第30話 封印が解かれるとき
彼女はまたしても突然やってきた。
「お兄様、アンねぇ様」
土砂降りの午後。
傘もささず、ずぶ濡れになりながら玄関の呼び鈴を鳴らしたのはルティ様だった。
屋敷中が騒がしくなり、何事かと思って玄関に向かうと彼女が立っていた。
正気のない表情、濡れた金髪は顔に張り付き、ドレスの裾は泥水で汚れている。
まるで亡霊のようだ。
とてもではないが、公爵令嬢とは思えない出立ちだった。
「どうしたメルティア。何があった?」
「ケネス様、話は後にしましょう。まずは体を温めることが先決かと」
「そうか。そうだな。誰かメルティアにタオルを。そのまま浴室へ連れて行け」
ケネス様の指示に従い、わたしの元から侍女たちが離れる。
彼女たちは元よりルティ様の専属だ。
わたしよりもルティ様を優先するのは当然のことだった。
◇◆◇◆◇◆
入浴を終え、マグカップに注がれたホットミルクを飲むルティ様。
その視線は虚げで以前のような天真爛漫さはなかった。
「何があったのか話せ。黙っていては分からないだろ」
こんな時でも一見するとケネス様は変わらない。
でも、わたしからすれば大切な妹をこんな姿にされて、焦り、憤り、自分でも制御できないほどに冷たい言葉を投げかけているように見えた。
「……イザーク王太子殿下が、わたくしのことを愛していないと」
「殿下本人がそう言ったのか?」
ケネス様の声に力がこもる。
王族相手だから抑えているだけで本当ならすでに大爆発されているかもしれない雰囲気だった。
「いえ。殿下ではなく、彼女が……」
「誰だ。早く言え」
「エリザベッラ男爵令嬢ですわ」
「なんですって⁉︎」
声を荒げたのはケネス様でも、ましてやルティ様でもなく、わたし自身だった。
だって、エリザベッラ男爵令嬢といえば、わたしに婚約破棄を言い渡したアーロン=メフィストスが真実の愛に目覚めたお相手なのだから――
「ほ、本当にエリザベッラ嬢なのですか? あの男爵家の?」
「はい。直接、言われましたので。アンねぇ様は彼女をご存知なのですか?」
「直接会ったことはないですが、わたしの元……」
と、言いかけたところで、口を閉じてケネス様の顔色を伺う。
案の定、わたしの次の発言を予測されたのだろう。すごく不機嫌そうなお顔をされていた。
「こほん。あの男が真実の愛を見つけた相手として名前を挙げたご令嬢です」
「ほぅ」
恐ろしいわ。
蔑むような瞳はまるでわたしに向けられているのではないかと錯覚してしまう。
いつになく不機嫌で、底冷えする低い声には肝が冷えた。
「奴はウィリアンヌに告げた婚約破棄は嘘だと言っていた。ウィリアンヌを嫉妬させようとして後に引けなくなったなどとふざけたこともほざいていた。が、そのエリザベッラ男爵令嬢との関係には言及していなかったぞ。そうなると、エリザベッラ嬢は恋多き乙女ということになるのか?」
「さ、さぁ……。そこまではわたしにも分かりかねます。ただ、王太子殿下から婚約者を奪いかねない大問題が起こっているということだけは分かります」
「その通りだ。これは反逆行為にもあたる」
反逆⁉︎
そ、そんな大事にまで発展するの⁉︎
わたしが露骨に目を見開いたからだろう。
ケネス様は諭すように説明してくれた。
「次期国王であるイザーク王太子殿下の正式な婚約がいるのに、別の女をあてがう。これは反逆罪に相当するんだ」
「な、なるほど。わたしのような者が婚約破棄されるのとは訳が違うのですね」
「まぁ、そう、だな。慰謝料うんぬんでは解決できない問題だ」
しまった。
自分から地雷を踏み抜いてしまったわ。
明らかにケネス様のお顔が陰っている。
自虐ネタも大概にしないとケネス様の胃に穴が空いてしまいますわね。
「イザーク殿下は本当にエリザベッラ男爵令嬢のことを愛しているのでしょうか」
いつになく不安げで、か細い声のルティ様。
あの快活さがどこかへ飛んでいってしまうほどに、イザーク殿下のことを想ってらっしゃるということかしら。
でも、今の発言は間違っている。
わたしはその間違いを訂正すべく、間髪入れずに小さく挙手した。
「ルティ様、それは違います。あくまでも『イザーク殿下がルティ様のことを愛していない』と言われただけで、イザーク殿下がエリザベッラ男爵令嬢を愛してるとは言われていません」
「それは、そうですが……」
「物事を曲解するな、とわたしに言ってくださったのはルティ様ですよ。そっくりそのままお言葉をお返しします」
ルティ様がムッとされる。
やっとわたしの知っているルティ様に戻られたような気がして安堵した。
「では、どうしろとおっしゃいますの? アンねぇ様は妙案をお持ちでして?」
この尖った感じ。
相当、追い込まれていると見える。
「わたしとしては、なぜそこまでルティ様が焦っておられるのか分かりません。ルティ様は王太子殿下の正式な婚約者なのですよね。つまり、未来の王妃。国の母です。そんな方が、ぽっと出の男爵令嬢に蹴落とされるはずがありません」
「焦っているのは実家に帰ってきてからです。王宮では
十分ではないから。
そこまでできているのに焦燥しきった様子で実家に逃げ帰ってくるのは何故だろう。
「わたくしは公爵家の娘として、王太子殿下の婚約者として、絶対的である必要があります。あんな
要するに、王宮ではなく公爵邸で心を落ち着けてからエリザベッラ男爵令嬢をどうにかしようと考えた。というわけね。
「わたしに考えがあります。ただし、これは賭けです。ルティ様がイザーク王太子殿下を信じられるか否か。お答えください」
わたしとルティ様の深呼吸が重なる。
「ルティ様はイザーク王太子殿下に好かれているとお思いですか?」
「もちろんですわ」
即答。
兄妹揃って、こういう肝心な場面では絶対的な自信を発揮するのよね。
この光景をイザーク殿下やエリザベッラ男爵令嬢に見せることができればいいのに。
「では、お貸ししましょう。エリザベッラ男爵令嬢を泣かせることができる、唯一の不思議アイテムを――」
「妙案ではあるが。アレの封印を解くというのか?」
「非常事態ですから。少しだけ使いますが、わたしのためには使いませんのでご安心ください」
不安顔のケネス様にお答えしてからルティ様へ向き直る。
「使用後は速やかにわたしに返却を。お貸しするのは魔性の
「はぁ……。いったい、何の話をされていますの?」
「使い方は追ってお伝えしますから今日はもう私室でお休みになってくださいませ」
外ではすっかり雨は上がっていた。
本当は今すぐにでも
危険を冒してまで取りに行く理由もない。
それまでは、邪悪な笑みを浮かべるケネス様と一緒に義妹の心を乱す悪女をどうやって懲らしめるか考えましょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます