第七章 罪人 ~叶わぬ約束~

葛尾城内


「武田兵が攻めて来たと?」義清

「ははっ。ただ、目的は森之助と更科にあったと」右馬之助

「森之助と更科じゃと?どういう事じゃ?」義清

「それについては、牧島殿よりお話頂きたいと思います」右馬之助

「牧島? どういう事じゃ?」義清

「申し訳ございません。愚息の大九郎が更科殿を我が物にしようと、武田方と申し合わせ森之助殿を襲ったと疑われております」牧島

「疑われておる? また、異な事を。森之助、更科が、大九郎本人から聞いておる。間違いない」九郎

「我が息子、武田方と内通は絶対にあり得ませぬ。森之助殿と更科殿をお守りすべく立派に戦って討ちはてたではござらぬか」牧島

「この期に及んで、まだそのような」九郎

「何を言いあっておるのじゃ? ようわからぬ。死人に口無しか」義清

「こうも考えられまする。武田方に寝返った市兵衛と森之助が内通しており、それを見つけた大九郎が切られたとも」牧島

「そんな話が通用するとでも? そのために武田兵も一緒に三十人を切ったとでも申すか?」九郎

「三十人じゃと?」義清

「ははっ」右馬之助

「そのような人数、誰かの手引き無しでは、この領地に入ってはこれぬな? 牧島」義清

「……」牧島

「しかし、まずいのう。まずい。理由はどうあれ三十人もの兵を切ったとなると戦になるやも知れぬ。相木が寝返って早々に仕掛けて来たやも知れぬな?」義清

「御屋形様。それは無いかと。このような小細工は何の意味も御座いませぬ」右馬之助

「拙者も同感。来るなら佐久衆が攻めてまいりましょう」九郎

「いずれにせよ今、戦となれば、佐久、諏訪、武田では勝てぬ。上州との話は進んでおらぬ故、今はまずい」義清

「今は武田の出方を待つべきかと」右馬之助

「わかった。それまで牧島は謹慎しておれ」義清

「ははっ」牧島

「城から出るでないぞ動いたら、武田と内通しておるとみなす。わかったな」義清

「ははっ」牧島は安堵の面持ちで答えた。

 牧島が出ていった


「御屋形様。よろしいので?」右馬之助

「武田と内通しておるのであれば、武田の出方次第で、使い道はある」義清

「武田と和議を?」右馬之助

「それも手を打ってあるが、信虎より返事がまだ来ぬ」義清

「左様でございますか?」右馬之助

 数日が過ぎた。

 

楽巌寺城内

「随分と大きくなったのう」森之助が更科のお腹を見て言った。

「もう、時々お腹を蹴られます」

「そうか。それでは男の子かのう」

「わたくしもそう思います。」

「・・わたくし? あっしではないのか?」森之助

「いつまでも姫ではおられません。母となるのです。それなりの言葉使いをせねば、この子に叱られますゆえ」更科

 森之助は、そばにいるおまつを見た。

 おまつ殿より言われたのだと思った。

おまつが微笑みながら小さく頷いた。

「森之助様は、小さいときどのような子供であったのですか?」更科

「そうじゃの。いつも兄上と弟に挟まれ、自分の意見を言えず、二人をまとめるのに苦労しておったのを覚えている」

「森之助殿らしいですね」

「森之助様の今があるのは、ご兄弟の真ん中故、その両方のお立場を考えながらお育ちになった故のお優しさなのだと思います」おまつ

「そうでしょうか?」森之助

「はい。そう思います。でも、三兄弟の中で一番お幸せなのは森の助様ですよ」おまつ

「幸せとは? どのような?」森之助

「兄と弟、両方をお持ちなのは森之助様だけで御座います」おまつ

「そうじゃの。そのとうりじゃ。森之助殿は幸せ者じゃ。あっしには兄弟がおらなんだ故」

 ・・・また言葉使いが戻っている・・

「それ故、まつ殿、結、琴と出会えて本当に嬉しかったぞ。母と姉妹が一度に出来た」

「もったいなきお言葉」おまつ

「我ら三兄弟、よく村の川で遊び申した。村人の友人達と一緒に。魚がいっぱい釣れるのです。冬は滝も凍り付き、その上を滑って遊び申した。その氷を割って穴をあけて魚を捕る事もありました。時に友人がその穴に落ち、溺れそうになったのを助けた事もありました」森之助が懐かしそうに話した

「左様でございますか? そのような滝が?」おまつ

「はい。また、直ぐ近くに鬼が作ったと伝わる奇岩がありまする」

「奇岩?」

「はい。立岩と呼ばれています」

「立岩ですか……」

「見る者によりその岩の見え方が違い、その見え方により、見た者の心がわかると言い、そこで一緒に誓いをたてればその誓いは必ず叶うと伝わっております」

「鬼が作った岩? 誓いが必ず叶う岩ですか。一度行って見たいものです。森之助殿」更科

「あっ。・・すまぬ。今は行けませぬな」更科

「良い。いつか行ける日が来ると良いが」

「きっと、行ける日が来ると思いますよ。信じて待ちましょう」おまつ

「あっしも連れてってくれ」お結

「あっしも」お琴

「魚取りは、おいらにまかせろ。おいらが得意だ」晴介

「晴介? いつからそこにおっただ?」お結

「……森之助の見張りだに。いつも近くにいるだが、何か?」晴介

「良いではないですか。晴介殿も仲間に入れてあげてくださいな」おまつ


笑い声が城内に響いた。それはほんの少しの幸せな時であった。


その数日後

葛尾城内

「武田方より書状が届いたとお聞き呼びいたしました」右馬之助

「左様じゃ」義清

「信虎より和議の返答で御座いますか?」右馬之助

「いや違う。嫡男の晴信からじゃ」義清

「晴信から? 何と?」九郎

「家臣・教来石信春(後の馬場美濃守信房)の家来・長坂光堅の子息及びその他三十名を殺害した罪により、相木采女介幸雄を罪人として引き渡せとの事じゃ。差し出さぬ場合は、兵を挙げると言っておる」義清

「なんと。森之助を差し出せと?」右馬之助

「なりませぬ。非は武田にあり。我が領地に侵入しておきながら、我が家臣を罪人扱いとは何事」九郎

「戦の種をまきに来たか?」右馬之助

「先の、森之助の身柄の扱いを市兵衛殿が不服とし、森之助の身を案じての策では?」九郎

「そのような煩わしい策を考える方では無い」右馬之助

「左様でござったな」九郎


「事の成り行きを書状にして送り返してみてはいかがでしょう? 信虎と違い、晴信はものの分別が付く輩と聞いております」右馬之助

「森之助は今や、村上の勇者として名をはせております。この森之助を敵の言いなりになり、罪人として差し出すとなれば、家臣達の士気にも及びかねます」九郎

「先の、市兵衛殿の寝返りの際の、村人達総出にて、嘆願をしに来たのを覚えておられましょうぞ」九郎


「あいわかった。右馬之助。事の成り行きを書状にして、晴信に返そう。また、その返事次第じゃ」義清

「ははっ」右馬之助


楽巌寺城内

「なんですと。森之助殿を罪人として引き渡せと? 罪人とは何ですか? 罪人とは」更科が叫んだ。

「大きな声を出すな。更科」

「父上はそれで、なんと答えられたのですか?」

「事の成り行きを書状にして晴信に出した。非は武田にあるのだ。真相を知れば、晴信も引くであろう」右馬之助

「森之助殿。気にするでないぞ。いざとなれば、戦じゃ。皆で森之助殿をお守りする」更科

「それに、最初に武田兵を切ったのはこの私です。私も同罪です」更科


「無茶を言うでない。戦の惨さをお主も身をもって知っておろう。戦となれば何人の命が失われる事になる? わし一人の命と引き換えには出来ぬ」森之助

「なっ、何を申されますか? 森之助殿はこの楽巌寺城の城主です。兵を挙げて戦えば良いではないですか?」

「先の葛尾城に村人総出で、迎えに行ったのを覚えておられよう。村人も皆、森之助殿を助ける為なら、命を投げ出しましょう」更科が続けて言った。

「村人が命を投げ出す?」森之助の顔が曇った。

「左様です。皆、森之助殿をお守りしたいのです」更科

「殿。書状が付き返されるような事があれば、我を差し出して下され。今、武田と戦って勝ち目はありません」森之助

「なっ? 駄目です。そんな事は、この更科が認めません。何故です?」更科

「更科。戦となれば、皆傷つくぞ。村人達を、またまつ殿を傷つけても良いのか?」

「……それは」

「でも、それで森之助殿を差し出すのとは話が違う。戦って勝てばよいのじゃ」更科が困った顔で答えた。

「……更科」お結

「殿。しばらくの間、更科を奥座敷牢にてお過ごし願います」森之助

「森之助様……」おまつ


「森之助……あいわかった」

 右馬之助は森之助の考えていることを察した。

「何? 奥座敷牢? 何の事です」更科

「晴介はおるか?」右馬之助

「更科を連れて行け」右馬之助

「……」

「まだ、書状の返事が来ていないでは無いですか?」晴介が初めて右馬之助の指示に反した。

「聞こえぬか。更科を連れて行け」右馬之助

書状が無意味で有る事は皆分かっていた。少しのわずかな抵抗で有る事を……・。

「更科。行こう」

「はあ? どこへじゃ。何故にあっしが奥座敷牢へ行かねばならぬ」

数人の家来が現れ、嫌がる更科を強引に置く座敷牢へ連れていった。


「森之助、向こうにそなたの父・市兵衛殿がおられるが、まだ、市兵衛殿は武田では新参者じゃ。武田の重臣・教来石信春が罪人と引き渡せと言うておるのじゃ。その意を覆すのは容易い事ではないぞ」右馬之助

「罪人として参るのです。それでこの地が争いにならぬのであれば本望です」

「座して死を選ぶか? 戦って勝てるやも知れぬぞ。更科も言うておったように先の村人達を見たであろう。今この村は、森之助、お主を中心に、深い絆で繋がっておる。日の本一、強い村であるぞ」

「殿。それが恐ろしゅうございます」

「何? 恐ろしいと?何故じゃ」

「#戦__いくさ__#は武人がするもの。武人が負け、他の国の武将が治める事になっても、その田畑や百姓、村人達は、そのまま生き続けるが本来の姿。そうでなければその村の土地は滅びてしまいます」

「森之助……」

「村人が、愛する主を守る為に命を投げ捨てる事があってはならぬのです。戦わずして、自らの命を守る事の方が良いのです」

「大戦で村人を兵士として駆り出すのも常套手段でありますが、勝てる戦であれば、それも良いでしょう。だが、今の村上では、佐久、小県、諏訪、武田と四方敵に囲まれております。上杉にもまだお味方頂けておりません。今、武田と戦っては勝てません」


 右馬之助は返す言葉がなかった。

「森之助。決して命を粗末にするでないぞ。お主ほどの武士、簡単には斬ることは出来ぬはずじゃ。家臣になれと言われるはずじゃ。その時は武田に従え。良いな」

「……」森之助は答えなかった。



「晴介。出せ。わしをここから出せ」

「お結。お琴。何故じゃ。何故わしが牢に入れられる? わしも罪人なのか?」

「更科が、森之助殿を追わぬようにじゃ」お結

「森之助殿を追う?」

「森之助殿が何処へ行く?」更科

お結が泣いた。

「……お結? 何故泣く?」更科

「書状の返事は未だきておらぬのだろう?」

「まさか? まさか? 森之助殿は行くつもりか? 一人で罪人として行くつもりか?」

「そのお考えの様です」おまつ

「なっ? なんと。そんな馬鹿な?」

「まつ殿はそれで良いとお考えか?」


「いいわけが御座いません」

おまつが初めて大声で叫んだ。涙ぐんだ声で。更科、お結、お琴もびっくりした。


「森之助様は次の、楽巌寺城の城主。村人、兵士を守るお立場。戦に負ければ、どのみち腹を切らねばなりません。ましてや勝ち目の無い戦に、皆を巻き込むわけには行かないのです」おまつ

おまつは、更科の顔をもう見られなかった。

この場を離れた。

お結、お琴も、晴介も離れた。

「まて、晴介。お結、お琴。ここを開けよ」


奥座敷から城内に更科の声が響いた。


二日後、武田方より罪人籠を担いで、迎えが来た。

奥座敷牢に森之助が現れた。

「更科」

泣き疲れて眠る更科に牢の外から声をかけた。

「おお。森之助殿」

森之助が短刀を差し出した。


「これは……」

「殿から祝言の折に祝いとして頂いた短刀じゃ。わしにはもう必要がない」

「父上から……森之助殿」

「お腹の子を頼んだぞ」

「男の子であれば、何と名付けましょう」

「そうじゃの。この乱世で大きく育ってもらいたい。 甚、#甚次郎__じんじろう__#はどうかの?」

「良い名前にございまする。女子であれば?」

「……お主のように美しい娘であろうの。美しい花の名前を付けてくれ」

「はい」

「……では、……」何と言えば良いのか森之助は分からなかった。

また、更科も同様であった。

「森之助殿」

「なんじゃ?」

「……必ず迎えに行きます。必ず」真っすぐに森之助を見つめて言った。

思いもよらぬ言葉が返って来た。


いや、更科の気性を知っていた。それゆえ牢に閉じ込めたのである。


「お約束下さい。それまで待っていてくれると。お願いで御座います」

更科のその言葉が、気持ちが嬉しかった。

今生の別れとなる。約束は叶わぬと知っていた。

「あい。わかった」

隣の部屋で、そのやりとりをおまつ達が泣きながら聞いていた。

「では。まいる」 森之助が出て行った。

「森之助さまー」 城中に更科の声が響いた。


楽巌寺城外に武田兵数名と罪人籠とそれを担ぐ者が待っていた。

その中に一人、小柄な笠を深くかぶった兵がいた。


そしてそれを見守る村人が大勢いた。

右馬之助、九郎も見守っていた。

「森之助 すまぬ」右馬之助が言った。

「いえ。自らの意思で御座いまする」

「森之助」九郎

「九郎師範殿。皆をお頼み申す」

「あい、わかった」

「森之助、森之助」共に稽古をした仲間達が泣きながら声を掛けた。

「皆、殿と師範の事を頼んだぞ」

「ああ。わかっておる」晴介

「では。これにて」

森之助が後ろに手を縛られ、籠に入れられた。罪人籠である。さらし者がよく見えるよう、木の枠組みだけの粗末なものである。

村人達の今にも襲い掛かりそうな、殺気立った視線が、武田兵に向けられていた。

武田兵は気が気でなかった。

恐る恐る楽巌寺城を出た。

田畑で農作業をしているものが、通過していく森之助一行を見守っていた。

村人の老婆が一向に近づいてきた。

「何の用だ」武田兵が刀を構えた。

「これを、森之助殿へ」

老婆が握り飯を差し出した。

「お主らのもある。ほれ」

「わしらの分も?」

「じゃから、森之助殿にたんと食べさしてあげてくれ。後生じゃ」

「かたじけない」森之助が礼を述べた。

「有難く頂戴つかまつる」小柄な笠を深くかぶった武田兵が答えた。

村中の者が、森之助の別れを見送っていた。


村から森之助が見えなくなった。


村上領を抜けたところで、笠を深くかぶっていた小柄な武田兵が声をかけた。

「ここで良い」

籠が降ろされた。森之助が籠から出され、縛られていた縄もほどかれた。

「何だ?」森之助

森之助に向かって、土下座した。

「? そなたは」

「此度の原因となった襲撃で命を救って頂いた、長坂左之助で御座います」

「おお。あの時の」

「此度の件。誠に申し訳ござりませぬ」

「非は我らにあるにも関わらず、森之助殿を罪人扱い。との仕打ち。ここで、お逃げ下さい」


「……お気持ち有難く頂くが、それはならぬ」


「何故で御座いますか? この先は打ち首か切腹しかございませぬ」

「我を逃がしたとあれば、そなた達が腹を切らねばならぬぞ」

「覚悟の上。森之助殿をお助けすべく、この度のお迎え役を買って出た次第でございます」

「この他の者達は?」

「我が長坂の者達でございます」

「我が若殿を助けて頂いた御仁の恩に報いたく、若殿に付き添うて来ました故」家臣


「左之助殿。左之助殿は、このお主に従ってきた者達を亡くしたいのか?」

「それは……」

「良いか? お主も我も、家臣達を任されし者じゃ。それを肝に命じて事を起こせ。自身の勝手で、大勢の家臣達の命を落とす事になる。また、その者達の家族も巻き込む事になる。今、わしが逃げたらどうなる? おぬし等は責任を取らされ切腹。武田と村上が戦になるじゃろう。何人が命を落とす、何人が傷つき、どれだけの田畑が荒らされる?」

「……」

「逃げるつもりがあるなら、最初からついては来ぬ。わしは村を守りたいのじゃ」

「森之助殿」左之助達が泣いていた。

自分の事よりも、敵方の身の心配と村人達の身を案じていた。

このような武士がこの乱世にいるのかと?

「貴殿らのお気持ち、有難く頂きもうす。さあ。先程頂戴した、握り飯でも食べようではないか」


田畑の真ん中で、皆、泣きながら老婆が作ってくれた、形のゆがんだ握り飯を食べた。


一行は、翌日、躑躅ヶ城館に到着した。



                                第七章 完


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