体内レンズ

青空一星

レイヤー 映す自分

 日はすっかり落ちきって、街は人工的な灯りに照らされている。バスの中には僕がいる。


 視線を左へと移した。夜の、いつもと少し違う暗闇の溶けた街が見たくて。


 それをガラスに反射した僕が邪魔をした


 濃く映り込んだバスの中、そして僕が街の夜景を遮っている。近付いても少し見やすくなるくらいで、ガラスの僕が近付いて来てもしまう。


 遠退いたらもっとはっきり僕が映るだけで、街がもっと見えなくなった。


 自分が映っている光景だけでも最悪なのにずっとつまらない格好のまま固まっているものだから尚更酷い。


 今だけある暗闇が魅力的で、触れてやりたくて手を伸ばす。すぐにガラスで遮断されてしまう。手の平をつけたら冷めた温度しか伝わってこなかった。


 暗闇の街はきっと面白くて素晴らしいもののはずなのに、こいつが僕の邪魔をする。暗闇と僕を隔てるのはたった一枚のガラスだ。こんなもの、直ぐに突っ破らってやりたいのに、まるでうず高く積まれた壁のようだ。


 一旦バスが停まって、ガラス越しにこちらを見ている人を見つけた。僕はあの人のことを知らない、相手もそうだろう。でも少し高い所から見下しているように感じてしまって、口元が緩んだ。ハッとして顔を背ける。きっとバレていないだろう。


 向かい側の窓はまだクリアに外が見える。薄くバスの中が映し出されているけど、自分が映ってないからまだマシだ。


 妥協して少し眺める。手すりや柱なんかが無様に邪魔をするから集中できない。


 もう僕は目を閉じて、バスの揺らぎに身を任せてやることしかできなかった。


 バスの息切れするような声、運転手さんの機会越しの声、あとは後ろで何やら楽しそうに会話する女の子の声だけが頭に入る。


 これはこれで、ゆらりと時間を過ごせた。すごく、楽だった。

 

 自分の目蓋の裏だけ見てれば考え事なんて増えない。イライラもしない。静かに生きていけるっていうのに…暇だな。


 目蓋を上げた。さっきと変わらないつまらないバスの中が映る。


 降りるバス停はとっくに過ぎたようで、そうわかった途端にダルくなった。それに構わず、バスは動いてなきゃいけないらしい。相変わらず僕を揺らしながら決められたルートを歩いている。


 そうだな、せっかく走ってくれるんだから無理に降りなくたっていいか。別に誰に叱られることもないのだから。


 深く腰を下ろして、頬杖ついて窓の外を眺める。やっぱり自分がいる…実に煩わしい。


 背を正してみる。窓も見えない。誰もいない。自分もいない。


 バスが右へ左へ揺れる。それに合わせて僕も右へ左へ揺られる。そうやって甘えてたら勢い止まらずガラスにぶつかった。


 ガラスは破れず、僕の頭を受け止めた。ひんやりとしていて、眼に吸い付いてきそうなほど近い。これだけ近いから眼も僕なんかを認識したりせずに虚空を眺めていた。


 全くもって実のない時間だ。それでもってつまらない。くだらない、この時間が愛おしい。でも、それも終わりだ。


 機械声が終点を告げる


 いつの間にかいなくなっていた女の子に一瞬気を使うが、無駄とわかったからゆっくりと出口へ向かった。


 小さな声で運転手さんにお礼を言って代金を払った。


 外は真っ暗でここは禄な灯りもないらしい。


 僕を映す鬱陶しいガラスはもう無い。僕を囲うものはもう何も無い。とても清々しい気分で、ある…き始めた。


 視界がぼやけている


 足取りがおぼつかない


 今どこを歩いてる?


 前は向いているか?


 僕は何を見ている?


 恐ろしくなってしまった。今の僕には映せるものが無い。暗闇が暗闇にしか見えない。


 僕はどこにある?


 僕なんてものは嫌いだ


 じゃあ捨てればどうなる


 どうなってしまうんだ


 寒気が止まらない。震えて震えて一歩が出ない。うずくまってしばらく暖を取った。


 …動ける


 あと少しだけ動ける


 その確信があって前を見る。


 そこには暗闇があった。


 静かな、静かな暗闇があった。


 息は無い。灯りは無い。そこで保てる勇気は無い。


 走り出した。息を切らしてひたすらに、涎を垂らしながら来た道をなんとか思い出して走る。


 灯りが見えた。 

 バス停だ。


 バス停のベンチにしがみつく。項垂れる。バスの中にいた時みたいに、あの感覚を思い出すように。


 あと何時間後かはわからない。僕は降りてしまったから乗せてくれるかもわからない。でもそれ以外にやりようなんてないんだ。ここで大人しく、降りるべきだった所へ安全に着けるように頼るしかない。


 ガラス越しでしか何も見えない

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