第六章 謀り事
森之助の沙汰が決まり、無事、楽雁寺城に戻って来たことを一人喜ばない者がいた。
牧島玄蕃の息子、牧島大九郎である。
更科を慕い、父玄蕃を通して、右馬之助に結婚の申込みを何度もしていたのである。
父が、重臣で有る事をかさに着ているだけの男であった。何度も更科に直接口説きにいった事もしばしば。今でいうストーカーである。
これを機に、森之助を排除出来ないか?を画策していた。
牧島大九郎は父玄蕃とともに、武田の家臣と内通していた。
大九郎の策略が進行していた。
一ケ月後、数十名の武田家臣が身を隠し、小諸村に侵入して来ていた。
(甲冑は着ていない。旅姿である。)
楽巌寺城付近の森林の中。
「森之助を呼んで来る故、待っていてくれるか?」大九郎が言った。
森之助と武田軍が一緒のところを作り、内通していると思わせる作戦である。
当然、義清から「打ち首」の沙汰が出されそれを最後まで止め、夫が打ち首になった更科を宥める役割で更科の気を引こうと考えたのである。森之助を亡き者にし、更科の気を引く一石二鳥の作戦であった。
これも、更科の美しさと優しさが生んだ事象である。誰もが憧れ、その優しさに勘違いした輩は大勢いた。しかし、皆、身の程を知り、あきらめる事を知っていたが、まれにこの手の者がどの時代にもいたのである。
大九郎が武田勢を置いて、森之助を呼びにその場所を離れた。楽巌寺城の山から少し離れたふもとに忍んでいた。
そこに、馬に乗った更科が通りかかった。お結、お琴が両脇に歩いて供をしている。
「あれは。あの時の……」一人の男が言った。長坂左衛門である。
楽巌寺城を武田・諏訪の部隊で攻め込んだ時の事である。
更科に馬上から落とされ、腰が抜け恥をかかされた男である。
「あの者達を捉えよ」左衛門が言った
「ええっ? 兄者、それはなりませぬ」左衛門の弟の左之助である
「女子に手を掛けてはなりませぬ」まだ、十二歳の少年であった。
「構わぬ。森之助とやらの前に切捨ててやるわ」
更科達の周りを武田勢が囲んだ。
「何奴?」お琴
「楽巌寺更科と知っての狼藉か?」お結
「楽巌寺じゃと? ふん、城主の姫であったか?」
「……お主、見たことがあるの?」更科
「そうじゃ。先の戦では恥を掻かせてくれたのう」左衛門
「よう。この人数でこの村上の領地に入ってこれたのう? 誰かの差し金か?」更科
「そうじゃ。我ら武田方と内通しておる森之助という者の差し金という事で、森之助の首が取られるという算段じゃ」左衛門
「なにい?」更科
皆、更科のその美しい顔が鬼の形相に変わり、皆たじろいだ。
「今、なんと申した。誰じゃと?」更科
「も、森之助と申した。」左衛門
「たわけ。我が夫がそのような事をするわけがないわ」更科
「夫じゃと? 左様か? それなら話が早い、森之助と一緒に冥土とやらに送ってやるわ」左衛門
「一緒にじゃと?」更科
「今、牧島が森之助を呼びに行っておるわ。じきにまいる」左衛門
更科達は、三十人の刀を持った武田勢に囲まれ動けなかった。
夕刻になり、暗くなって来た。
山の中の為、さらに暗くなる。
「兄上。お止め下さい。女子に手を掛けては武士にあらず。我もこのような事をする為について来たわけではありませぬ」左之助
男気のある立派な若者であった。
「兄上は、長坂の嫡男。長坂の名を汚すのですか?」
「ええい。邪魔だ。どけえい。左之助」
「いいえ退きませぬ。この身にかけて」
「父上に何と申し上げればよろしいのですか?」
「父上に申すと言うか?」
「たわけ。本当の事を申せば、おのれも首が飛ぶぞ。」
左衛門は左之助が本気だと知った。
左之助を帰すわけにいかなくなった。
「ええい。これ以上邪魔だてすると弟といえど本当に切るぞ。」
「なりませぬ」
「たわけい」左衛門が左之助に向けて刀を振り下ろした。
「まずい。お結」更科が叫んだ。
がキーン。
間一髪、お結の短刀が左衛門の大きな刀を受け止めた。
ビリビリと衝撃が走った。
お結、お琴。忍びである。常に武器は隠し持っていた。
「兄弟げんかは家でやってほしいのぉ」お結
「お主。自分の立場の為に実の弟を切るつもりか? 皆、家族を守る為に仕方無く戦をしておるというに? 許さんぞ。そのような輩、この更科が許さん」更科
「じゃまするなあ。皆やれい」左衛門
「おおっ。」他の者が更科達に切ってかかって来た。更科も短刀を着物の中に隠し持っていた。馬から降りて構えた。
更科に切りかかってきた太刀をさらりとかわしながら、短刀で相手を切った。
森之助と稽古した技が役にたった。
身重の身である。力まかせの太刀は出来ない。
次々と襲い掛かって来る相手を、その場から左程動くことなく、何人も短刀で倒した。
お琴は、得意の小型の弓矢を隠し持っていた。数本の小さな弓が同時に放たれた。
一度に数人が倒れる。
そこへ、森之助が馬に乗って駆けつけた。
「おおーっ」
大きな槍を馬上から振り回して次々と相手を倒していく。あの戦の時と同じであった。
後に、大九郎と晴介が続いた。
大九郎も武田兵を倒した。
あっと言う間に、武田勢は数名になった。
「牧島―。どういう事じゃ。お主が画策した事じゃろう」左衛門
「なぜじゃ。何故、更科を襲っておる。森之助と少し一緒におれば事すんだのじゃ」大九郎
牧島は森之助が見つからず、一旦戻ったのである。その時に更科達を長坂が襲っていたのを見て、慌てて再度、森之助を呼びにいったのである。牧島は更科を傷つける予定はなかった。
「おのれー。牧島」左衛門
左衛門の刀が、大九郎を捉えた。
「ぐあ。」
「も、森之助、すまん」大九郎
「大九郎―」森之助が叫びながら、ひと振りで長坂を捉えた。
「うわあ」
長坂が切られたのを見て、残った数名が我先に逃げ出した。
「兄者―」左之助が左衛門に近寄った。
「お主は逃げぬのか?」森之助が問うた。
「我もお切りください。武士としてあらぬ事をした一味の者です」
「森之助殿。この者は、我々をお助け下さいました」更科
「そうか……」少し考え森之助は更科に問うた。
「更科は自分を襲った一味のこの者をどうしたい?」森之助
「この者は、一人、我々を救おうと自身の命を掛けて守ろうとして下さいました。敵方とは言え、立派な武人です。お許し頂きたく存じます」更科
更科はそう言って、片膝をついた。お結もお琴も一緒に片膝を付いた。
「我も同じ考えじゃ」森之助も馬をおり、左之助に向かい、片膝をついて礼を述べた。
「我が妻達をお助け頂き、かたじけのうございます」森之助
礼を言われた?その二人の態度に驚いた。
「な?何を申されますか。兄者に切られそうなところを助けて頂いたのは我の方です。あのような状況で、敵である我を助けて頂けるとは信じられぬ出来事でした。」左之助
「未だ、幼き齢とお見受けしたが、己が信念を貫き通された、そなたこそ誇り高き武士と存じます」更科
その言葉に左之助は涙が溢れた。
「いつか、元服された暁には一緒に戦こうて見たいものですな。出来ればお味方として」森之助
「我を切らぬのですか?」左之助
「何故に? そちらも、こちらも共に傷つける思いは既にありませぬ。もう戦いは終わり申した。戦い終われば、残るは相手への尊敬の念と慈悲のみでござる」森之助
「帰る場所が御座いませぬ。なんと父上に申して良いか?」左之助
「ありのままを伝えればよろしい」森之助
「そなたの行いに対して、もし異を申すものがおるのなら、この更科が許しませぬ。懲らしめにまいります」更科
「ははっ。この更科は恐ろしゅうございまするぞ。なにせ鬼女でござる」森之助
「誰が鬼女じゃと」更科
「兄上達はここに丁重に弔っておく故」森之助
「有難き幸せ。では、ごめん」左之助
泣きながら左之助が去っていった。
「大した小僧じゃのう?」晴介
「りっぱな武人になるであろうな」森之助
そこへ、騒ぎを聞きつけた、右馬之助と九郎が数名の家臣を連れて飛んで来た。
「この者達は?」右馬之助
「この者は、牧島の大九郎では無いか?」九郎
森之助が事の経緯を話した。
「左様か。大九郎の仕業か」右馬之助
「牧島玄蕃殿も武田方に内通しておるかの?」九郎
「おそらく」右馬之助
「どちらにせよ。これだけの武田兵を切った事に変わりは無い。直ぐに戦になるやも知れぬな」九郎
「武田が攻めて来ますか?」森之助
「いや、先ずは佐久の衆じゃのう」右馬之助
「やはり父上との闘いになりますか?」
「そうならぬ事を願うばかりじゃ」九郎
「先の戦いより、厳しい戦いになる。」右馬之助
「相木は目と鼻の先じゃ」九郎
「この小諸が戦地となるやも知れぬ」右馬之助
「この村が、再び戦地に……」更科
海ノ口の戦いから一年が過ぎていた。
また、森之助と更科にとって過酷な闘いが始まろうとしていた。
第六章 完
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