第29話 確認事項
ケネス様がお戻りになられたのは夕刻になってからだった。
わたしはすでに夜の食事を終え、あとは寝るだけの状態。それでも婚約者が帰宅されたと聞けば、迷わずにお出迎えに行くわ。
パタパタと廊下を早歩きで玄関に向かうと、
澄んだ紺碧の瞳が細められ、わずかに口角が上がる。
執事や侍女に大荷物の荷解きを指示する合間。
ケネス様は「ただいま」と口を動かされた。
声に出されなくても確かに伝わってきた。
確かにわたしには聞こえた。
だから応える。
おかえりなさい、と。
目で語りかける。きっとケネス様には伝わっていると思うから。
「……ウィリアンヌ様?」
「行きましょう」
後ろをついてくる小走りのセラは焦ったように何度もわたしの名前を呼んだ。
「よろしいのですか? せっかく、ケネス様がお戻りになられたのに。ご挨拶をされなくても?」
「いいの。もう終わったから」
「は、はぁ……」
疑問符を浮かべるセラを待たずにさっさと自室向かう。
セラに労いの言葉をかけ、退室を促したわたしはナイトランプを頼りに読書を始め、訪れるであろうノック音を待った。
◇◆◇◆◇◆
小さなノック音が室内に響く。柱時計の針は23時を指していた。
「どなた?」
「言わずとも分かっているくせに」
カチャリと無駄な音を立てないように気をつけながら鍵を開けて扉を開くと、大きな手が伸びてきた。
「お待たせ」
「……別に待っていませんわ」
「いや、ノックから解錠までの時間が前回よりも早い。俺のことが待ち遠しかったとみえる」
名探偵気取りのケネス様が以前おっしゃっていた「しばらくの間」とは案外短いものだった。
これは主観的なものだから文句を言っても仕方ないでしょう。
許します。それに、わたしも今日は来室られるような気がしていたから寝ずに待っていたわけで……。
素早く入室されたケネス様にソファを勧め、わたしは扉の鍵を閉めた。
「隣には座ってくれないのか」
「これから始まるのは尋問です。尋問と言えば、対面が相場と決まっていますよね」
やれやれといった表情のケネス様はなんでもどうぞ、とジェスチャーされた。
「ではまず手始めに。わたし以外の女性とお話されましたか?」
「それはもちろん。仕事だからね」
「特別な感情を抱かれるようなことは?」
「あるはずがない。俺はウィリアンヌ一筋だと何度も語っているだろう」
まさかこんなにもはっきりと明言されるとは驚きだわ。
さて、何故わたしがこんなにも面倒くさい女になってしまったのか。
全ての元凶は
本来であれば、夜な夜なケネス様の独白を聞いて勝手に安心していたのだけど、それが出来なくなってしまったからこうして直接聞くしかなくなった。
この煩わしい確認作業を世の男女が毎回のように行っているのなら、それは尊敬に値する。
本当に面倒くさいわ。でも、誤解を生まないためには仕方のないことだもの。
ケネス様にも協力してもらわなくちゃ。
「――はい。質問は以上です。ありがとうございました」
その後も30分程度に渡っての質問(特に女性関係のもの)を終えたわたしに、ケネス様はお疲れの表情を見せることなく感謝を述べられた。
「お話しするだけでウィリアンヌを安心させられるならお安い御用だ。身の潔白の証明にもなって良い」
「明日のお昼頃でも良かったのですよ? わざわざ夜に危険を冒されなくても」
「昼に会うのはマストだが、夜は特別感があって良い。罪悪感は良質なスパイスになる」
確かにその通りですわ。
夜にお菓子を食べると一段と美味しく感じますもの。
……ただ、その代償が大きいですけれど。
部屋の隅に置かれた木箱へ視線を向ける。
ルティ様からの贈り物であるお菓子はまだまだ大量に残っていて一向に減る気配がない。
「召し上がりますか? わたし一人では食べきれなくて」
「いただこう。ちょうど小腹が空いていたところなんだ」
吟味して木箱から取り出した同じお菓子をケネス様に渡してからソファに腰掛け直す。
「なるほど」
何かに納得されたケネス様を見上げると不敵に笑われていた。
なんだか馬鹿にされたようでほんの少しだけムッとしてしまった。
「お菓子を渡すという口実をもって俺の隣に腰掛けたわけか。これは一本取られた。胸が高鳴るよ」
「~~~~~~っ!」
声にならない声が喉の上の方から出ている。
改めて自分の行動を分析されると瞬く間に体が火照り、本能のままに手で扇いでいた。
「……そういうことは言わなくて結構です。胸の奥にしまっておいてください」
「でも知りたいだろう?」
「知りたいですが、その、面と向かって言われると恥ずかしいです」
「んー、乙女心というのは難しいな。理解するまでに相当な時間がかかりそうだ」
「別に一般的な乙女心を理解する必要はありません。わたしのだけで十分です。であれば、そんなに時間はかからないかと」
ぴたっとケネス様のお菓子を食べる手が止まった。
何気なく見上げるとケネス様は片手で覆った顔を背けられた。
「それは反則だ」
「はい?」
「無自覚なのが尚悪い。ウィリアンヌこそ、その無自覚で他の男をたらし込まないでくれよ」
「た、たらしこむ!? こ、このわたしが!?」
「そんなことはないと思っているがそう釘を刺したくなるくらい、ウィリアンヌはたまにとんでもない隙がある」
「……す、隙ですか」
釈然としない。
そんなにも隙のある女だと思われていたなんて心外だわ。
ケネス様はお菓子を食べ終え、わたしの方へと近づいてこられた。
「俺が留守の間に何もなかったか?」
「はい。強いて言うなら、ルティ様が王宮お帰りモードになられたくらいです」
「あぁ、もうそんな時期か。驚いただろう? メルティアは家と外でだいぶ様子が異なるんだ。あんな、ぐうたら姫でも王宮では毅然と振る舞うらしい。王太子の婚約者だなんて我が家の誇りだよ」
妹を想うケネス様の尊いお顔をこんなにも間近で見られるのは、わたしだけの特権だと思う。この特権をずっと持ち続けられるようにしないと。
「ルティ様ならはっきりとお気持ちを伝えられるでしょうから問題はないのでしょうね」
「そうであって欲しいと心から願っている。口は災いの元とも言うからね。どんな時も余計なことを言わなければいいが」
妹を心配されるケネス様の横顔が美しい。
あまりのご尊顔に見惚れていると、置き時計がボーンッと鐘の音を鳴らした。
「おっと。もうこんな時間か。ウィリアンヌと話していると時間があっという間に経ってしまうな。じゃあ、また明日」
「おやすみなさい、ケネス様」
「あぁ。おやすみ」
静かで暗がりの廊下を歩くケネス様を見送り、ベッドに入ったわけだけど、昨日とはまるで違う眠気に襲われた。
「ケネス様とお話しするだけでこんなにも心安らげるのね」
今のところは
なんて考えながら深い眠りに落ちた。
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