泳がせている。
「大切な人に、大切な想いを。その感動、お手伝いします」
男の子が顔を上げて紅音を見た。
「きみにもいる? 想いを伝えたい、大切な人」
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