日常メモリアル
さかたいった
あなたへのフラッシュモブ
Snow Magic
「いらっしゃいませ~。本日のおすすめドリンクは、ヴァンパイアが好んで飲んでいるといううら若き女の血液ジュースでございま~す」
「ちょっと、ソラさん」
「なんですか、血液ジュースって、ヴァンパイアって」
「なにって、言った通りだよ」
「そんなものはありませんし、仮にあったとしてもそんなものおすすめしないでください」
「えー、面白そうじゃん」
「あくまで一般的な店員を演じてください。バレたらどうするんですか。あなたなら本番でもぶっこみそうで怖いんですよ」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ」
「ああ、不安しかない」
ここはCafe『ビクトリア』の店内。シックな雰囲気で統一されている落ち着いた空間。
紅音はそれぞれの役柄に扮したキャストたちを見回した。本番前のため、少し緊張している様子のメンバーが多い。
「よーしそれじゃあ、みんな頼むよー」
紅音の明るい声に反応し、みなが彼女に目を向けた。
紅音はメンバーたちの視線に笑顔で応える。
「今日という日を特別なものにするために」
二人は黙って道を歩いた。心なしか、今日の俊樹は口数が少ない。久しぶりに会えたというのに、どこか上の空だ。
彩花と俊樹は東京・北海道間で遠距離恋愛をしている身だった。この環境ももうすぐ三年になろうとしている。何の進展もせずにこのまま日々が過ぎ去っていくことに彩花は不安を覚えていた。
彩花が数ヶ月ぶりに訪れた東京の街は忙しなく、早送りで時が進んでいるように思えた。ぼーっとしていたらすぐに取り残されてしまう。でもまだ、このペースについていけない。
「そこの店入ろうか」
俊樹が口を開いた。Cafe『ビクトリア』という看板が見える。断る理由もないので彩花は黙って頷いた。
店の中に入る。全体的に黒いインテリアが多い大人っぽい印象の内装だ。丸いテーブルを四つの椅子で囲んだセットが多数ある。奥のほうにはグランドピアノが見えた。他の客はだいたいが自分たちと同じ二十代に見えたが、中には子供連れの家族もいた。
女性の店員に案内され、彩花と俊樹は席に着いた。
店員にメニューを渡される。
「いらっしゃいませ~。本日のおすすめドリンクは、ヴァンパイアが好んで飲んでいるといううら若き女の血液ジュースでございま~す」
「えっ?」
「ちょいちょーい!」
他の男性店員が勢いよく飛んできて女性店員を引っ張っていった。女性店員は不満そうにブツブツとなにか小言を呟いている。
男性店員が息を切らして戻ってきた。
「失礼いたしました」
「は、はあ」
彩花と俊樹はそれぞれドリンクを注文した。
店内に流れる落ち着いた音楽。彩花と俊樹は他愛のない会話をした。なんでもないようなこの時間が、後になってからとても貴重なものだったと気づく。気づくのはいつだって遅い。忙しく流れる環境に気を取られ、大切なものを失っていく。
そしてまた、故郷へと帰る飛行機の中で後悔するのだ。
友人で集まっているらしい女性四人グループのテーブルから大きな声が上がった。どうやら四人のうちの一人が本日誕生日らしい。友人たちに祝ってもらって嬉しそうだ。俊樹を見ると、彼もその様子を何気なく眺めていた。
突然店の中に曲が流れ出した。先ほどまでのものとは違う、会話の声もほとんど聞こえなくなるような音量で。
その曲の始まりとともに、友人グループの一人が踊り出した。何かの余興が始まったらしい。
軽快なリズムに、明るいメロディ。美しい音色に惹かれて目を向けると、先ほどの男性店員が録音再生された曲に合わせバイオリンを弾いていた。思わず見惚れるクールな佇まい。ずいぶんと粋なサービスだ。
友人グループの女子が一人また一人と踊り出した。
曲のヴォーカル部分が始まる。
〝かじかんだ手を
ポケットに入れて
きみを想う
手品みたいに
一輪のバラでも
出してみせようか〟
友人の誕生日を祝うには、少しキザな歌詞に思えた。しかし、メロディにのせた言の葉は風に舞うように響いている。
〝何をすれば笑ってくれるか
この想いが届くだろうか〟
店内に曲のリズムに合わせた手拍子が響く。俊樹も笑みを浮かべて手拍子をしていた。彩花も彼の真似をして手を叩く。店内は楽しい雰囲気に包まれている。
女子たちのダンスの腕前は素人業とは思えないキレがあった。彩花の脳裏に少しずつ何かの予感が広がっていった。
曲は盛り上がるサビへと突入する。
〝その手を握って
一緒に笑って
特別でもない
いつもの日々を
渡っていけるなら
この手がいつか
離れたとしても
会いにいくさ
何度だって
きみを見つけてみせるよ
巡り巡る季節の先へ〟
誕生日を祝ってもらっていた女子が立ち上がった。友人たちと一緒にキレキレのダンスを踊り始める。
おかしい。これは彼女へのサプライズではなかったのか?
〝もしもぼくが
魔法使いだったら
どんな
魔法をかけたら
いいのかわかるかな
さあ〟
他のテーブルにいた客も続々と踊り始めた。家族連れの子供まで。彩花の中で緊張が増していく。椅子に座ったままなのはもはや彩花と俊樹だけだ。
彩花は向かいにいる俊樹の顔を見た。ダンスを眺めている楽しそうな笑み。けれどその瞳には、決意の色が宿っていた。
〝愛という名の魔力を込めた
魔法の言葉を囁くよ〟
俊樹が椅子から立ち上がった。彩花だけを残し。彩花は驚きを隠すように両手で顔の下半分を覆った。
俊樹を中心に据えたダンサーたちが彩花に向かってダンスを踊る。
〝きみの好きな色
きみの好きな場所
ぼくに教えて
絵を描くから
きみが好きだから〟
俊樹が踊っていた。どうして踊れるの? だっておかしいじゃん。
〝一緒に歌って
一緒に踊って
いつまでも
大切にする
決して忘れないように
この記憶がいつか終わる日まで〟
この店にいる人間で知らなかったのは自分だけだ。彩花はそう悟った。これは私へのサプライズ。目頭が熱くなった。
手拍子をして盛り上がるダンサーたちに混じり、俊樹は一度その場を離れていく。
彩花はダンサーの一人に促され、椅子から立ち上がった。みんなが楽しそうな笑みを彩花に向けている。
ダンサーたちが二列に並んで彩花の前に道を作った。
〝白い白い吐息が
儚く溶けてゆくよ
この想いきみまで
届くか不安で仕方ない〟
陰になっていた場所から三人の人物が現れた。
見た瞬間、彩花は嗚咽を漏らし、今にも膝から崩れ落ちそうになるのを必死に耐えた。まぶたからはこらえていた涙が流れていく。
家族。父、母、弟が、その場にいた。それぞれ手に花束を抱えている。北海道にいるはずの三人が、今ここにいた。
〝粉雪が舞う坂道の先
マフラー巻いたきみが待っていた〟
ダンサーたちが作った道を通って彩花の家族がやってきた。楽しそうな他のダンサーたちとは違い、彩花を見つめる母は今にも泣きそうな、それでも優しい顔だった。彩花は家族が持っていた花束を押しつけられるようにして受け取った。
彩花の前方に赤いカーペットが敷かれる。その道の先にいつの間にか一張羅のスーツに着替えた俊樹の姿が見えた。
〝その手を握って
一緒に笑って
特別でもない
いつもの日々を
渡っていけるなら
二人だけのファンタジーへご案内
合言葉は覚えてるかな
そっと耳元で囁いて〟
きっと一生懸命練習したのだろう。彩花を見つめながら、俊樹が踊っている。
彼は真面目で、いつも一生懸命で、いつだって私のことを一番に考えてくれるから。
〝一緒に笑って
一緒に泣いていこう
祝福の雪
さあ踊りましょう
手を取り合い向き合って
ちょっと少しだけ
特別な日へ
これからの日々
山あり谷あり
それでも笑っていこう〟
彩花は驚きのあまり感情がグジャグジャになっていた。まさかこんなことが起こるなんて、夢にも思っていなかった。
赤いカーペットの上を通り、俊樹が近づいてくる。
〝雪が解ける春を待つ
命芽吹く実りの時
優しさを抱いて〟
曲が終わり、店内が静まり返る。楽しそうだった俊樹の表情が真剣なものへと変わっていく。ダンサーたちはしゃがみ、彩花と俊樹の様子を固唾を吞んで見守っている。
あの「ヴァンパイア」がどうとか言っていた女性の店員がやってきて、マイクを俊樹に差し出した。俊樹はそのマイクを取る。
「彩花」
彩花は俊樹の姿がよく見えるように、一度涙を拭った。女性店員が家族からもらった花束を一度受け取ってくれた。
「えっと、ちょっとびっくりさせちゃったかもしれないけど」
公衆の面前でなければ「ホントだよ」と言って彩花は俊樹を軽く突き飛ばしたかった。
俊樹が話を続ける。
「今日を、特別な日にしたいと思った。遠距離恋愛を続けてきて、今までいろいろ不安にさせてきたと思う。だけどこれからは、もっと傍にいて、もっと彩花の笑った顔を見ていたい。だから」
俊樹が店員にマイクを渡して代わりに小さな四角い箱を受け取った。
彩花に一歩近づき、俊樹が膝立ちになる。そしてその箱を開いた。
「僕と結婚してください」
拭ったはずの視界がもやがかかったようにまた曇ってきた。
女性店員が優しく微笑みながら彩花にマイクを向けた。
そんなの答えは一つしかなかった。
「はい」
緊張していた俊樹の顔に、安堵の表情が浮かんだ。箱の中から指輪を取り出し、彩花の薬指にはめる。すぐ傍で見つめ合い、そして俊樹が彩花の体をゆっくりと抱きしめた。
周りから拍手と歓声が上がった。名前も知らない協力者たち。彩花の三人の家族も。母は泣いていた。
女性店員がマイクを持った。
「なんだよー、断らないのかよー。こんな一世一代のプロポーズに断られたら一生話のネタに困らないところだったのにー」
「ちょっとソラさん、こんなところで水を差さないでください」
女性店員はバイオリンを弾いていた男性店員にたしなめられている。
「とはいえ、ここに素敵なカップルが誕生しました。おめでとう!」
Cafe『ビクトリア』の店内が祝福のムードに包まれた。驚きっぱなしだったけど、こんなにたくさんの人に祝ってもらえるなんて。
みんなが笑顔だった。この瞬間を共有できたことが嬉しい。
集まってくれたこの人たちはこんな感動を生業にしているのだろうか?
それはとても素敵な仕事だと思った。
祝福の空気の冷めやらぬ中、紅音は一人店内の隅でカップルたちの様子を眺めていた。そこへ賢二が近づいてきて声をかけてきた。
「どうしたんですか、ソラさん」
「うん。やっぱりいいもんだと思ってね」
賢二は不思議そうな顔で紅音を見ている。
「こういう瞬間に立ち会える。特等席で見てられる。あたしたちの仕事の特権だ」
「そうですね。僕もそう思いますよ」
「なんだよ、真面目か!? たまには気の利いたジョークでも言ったらどう?」
「真面目で何が悪いんですか? でも、もしソラさんがいつか結婚する時が来たら、その時は僕らが協力しますよ」
「ハハハ! それは面白い冗談だね。今までで一番面白かった」
「べつに冗談ではなかったんですけど」
地続きの日々。そんなある日の日常に少しばかりの思い出の記念を。
『とびとり』は今日も空を飛ぶ日を夢見ていた。
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