第八章 約束の旅立ち

楽巌寺城内


森之助が連れていかれて三日程立っていた


奥座敷牢へお結が食事を運んで来た。

「お結」

「なんじゃ?」

「出せ」

「だめじゃ」

「早う、行かねば森之助殿が危ない」 

「もう何日、同じ掛け合いの繰り返しじゃ?」

「お結は、森之助殿を助けたくはないのか?」

「助けたい」

「そうじゃろ。なら出せ。」

「出て、更科どうするつもりじゃ?」

「躑躅ケ城館に行く」

「はあ? 行ってどうする?」

「森之助殿を助ける」

「助ける? どう助けるのじゃ?」

「戦うしかないの」

「……戦う? どう戦う? 一人でか?」

「ああ。そうじゃ」

「本気で言っているのか?」

「本気じゃ。約束したのじゃ。森之助殿を迎えに行くと。」

 お結も聞いていた。

「森之助殿も待っていると約束してくれた」

 今生の別れの約束である。叶わぬ約束と知っていた。


 そこへ、おまつとお琴がやってきた。

「更科様。躑躅ヶ城館には、父上の市兵衛殿がいらっしゃいます。市兵衛殿がきっと取沙汰して下さいます。それを信じましょう」おまつが言った。


「市兵衛殿だと? 信じられるか。息子を人質に出しておいて、敵方に寝返る輩やからじゃぞ。森之助殿のことなぞ自分の私利私欲の為に、切り捨てる輩だ。信じられるか?」

「確かにそのような結果になっておりますが、これにはきっと深い訳がおありと思いまする」

「どんな訳がある?」

「それは……わかりません。しかし、それでも、あのような、森之助殿のような武士を、敵方と言えど切りすてましょうか? いえ、是非とも家臣にしたいと思いまする」

「それは、森之助殿が武田に寝返るという事か? 自分の命惜しさに寝返ると?」

「それは……」おまつは返答に困った。

森之助がどのような人間か皆知っていた。

「あり得ぬ。あり得ぬから助けに行かねばならぬのじゃ。あっしが・・・助かると思うておるだけではだめじゃ、願っておるだけではだめなのじゃ」

「更科……」お結

「おまつ殿」

「はい」

「おまつ殿も無謀と知りながら、まだ幼き、お結とお琴を連れて村を出たのであろう? そのまま、村に留まるより、出る事を選んだのであろう。他人に任せるより、自ら事を起こすことを望んだのでは無かったか?」


おまつは図星を言われた。他の者に任せ、願っているだけでは何も変わらないのだ。


「事を起こさねば何も変わらぬのじゃ。……何も……」更科

「我らを敵に廻して、敵に寝返り命乞いする森之助殿であれば、ここにじっとしておるわ」

「森之助殿はそうでないお方であるから、あっしが行かねばならぬのじゃ」更科が泣き崩れた。

「更科様が助けに出る?……」おまつの顔色が変わった。

「晴介殿。更科様の見張りを頼みます」

 そう言って、お結、お琴を連れて急いで出て行った。


「晴介」

「なんだ」

「出せ。あっしをここから出せ。」

「駄目じゃ。殿から見張っておれと言われておる」

「父上の#命__めい__#と森之助の#命__いのち__#、どっちが大事じゃ」

「……森之助の命に決まっておる」

「そうじゃろう。よう言うた。なら、出せ」

「駄目じゃ。お主まで失いたくない。それにその腹でどうするつもりじゃ。戦えぬぞ」

「産んでから行きたいが、それまで待てぬのじゃ。それまで森之助殿が……」泣いた

「更科……」

「晴介は、森之助殿を助けたくは無いのか?」

「助けたいに決まっておるだろう。」

「じゃろう。なら出せ。」


「……駄目じゃ」


 そんなやり取りが繰り返しながら、夜がふけていった。


深夜、更科の牢の前で、牢の柱を背にして晴介が座り込んでうとうとしていた。

それを見ていた更科が、晴介の腰の鍵を取り、牢から抜け出した。


「晴介。すまぬ」

更科は自分の部屋に行き、わずかな荷物を持ち、楽巌寺城から出た。


城を出てわずかなところで声がかかった。


「お待ちください。更科様」おまつ

「おまつ殿、お結、お琴」

三人が旅支度をして待ち構えていた。


「その姿は?」更科

「更科様もそのようなわずかな支度でどちら迄?」

「われらもお供させて頂きます。」おまつ

 嬉しかった。あれ程反対していたのに。

 三人の気持ちが嬉しかった。


「嬉しいが、駄目じゃ」

「何故ゆえ?」

「父上の命に背く事になる。しいては村上にも背を向けることになるのじゃ。帰る場所が無くなるのじゃぞ」

「承知の上で御座います。」

「これは、武田に戦に行く行為じゃ。謀反じゃぞ。打ち首ものじゃ」


「更科様。われら親子、戦から逃げ延びて、行く先もないまま、彷徨っているところを、更科様に助けて頂きました。あの時から、心に誓ったのです。この先、何があっても更科様をお守りするのだと」おまつ

「そうじゃ。更科が声を掛けてくれなんだら、われらは野垂れ死んでおった」お結

「見たこともない、食べ物を腹いっぱい毎日食べさせてもらった」お琴

「ならば、尚更ここにおれ。この乱世、いつどうなるかわからんが、いましばらくは食べる物には困らん」

「それも更科様とご一緒ならばこそ。更科様のご心配をしながら食べても、おいしゅうございません」おまつ

「そして、人が安らぎを覚え、幸せに暮らすのは決して場所ではございません。場所も確かに大事ではございます。荒れた土地よりも肥えた豊かな土地が良いでしょう。しかし本当に安らげる場所は「人」にございます。愛すべき人、家族が一緒にいる事でございます」


「そなた達と出おうて、感謝しておるのはあっしの方じゃ。母と姉妹を得たと思うておるのじゃ。その家族を傷つけたくは無いのじゃ。わかってくれ」

「今、母と姉妹と言うて下さいましたな。有りがたきお言葉。なれば、その母が申します。 娘を一人、無謀な旅に出させる母がおりましょうか?」おまつ

「おまつ殿……」

「更科。妹を一人で行かせる姉がおるか?お前なら、お琴を一人で行かせるのか?」お結

「更科様。我らを家族と思うて下さるなら、たまには甘えて下さいませ。それに、いつ生まれるかわからぬお腹。私は二人産んでおります故、お役に立てると思います」おまつ


「……すまぬ。助けてくれるか?」

「もちろんでやんす」お琴

「但し、躑躅ヶ城館の前までじゃ。その先はわし一人で行く。それが条件じゃ」


「……わかりました」おまつ

 敢えて、ここは口に出さずにいた。そんなわけにはまいりませぬ。とは

「よし。決まりじゃ」お結

「さあて。では、まいりますか?」お琴

四人は暗闇の中、歩き出した。


「これから、毎日、見つからぬよう歩く事になります故、昼間に寝て、夜に歩く事になります」おまつ

「真っ暗で道に迷わなければ良いがの」更科

「一人、道に詳しいのがおるで大丈夫であろう」お結


「ほう、誰じゃ?」

「晴介。そんなに離れておらんで、一緒にこい」お結

 後ろから晴介がついて来ていた。荷物籠を背負って。

「晴介。・・・父の命に逆ろうて大丈夫か?」更科


「逆らう? 逆らっていませんよ。殿から更科を見張っておれと申せられたので、こうして見張っておる。牢の中でとは言われてはないのでな」

「相変わらず、素直ではないな」お結

「わしも森之助を助けたいと言って泣いておったではないか?素直にもうせ」お琴

「晴介……そうか……礼を言う。下手な寝たふりのおかげで、こうして牢から出て来れた」更科

「ばれておったか? 更科、今一度問う。どうなっても後悔はせぬか?」晴介


「今、事を何も起こさぬ方が一生後悔する」更科


皆、更科のその深く激しいまでの愛情を感じ取っていた。この愛情は森之助だけでなく、この中の誰であっとしても更科は助けに来てくれる。そう感じた。


それ故、皆、更科を助けねばならぬと思うのである。

「しかし、抜けておるの? 荷物を背負う籠はあれど、肝心の荷物を何も積んでおらぬ」更科

「ははっ。これでよいのじゃ。これはお主を背負う道具じゃ」


更科をひょいと担ぎ、背に乗せた


「晴介……」

「たまには役に立つの? 晴介も」お琴

「ささ、そうと決まれば急ぎましょう」おまつ


「こっちだ」晴介


こうして、更科、おまつ、お琴、お結、晴介の五人は、二度とこの地には帰えらぬ覚悟で、そして命を掛けて森之助を助けるべく旅に出たのである。あの約束を守る為に。


 「必ず迎えにいく」


翌朝


楽巌寺城内


「見つかったか?」右馬之助

「いえ。どこにもおられません」侍女

「こちらにもおりません」

「おまつ様、お結様、お琴様もおられません」

「晴介は?」

「見当たりません」

「そうか・・・皆で行ったか」右馬之助

「殿。これがまつ殿の机の上に」侍女


右馬之助宛てにおまつの書状が書かれてあった。見事な達筆であった。

そこには、必ず更科様を連れて帰ります。と書かれてあった。


「まつ殿。更科を頼みましたぞ」右馬之助


時に、天文七年 初夏であった。


                       第八話 完

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